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2019年8月21日 ロシアで再び大規模な放射能汚染! 拡散願います

カテゴリ : 未分類
ロシア放射線観測データ途絶、軍施設事故後=核実験禁止条約機関
https://news.goo.ne.jp/article/reuters/world/reuters-20190820006.html

 ロシアが、放射能汚染を引き起こしたアルハンゲリスク州実験場の放射線モニタリングを隠蔽しているとの報道がある

 そこで、新放射能情報で調べて見ると8月17日と21日に北海道東北で、大規模な一斉スパイクが記録されていた

 https://new.atmc.jp/

 https://new.atmc.jp/pref.cgi?p=01#p=0184f7b02a8128f5f5&t=w

 https://new.atmc.jp/pref.cgi?p=02

https://new.atmc.jp/pref.cgi?p=03

https://new.atmc.jp/pref.cgi?p=05

 これは8日(現地時間はグリニッジ時で、9時間前)の放射能汚染スパイクよりも桁違いに規模の大きいものだ

岩手滝沢市や秋田由利本荘市の汚染スパイクは、尋常でない原発事故のものに近い
 少なくとも、スパイクよりも24時間以上前に、ロシアで大規模な放射能放出があったことを意味している

これは警報を発するレベルだと思う
ぜひ拡散を!

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 今回の放射能汚染は、チェルノブイリ事故以来の全国規模になっている
 新潟県長岡市
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 長野県諏訪市

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 私は中津川市の自宅内で、5年以上、環境放射能の定点観測を続けているが、この数日のデータを精査してみたところ、ほぼそれらしい核種は確認できない。
 しかし、諏訪市まで明瞭な放射能ピークが立っていて、日本海側のほぼすべての地域に16日と21日の共通したスパイクが出ているので、二回の放射能汚染拡散があったのは確実である。
 アルハンゲリスク州は、たぶんグリニッジ標準時で、日本時間より9時間早いので、実際の汚染があったのは、14日と19日だろう。
 偏西風のジェットストリームは、亜熱帯流に乗っかれば、毎秒30m、毎分1.8Km 毎時108Km、日2600Km アルゲンハリスク州と7000Kmくらいの距離なので、約3日程度かかることになる。
https://www.cokbee.com/weather/jet.htm

 2019年8月20日 台湾問題のことなど……

カテゴリ : 未分類



 数日前から、電源を落としてあるはずのパソコン用外部スピーカーが、頻繁にガーガーと鳴ったり、モデム・無線ルーターが壊れてもいないのにネット接続できなくなったり(リセットで復活)の奇妙な電磁気現象が続いています。
 これは、おそらく強い磁気によるサージ効果のように思えます。

 思えば、東日本大震災の前にも、似た現象が続いた記憶があります。
 今日は、全身に強い疲労感があって、歩いているときにも得体の知れない重荷を背負っているような圧迫感があり、昼間、寝てしまった。
 不調なので、更新を延期しようかと考えているところです。

 これも東日本震災の前に似たような現象があったと思います。
 大震災が起きる前日は、視界に黄色みが加わっているような異様な印象があります。たぶん、ラドンのせいで、これを海の向こうから眺めると、震源地が赤く染まって見えるのです。
 これは、まだ確認できていませんが、先の新潟北部M6.9の前日あたりに、この現象が起きていました。
 しばらくの間、危険な地震に警戒が必要かもしれません。

 なお、東大阪市でTさんが十年も継続観測しているラドン値は、20ベクレル台の収束値ですが、半月ほど前、過去に一度も例のない超異常値を記録しています。まだ結果が出ていません。普通は、スーパークラスの地殻変動前兆です。
 http://www.radgraph.com/
 (大阪東部がTさんの観測グラフ)

 清瀬市でコスモスさんが、これも十数年前からガンマ線の定点観測を続けていて、RDANの値が異常低下したときは、「爆縮」とよぶ収束現象が起きて、大地震の前兆となるので、注視をお願いします
 http://tokaiama.bbs.fc2.com/


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 日本台湾、合併への道

 台湾は、かつて清朝支配下にあり、日清戦争によって、日本に割譲され、日本政府が台湾を統治した時代があった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%8F%B0%E6%B9%BE


