FC2ブログ

Entries

2009年4月14日 ●川島芳子の番組を見て

カテゴリ : 無題

 昨夜は、久しぶりに明瞭に映るテレビでテレ朝の「川島芳子は生きていた」を見た。重厚な内容に、最後まで釘付けになってしまった。

 今の若い人たちに「川島芳子」といってもピンと来る人は少ないだろう。でも、まだ、この人の世代は存命者が結構いるもので、百歳になる祖母より三つ上だから、芳子を直接知っている人も大勢生きている。

 とっくに死んだと思っていた山口淑子(李香蘭)元参議が生きていたことが驚きだった。芳子が笹川良一の愛人の一人だったという事実も、正力・笹川・児玉・岸といった戦後日本の闇のフィクサーたちの関係を新たな視点で示唆するものだった。
 番組自体は、よほど腕の立つプロデューサが作ったらしく、本当に最後まで飽きさせない作品に仕上がっていた。久しぶりに視聴者を腹一杯にさせる面白い番組と評価したい。

 しかし残念ながら、筆者にとって目新しい事実は少なかった。川島芳子が生きていることを周恩来が示唆した話は、すでに30年以上前から知っていたし、愛新覚羅一族が金の延棒で関係者を買収して芳子を逃した話も知っていた。これらは現代や文藝春秋などに度々取り上げられていたからだ。
 それでも、戦後史のなかで、芳子の果たした役割と、それを取り巻く人間模様が、どのような価値観を共有していたかを知る上で、大きな価値があったと思う。とりわけ、愛新覚羅一族と日本との関係を、若い人に少しでも理解してもらいたい。
 これが分からないと、満州国の歴史についても日中双方の、つまらぬ誤解を招くことになる。これから新たな日中戦争が準備されてゆく過程で、中国の内乱の歴史的必然性を理解する上でも非常に大切な知識である。

 そして、芳子の人相が、愛新覚羅一族のルーツである金国・女真族の典型的特徴を示していることで、日本における女真族の民俗的流れを見る上でも非常に興味深いものだった。
 女真とは朝青龍や白鳳に代表されるモンゴル族の人相と少し違って、不思議なことに古代マヤ族の骨格に似た人々で、細長い顔、長頭形の頭蓋が特徴で、手足が長くスラリとした長身が多い。

 日本人でいえば、高杉晋作・羽仁五郎・羽生善治・浅田真央などをイメージすればよく、朝鮮半島にも多い、いわゆる「醤油顔」と思えばよい。
 昔の日本人は、このタイプの細長顔が多かったが、近年、日朝韓ともに勝新太郎・金正日・宣同烈のような丸顔が増えてきたが、これは、おそらく中国雲南・弥生人系統だろう。
 女真族は、基本的に百済王国のルーツである扶余と関係している。先祖は秦の始皇帝であるという伝承を持っていた。愛新覚羅一族は、おおむね女真族顔貌が多い。これも当然で、清朝初代ヌルハチは女真の末裔であり、愛新とは金の意味である。したがって、革命後、愛新覚羅一族は姓を金に変更した者も少なくない。

 大切な視点は、金・清朝女真族は文化的伝統の異なる漢族と敵対する歴史を持った民族であり、中国は、必ず漢族と女真族に分離し対決する歴史的宿命を持っていることを理解することだ。
 孫文国民党のスローガンも、清倒漢復であった。このまま中国内部での矛盾が激化すれば、やがて必ず、漢族対女真(清)族の対決内乱に発展すると筆者は予測している。
 日本で、弥生人打倒・縄文人復活のスローガンを掲げても誰も相手にしないが、中国という国は武力や法による無理な統一をしているために、セルビア・クロアチアのような深刻な民族対立が発生しやすい。偏狭なナショナリズムが戒闘という抗争の伝統に乗って、古い対立を蒸し返し続けるのである。
 
 清朝皇帝、愛新覚羅家は復漢を掲げる国民党に追われ12代溥儀でその歴史を閉じた。溥儀は昭和天皇と兄弟のように親しく、日本に対して強い愛着を抱いていた。だから、陸軍統制派、石原完爾らが満州国設立の野望を抱いて溥儀に接近したときも、それに進んで迎合し傀儡皇帝となった。
 日本敗戦、満州国消滅とともに溥儀は中国を売った漢妖とされ文革でも何度も殺害されかけたが、周恩来の尽力により北京植物園の庭師となり、秘密裏に命を守られた。なお、周恩来が愛新覚羅一族を守ったのは有名な逸話で、川島芳子も周恩来の大きな庇護を受けたといわれる。

