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2009年6月5日 ● 我慢の時代がやってくる

カテゴリ : 無題
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 筆者宅は中津川市郊外にあって、バスは一日6便、日中は三時間に一便しかない。しかもバス停まで徒歩20分はかかる。一番近いスーパーは十数キロ離れていて、車で20分くらいかかる。
 コンビニは旧蛭川村内に一軒もないが、明治時代から続く小さな商店(スパー)がある。値段は高いが徒歩40分で行ける。ガソリン代を考えると、そこで買うしかなく、一軒しかないので、けっこう賑わっている。

 こんな環境で、何が問題か? といえば、まず仕事がないこと。したがってカネがない。出稼ぎに行かねば生きてゆけない。したがって年中常住というわけにはいかない。
 筆者も、少々、体が悪くて、なかなか働きに出られず、家族の援助や、読者のカンパなどに依存して、細々と生きているのが現状だ。
 しかし、遊興施設は喫茶店くらいしかなく、使いたくともカネを使える店がない。光熱費と食料・酒、それに細々とやっている木工資材くらいしかカネがかからない。光熱費、ネット接続や携帯電話が高くて、月に2万円くらいかかるが、食費・雑費は酒代こみで月3万円で十分お釣りがくる。
 家は自作、水道は井戸、暖房は裏山の薪で、車維持費込みで年間70万円もあれば十分生きて行ける

 もう少し、木工が上手になれば、観光客の多い場所で移動販売店を開こうと思っている。年間50万円くらいは稼げるとの皮算用だ。あとはレンタバス運転手のバイトだ。
 筆者は、原発検査や測量など工業系ライセンスを30枚くらい所持しているが、役に立っている資格は大型二種免許くらいだ。田舎では特にそうだ。都会の資格などクソを拭く役にも立たない。
 木工で今作っているものは、安楽イス、携帯式鏡台、ミニタンスなどだ。まな板や風呂イスなども作る。木曽檜の産地なので、比較的良質な材料が安く手に入る。地の利を生かさなければ、田舎で食ってゆく道は開けない。

 こちらに移住してから、レストランや居酒屋に入ったのは、年に一回もない。喫茶店や弁当屋で昼食をとることがある程度だ。ほとんどは自分で炊事して食べている。
 ときどき仕事に没頭しているとメシ作りを忘れてしまって、腹が減って、さあ食べようと思っても、備蓄玄米しかないことが珍しくない。
 こんなときは、空きっ腹を抱えて、玄米を精米し、水に30分浸して炊飯器で炊いて40分待ち、その間に畑にいって食べられそうなネギやジャガイモを掘り出して、おかずを作らねばならない。面倒なときは味噌や醤油をかけて、がつがつと食べるだけだ。最低1時間半はかかるので、その間に背と腹が癒着しそうだ。
 飼っているニワトリちゃんたちが卵を用意してくれているときは本当に助かる。そのまま生卵を、あったかいメシにぶっかけて食べるのが最高だ。
 酒や食料が切れているときなどは、もっと面倒で、車で20分、多くは自転車や徒歩で買いに出かけるので、往復二時間近くかかることになる。

 田舎暮らしの実態は、こんなものだ。だから、食料の在庫を切らさないように注意を怠らず、また先に腹の減りそうな時間を読んで、十分計画的に準備を進める必要がある。
 それどころか、いつ食料を切らしても大丈夫なように、ニワトリを飼育したり、畑を開墾して野菜を植えたりは生活の基本なのだ。五年もいれば、だいたい時期に応じて植えるべき苗や収穫すべきタイミングなどが自然にアタマに浮かぶようになった。そして汎用性の高いスローフードの備蓄も、生活の必需といってよい。
 さらに調理の腕前を磨くことも、非常に大切で、煮炊きのできない人に田舎暮らしは不可能と断言するしかない。包丁研ぎも、必要な道具類も多くを自作しなければならない。

 かつて名古屋に住んでいたときは、名古屋駅から徒歩10分で、半径100m以内にコンビニからソバ屋からレストラン、衣料品店、ほんとに何でも揃っていた。交通の便も含めて、たぶん日本一便利な街だったと思う。
 職場もたくさんあって、稼ぎにも不自由しなかった。その気になれば日雇い寄せ場もあった。筆者は近所のタクシー会社に勤務していた。徒歩5分で行けた。
 
 タクシーは、代表的な「本勤」の場合(いろいろな勤務形態がある)勤務時間が一日24時間連続になり、もちろん眠る時間も皆無に等しく、翌日の24時間休みとはいっても、十数時間寝た後も疲れ果てて何もする気が起きない。
 となると、食事の自炊などありえず、どうしても大衆食堂かコンビニ頼みの生活になる。そうなると、すべてを商売に依存し、自分はタクシーの客を捜して乗せるだけの毎日が続くことになる。

 こんな生活が、当地に移住して、先に述べたように一変したわけで、自炊の生活習慣に慣れるまでに相当な苦労があった。
 腹が減ったら、外に出てメシ屋を探せばよかったのに、今では、半年先の収穫を見据えて苗を植えなければならなくなった。
 よくレストランで待たされると、「コックが野菜を収穫にいきやがった」などと冗談を言ったものだが、それが現実になったのだ。