  日清戦争の結果、下関条約によって台湾が清朝から日本に割譲された1895年4月17日から、第二次世界大戦の結果ポツダム宣言によって台湾が日本から中華民国に返還された1945年(昭和20年、民国34年)10月25日までの50年間である。
 朝鮮が日本に国際法上、併合されたのが1910年で、同じく1945年に返還されたより、15年ほど長い統治であった。

 当初、台湾総督府は、軍事力を前面に打ち出した強硬な姿勢で行われた。
 総督に任命された樺山資紀・桂太郎・乃木希典・児玉源太郎・佐久間左馬太・安東貞美・明石元二郎の7名はいずれも現役の大将または中将で、初代総督の樺山を除いてそのすべてが陸軍出身者で占められている。
 いずれも、陸軍の武断派・強硬派ばかりで、乃木は、203高地作戦で、知恵のない無謀な突撃作戦を敢行し、屈強で優れた日本の若者たちを大量に死なせたことで知られる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/203%E9%AB%98%E5%9C%B0

 第4代総督の児玉の頃から、総督として腰を据え、体系的な政策を行うようになり、
 第6代総督の安東と第7代総督の明石は特に現地居住民の権益を保護する政策を実施したことで知られ、ここでようやく、総督府が台湾現地住民の支持を受けるようになった。

 ウィキには、相当に詳しい経過が書かれているが、重要なのは、1901年から、総督府が、地元民のために大規模なインフラ整備事業を行い、現在に至るまで、現地住民から強い感謝を示されていることである。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%8F%B0%E6%B9%BE

 これを担ったのは、1918年以降、烏頭山ダムの建設を指揮した八田与一。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%8F%B0%E6%B9%BE

 ー
1928年以降、台中「白冷圳」を建設した水利技師 磯田謙雄。
 https://twoffice.exblog.jp/18442993/

 1918年以降、屏東県の地下ダムを建設した鳥井信平。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85%E4%BF%A1%E5%B9%B3

 これらの技師たちは、大学を出て、すぐに台湾に赴任し、当時の台湾インフラ開発に情熱を燃やした明石らの気概に応えて、身命を投じて、水利インフラ整備に当たり、完成したインフラは、現在に至るまで台湾住民の生活を潤し続けている。
 これらの水利技師たちによる努力の成果により、台湾は、今も世界的な親日国であり続けている。

 東日本大震災では、数ある親日国でも、台湾とブータンが破格の支援を惜しまなかった。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C

 日本台湾史のなかでは、初期の軍事圧政の時代、後藤新平が「阿片暫禁策」と称して、阿片を抑止するフリをして販売利権を独占して、財政資金とするなど、悪質で残念な事例もある。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen-gotou.html

 1937年以降は、「皇民化策」と称して、台湾人を完全に日本人に同化させる政策が行われた。
 この結果、戦前の皇民化教育を受けた台湾人は、全員が流暢な日本語を話し、たくさんの(数万人以上の)台湾人が日本に移住し、そのまま日本人として生活している。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E6%B0%91%E5%8C%96

 こうした日本語教育から、現在までも多くの台湾人が日本を第二の故郷として郷愁を感じていて、台湾と日本の合併を望む声も大きい。
 https://matome.naver.jp/odai/2135872767575727001

 しかし、蒋介石国民党が、毛沢東に追われて台湾に逃げ込み、現地住民を武力弾圧して多数を殺害し、国民党台湾政権を樹立したのだが、このグループ=本省人=国民党は、中国共産党はコミンテルン傀儡政権であり、自分たち国民党が本来の中国本土政権であるとの主張を崩していないので、日本との合併には強力に反対し、八田興一像を毀損して日本への敵意をむき出しにしている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%85%9A

 この数年、中国共産党による領土拡張主義が侵略といえるほど高まっていて、日本の尖閣諸島や、ベトナムの南沙諸島、フィリピンのスカロボー環礁、南沙群島を、すべて中国領土と決めつけて強引に軍事的に占拠する事例が続いている。
 わけても、習近平政権は、台湾は明・清朝時代に中国領土だったと主張し、中国領土であり、軍事的に強奪すると宣言するようになった。

 https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201907/CK2019072502000129.html

