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2009年4月15日 ●老いの行末

カテゴリ : 無題

 3月16日にヤフーブログに掲示をはじめ、一ヶ月で四千人の方に読んでいただけました。人気サイトでは一日で四千名なんてのもあるので、決して多い数ではないようですが、これだけ、たくさんの方に読んでいただければ本当に励みになります。
 みなさん、どうもありがとうございました。m(_ _)m
 

 このところ老いた両親の体調が思わしくなく実家に行く機会が増えている。百歳の祖母は、さすがに施設の世話になっているが、80歳代の両親は老老介護で、まだ実家にがんばっている。
 施設に入所すると至れつくせりで、自立心が失われて惚けてしまう人が多いなどと聞き、本人たちも最後まで独立独歩でがんばりたいようだが、もうそろそろ限界で、介護施設に世話をお願いしたいところだ。

 しかし、なかなか手頃な施設がなく、最近、企業的介護施設の破産閉鎖が相次いで、全財産をはたいた入居者が追いだされて途方に暮れるなどのニュースを聞いていると、本当に、どうしたものかと考え込んでしまう。
 筆者も、長生きできそうもない体調なのだが、両親より先に逝くことがためらわれて無理矢理生きているようなもので、早く片付いてほしいと心底で思わないでもない。自分一人なら、自殺でも事故・遭難死でも気楽なものだ。葬式もいらないし遺産もない。有機物として土に還り森の肥やしになれば十分満足だ。

 親族共同体、地域共同体、大家族の支え合い、助け合い社会が失われて、姑息な利己主義に走るばかりの現代社会では、最期は本当に哀れな悲しい現実が待っている。
 共同体・大家族で、いくつもの死を見せつけられて育った子供たちなら、死の意味を深く考え、人の命を大切にすることもできるだろう。
 しかし人の死を見ることなく育ち、その意味も考えたこともない子供たちは、学校の競争主義教育で洗脳されるように、友達を蹴落として自分だけが特権を得る利己主義が価値であると思いこんでしまう。

 健康で充実した状態だけが人間の本来の姿であると勘違いしてしまい、人が本当は支え合わなければ生きて行けないような弱い存在である真実を知ることができない。
 人がか弱く生まれて強く育ち、やがて老いて衰えて死ぬという全的プロセスを理解できず、自分が老いて、衰えを自覚してから、はじめて人生の真の意味を思い知るのである。
 だが、そのときは、すでに遅い。若い頃、弱者を侮蔑して足蹴にしてきた報いを受ける自分が残っているだけだ。

 若者たちが、死の意味も分からず、人の人生を大切にしなくなり、簡単に人殺しに走るようになったのも、小家族のなかで人の弱さ、人の死を見つめる機会が少なく、人生の意味を深く考える機会に恵まれなかったせいだろう。競争して特権者に成り上がることだけが人生だと勘違いしてしまうから、人に対して思いやりが育たず、平気で人を傷つけ、騙し、殺してしまうのだ。

 筆者自身も、小家族のなかで人間疎外に苦しんで育った口だ。人の死に触れる機会も少なく、少年・青年時代は競争に勝ち上がることが価値だと思いこんでいた。それは、両親の教育姿勢に応えることでもあった。
 両親は子供時代の筆者らに対し、「いい学校に入り、いい会社に入り、しかるべき地位について、エライ人になってもらいたい」 てな感じの期待に応えるよう強く求めた。
 当時、ほとんどの日本人の共通価値観が、「エライ人になる」ことを是とするものだった。それは基本的に今でも変わらない。

 父親の世代は、「末は博士か大臣か」の立身出世主義の価値観が日本を席巻した時代に育ち、軍隊でも、徹底的にイジメと競争の人間疎外を洗脳されてきたから、もはや立身出世価値観が完全に人間性の基底にしみこんでしまっている。
 きっと、死ぬまでエライものが好きだろう。「アンタはエライ!」と言って送るしかないか......。棺桶に成績表でも入れてやろうか? 死後の世界でも「オレはエライ!」と自己陶酔に酔いしれるだろうか?

