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2009年6月3日 ● どうしたらガンを治せるのか? その4

カテゴリ : 無題

http://www.tanabekakuei.net/akabi/kakuei_01a.htm

 これは、2002年頃、田辺鶴英の「ピンピンコロリ」の草稿を元に、筆者が余計な能書きを書き加えたもの。 当時のガン治療最前線のヒントについて触れたつもりだ。もちろん唯物論医療とは無縁だが。
 文中にある塩原温泉の喜楽荘は、先日行ってみたら廃業していた。時代遅れだったが、王貞治氏の奥さんがガンで療養していた良い温泉だった。改築費用を出してまで営業を続けても、不景気で採算の見通しが立たなくなっていたようだ。

 いずれ塩原ほどの良質温泉地は、世界中から癒しを求めて人々が集まってくるはずだ。今は寂れて廃業が続き、中国人が温泉旅館を買い占めているらしいので、この素晴らしい価値を理解できない日本人が、灯台もと暗しに気づくのはいつの日かと情けない思いだ。
 日本の素晴らしい水が人類最高の資源であることが分かれば、日本の温泉も世界最高の癒しだと認識されるときがやってくるだろう。きっとガン治療の最前線になる日がやってくるだろう。

 鶴瑛は、真面目にやれば講談界を背負って立てるくらいの創造力、器と素質に恵まれているのに、何とも我が儘で努力が嫌いなため、実力の半分も出せないのは残念なことだ。筆者との縁も、ゲーゲーの嫌がらせ電話などがあって切れてしまった。
 つい先日、テレビ朝日のスパモニで、義父の介護について特番が組まれていた。

 鶴瑛が番組中で強調していたように、手抜き介護、人に頼りまくりながら、力と息を抜いて適当に、しかしメリハリをもって介護するという姿勢は正しいと思う。
 ガン治療もまた、全力で真面目に取り組むという日本人らしい、緊張感のある姿勢では良い結果が出ないと思う。手を抜き、不真面目なガン治療で、知らないうちに治るか、治らずとも寿命まで共存できれば十分ではないか?
 (鶴瑛よ、講談は手抜きじゃダメだぜ)

 話が逸れた。これまで書いてきたように、ガンの外的、物質的原因は、現代社会の利己主義による発ガンイニシエーション毒散布が招いていること。内的、心からもたらされる原因は、利他主義を見失っている自分に対する良心の咎め、懲罰的な意味でプロモーターが働き、腫瘍ができるという仮説を提示してきた。

 そして、その治療は、第一に自分のカルマと向き合う内観法こそが基本にあるべきで、人間性を解放することが治療の第一歩だ。それを、やりやすくする工夫として、断食道場などでの断食内観を勧めてきた。
 もう一つは、平行して気功法を取り入れることで、その意味は、冒頭のリンク、鶴瑛の夢話身加護のなかに説明しているつもりだ。

 断食道場は、http://e-comecome.com/a/ にリンクがある。筆者も痛風や糖尿病があり、腎臓ガンの疑いもあって、近々ご厄介になる必要があるが、一番安くあがるのは愛知県のようだ。自分一人でやるのは、相当に無理が多い。強靱な意志力がないと難しいと思う。
 ネットで、効用や施設の問題点を調査してから実行していただきたい。

 友人の、長野市の心霊治療家、生島秋雄氏も、昨年、腎臓ガンで逝去された。氏は元、長野県警山岳救助隊ヘリパイロットで、北アルプスで、たくさんの遭難者救助を行っている。フォッサマグナというテレビ番組の撮影飛行を担われたことで知られる。
 三重県菰野町の錦之宮で、心霊コンタクトをしていたとき、霊媒に細川ガラシアの霊が降りた。彼女は、聖女扱いでとっくに昇天しているはずだったが、実態は、まだ戦国地獄を彷徨っていたことが分かり、一同驚かされた。
 生島さんの側で写真を撮影すると必ずオーブが写り、いないと写らない。筆者も最近オーブが写りやすくなった。親族の集まりがあると、鮮明な内部構造を持った古生代藻類化石のようなオーブが撮影されてしまう。

 生島さんは、4年ほど前に、腎臓ガン末期で余命半年の宣告を受けたが、それから三年、心霊治療に飛び回っておられた。現在も、霊体で友人にコンタクトしておられるようだ。
 不思議なことに、心霊・気功治療者は、おおむね50歳代で亡くなるケースが多い。それもガンが多い。しかも、他人を治療できても自分自身は治療不能だ。治療パワーは、利他主義のために与えられたもので、利己主義のために使うことができないのだ。

 先に、宇宙には意志を顕現するメカニズムがあり、意志こそが宇宙の本質であると書いたつもりだが、この立場から、人は人生に降りかかる幸も不幸も、実は内在する自分の意志が運命に反映することが分かる。
 つまり、幸福を求めれば幸福がやってくる。不幸を求めれば不幸がやってくる。不幸になった人が、「不幸など呼んだ覚えはない!」と怒鳴ってもダメだ。
 運命を導く自分の意志を、自分が理解しているとは限らない。いや、ほとんどの人が、自分を分かっていない。自分が本当に求めているものは、教えられて刷り込まれている反応とは違うのだ。