 「中国が2020年までに台湾侵攻の準備を終える」 暴かれた習近平指導部の計画 「尖閣諸島奪還は2040~45年」
 https://www.sankei.com/world/news/171118/wor1711180016-n1.html

 習近平は、このところ、来年には、台湾に軍事侵攻をかけると漏らしはじめていて、トランプ政権が、急遽、台湾にF16を供与するなど軍事的緊張が高まっている・
 https://www.cnn.co.jp/world/35141381.html

 こうした背景から、台湾が中国に対峙して、自国を防衛する戦略を構築しようとすると、「地政学的必然」として、日本との合併が避けられない情勢となっていると思うしかない。
 台湾が日本と対等合併するなら、軍事的にも、米国の介入を必要とせず、中国共産党軍=人民解放軍と日本台湾連合軍が対峙できる実力を身につけることになり、台湾本省人は別として、圧倒的多数の内省人は、日本との合併を強く望むと考えられる。

 なお、現在の台湾政権は、客家で先住民末裔でもある蔡英文で、内省人であり、中国本土に復帰する意思は持たない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%A1%E8%8B%B1%E6%96%87

 台湾を中国から守ろうとするなら、結局、日本との結びつきを強化する以外にないという地政学的必然は、現在多くの台湾人に共有されていて、本省人との軋轢が消えてゆけば、ますます、その必然性が高まってゆく事態は避けられないだろう。

 具体的なスケジュールは、まだ、どこからも示されていないが、私は、習近平が台湾侵攻をほのめかし始めた昨年から、軍事侵攻のスケジュールとしての来年2020年を目処に、急速に台湾との対等合併が議論に上ると予想している。

 トランプ政権は、今、台湾政権を支持しているように見えて中国を牽制しているが、彼は駆け引きマニアであり、いつなんどき中国と取引して、台湾を売り飛ばすか知れたものではなく、おそらく台湾政府も本心ではトランプを信用していないだろう。
 だからこそ、一刻も早く、日本と合併してしまえば、台湾を攻撃することは日本を攻撃することになり、国際政治の力関係としては、圧倒的に優位に立つことになる。

 私個人は、早ければ2023年頃には、台湾と日本が対等合併するものと予想している。これは同時に日本経済の市場規模を圧倒的に拡大し、日本の産業問題を解決する切り札になるし、また放射能によって劣化した日本人のDNAを改善する大きな要素にもなるように思う。
  
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内省人・本省人・外省人の使い分けに、少し私の認識と異なることがウィキに書かれていたので、念のため紹介しておく
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E7%9C%81%E4%BA%BA

 50年前

カテゴリ : 未分類

 藤圭子が2013年、新宿のマンションから飛び降り自殺したのは衝撃だった。
 彼女が「新宿の女」でデビューしたのは1969年、ちょうど今から50年前だ。
 私は、毎日のように都心でのデモに参加して催涙弾に逃げ惑い、小便横町でホッピーに泥酔しながら聞いた藤圭子の歌が岡林信康と同じくらい好きだった。

 西口公園のベンチの上で一晩を過ごしていると、どこからともなく、すばらしく上手な藤圭子の歌が聞こえてくる。
 歌のうまさ、情緒的に聞かせる迫力ときたら、当時の歌謡御三家、美空ひばり、島倉千代子、都はるみよりも上を行くのではと思ったほどだ。
 確か、私より、二つほど年上なのだが、ほぼ同世代なので、こんな凄い子が突然、芸能界に旋風を巻き起こしている姿に拍手喝采だった。

 藤圭子には学歴もなく、親子で日暮里のトンネル通路に野宿していたこともあると聞き、その極貧の環境から這い上がって、圧倒的な実力で一世を風靡する姿は感動的だった。
 https://www.youtube.com/watch?v=MoVKTIO5S64&t=4777s

 地下トンネルといえば、「火垂るの墓」の冒頭に、清太が三宮駅の構内で餓死した姿が目に浮かぶ。同じ頃、敗戦直後だが、上野駅の地下歩道に暮らす数百名の戦災孤児たちが、毎日のように餓死していったことが知られる。
 日本が戦争に負けて、戦火から解放されたのは、1945年だが、それから20年以上経た、1960年代末でも、まだ「戦後」から抜け出せていなかった。

