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2009年4月19日 ● 若者たちから奪われた金

カテゴリ : 無題

 
 筆者が仕事でカネを稼ぐようになったのは16歳くらいだ。東京に転校してから、牛乳配達や日雇い労働者をやりながら学校に通った。
 仕事など、いつでも、どこでもあった。というものの、まだフォークリフトなど荷役機材の整備されていなくて、運搬最低重量が50キロという時代だ。セメントでも米でも小麦でも一袋50キロ以上だったから荷役は本当に辛い仕事だった。
 しかし、みんながやりたがらない底辺のきつい労働を覚悟すれば、結構、自由に稼ぐことができた。しかし仕事で疲れ果てて、おまけに、当時、ベトナム反戦運動に夢中になっていたので学校も長続きしなかった。

 1970年代はじめ、高田馬場駅近くに日雇寄場があって、朝7時前に、そこで立っていれば日雇い仕事に簡単にありつくことができた。ずいぶん気楽な時代だった。
 40年前の日給で、確か4000円前後、高ければ6000円を超えることもあったと思う。今の生活費で換算すれば、おそらく2万円くらいにはなると思う。一日働けば4~5日は遊んで暮らすことができた。
 山谷・釜ヶ崎あたりでは月に数回仕事に出て、後は遊んで暮らす人たちがたくさんいたものだ。筆者も「ゲイジツカ」になろうと勝手に決めていたから、カネがあるうちは山へ行ったり絵などを描いて過ごし、なくなると高田馬場に出かける生活が長く続いた。

 そうこうしているうちに、世はバブル経済に突入し、みんな金儲けに夢中になって、ベ平連などの市民運動も雲行きが怪しくなっていった。若い活動家でさえ事業家に転身する者も少なくなかった。
 筆者は、反戦運動全体が金儲け主義に浸食されて、連帯感を感じられなくなったことに幻滅して行き場を失い、ノイローゼ状態になり、精神的にも行き詰まった自分を自覚して、結局、育った名古屋に帰ることにした。

 名古屋で、すぐに大型免許を取得しトラックの運転手になった。最初はタンクローリー次は11トン中長距離、その次は国鉄コンテナの荷役と渡り歩いた。
 70年代半ばあたり、最初の頃の給料は結構なものだった。総額50万円近く、手取りでも優に40万くらいあった。これは使い出があった。酒も、まずまずの店で飲み放題、束縛時間が極端に長いので彼女を作ることはできず、時間が空けばトラックを港に駐めてタクシーでソープランドに通ったりしていた。

 それから、歳とともに給料が減っていったような気がしている。仕事は決して楽にならず、熟練もしたが、トラック運転手という仕事の価値が社会的に低下していったのだと思う。それで、辛いばかりで実入りの少なくなった運転手を諦め、資格をたくさん取得することにした。
 建築・測量・放射線・溶接検査などのライセンスを数十も取得し、ときどき建築現場にも出たが、80年代の日当は15000円以上はあったと思う。仕事さえしていれば、年収300万円を割ることはなく、まだ生活に困る時代ではなかった。

 世の中全体の風向きが変わったとの印象を抱いたのは、やはり90年代だろうか? 山一証券の倒産が大きなエポックだったように思う。
 以来、仕事が不安定になり、雇用環境が厳しさを増した。「失われた10年」といわれた不況の間、筆者はタクシー運転手などをしていたが、最初、月に90万円くらいあった売り上げが徐々に減ってゆき、やがて60万円台に至る手応えから不況を実感していた。手取りは半分以下である。
 90年代半ばに、建築労働の日当を聞いたら、すでに1万円を割るのが常識と知って驚いた記憶がある。やがて「5000円でも仕事があれば行く」という日雇者の声を聞くようになり、アルバイトの時間給でも千円を割るのが常識となった。
 派遣労働の日当も、建築関係と似たようなレベルで、世紀を超えると、今から40年前のレベルに戻ったような金額になっていた。しかし物価が下がった訳ではないので、底辺の労働者の生活が、どれほど苛酷になったか想像に難くない。

 一方で、ベンツ・レクサス・ヴィトン・アルマーニなどとブランドを追いかける「セレブ」とやらが出現し、追い詰められたホームレスが激増するなかで、バック一つが百万円もするものを、年端もいかぬ娘がタクシーを飛ばしてポンポン買うのを見て、凄まじい貧富の格差をも実感するようになった。
 こうした世俗事情は、タクシー運転手をしていると手に取るように分かる。

 それから筆者は、痛風や腎臓病がひどくなって、まともに仕事もできなくなってしまった。読者や身内の援助などに頼り、このホームページを続けるために情報収集をするようになったわけだが、世俗的事情がどんどんひどくなる一方に心を痛める日が続いている。

