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2009年5月23日 ● 裁判員制度が始まった

カテゴリ : 無題

■ 【森英介法相は21日午前、裁判員制度スタートに当たり法務省で記者会見し、「必要とされているのは日常の中で培われた感覚や視点であり、自然体で安心して参加してもらうよう希望する」と、国民の理解と協力を呼び掛けた。
 法相は「『お上の裁判』から『民主社会の裁判』へと大きく変わる。治安や犯罪被害、人権などの問題を、わたしたち1人ひとりのこととして考えるきっかけになる」と意義を強調。「国民の良識、健全性に信頼を寄せており、(裁判の際に)安易に感情に流されることはないと思っている」と述べた】

 ● すでに何度も裁判員制度の問題点を指摘してきたが、最大の本質は以下のものだ。

① 自発的意志ではなく法的強制力で参加させることにより、国民に対し、納税・教育に次ぐ第三の義務を罰則付きで強要する制度であり、これは国家が、ますます国民を義務で拘束する家畜社会をもたらすための馴らし制度であり、徴兵制復活のお膳立ての意味が強いと思われる。

② 明治以降、日本司法における伝統は、牧野英一による「教育刑」の思想であったが、それが中曽根政権以降、なしくずしに応報(報復制裁)刑制度に後退している。これは、犯罪の原因を社会に求め、過ちを犯した人を教育によって更正させようとする思想から、犯罪は、すべて個人の資質であると決めつけ、犯罪者個人を罰し、処刑消滅させることだけで解決したことにする応報刑制度に後退させるものだ。
 こうした応報刑を正当化し、国民が自ら求めたものであるかのように装うために、裁判員制度が計画された。すなわち、わずか数日の審議に、予備知識も調査権も持たない市民が参加するならば、犯罪の事実、結果だけを見せつけられ、それに感情的な反応をするしことしか余地がない。このため、犯罪の背後にある、その真の原因を考察して、根本的に解決、改善しようとする姿勢は見失われ、いたずらに感情的反応だけが司法判断の拠り所にされてしまうものだ。
 すなわち、裁判員制度は、社会の未来を見据えた理性による解決の場から、感情による報復制裁の場、リンチ裁判へと後退せしめるものでしかない。これは、国民全体の人間性資質を著しく劣化させるものだ。

③ 犯罪を処罰するというだけの姿勢では、犯罪がなくならない限り、どんどん処罰苛酷化、強化に進む以外なく、やがて国民を、すべて追いつめ、全員を犯罪者とみなし、家畜のように刑罰で統制する奴隷社会をもたらすものだ。
 司法苛酷化の先進国であるアメリカでは、一度でも痴漢犯罪を行ったら、生涯、性犯罪者として人権を無視されることが正当化されてしまい、地域住民にプライバシーを通報され、監視され、社会から隔離排除されるようになってしまった。 さらに、アメリカ社会の犯罪ヒステリーを反映した「三振法」が施行され、万引きや痴漢のような微罪であっても、三度目の処罰では終身刑という、恐ろしく愚かな法治社会が実現した。
 このため、アメリカでは、成人男性の100名に1名が犯罪者として刑務所に拘置され、黒人男性の9名に1名が拘置されている。このことでアメリカ経済に対する負担が激増し、財政破綻に陥ったカリフォルニア州などでは、財政負担が耐えきれずに、大部分の囚人を釈放すると知事が表明せざるをえない事態に追い込まれた。

④ 犯罪の本当の原因は、決して法務局が説明しているような個人の脳の欠陥にあるのではない。それは誤った社会が人を追いつめて暴走させるのである。したがって、犯罪を犯した個人を制裁淘汰しても、それで犯罪がなくなるわけではなく、逆に、制裁によって人をますます追いつめ、犯罪を増やす結果しかもたらさない。
 新型インフルエンザが蔓延する理由は、ウイルスの伝播にあるのであって、罹患した人を制裁排除すれば病気が消えるわけではない。原因と結果を間違えてはいけない。ウイルスの伝播を抑制し、罹患する人の免疫抵抗力を増し、優れた治療薬を開発するのが本当の対策であって、現在の司法は、罹患者を排除抹殺することで解決しようとする姿勢であり、そんなことをすれば、この世から人がいなくなってしまうのである。
 裁判員制度は、犯罪に対し、国家がますます苛酷な対応を行い、処罰を強化し、人を制裁して追いつめ、人々に恐怖をもたらし、結果として犯罪を増やすことにしか役立たないのである。

⑤ 「人を裁いて死刑にする」という重大な仕事である以上、自らの良心に基づいて十分な責任を負いたいと考えるなら、十分な事実の調査と、判断の時間が必要になるが、裁判員に許される時間は、わずか数日にすぎない。
 個人的な裁量による調査は許されず、与えられた資料を鵜呑みにするしかなく、勢い、感情的な反応だけが重視される結果となる。
 しかも、それを家族や友人に相談すれば、「業務上知り得た秘密を他人に漏らした」という犯罪に問われ、6ヶ月以下の懲役、50万円以下の罰金という重罰に処せられる。しかも、この義務は死ぬまで要求されるのである。 ところが検察官・裁判官などには終身の守秘義務はなく、退職すれば自由に公言することができる。これは異様な差別であり、国民に無意味で重大な負荷を押しつけるものだ。
 裁判員として徴兵招集された人たちは、こうした苛酷な守秘義務を恐れて、自由にものも言えず、勢い、主体性を発揮することも不可能であり、与えられた情報で、許された狭い判断をする道しか残されていない。
 これでは、徴兵制と変わらないわけで、軍人と同じような義務だけの存在ということになり、与えられた仕事を、そつなくこなしていれば任務から解放されるという発想しかありえないことになる。
 もとより、法律は専門家のものであり、「素人である自分たちは、言われたことだけをやっていればよい」という無難志向に落ち着くのが自然であって、これでは「裁判員制度が司法の民主化を促進する」などという表向きのキレイゴトは、完全に虚構でしかない。