 権力側としては、1964年の東京オリンピックを戦後の終わりとしたかったようで、戦争のさまざまな残渣を、東京に来る観光客の目から逸らすための工作を行って、上野地下道からも野宿者を追放していたが、藤圭子一家は、まだトンネルのなかにいた。
 上のドギュメンタリーにも描かれているが、戦争中と同じように、圭子は食うや食わずで、太れない体質になり、その衣装は小さすぎて誰も着ることができなかったという。
 オードリーヘップバーンも、戦火のなかで、同じように食べ物がなくて太れない体になったと言っている。

 何度か書いたが、名古屋市の赤線大門から栄に至る広小路通りに、夕方になるとカーバイドの屋台が延々と並んで、ドテと酒を売ったのだが、本当は、これは戦争未亡人たちが、体を売って生活費を稼ぐための舞台だった。
 これが、東京オリンピックの前に、一斉に摘発されて姿を消した。ちょうど、この頃から、政府とメディアは、「敗戦」を「終戦」と言い換えるようになった。
 政府は、戦争未亡人たちの生活を、ろくに支援しようとしなかった。彼女らは、助け合って、赤提灯の小さな飲み屋を開業し、現在の居酒屋文化につながっている。

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-5.html

 いわゆる「妾」という一夫多妻制度も、戦争未亡人たちを救うためのものでもあった。
 https://higonosuke.hatenablog.com/entry/20070119

 イスラム文化における多妻制も、同じ意味を持っていたのだ。

 だが、どんなに政府が、「戦後」を見せかけだけで消そうとしても、それは、決して終わっていなかった。
 東京では戦後が消えても、地方にはしっかりと残っていて、そんな地方から藤圭子一家は上京してきたのだ。
 私には、藤圭子という存在が、「戦後」の民衆の苦難を背負って登場した菩薩のように見えた。
 バブル時代に突入してゆくなかで、ウソではない、世間から遠く隠された真実の日本を、歌の中で垣間見せてくれた。

 藤圭子が日暮里のトンネルに野宿していたころ、私は早朝5時に、高田馬場駅前で日雇いの仕事を探した。
 オリンピックの景気高揚を引き継いだ70年代初めの好況時に、高田の馬場で、建築現場の仕事をすると、5000円くらいもらえて、それだけあれば、当時は三日くらい楽に過ごすことができた。

 当時は、年金をかけられるような、ゆとりのある給与をもらっている人も少なく、社会保証制度そのものも未熟な時代だったから、こうした「たちんぼ」と呼ばれる人足寄場の存在は、何の保証もない底辺の生活者にとって最後の命綱であり、救いだった。

 当時、立川に住んでいたのだが、新宿から立川に向かって、よく歩いたものだ。金がなかったわけではない。ただ、歩きに歩いて、東京の雰囲気を肌で感じたかったのだ。 仕事のないときは、奥多摩に向かった。当時は、まだ山渓地図もなくて、地理院の五万図が頼りだった。自分の歩いたルートに赤線を書き込んでゆき、地図が真っ赤になってゆくのが嬉しくてたまらなかった。

 歩くというのは、私にとって青春と同義語だった。
 同時に、藤圭子や岡林信康の歌も青春だった。なんで、藤圭子に惹かれたかといえば、当時、バブルに向かう資本主義社会の最盛期で、社会全体に金儲けを目的にしたウソが満ちていて、無垢のお嬢様や、セレブ、上流階級への憧れという価値観がテレビでもてはやされていた時代のなかで、彼女の持つ虚飾のなさ、恵まれない、社会から排除される立場の、マイナーな価値観に引き寄せられたのだ。

 時代は、本当に「戦後」を粉砕する破壊力に満ちたバブル時代に突入していった。
 原動力になったのは、たぶん田中角栄だろう。
 角栄が登場したのは1972年であり、日本を本当にアメリカから独立させようとしたことが原因で、CIAによってロッキード事件に嵌められて追放されたのが1974年であった。
 その間に「日本列島改造論」を打ち上げ、赤字国債を発行して大規模な景気浮揚を行ったことで、バブル時代が始まったのだ。

