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2009年5月31日 ● どうしたらガンを治せるのか?

 現代医療が、およそガンの根治とはほど遠い放射線や抗ガン剤治療に偏って、「木を見て森を見ない」やり方に自己満足している現実は誰でも知っている。
 ガン治療における問題の本質は、患者が苦痛から解放され、気分良く生きられることであって、目に見えるガンを一時的に消滅させることや、苛酷な「治療」によって著しく寿命を縮め、あるいは耐え難い苦痛のなかに患者を押し込めることではないはずだ。

 にもかかわらず、現代医療の姿勢は、患者を快適にすることではなく、目に見えるガン細胞を除去することだけに置かれ、患者の苦痛を解放し、快適な生活を援助するものとは言えない。むしろ、医者の名誉や権威を高めることだけが最終目的にさえ見受けられるのである。

 患者は、今苦しんでいるから患者なのであり、苦しみのないガン患者がいるとすれば、それは患者ではなく、たまたま、そうした組織を持っているにすぎない。
 そんな人を無理矢理、患者と決めつけて、「あなたは病気だ、ガンを除去しなければならない」と脅迫し、ガン細胞と一緒に人生までも破壊しているのが今の医療体制ではないのか?

 我々は、生まれ落ちたときから核実験由来の放射能や、レントゲン検診、自然被曝など無数の発ガンイニシエーションを受けて生きてきたのだ。だから、すべての人に無数のイニシエーターが存在しているはずだ。
 しかし、発ガンに至り、なおかつ、それが原因で死亡したり苛酷な運命に至る人は決して多いわけではない。多くの人はイニシエーター(ガンの種)が存在してもプロモーター(肥料)が存在しないため、ガンが育たず、寿命まで生活に影響を与えずにすんでいる。
 そんな人は、例えガン細胞があったとしても、決して患者とはいえず、無理矢理治療する必要などまったくない。また、ガンが育ったとしても、本人を苦しめるものでなければ、そのまま寿命まで共存すればよいはずだ。

 この意味で、強制検診・集団検診の意味など存在しない。ガン細胞の存在が検診で分かったとして、それで彼の余命を伸ばすことができるのか?
 この視点は厚労省も医学界も決して顧みない。そこにガン細胞があれば、必ずそれが成長し、その人を地獄に堕とし、死亡させるという決めつけを前提にして検診が行われているのが実情である。
 本当に検診で人を救うことができているのか? その回答は否!である。

 検診に、ときに1ラド(10ミリグレイ=シーベルト)という危険な放射線を照射することで、検診自体が重大な発ガン行為となっている。さらに健全な細胞までもダメージを受けている。また、将来、その人の命を奪うかもしれないガンが発見されたとしても、それが直接、本人の利益に貢献できるとは限らない。
 医学界が説明する、被曝リスクと延命プロフィットのバランスは、100%完全に、何もかもうまくいった場合を勝手に想定しているだけであり、決して現実に統計的に証明されたものでなく、自分たちに都合のよい屁理屈を持ち出しているだけだ。

 現実問題として、仮にガン細胞が発見されたとしても、それがプロモートされ成長して本人を殺すとは限らず、寿命までおとなしくしてくれているかもしれない。
 また、発見されても、それを治療することが可能な優れた医療機関、あるいは医師と巡り会うことができるのか? その治療費を工面できるのか? 治療に必要な諸条件を確保できるのか?
 治療方法、手段が本当に適切なものなのか? それには別のリスクがないのか?
 こうして、あらゆるリスクとプロフィットのバランスを考慮してみると、ガン集団検診が必ずしも良い制度であるとは限らず、むしろ、不要無用のシステムであり、希望者の選択肢として残す程度で十分だと分かるはずだ。
 だが、厚労省や検査機関は莫大な利権が絡んでいるために、強引に法制化しているだけだ。

 今の日本社会で、ガンの集団検診など、上のような観点から、ほとんど無意味なのである。しかも、発見されたガンの治療手段ははるかに悪く、実はガンを治療することを名目に、医者の名誉、医療機関の金儲け、医療産業の利権に利用されているだけという実態が浮かび上がってくる。

 一方で、医療産業と無縁の立場で、ガン治療、患者の生還、快適な人生に寄与すべく努力してきた人々の歴史も存在している。

 医療機関は、古くから伝えられているホリスティックな民間療法に関心を示さない。しかし、民間療法のなかには、医師が余命数ヶ月と診断し、治療を放棄された人たちを無数に生還させてきた療法が存在している。
 権威ある医学は、それを公開することで自分たちの権威や方法論が傷つくことを恐れて、無視、あるいは弾圧、誹謗中傷を加えてきた。
 学歴差別社会に洗脳された大衆に、見るに値しない、胡散臭いものという印象を与え、とるにたらないと信じこませてきたのだ。

 ガンは自力で克服できるものでないと宣伝し、恐ろしく難解で金のかかる、権威ある医療にすがらせようと洗脳してきた。
「高度医療」なる幻想に導かれた患者大衆を、学歴、地位や大げさな機械を振りかざし、さも頼もしそうに見せかけ、「最善手を尽くしている」と信じこませて治療費をふんだくっているのだ。