 この十年、小泉純一郎内閣が登場して、ロックフェラーの僕といわれる竹中平蔵の新自由主義路線によって、労働者・国民の権利が次々に奪われ、社会福祉が切り捨てられ、猛烈な貧富の格差が成立していったわけだが、これがもたらした最大のものは「労働者のカネを奪った」ということに尽きるだろう。
 企業は株主と称する経営者たち、金融資本へ利益を還元するが、そのために労働者を徹底的に搾取し、ほとんどギリギリの「生かさず殺さず」収入しか与えなくなった。
 このことによって、底辺の労働者の購買力が著しく低下し、社会全体の、とりわけ内需がメチャクチャになった。
 
 大恐慌になれば必然的に経済は内需に依存した鎖国化に至るわけだが、今回の恐慌で日本が先進国中で一番大きな影響を受けている理由は、日本の労働者が内需を支えるだけのカネを奪われているからなのである。
 安価な中国製品の流入が、内需を破壊したとも言われるが、それは少し違う。中国製品が安価な理由は、日本が輸出産業でボロ儲けした結果、円が上がり、したがって外国製品が安くなったのだ。
 輸出に依存する大企業が儲けるほどに、輸出の代償として輸入を増やすことになり、しかも輸入品が安くなった。このメカニズムによって、多くの内需型国内産業や自給型農業がまともに破壊されたのである。

 おまけに、より大きな金儲けに魅せられて、外国の安い労働力を求めて企業は国内での雇用を切り捨てて生産を外国で行うようになった。
 これで国民は職場と雇用を失い、国内産業は破壊され、どんどんカネと権利を奪われていったのだ。企業は、外国で稼いだカネをタックスヘイブンなどで、国に持ち帰らず、おまけに労働者を絞るばかりで絶対に還元しようとしなかった。

 「企業が生き残るために仕方ない」
 という経営側の合言葉の独善、傲慢、身勝手さは許し難いものだ。企業は国家のインフラに支えられ、国民のおかげで維持され、大きくなったのではないか・・・・。それなのに、外国の安い労働力を使えば、より儲かるチャンスがあるとなれば、日本の国と人を切り捨てて外国に逃げ出してしまったのだ。
 こんな企業は、もう帰ってこなくていい。日本の恩を忘れて中国に進出した企業は、二度と日本に戻るな。日本人の生活を支えず、雇用しない企業など日本に必要ないのだ。

 株主還元などと口先でキレイゴトを抜かしてはいるが、特権と金儲けだけに夢中になり、それを唯一の価値と勘違いして、国民生活を支えるという基本的使命を忘れてしまったのである。
 企業は決して経営者の金儲けのために成立したわけではない。国家のなかで、効率的な雇用を産み出し、生産体制を整備するために成立したのだ。企業の命は国民雇用なのである。その最大の本質を忘れて逃げ出した企業など、もう日本には必要ないのであって、安価労働力を求めて外国に侵出した企業は、すべて日本から叩き出して二度と戻れないようにするべきである。

 いずれにせよ、今回、中国などの進出企業は、すべて大恐慌のために根底から破壊し尽くされるだろう。国民に支えられて成立しながら、国民を見捨てて忘恩の徒に成り下がった企業が天罰をくらって、すべて破滅することは避けられないのだ。
 
 企業が労働者搾取と切り捨てを平然と行うようになり、若者にカネを与えず、彼らを育て日本の未来に貢献しようとしなくなった理由は何だろう?

 資本家の本質といってしまえば、それまでだが、筆者は、最近、日本の高度経済成長を支えた今の老人たちの身勝手さ、利己主義への洗脳ぶりに非常な危機感を抱くことが多い。
 ムダにカネを貯め込んでいる老人たちが非常に多く、それを若者たちのために使おうとしない偏狭さが、企業の姿勢にも共通していると感じている。

 このところ、筆者の実家も含めて、老人住宅の始末をする機会が増えている。痴呆老人の住宅などを片付けていると、凄まじい商品の貯めこみを目にすることが多く驚かされる。
 使いもしない道具、着もしない衣類が新品のまま整理もされず山積みになってネズミの布団になっている。
 とにかく、なんでも買い込んで、決して捨てずにしまってあるが、使うことさえ忘れている。こんなものを買えるカネが老人たちに溢れている。
 筆者宅でも、最近、両親の彼岸行きが近づいて、財産始末の支度をし始めているが、想像以上に貯め込み、しかも決して与えず、使おうともしなかった姿勢に愕然とさせられる。

 日本の企業も老人たちも、未来のために若者たちに投資しなかった。日本の未来に関心を持とうとしなかった。ただ自分の人生さえ良ければよかったのだ。自分の老後が心配なだけで、一途に貯め込むばかりだったのである。
 こうした姿勢が、企業や、社会のあらゆる局面で、若者たちの貧しさの原因になってきたのだと思う。そして、それが内需の拡大を阻害してきた。
 恐慌は、そうした構造的欠陥を突いて、日本を根底から破壊しようとしている。

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