 我々、反原発派にとって角栄は、日本に原発を導入した正力松太郎、原発利権をゼネコンに癒着させた中曽根康弘とならんで、原発利権三羽ガラスであり、いってみれば福島第一原発事故の遠因であり、これから日本民族を滅ぼすことになる放射能汚染=悪魔の元凶であるともいえる。
 しかし、紛れもなく、戦後を本当に終わらせた張本人であった。

 50年前、1969年、「巨人・大鵬・卵焼き」の時代。
ニクソンが第37代アメリカ合衆国大統領に就任し、ラオスやカンボジア、そして北ベトナムに大規模な爆撃を始めたことで、ベトナム戦争の泥沼が劇的に拡大した。
 当時、本多勝一の現地報告にも触発されて、私は勉強や学歴どころではなくなった。結構な進学校にいたのだが、右翼的な教師と衝突して、嫌気がさし東京に出奔した。
 そして、毎日のように催涙ガスの漂う都心のデモに参加していた。

 美濃部亮吉東京都知事が、東京都主催の公営ギャンブルを廃止した。博打は人を幸福にするものではないと美濃部は初めて公的立場で叫んだ。
 今の、安倍晋三や麻生太郎ら、公営博打推進者たちに、耳元で音量を千倍にして聞かせてやりたい。

 7月20日 - アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たす。
 これは、当初から、「映像がインチキだ、まるで月面に空気があるような物理法則に反した映像は、地上で撮影されたものだ」という批判が巻き起こっていた。
 真空下では、月面走行車が巻き上げた砂塵が、必ず放物線を描いて地面に落下するが、公表された映像は、おかしなものばかりだった。
 真空下における着陸船の噴射制御は、今でも超高度な難易度があり、当時の技術では不可能。
 https://www.voynich.com/moon/index.html

https://www.youtube.com/watch?v=2WIs_PwSqCA

 時代は、まだウソに満ちていた。
 CIAは、戦後日本に最大級の警戒心を持ち、米国の意向から外れる政権を絶対に許さなかった。角栄が追放されたのも、そうだし、橋本龍太郎が殺されたのも、CIAによる自民党政治家への警告だった。
 https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12237022306.html

 50年を経た、現代に至って、政治のウソは力を失うどころか、ますますウソの上にウソが建設されるような、巨大な虚構となった。
 私は美濃部亮吉が、「博打は人々を不幸にする汚い仕組み」と言えた半世紀前にこそ、今よりも大きな知性と真実が存在したと思う。

 トランプが登場し、知性というものが、この世のどこかに消えてしまったかのようだ。
 中国やブラジルの独裁政権によって、ロシアのタイガや、アマゾン、カリマンタンなどの巨大森林地帯が、商業目的で無残な皆伐を受け続けている結果、地球上は、一目散に滅亡に向かって駆け出しているようにさえ思える。

 毎年のように凄まじい酷暑がやってくる。
 これは、森林伐採の直接の影響である。巨大森林は地球気象の緩衝としての役割を果たしてきたのだから。
 地球気象はクッションを失って、極端から極端に変化するようになった。シリコンバレーでは60度という気温まで観測され、そして、今度は春秋を失って、いきなり厳冬がやってくる。
 決して「地球温暖化」ではない。むしろ、地球は小氷期に確実に向かっている。酷暑は、森林という緩衝材を失ったせいなのだ。
 我々は、これから、秋のない厳冬を経験させられるだろう。それも、経験したことのないような極低温で、水道管も上水道システムも、一度で壊れてしまうような代物だ。

 50年前には、世界に知性があった。当時の指導者なら、地球環境を激変させる、こうした愚かな産業優先主義に歯止めを打ち込んだことだろうが、今は違う。
 トランプもプーチンも、習も文も、安倍も、もちろんブラジルのボルソナールも、自分の利権以外に何一つ興味のないクズばかりだ。

見る間に地球が壊れてゆく。安倍晋三が登場して、見る間に日本政府が壊れていったのと同じだ。人間も壊れてゆく。
 東京電力が放出した放射能により、子供たちの知性が失われてゆく。大人たちは認知症になってゆく。何もかも壊れてゆく。
 50年前に、誰が、こんな現実を予想しただろう?