 さて、繰り返し書いているように、今年は年末に食料危機が避けられない事態となっている。昨年も預金封鎖や食料危機が切迫していたのだが、政府は我々の年金資金をドブに捨てるような無茶苦茶な買い支え対策をしたので、辛うじて相場が維持され、銀行も倒産せず、貿易も続いている。
 だが、ドル暴落は絶対に避けられず、紙屑に変わる運命が待ちかまえている。そうなれば日本円だって印刷しすぎて信用を失うことが明らかだ。世界中の通貨が、印刷しすぎのハイパーインフレになるのは火を見るよりも明らかだ。

 この結果、何が起きるのか? 
 さんざん書いてきたが、結局、通貨の信用不安が先物現物に向かい、巨大な金融資本が原油と金と穀物を買い占めることになる。さらに為替貿易の決済が貴金属で行われる事態も避けられず、金を持たない国では、事実上、貿易が停止してしまうだろう。
 こうしたメカニズムで、食料自給率が世界最低クラスの日本では、食糧危機が極めて深刻な現実となる。

 一昨年、昨年と危機は回避されたが、今年は、もう無理だろう。今、原油が暴騰しはじめて、昨年と似たような局面になり、時間の問題で100ドルを突破しようとしている。
 これは米国債の金利が上昇したことで、ドルの信用低下が起きて、ドル暴落になると各国が判断し、今の内に安いドル建て原油を買っておこうとする思惑から来ているものだ。
 つまりドル暴落か迫っているというサインなのである。

 日本の国際的信用は700兆円を超える米国債、ドル資産を保持することによって成立している事情から、そのドルが暴落することは、日本の外貨準備、国際的信用をも崩壊させるのである。
 こうなれば、米国債を所有する中国も、先を読んで売り急ぐ事態は避けられず、売りの殺到とともに、ハイパーインフレ、ドル暴落と世界大恐慌第三幕が開くことになる。

 年末には食料危機がやってくる。もう街の食堂に行っても、簡単に食事はできなくなる。あらゆる食料が、「食糧危機」との情報が巡った瞬間に買い占められてしまうからだ。
 今年いっぱいは、残存した食料製品でなんとか回るかもしれない。しかし生鮮食品は暴騰するだろう。米も麦も入手できなくなる。
 レストランで出される食事は、麺類ばかりとなるに違いない。そして、それも枯渇する。

 こうなれば、我々のとりうる手段は一つしかない。
 食料を生産可能な田舎に移住して、芋や野菜のような農産物を生産するしかない。種を蒔いて、収穫できるまで3~6ヶ月、長い長い計画性と辛抱が必要になり、作物を育てるための知識と努力が要求され、さらに収穫した作物を保存し、加工する技術、それを調理する技術も必要になる。

 筆者がタクシー運転手から、いきなり田舎にきたときのような、とまどいを、大勢の都会人たちが味わうことになるだろう。
 田舎では、都会のような分業生産体制は存在しない。一人が何でもやらなければならず、専門家など必要なく、何でもこなせるスーパーマンが要求されるのである。
 百姓から大工から家具屋からコックから販売店まで、なんでも自分でこなさねばならない。他人を頼ることもできない。自分の力で泥だらけになって畑を開墾し、種を蒔き、肥料をやって、大切に育て、収穫し、調理し、食べて生き抜くのである。

 これで、人々は、大企業の雇用と国家の支配から逃れて、すなわち国家体制の家畜である身分から、一個の自由人になれるのだ。
 大変おめでたいことなのである。
 これから、我々は、メシを食おうと思えば、土を耕し、種を蒔き、収穫しなければならないのだ。半年後のメシを、今から用意しなければならない時代がやってくるのだ。

 こんなときに必要な資質は、何よりも我慢だ。農産に失敗すれば饑餓が襲ってくる。腹を減らしても、我慢して、また種を蒔き、肥料を確保し、大切に農作物を守り、収穫を期待しなければならない。
 我慢の時代がやってくる。
 農産物だけじゃない。田舎では、何でも自分で作るのだ。家も自分で建てる。家具も作る。井戸も掘る。設備も作る。畑も開墾する。もちろん一人では無理だ。
 だから他人との友情と協調を大切にし、人の心を大切にし、暖かい人間関係を確保しないと飢えてしまう。
 他人を糾弾することが大好きな人は、誰にも相手にされず、餓死が待っているだけだ。
 少しばかり傷ついた人でも、大切に育て、一緒に力を併せて生き抜いてゆかねばならない。
 この意味では、心の医者にもならなければならない。もちろん、ほとんどの医療は自分でやるのだ。致命的な疾病では、死を覚悟して従容として身を任せるしかない。
 我慢、忍耐に加えて、確固たる死生観も確立しなければ右往左往し、洪水に流されて死んでしまうだけなのである。
 みんな覚悟の必要な時代がくる。我慢の時代だ。

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