 千葉の日本陸軍士官学校を出た実弟の溥傑も、嵯峨侯爵家の娘、浩を娶り、生涯、相思相愛で添い遂げたことが美談として伝わっているが、悲劇も生まれた。
 筆者が二年前、伊豆天城峠から天城山万次郎岳を目指したとき、大きな美しい池のほとりに石碑があって花が添えられていた。
 それは溥傑と浩の間に生まれた愛新覚羅慧生と八戸出身、大久保武道の心中碑だった。彼らは、ここでピストル心中自殺をした。この経緯は「天国に結ぶ恋」として何度も映画化されているので、今の60歳以上の人たちなら誰でも知っているだろう。
 慧生の何とも可愛らしい写真を見ると、「もったいないことをしやがって、武道、このやろー!」と叫ばずにはいられない。

 さて本題の川島芳子は、この愛新覚羅一族のうち、ヌルハチの子、ホンタイジの直系末裔であり、1907年5月24日、清朝王家の親王資格を与えられた家柄に生まれた愛新覚羅王女である。
 本名は金璧輝、彼女の父は 粛親王善耆で7名の妻を持ち、36名の子がいて、多くの子を養子に出しており、璧輝は陸軍通訳であり清朝警察総監でもあった川島浪速(かわしまなにわ)の養女に出された。
 当初から川島の性的玩具として提供された意味も承知されていたようで、芳子が17歳のときに川島に性的関係を迫られ、そのショックで自殺未遂を引き起こし、髪を切り落として女性であることをやめると決意したと伝えられる。

 やがて、満州浪人のような男の活動に憧れ、満州国傀儡政府のスパイのような活動に手を染めるようになった。 上海事変の謀略工作に関わったといわれていて、上海での活躍から、「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれるようになった。
 この頃芳子をモデルにした村松梢風の小説『男装の麗人』が発表され、芳子は「日本軍に協力する清朝王女」として世間の注目を浴びるようになる。李香蘭こと山口淑子(女優で元自民党参議)との姉妹のような関係も、この頃に生まれたもので、笹川良一や石原完爾、岸信介らとも性的関係があったようだ。

 敗戦後、1945年10月に国民党軍に逮捕され、漢奸として訴追された。1947年に死刑判決を受け、1948年3月25日に北平第一監獄で銃殺刑に処されたことになっている。
 しかし、テレ朝の番組で明快に否定された通り、実際には長春市郊外の農村でひっそりと余生を送っていた。

 芳子が処刑を逃れて生き延びたこと自体には大きな意味はないが、その歴史的な位置関係、豊富な人間関係を見てゆくと、中国の戦中戦後史が見事に浮かび上がってくる。
『男装の麗人・川島芳子伝』(文春文庫)の著者でもある、上坂冬子が

「(川島芳子は)言動に一貫性がなく、単なる目立ちたがり屋にすぎなかったというのが、私なりの結論である。世に言う日中間のスパイだとか、清王朝の再興を目指したとか、関東軍の中枢に入り込んでいたことなども伝聞が多く、確かな裏付けはない」(産経新聞平成20年12月20日付朝刊、「老いの一喝」)
 
 と述べているが、筆者は「上坂よ、おめえに言われたかねーな」と芳子が言うだろうと思って苦笑した。上坂自身が一貫性のない、気分だけの軽薄な思想性の持主だからだ。
 事実、番組を見ていると、確かに「いいとこのお嬢様」が男装気分で出生への畏敬観念を利用して遊び回っていただけとの印象を捨てがたい。
 しかしながら、当時、司馬遼太郎でさえ満州馬賊に憧れたと術懐しているように、狭い卑屈な人間関係、島国根性の息苦しさに飽き飽きした日本の若者たちは、広大な満州平野で思う存分暴れ回ってみたいと、みんなが思ったはずだ。
 満州(中国東北地区)は日本人にとって未知に溢れた野望の王国であった。馬賊とはなんとセンチメンタルな響きを与えたことだろう。こうした野望こそ陸軍統制派をして中国に侵出させた思想的基盤になった。
 しかし、今、我々は逆の立場に立たされていることを知らなければいけない。
 中国の若者たちにとって、日本は憧れの大地だ。そこには指折りの整備された学問、産業があり、人権が確立されている。水道の蛇口をひねれば、そのまま飲める水が出てくる。こんな国は世界にごくわずかであり、あらゆる食物が美味しく、世界最高の食文化が存在し、世界中のグルメの関心が日本に集まっている。世界最高の商品が日本に並んでいる。

 こんな日本に行ってみたい。それを領有したい。安全でうまい水と食料を確保したい。
 日本人が70年前に中国に対して抱いた侵略の野望が、今、逆に向けられている。こんなとき、川島芳子の物語は、何かを伝えてくれると筆者は思う。

Appendix

プロフィール

tokaiama

Author:tokaiama
ツイッターのアカウントは、原発運転による健康被害をとりあげた途端に永久凍結されました

最新記事

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
その他
3位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
3位
アクセスランキングを見る>>

カレンダー

03 | 2009/04 | 05
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

アクセスカウンター

アクセス数