 残念ながら、筆者は反体制運動に飛び込んでオチこぼれたが、おかげで世間一般の人生観・価値観に埋没することもなく、ものごとの本質を考えるようになった。
 両親に反逆し、家を飛び出し、高校の半ばには自立して過ごすようになった。このため数十年もの長い間、両親の価値観を毛嫌いし、ほとんど家に帰らなかった。父親とまともに話したこともない。話せばケンカになるだけだったから。
 しかし、その両親も老いた。「ああしろ、こうしろ」とケチやイチャモンをつけることもなくなった。すると家に帰りやすくなり、自然に介護まで手伝うことができるようになった。両親の出世賛美や天皇畏敬観に対しても、以前のような怒りも感じなくなった。

 一昨日、老母が胸が苦しいと訴え、救急車に乗せて病院に連れて行った。
 幸い、精密検査の結果、とくに異常も発見できず、胃腸炎に関係した苦しみだったようだ。しかし、帰宅して、この先、下の始末ができなくなることを考えると、もう施設入所が至近の課題になってきた。
 だが、今の日本では、安心して両親を委ねられる介護施設を探すのが至難になっている。
 このままでは、家のなかで野垂れ死にという事態だって不思議ではない。実際、多くの老人が、そうした状態で、誰の助けもないまま悲しい孤独死を迎えているのだ。

 2009年4月、今月から要介護認定基準が厚労省によって大幅に改悪され、寝たきりの重度要介護者でさえ自立と判定されるような、実態無視の、経費切り捨てだけを目的としたコンピュータプログラムによって画一的に決定されるシステムに切り替えられた。

 厚労省は、国民年金をゴマカシて数十兆円を切り捨て、90兆円の運用資金の大半をデタラメな株価持上運用に使って、世界の大金持ち、投機バクチ屋に国民資産を献上し続けている。
 それでも飽きたらず、さらに国民から資産を収奪すべく、老人や障害者など、社会の一番弱い立場の人たちの福利厚生費を、このようにぼったくろうとしているわけだ。
 カネがない、節約しようとなれば、官僚たちの天下り利権を最後まで温存しようとし、一番必要な医療や介護など社会福祉を最初に破壊縮小しようとするのである。
 それは、社会的弱者の福利厚生は、利権の衝突が少なく、受益者が文句を言う力も弱いからだ。

 なんで、こんな思いやりのない、愚劣な官僚ばかりになったのか?
 それは戦後、1970年代まで、医療・福祉を担う厚生官僚や医師会が関東軍731部隊出身者によって独占されたという事情もあるが、決してそれだけではない。
 それは今、官僚の身勝手な行政によって一番苦しんでいる老人たち、筆者の両親たちが子供たちに求めてきた価値観、すなわち、立身出世主義を信奉し、「エライ人、特権者になること」が人生の目標であるかのような価値観を育ててきたことの直接の成果なのである。
 子供たちに対し、他人の利益のために奉仕する心を捨てさせ、自分の利益のためだけに生きよと求めてきた人生観が、日本の役人たちに結実しているのである。
 役人たちは、子供の頃から利己主義を教えられ、忠実に自分の利権を構築してきた。このため、日本社会のすべてが根底から破壊されるようになった。
 今の老人たちが我が子に求めてきた価値観が立派に成就したと思うべきである。日本は、みんなの求めた利己主義の王国になったのである。

 こうして見れば、老人たちの悪行政による苦しみも、自分たちの撒いてきた種が結実した結果であると理解できるだろう。人は自ら撒いたカルマの種を自分で刈り取らねばならないのである。
 天皇をはじめとする官僚・学者・社長などエライ人に憧れ、信奉し、貧しい人、弱者を助けようとせず、子供たちを競争主義に追い込んで、人を足蹴にするような人物になるよう育ててきた報いが、こうした社会をもたらしたのである。

 したがって、この社会が根底から破滅しようとしている今、次に来る社会のビジョンが見えるはずだ。
 それは、社会を根底から悪化させた利己主義を捨てさせ、子供たちを利他主義に導くことしかありえない。
 すなわち、他人の喜びを自分の喜びとし、他人の幸せに奉仕することを人生最大の価値とする子供たちを育てることしかないのだ。
 そのために、子供たちを互いに足蹴にするような競争に追いやるのではなく、互いに支え合い、助け合って協調できる人間関係を学ばせることだ。学校は、生活学校でなければならない。生活のあらゆる技術を教え、高度な科学技術に依存するのではなく、温かい心に依存するような価値観の子供たちを育てねばならない。
 強くなくてよい、優しい社会、国家を作り出さねばならないのだ。そうなれば、老人問題など存在しなくなる。人は多くの死を学び、人間には弱い時代があり、そして必ず弱って死ぬことを理解し、弱者に優しい社会を構築しなければならない。
 一番必要なことは、子供たちを大家族、共同体で育てることなのである。
 

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