2019年8月18日

カテゴリ : 未分類
 本日、外出につき、更新は明日に延期します

「福島第一原発は津波が来る前に壊れていた」元東電社員“炉心専門家”が決意の実名告発~木村俊雄氏「事故原因は”地震”だった」

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 http://www.asyura2.com/19/genpatu51/msg/791.html

 私は、数日前からこの記事を見つけて、ブログに書くべきか少し迷った。
 というのも、福島第一原発が、「想定外の津波によって原子炉が壊れた」と賠償訴訟法廷でも主張してきているのだが、実際には、津波の前に、「構内で自由に出歩けないほどの放射線が観測されていた」というリーク情報から、津波ではなく、地震によって一次冷却水配管が破断した可能性が極めて強いというのは、我々の間では常識であり、「何を今さら」という気分があったからだ。

 しかし、これを書いたのは、2000年まで東京電力福島第一原発に勤務していた原子炉専門家であり、我々の知らない豊富な情報が新たに公開されたと考え、わざわざ文藝春秋9月号を買いに走って、読者に報せることにした。

 以下引用

  「事故を受けて、『国会事故調』『政府事故調』『民間事故調』『東電事故調』と4つもの事故調査委員会が設置され、それぞれ報告書を出しましたが、いずれも『事故原因の究明』として不十分なものでした。メルトダウンのような事故を検証するには、『炉心の状態』を示すデータが不可欠となるのに、4つの事故調は、いずれもこうしたデータにもとづいた検証を行っていないのです。

 ただ、それもそのはず。そもそも東電が調査委員会に、そうしたデータを開示していなかったからです。そこで私は東電にデータの開示を求めました。これを分析して、驚きました。実は『津波』が来る前からすでに、『地震動』により福島第一原発の原子炉は危機的状況に陥っていたことが分かったのです」

 7基もの原発が稼働中の現在、このことは重大な意味をもつ。「津波が原因」なら、「津波対策を施せば、安全に再稼働できる」ことになるが、そうではないのだ。
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 文藝春秋9月号に書かれている、木村俊雄氏の指摘を要約する。

 事故調の報告書は800ページあり、東電が公開しているデータは2000ページ、事故当時の操作手順をまとめたものも5000ページあるが、この記録をくまなく読ん木村氏は「東電はすべてのプラントデータを公開していない」(相当部分を隠蔽している)と感じた。
 炉心流量に関連するデータが一切公開されていなかった。(過渡現象記録装置という計算機が記録するデータ)
 これは、航空事故でいえば、フライトレコーダに相当し、事故のプロセスをくまなく記録して分析可能な心臓部分の情報であるが、これを東電は隠蔽していたのである。

 隠蔽を命令できる立場は、当時の技術部門総帥=東電副社長=武藤栄と思われるが、彼は、フクイチが津波による破損前に莫大な放射能を環境放出した事実が知られると、地震対策に欠陥のある原子炉を運転して、巨大な被害を生み出したことになり、幹部の刑事責任は免れ得ないと考え、あくまでもフクイチは津波で壊れたのであって、地震には耐えたという結論を作りたく、地震で壊れた証拠を隠蔽、隠滅すると決定したと考えられる。

 木村氏は、原子炉管理の在職中、毎日、このデータの解析に取り組んできたので、この最重要データが公開されていないのはおかしいと気づいた。
 2013年7月、記者会見を行って東電に不足データの開示を求めたが、東電側の回答は「すべてのデータは開示済み」であった。
 ところが、その後、広瀬直巳社長が記者会見で、公開質問状の内容や、炉心流量データが未開示であることを質問されると「すべてのデータを開示する」と表明してしまった。
 広瀬は、おそらく炉心データの持つ意味を理解しておらず、東電の隠蔽方針を無視して独走してしまったと思われる。

 東電側にとって不本意に開示されたデータは、地震発生後、プラントの全計測データを100分の1秒周期で記録し計算機に保存していた。(さすがに、このデータを消去する勇気は東電側になかったようだ)

 以下のグラフは、横軸が時間、縦軸が「時間あたりの炉心に流れている水の量」を示す。
 
rosin.jpg

 沸騰水型原子炉では、炉心を流れる一冷却水が核分裂燃料を除熱する。グラフでは、地震前に毎時18000トンで水が流れていたが、14時46分に地震が発生すると、原子炉が自動停止し、放物線を描いて流量が下がってゆく。

