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2009年3月28日 ● 虚構が実体を食いつぶすメカニズム

カテゴリ : 無題

 「開運なんでも鑑定団」は、筆者も好きな番組の一つだ。なんでもないように見える茶碗に数十万円の値がつく。ときには数千万円になることもあり、視聴者を驚かせる。
 こうした骨董価値を確固とした始まりは、たぶん千利休だろう。「わび茶」というブランドを創出しながら茶道を信仰にまで高め、様式を与え、ただの茶碗を「一国に匹敵する」と言われるほどの宝物に変えてみせた。

 筆者は大和朝廷は朝鮮の百済王国が日本に移住したものと確信していて、物品にありがたい特別な価値を付与するような文化的価値観は、朝鮮儒教のつくりだした価値体系からもたらされたものであり、「唐もの」をありがたがる風潮や、正倉院御物も、おそらく百済王国が馬や武具、差別思想などと共に船で運んできたのではないかと考えている。
 
 人など、どこまでいってもタダの人にすぎないのに、人の上にいるという「貴人」が登場したり、茶を飲むことにしか役立たないタダの茶碗が「国宝」に化けたり、百円で買えるモノが百万円で取引される理由を考えていただきたい。
 妄想にすぎない勝手な思いこみを実体に変えてしまうメカニズムは、人々の心を支配する「臆する心」、恐怖・畏敬のメカニズムであり、歴史的には、おそらく朝鮮伝来儒教による洗脳的価値観からもたらされたものだろうと思う。

 儒教の本質は「スグレ主義」であり、この世には「尊いものと卑しいものの価値の序列がある」と考え、より尊いもの、より「スグレたもの」、より価値の高いものを目指す向上心こそが人間の正しいあり方だと決めつけるものだ。
 こうした思想は、民族を合理化し、淘汰選別する優生保護政策や、ユダヤホローコスト、障害者30万人を虐殺したT4作戦などに結びついてゆく。

 儒教本家の中国から朝鮮、そして日本に至る東アジアの歴史的価値観は、いつでも「スグレ主義」であった。「一番こそ最大の価値だ!」 この特徴はタヒチやハワイの価値観と対比させてみれば分かる。
 「スグレたもの」を追い求める人たちは、必ず差別システムを作り出す。だが、今、目の前にあるモノ、いる人を大切にし、あるがまま、なすがままに生きるポリネシアの人たちに差別や人間疎外は存在しないのだ。
 「幻のスグレモノ」を求めて彷徨う人たちが作り出した歴史こそ、虐殺と人間疎外を作り出してきた本質であることに、日本人は、いいかげん気づくべきなのだ。

 儒教を創始した孔子には、女性や下僕を蔑視するエピソードに事欠かない。女房を奴隷のように扱い、嫌がられて何度も逃げられている。
 儒教は人を差別し、貴人から奴隷に至る体系を作るものであり、あらゆる事物の優劣を定めようとし、「人はかくあるべき」とする規範を強要するのだ。だが、それは人間の勝手な空想、思いこみにすぎないのであって、実際には、この宇宙に価値の序列などあるはずがない。本当は、そこにモノがあり、そこに人がいるだけなのだ。

 人に貴賤の序列があるなどと思いこむのは、孔子がマザーコンプレックスに押し潰されたマゾヒストだったからであって、真実の世界は、どこにもエライ人、優れた人、君子、劣る人、卑しい人などいない。人間はタダの人間にすぎないのであって、特別な人など一人もいない。
 地球の上にみんな同じ心を持った人間が住んでいるだけであり、我々は、今、目の前にいる人を相手にするのであり、自分の心の持ち方、態度・姿勢如何で、相手が善にもなり悪にもなるだけなのだ。

 ところが、自分が弱い存在だと苦悩していると、弱い自分を救ってくれる「優れた人、立派な人」が、どこかにいると勘違いして探し歩くようになる。

 「ああ~ 日本のどこかに 私を待ってる人がいる いい日旅立ち 夕焼けを探しに  母の背中で聞いた歌を道連れに」

 自分を救ってくれる「優れた人」なんて、どこにもいない。いるのは、そんな甘い幻想に導かれて彷徨い歩く人を狙う詐欺師やオオカミだけだ。
 「自分こそエライ人・優れた人・立派な人だ」と称するインチキ野郎は五万といる。「自分はキリストだ!」と称する麻原や大川もいる。宗教団体から変態性欲者まで数え切れないほどいるが、まずは、ほとんどニセモノで、実際には、「タダの人」以外、いたためしはないのである。

 だから、我々は「どこかに優れた人がいる」などの幻想を、いいかげん捨てなければいけない。優れた人など、どこにもいない。今、目の前にいる人に全身全霊を傾けて、誠意を与えれば、それが木霊のように誠意になって還ってくるのであり、どんな人でも、「優れた人」になるのであり、すなわち、自分の姿勢・態度如何で、人は救世主にもなり極悪人にもなるという真理に気づく必要がある。

 同じように、茶碗など、どこまでいってもタダの茶碗にすぎないのだ。芸術的に優れていようと、有名人が作ろうと、古いものであろうと、人にとって茶碗の真の価値は、茶を飲む器としての役割にすぎないのである。そして唐九朗の茶碗より、本当は使い慣れた自分の茶碗の方が、うんと価値が高いのだ。

 筆者宅の近所には駄知や陶、土岐・多治見など有名な陶磁器産地がたくさんあって、結構上等の茶碗が100円も出せばいくらでも買える。これが名古屋にゆけば200円になり、東京に行けば300円になる。
 これは運送の手間を上乗せするわけだから実体経済として当然のことだ。しかし、ときに、それが数百万円になったりすれば、これは論外で、ここに虚構経済が登場するのだ。

 例えば、同じ茶碗を唐九朗や豊蔵が作ると数百万円になる。筆者が作ると50円にもならずタダの不燃ゴミだ。しかし、実体経済が必要とするものは、人間国宝ではなく茶を飲む器にすぎないのであって、100円が正しい価値なのである。
 それは100円という値段を前提にして、生産体制が構築され、流通が成立し、それにかかわる人々の生活を支えるのである。しかし、人間国宝の茶碗に100万円の値段がついて取引されると何をもたらすのか?
 