 「人は自分の利益を求めている」と誰でも思っているが、それは刷り込まれた常識であって、真実は異なる。人は本当は愛を求めている。ところが、愛を求める心を、常識や見栄や欲望が裏切ったとき、人を騙したり、傷つけたりしたとき、心は愛の補償行動に出るのだ。
 すなわち、そんな愚かな自分が心の底で嫌になり、自分を制裁しようとする。これは良心の働きなのだ。そうした心の補償が、自分を傷つけ、免疫を失わせ、発ガンプロモーターを活性化させる働きを作る。つまり、自分の心が自分でガンを作り出すのだ。
 表向き、自分は金持ちになるために努力していると自己満足しているようでいて、心の底で、自分の汚さ、愚かさに憤り、そんな欲望に支配された自分を制裁してやろうとする意志が働くようになる。これは無意識に行われるので、顕在意識が「不幸を呼んだ覚えはない!」と思っていても、潜在意識が「不幸よおいで、自分をやっつけろ!」と要求していることになる。

 こうした心の補償行動こそが、実はガンの重要な原因になっている真実に気づく必要があり、内観法で見いだすべきは、自分が、真の良心に反した間違った行動をしていないか? 本当の自分を裏切るような欲望や見栄に支配されていないか? を意識して見つけ出すものなのだ。
 こうして、自分の真実を顕在意識に引っ張り出して問題点、すなわちカルマを直視することができるなら、ガンを育ててきた心の原因が取り除かれることになる。

 しかし、心が解決したとはいっても、物質的な原因が簡単に消えるわけでなく、かなり長い回復プロセスが必要だ。ときには寿命が間に合わないこともあるだろう。
 それに、巨大公害、核戦争やスペイン風邪のような別の大災厄に呑み込まれてしまうことだってあるだろう。
 しかし、それでも、自分の死を直視し、死の意味を理解し、覚悟を決めることができていれば、死など何一つ恐ろしいものではなく、実は新たな希望に胸を膨らませるべき、素晴らしい旅立ちのチャンスを迎えるということに気づくはずだ。

 筆者は、自分自身の体験から、とりわけガン患者にはクライミングを勧めている。体力・精神的には大変厳しいものだが、何よりも、命の綱渡りで、手を離せば死ぬという緊張感から、死と向き合う自分を明確に知ることができる。
 自分は、本当はひどい臆病者だったかもしれず、あるいは無謀な人間だったかもしれず、不注意だったり、慎重だったりするものだ。それは落ちれば即死の岩壁にへばりついて冷や汗をかけば、意外な自分が見えてくるものだ。

 筆者は、若い頃から単独クライミングを重ね、それが人生の度胸をつけるのに、すばらしい体験だったと胸を張って言える。
 おかげでクソ度胸がつき、死を恐れなくなった。これまでも自分がガンであると信ずべき事態があったが、何の恐怖もなく、「あ、そう」という感じで、なりゆきに身を任せることにして、それ以上の心配をしていなかった。
 元より、腎臓障害がひどく、尿が出なくなって、顔色が黒ずんでも治療費もないので医者にゆけず、もう十年以上も前に死を覚悟し、仕事もできないので、「その辺の公園で横になってくたばるか」などと決意をしていた。
 しかし、運命に身を任せていると、不思議なことに、援助の手が勝手に差し伸べられ、ありがたく頂戴しながら、今日まで生き続けているのである。
 だが、たった今も、野垂れ死にを覚悟して生きている事実は変わらない「ま、行けるところまで行くさ」程度にしか考えていない。

 こんな感じで、いつでも最悪の事態を覚悟し、心に刃を踏んでいれば、何が起きても、運命に身を委ね、後悔もせずに死んでゆけるだろう。大切なことは、恐怖心を克服することであり、このために、クライミングなどは素晴らしい訓練になる。もちろん落ちて死んでしまわないように最大の準備と訓練を重ねることは当然だ。

 薩摩兵児は、薩摩の気風として、子供の頃から死の覚悟を強いられてきた。
 「死を見ること帰するが如し」と覚悟を決め、死よりも大切な人生の価値を重んじて生きてきた。それは卑劣を排し、勇気と名誉を尊ぶことであった。
 卑怯者と言われたなら、それは死よりも重い侮辱であり、死でもって決着せねばならなかった。死を恐れる者は、人間のクズであった。そうした武士道精神が西南戦争の姿だった。
 ここまでくれば、ガンなど人生に関係ない。死の覚悟を定めれば、ガンだろうが矢だろうが鉄砲だろうが、何よりも大切な名誉、勇気の前に何の値打ちもないのだ。
 現代は、みんなが臆病を正当化する時代で、卑劣に走って恥としない。これではガンを恐怖し死を恐れるわけだ。我々は、ガンの克服を、恐怖心の克服という方法論をもって行うことも考えるべきではないか?

 高度な医学による「治療」も結構だが、ときには、こうした荒療治、意志による克服も視野に入れてみたらどうだろう。
 ガンの末期に、ひどい苦痛が訪れるときもあるが、筆者などは、究極の苦痛といわれる痛風発作を数百回も経験し、それに匹敵する尿路結石も経験し、かなり苦痛に慣れた体になった。それに登山を趣味とする人は、概ね苦痛慣れしている。
 モルヒネで抑えるのもよいが、たまには逆療法で、はるかにひどい苦痛を求めるというのはどうだろう? 

 筆者も、最近は朝起きて全身に痛みが走ることがあるが、ゆっくり体を慣らしているうちに消えてゆく。登山をすれば軽快する。逆療法は大きな効果を示す。
 そして、途上でくたばったなら、それが運命であり、自分の人生だと覚悟すればよいだけの話だ。人は役割を終えれば死ぬしかないのである。

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