次に、電源喪失により、いったんマイナスになっているが、これ自体は設計上の理由で問題はない。
 その後、数値はスパイクし、1分30秒前後から、炉心流量がゼロになっている。
 BWR原子炉では、水が原子炉内で自然循環していれば、電源喪失でポンプが止まっても、炉心熱を50%まで除去できる仕組みになっている。
 この自然循環はBWRの安全性を担保する核心的メカニズムである。

 逆に、自然循環がなくなれば、たちまちメルトダウンの危機に襲われる。水流喪失とともに、燃料被覆管の表面に、気泡がびっしりと生成される。この気泡が被覆管の放熱を阻害する要因となって、被覆管の溶融(ドライアウト)、ジルカロイ合金の水素発生をもたらす。
 この段階で、メルトダウンの始まりとなる。

 木村氏が過渡現象記録装置の解析により分かったことは、地震発生後、わずか1分30秒後に、ドライアウトが発生した可能性が強いということであり、これは津波とは何の関係もなく、地震によって核燃料が崩壊したことを示すものである。

 なぜ、「自然循環」が止まってしまったのか?
 木村氏の経験から、過去の故障実績を考えると、圧力容器に繋がる細い配管である「ジェットポンプ計測配管」が破損したことが原因である可能性が極めて高い。

 事故当時、運転員が「自然循環」が停止した事実を理解することは困難だった。理由は、運転マニュアルに記載されていないからである。
 つまり、この問題は、運転員の操作ミスではなく、設計、構造上の欠陥なのである。

 津波の第一波が到着したのは、地震から41分後、15時27分だった。その遙か前、地震から二分後の14時48分頃には、原子炉は危機的状況に陥っていた。
 東電は「想定外の津波によりメルトダウンした」と発表しているが、これは真っ赤なウソ! 本当は、原子炉の構造的欠陥が原因で、地震の2分後にはメルトダウンの危機に陥っていたというのが真実である。

 四つの事故調査委員会に参加した専門家の誰一人として、このデータの欠落(東電による責任逃れのための隠蔽)に気づかなかった。
 ただ、開示されていたとしても、このレベルの専門家たちは、正しく分析できなかった可能性が強い。

 「専門家」とはいうが、医学者と同じで、専門があまりにも細分化されすぎていて、それぞれの分野の権威であっても、すべての事象について専門的知識があるわけではなく、炉心の細かい挙動についてはシロウトである。
 国会事故調の先生方によれば、過渡現象記録装置のデータは、東電のパソコン画面で確認したが、数値の羅列だけで、それだけで事故の本質を読み取ることは不可能であった。
 東電の原子炉解析を専門的に手がけてきた木村俊雄氏が、数値をグラフ化して、初めて意味のあるものになったのである。

 木村氏は、定期検査ごとに400ユニットある燃料集合体のうち、4分の1を新しい核燃料に交換し、残りの300ユニットを、全然違う場所に配置し直す仕事をしていた。
 運転開始後、中央制御室で、設計通りに核燃料が稼働しているかを確認し、次の定検まで燃料を壊さずに運転する管理を行っていた。
 フクイチには原子炉が六基あるが、炉心屋は9名しかおらず、特殊な狭い世界の専門家であって、炉心の挙動を本当に理解できている者は、わずかしかいなかった。

 東電の責任を問う訴訟のなかで、木村氏は、田村市の原告に協力し、今年の3月と5月、法廷に技術証人として証言している。
 東電は、木村氏の主張に対し、「炉心流量の計測には、ローカットフィルタリングという回路があって、処理が数値上なされているだけで、実際には自然循環は止まっていなかった」という主張を行った。
 つまり、自然循環は生きていて、地震によってドライアウトが起こったわけではなく、津波が来るまで原子炉は正常に機能していた」と繰り返した。