 豊蔵の茶碗一個で1万個の茶碗が買える。このメカニズムが、実体経済に与える影響を考えてみよう。人の恐れ、臆する心から虚構が発生し、無限に膨らみ、凄まじい幻想の価値を生み出してしまう。
 豊蔵の茶碗を売った人は1万個の茶碗を買い占めることができる。もし、それをやったなら、一万個のニーズを不足させることができる。そうなれば、茶碗の生産体制全体に巨大な影響を与えることになる。不足のときは値が吊り上がり、それに対応して過剰供給すれば、今度はデフレが起きる。こんなことを繰り返せば、茶碗業界はめちゃくちゃにされて潰れてしまう。
 豊蔵の虚構が、実体経済の茶碗を食いつぶしてしまう事態だって起きるのだ。

 同じメカニズムが、この大恐慌の原因になったことを理解しなければいけない。
 資本主義の根幹を定める株市場という存在がある。これなくして資本主義は成立しない。 株というものは、元々、会社の将来性を評価して、営業資金を貸すために作られた証文である。それには配当という価値が与えられる。利子のようなものだ。
 しかし、会社がうまく機能し、世間にニーズがあるうちは、順調に伸びて投資家は儲かる仕組みであり、株価はどんどん上がってゆく。好況が長く続けば、やがて株市場は熱狂し、株価はバブルという状態に至る。プレミアムが肥大し、株券は宝石のように取り扱われるようになる。すなわち、株券に豊蔵人間国宝のようなプレミアムを与えられ、暴騰するわけだ。

 こうなれば額面100円を貸しますという証文が、数千倍にも膨れあがり、10万円で取引されることも珍しくない。100円の価値が千倍になったわけだ。こうして、唐九朗や豊蔵を崇め奉るように株券を崇め、株市場には千倍の、この世にありもしない虚構の価値が成立するのである。
 それは、企業の好業績という、先行きの曖昧な、人々の勝手な思いこみによる幻想価値が発生することになるわけで、これがバブルの正体なのだ。

 株だけでなく、もっと凄まじい幻想や思いこみだけのデリバティブ(先物取引)という金融の虚構市場が成立し、実体経済が7000兆円しかない、この世界に、実に7京円という虚構価値を作り出してしまったのが、この大恐慌の本質なのである。
 来年、収穫されるであろう大豆に、今年、値段をつけて、それを奪い合う。来年になれば相場は二倍になり、ボロ儲けができる。今度は、その金で、さらに買い占めを行う。これが先物相場だ。こうして、値段はどんどん吊り上がり、去年の小麦や大豆、トウモロコシ、石油がすべて暴騰した。そのツケは世界の大衆が背負わされ、膨大な餓死者が出た。
 しかし、やがて暴落が始まり、膨れあがったバブルは、今度はレバレッジというシステムにより逆に回り出して、凄まじい額の虚構マネーがしぼみ、消え失せていったのである。
 一昨年7京円あった市場のカネは、今年は4京円しかない。来年には、おそらく実体経済と同じ7000兆円に萎むだろうが、今度は、それを防ぐために紙幣の大増刷をはじめているから、どうなるかは分からない。

 豊蔵の茶碗に100万という値段をつけたのはいいが、それで1万個を買い占めたために不足し、どんどん値段が吊り上がり、みんなが自分の茶碗に高額の値を付けはじめ、茶碗市場は数千倍に膨れあがった。
 しかし、茶碗を必要とするニーズが変わるわけではなく、みんなが必要とするものは自分が茶を飲むために使う100円の茶碗にすぎなかった。こうなれば、高額の茶碗など誰も見向きもしない。そして膨れあがった巨大な市場は、どんどんしぼみ、潰れはじめた。
 これが大恐慌なのである。

 ここで、我々が教訓として学ぶべきは、本当に生活に必要なニーズが実体経済と呼ばれるものであり、人々の期待や幻想から産み出された虚構の価値を、虚構経済(バブル)というのであり、地球に住む人間が必要とするカネは7000兆円で十分なのであって、それ以上のカネを勝手に作り出すことは、人間社会を根底から破壊する結果を招くということである。
 
 こんなことは経済のイロハであり、本当は誰でも分かっていることだ。分かっていながら、アメリカや欧州の大金持ちたちは、自分だけトクをしたい一心で欲に突き動かされて突っ走ってきたのだ。
 その理由は、彼らが、人が、この社会に生きるとうことの意味を見失ったからである。人が生きるために利己主義は有害無益なものだ。人間は一人で生きているのではない。みんなで支え合っているのだ。
 互いに思いやり、助け合う気持ちだけが、人間社会を支えてきた。それが、「自分さえよければいい」大衆の犠牲の上に、自分だけの利益を作り出そうとする人間が増えれば、社会は根底から破壊されるのだ。
 自分だけの金儲けを狙って世界の食糧を買い占めれば、莫大な餓死者が出る。だが、そのことで世界は大混乱し、秩序も破壊され、自分を支えてくれているシステムも崩壊する。儲けたカネも雲散霧消し、命までも失われてしまうことになるのである。
 こんな単純な理屈が理解できない阿呆どもを投機屋と呼んでいる。日本人の多くがそうなった。だから日本社会も崩壊を約束されたのである。

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