 ◆裁判員制度の流れ
 対象事件が起訴されると、裁判所、検察官、弁護人の間で争点を絞る公判前整理手続きで審理の日程を決めた後、地裁が候補者名簿から抽選で50~100人を選出。初公判の6週間前までに呼び出し状と調査票が郵送される。当日は事件概要の説明や裁判長との質疑応答などが行われ、辞退の可否などの判断を経て、抽選で裁判員6人を決定。補充裁判員を同時に選ぶこともある(6人まで)。

 ◆辞退
 理由がある場合は、理由を調査票に記入し、裁判所に郵送。認められれば、裁判に出向くことはない。辞退できるケースは70歳以上▽学生▽親族の介護や育児▽妊娠中や出産から8週間以内▽重い病気やけが--など。また、初公判当日の選任手続きでも、裁判長が裁判員への質疑応答などを参考に辞退の可否や裁判員になれるかを判断する。
 農家の収穫期など参加できない時期がある場合は、調査票に記載すれば仕事上忙しい時期を避けることも可能という。
 ◆「裁判は7割が3日以内、9割が5日以内に終わる」
 選ばれた6人の裁判員は、判決まで3人の裁判官とともに事件にかかわることになる。公判中の検事や弁護人の主張をもとに、被告の有罪か無罪かを決める。裁判員と裁判官による評議では、互いに意見を自由に述べ合う。また法律上の不明点がある場合は、裁判官が分かりやすく説明。意見が一致しなかった場合は多数決で決めるが、多数側に1人以上の裁判官がいることが条件となる。

 
 ● 【法相は「『お上の裁判』から『民主社会の裁判』へと大きく変わる。治安や犯罪被害、人権などの問題を、わたしたち1人ひとりのこととして考えるきっかけになる」と意義を強調。「国民の良識、健全性に信頼を寄せており、安易に感情に流されることはないと思っている」と述べた】

 裁判員制度における「民主社会の裁判」という説明は、完全な欺瞞である。
 「国民の良識、健全性に信頼を寄せている」
 などと、森英介が、よくも白々しく言えたものだ。日本国民は、少なくとも民主主義について、GHQによって与えられただけの、極めてお粗末な間接選挙の経験しかなく、社会全体に民主主義が浸透してきたとは、とうて言い難い。この日本国民には、民主主義の良識・健全性が、本当に存在しているのか?

 例えば、民主制度の根幹である選挙について、機会均等の原則が損なわれているため、あたかも貴族のような世襲制度が確立してしまっており、どれほど優秀な政治能力を持つ人物がいても、国民に奉仕する強力な意志を抱いたとしても、地域社会における地縁血縁の強固な封建的関係に阻まれて、ほとんど選ばれる条件がなくなってしまっている現状がある。

 この最大の原因は、日本にあっては、国民が民主主義を自力で獲得したものでなく、戦勝国によって与えられたものでしかなかったからだ。
 日本では、本当の民主主義や良識はまだ極めて浅く幼いものでしかない。その大半は、戦後、労働運動の経験が獲得したものであり、それすらも、地域社会、利権団体の民主的経験であって、国民一人一人が、平等無差別の利他主義に基づいた真の民主主義思想を理解できているとは言い難いものだ。

 すなわち、日本の民主主義は極めてお粗末なレベルでしかなく、地縁血縁、団体の利害によって容易に浸食されている。こんななかで裁判制度だけが真の民主主義を実現できるはずもなく、結局、法的強制によって無理矢理駆り出された裁判員たちは、裁判にあたって、被告人の権利を尊重し、真実だけを見極め、日本国家の、そして子供たちの未来のために、もっとも正しい選択をして量刑を決めるなどという作業を、いったいどのように行えるのか?
 仮に可能な人がいるとしても、おそらく数%にも満たないだろう。
 大部分の人たちは、お上である裁判所、検察の顔色をうかがい、苛酷な法的束縛のなかで、一番自分が損をせずにすむ結果を求めるしかないわけだ。
 そんなものは民主主義ではない。政府が「民主的に裁判した」と、自分たちの利権を守るために裁判を正当化する口実に利用されるだけだ。

 本来の民主的裁判は、少なくとも、裁判員に十分な裁判に関する教育(少なくとも半月以上の基礎教育)を行うべきであり、さらに事件調査権と審議時間を与えるべきであり、わずか数日の議論で死刑を決定するような杜撰な審議で「民主的裁判」が成就したなどと、あまりに愚劣な司法の口実、正当化だけに終わらせるものである。

 裁判員制度に死刑や重罪判定を要求するならば、最初に、裁判員に確固とした重罪判決を出すにふさわしい司法教育を行い、教育基準、その思想性を長い時間をかけて社会に問うべきである。
 専門家である検事、弁護士、裁判官に対して、同じ国民として同等の議論が可能になるまで教育し、その資格を与えるべきである。そして、一定の水準に達した者だけに裁判員の資格を与える必要がある。

 猫も杓子も裁判員というのは、とんでもない話で。裁判官や検事をはるかに超える苛酷な守秘義務を強制しておきながら、その重大性を認識できるレベルに達しない者に重大な決定を強制的に担わせるわけで、こんなものの、どこに「国民の良識、健全性に信頼を寄せており、(裁判の際に)安易に感情に流されることはないと思っている」という馬鹿馬鹿しい論評をする根拠があるのか?
 人をバカにするのも、いい加減にしておけ! これは裁判をタダのリンチに貶める以外の何だというのだ!






 

 

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