 ところが、5月の後半で、東電は、反対尋問用の資料として、原子炉メーカーの設計書を提出してきた。
 これを見ると、木村氏が解析に使用したデータの、ほぼすべてが、実は、ローカットフィルターを通す前の生データであることが判明した。
 つまりローカットフィルターを経由する前の、加工されないデータであって、東電側の「ローカット処理によって実際のデータではない」という主張を自ら完全に崩してみせたのである。
 東電は、自分で自分の首を絞めることになってしまった。

 これを指摘すると、東電側の弁護士は冷や汗をかき、主張を詰まらせた。おそらく、炉心のことをよく知らない人物が、反訴資料を作ったように思われた。
 実際、炉心の細かい挙動に詳しい技術者は、木村氏を含めて極めて少ないのである。

 ここで、木村氏は、東京電力の伝統的体質について触れている。

 東電は、過渡現象記録装置のデータを隠蔽して、原子炉が地震で直接、壊れたことを隠し通そうとした。
 木村氏の在任中も、東電には、都合の悪いことを隠す体質があった。
 例えば、核分裂生成物を放出する恐れのある燃料の落下事故や、制御棒の破損事故が起きても、国に報告しなかった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%9B%BB%E5%8A%9B%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E9%9A%A0%E3%81%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 データの改竄も行った。運転日誌の原子炉熱出力の計算値の書き換えもあった。これは法令で定められた記録であるにもかかわらず、自分たちの都合に合わせて自由に書き換えていた。
 安全性よりも「経済合理性」を追求する企業体質であった。

 1990年代後半から、電力自由化の波のなかで、原発の発電コストの優位性を示すために、発電単価を下げるための圧力が現場に押し寄せてきた。
 このため、法令で定められた運転期間を勝手に延長したり、24時間不休で、定期点検期間を圧縮することなど日常茶飯事であった。

 1991年10月、重大事故が起きた。
 フクイチ1号機の配管腐食部分から冷却用海水が漏れ出した。電線ダクト管を経由して、タービン建屋に、放射能汚染水が浸入してしまった。
 建屋の地下に海水が貯まり、非常用ディーゼル発電機が水没して機能を失った。
 法令とマニュアルから、非常用発電機が喪失したなら、ただちに原子炉本体の運転を停止しなければならない。結果、1号機は68日間にわたって、運転を停止せざるをえなくなった。
 
 木村氏は上司に疑問をぶつけた。
 「これくらいの海水漏洩で非常用ディーゼル発電機が機能を喪失するならば、津波が来た場合は、すべての発電機が使えなくなる。そうなれば原子炉を冷却できないので、事故を解析する必要があるのでは?」

 上司は答えた。
 「君の言うとおりだ。しかし安全審査のなかで津波を想定するのはタブーなんだ」
 この言葉を聞いて、木村氏は戦慄し、大きな脱力感を覚えた。
 上司は、原発の設計ベースの事故事象について安全審査する担当者だった。東大の原子力工学科を出たエリートで、人間的には良い人物だったから、ついホンネを漏らしてしまった。

 木村氏は「デザインベースから駄目ではないですか?」と言った瞬間に、すべての対話は終わり、その後は、なおざりの報告書が作られ、埋まっていた配管が掘り起こされただけで、それ以上の対策は何一つとられなかった。

 木村氏は言う。

 原発には、そもそも無理がある。
 事故を教訓に、十分な安全基準を設けることも行われず、事故原因の究明さえ行われていない。
 東電は、「津波によってメルダウンが起きた。原子炉は津波が来るまで機能していた」と主張を繰り返していて、その津波は「想定外の規模で、原子力損害賠償法の免責事項にあたる」としているが、東電の隠蔽してきた資料を再検証すると、津波が来る前に、地震で原子炉が致命的破損を起こしていた事実がはっきりと分かる。

 木村氏の分析によれば、原子炉破損の原因は「ジェットポンプ計測配管」という極小の配管設備であり、これが事実なら、耐震設計の見直しは、巨大な作業になってしまう。 細かい配管のすべてをシュミレーションして、耐震対策をやり直す必要があり、莫大なコストがかかってしまう。

 費用面からみて、今後、原発の稼働は一切不可能になるのである。
 フクイチ原発事故から8年を経過したが、この種の問題は、まったく放置されたままで、今後も、大地震によって稼働中の原発がメルトダウンを起こす巨大事故が繰り返されることだろう。 
 
 

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