 こんな現代医療など、その本質は詐欺にすぎないのだ。しかし大衆が、医療の権威にすがり、人生の最期を権威ある医療体制に委ねたいという洗脳的信仰がある以上、そうした医療のなかで苦痛を与えられ、放射線や抗ガン剤で雑巾のようにボロボロにされて死んでゆく姿は、一種のカルマと考えるしかない。
 生前、そうした現代医療の矛盾に十分すぎるほど気づいている人でも、多くは、その末期、結局、現代医療に頼り切り、全身にパイプをつけられて薬漬けで死んでゆくのが普通なのだ。

 だが、我々は、現代医療が人を救うという幻想に些かでも疑念を抱き、真実は別にあるはずだと悟ったそのときから、自分の内なる現代に依存するカルマと戦わなければならないのだ。
 これが、ガンと闘う真の意味であり、敵はガンに隠れた現代そのものだと自覚する必要がある。

 もう一度繰り返すが、人は誰でも全身に無数の発ガンイニシエーターを持っている。
 ただ、それをプロモーターによって成長させる人と、そうでない人がいる。
 そこで、大切な視点は、ガンを成長させるプロモーターの本質を見極めることと、プロモーターを排除するための知恵を確保することである。
 大きくなり肉体を圧迫し、寄生者の命を奪う段階に達する前に、プロモーターを作らない人生のあり方を確保する必要がある。

 ガンを成長させるプロモーターとは何か?
 その最大の因子は、ストレスだと指摘されている。ストレスにより体のホメオステーシスに変調が起きて免疫力が低下する。ならば、ストレスを作らない人生の過ごし方こそ、ガン治療の最前線でなければならないのだ。
 それは原子炉や核施設ではなく、最先端の医療機械でもなく、東大の権威ある医師でもなく、ただストレスのない解放された心になることだったのだ。

 心のストレスによって、人は適正な欲求をコントロールできなくなり、食べ過ぎや拒食症になる。多くの場合、心の重荷は食べ過ぎをもたらし、それが糖尿病として現れる。さらに、糖尿病が免疫低下をもたらし、ホルモンバランスの異常をもたらし、悪玉プロモーターといわれる女性ホルモン異性体などを作り出す。
 逆にストレスがなければ、体が欲するものを食べ、体が欲する労働を行い、適切に食べて排出し、人間関係も笑顔を中心に作り出すことができるはずだ。

 筆者は、かつてタクシー運転手をしていたとき、ガンセンターの客をたくさん乗せた。
 このなかで、ある共通点に気づいた。それは、独特の共通した重苦しい異臭があることと、もう一つは、患者に笑顔が少ないということだった。
 また、今年は、身内や周囲にガン患者がたくさん出ている。彼らの共通点を探ると、全員が「こだわり症」という点だ。知的に優れた人も多いが、そうした人ほど多くのストレスを抱えている。

 昔、心霊系のガン治療施設を調べたことがあった。実は筆者も、ガンの疑いが少なくなかったからだ。症状からは自分が腎臓ガンであると確信することがあり、深刻な思いで治療法、歴史などの文献を調査した。
 そのなかに、心に止まるものがいくつかあった。
 それは言霊説で「ガンは頑固の言霊」というものがあり、一般にこだわり症の人は、自分にかかわる事物現象の生々流転を直截に正しく見ることができず、自分自身を正当化しようと、こだわりで解釈してしまう。これが頑固な心をもたらす。
 頑固こそが現実に適応できないストレスを産み出し、それがプロモーターとして作用してガン細胞を成長させるという理屈であった。

 また、ガンの治療法について、ホリスティックな方法を調査し、大きな成果を挙げているものをいくつか見いだした。
 その第一は断食であり、第二は気功法であり、第三は内観法であった。さらに、菜食主義や、生活環境のストレス防止がついてくる。
 そして最後、決定的なものは世界観、人生観、すなわち人生哲学なのである。

 哲学なき人は、判断に迷う結果ストレスに流されやすく、したがってガンにかかりやすく、ガン患者となってからも、不安のあまり目先の安心感を得るために、既存の医学や権威に頼るようになる。だから、医療産業の鴨ネギモルモットにされて、全身パイプまみれで苦痛の彼方に死んでゆくことになる。

 この世界や人生の本質を見抜き、自分の人生を価値あるものにしようなどと、愚かなこだわりから解放され、「あるがまま、なすがまま」の人生を楽しむような柳に風の風体で生き抜くならば、ガンだろうが戦争だろうが怖いものなどない。
 人は必ず死ぬものであり、遅いか早いかは問題でなく、いかに充実したかが問題なのだ。そう見据えていれば、今爆弾が破裂しようが、トラックが飛び込もうが、ガンに押し潰されようが、人類全員が、生物すべてが分け隔てのない究極の平等運命を享受して、新たな世界に旅立つという自覚を持つことができる。

 すなわち、ガン死など、数多い死の一形態にすぎず、誰もが必ず平等に享受する運命なのであり、いったい、どうして恐怖することがあろうか?
 死に臨んで、少なくとも現代医療の劣悪な本質を認識していたならば、どうして医療に依存してハリネズミになって死のうとするのか? 苦痛から逃れる方法などいくらでもあるではないか?
 
 紙数制限のため、続きはまた。 

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