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2009年6月9日 ●結婚のあり方

カテゴリ : 無題


 関西に住んでいる姪(姉の娘)が実家に立ち寄ったついでに電話で話をした。
 嬉しそうな声で、もうすぐ結婚するのだという。赤ちゃんのときから見ているので、人の成長とは早いものだと月並みに思う。

 筆者は立派な落ちこぼれで、一度も結婚したことがなく、子供もいないので、結婚や夫婦生活について偉そうに語ろうにも何も知らない。
 しかし、社会の大局がどのように動いているかについては、ずいぶん昔から観察を続けてきたつもりだ。また結婚した男女の推移、その意味についても観察と考察を重ねた。

 姪に対して、冷たい水を浴びせるように言った。

 「結婚してもいいけど、式にお金をかけちゃダメだよ。もちろん新婚生活も最低限の出費に抑えなさい。もうすぐ社会がめちゃめちゃに壊れるんだ、そうなれば一夫一婦制の結婚生活なんて消えてなくなってしまうからね」

 これまで、身内や友人など多数の結婚を見てきたが、だいたい、カネをかけた大げさな結婚式を行ったカップルが、うまくいっている例は見たことがない。
 姪の母親も、大げさな初婚は破綻し再婚で姪を産んだ。だから、おっかさんの例からも、結婚式は質素にした方が、うまくゆきそうだと言ってやりたかった。

 厚労省人口動態調査によれば、21世紀に入って離婚率は、結婚1に対し、おおむね0.4に達している。これは三組に一組以上が破綻することを示していて、統計に表れない私的な同棲・交際を含めれば、破綻率ははるかに高くなるはずだ。
 こうした社会動態を見ていれば、すでに結婚という制度が、根底から崩壊してしまっている現実に思い至らない人は少ないと思う。

 すでに多くの若者が、結婚制度の倫理観に拘束されず、自由な恋愛を楽しんでいる。ネット社会が、それを加速させた。今や、異性と付き合うとき、昔のような見合い・友人・親族紹介やコンパ、クラブなどよりも、出会い系サイトや、ネット掲示板などによる交際の方がはるかに多くなっているだろう。
 気の長い交際期間など我慢できる若者は少ない。欲望の赴くままにセックスし、子ができれば堕ろしてしまう。
 忍耐や我慢なんて大嫌いな若者が増えた。だから、我慢を強いられるような面倒くさいつきあいなどしたくない。ぱっと見の印象でつきあい、後腐れなくぱっと別れるのが一番いいというわけだ。
 若者たちは、周囲に男女の破綻をたくさん見聞している。理想的にうまくいっている夫婦など見ている者は少ないだろう。イスラム社会のような貞操観念などナンセンスだ。今が楽しければ、それでいい。気に入らなければ別れるまでよ・・・・・。

 持続可能な安定したシステムに支えられている社会なら貞操もいいが、日本社会は、もう根底から理念が壊れてしまったのだ。これからは激動に次ぐ激動、あらゆる組織体制が自ら崩壊してしまう。
 生活を支えてきた、国家・自治体・企業・販売網・流通網、あらゆるシステムが崩壊しようとしている。だから、社会を支えるもっとも小さな組織である家族でさえ、きっと崩壊してしまうに違いないのだ。
 もう家族をうまく維持するための観念、心がけも必要なさそうだと多くの若者が見抜いている。夫婦の義務、などと特別な倫理を持ち出さなくとも、友人の延長で十分だと、みんな思っているにちがいないのだ。
 
 そもそも、結婚という制度は何のために生み出されたのか?

 この真実を知ったなら、誰でも結婚制度が馬鹿らしくなるにちがいない。
 一夫一婦制の結婚が、人間の自然な摂理に基づいて発生したものでないことは、世界の多くの国家で、一夫一婦制が普遍的に支持されているわけではない現実を見れば分かる。イスラム世界では4人の妻を「所有」することができる。おまけに9歳以上なら妻にして構わない。
 こんなものは愛情でも恋愛でもなく、男性による女性の家畜支配だと分かるはずだ。女性は子を産ませるための道具にすぎないのだ。

 日本にあっても、女性は男性中心社会のための道具でしかなかった。
 例えば、実は現代よりも明治時代の方が離婚率が高かった。この理由は、女性が道具にすぎないことが社会的に容認されていたことにより、子を産めない女性は追放され、死別しても、遺族への人情もなく、義理立ての必要もなかったからだ。
 昭和初期になって、男性のための家社会が資本主義の勃興によって崩壊し、そこではじめて一夫一婦性家族の愛情による結合が成立した。このとき離婚率は史上唯一、1以下となった。
 いいかえるなら、一夫一婦制は資本主義によって成り立ったものである。
 資本主義は、家に縛り付けられた家族を嫌う。企業のために、家族(当時は大家族)のしがらみから解放され、企業の金儲けの必要に応じて、最小単位である夫婦だけで労働者として定着し、求めに応じて移住することを要求した。
 この結果、明治・大正の大家族制度は崩壊し、昭和に至って、産業需要とともに小家族制度が成立したといってもよい。

 明治以前の農民は「一所懸命」の伝統から、一カ所に定着した大家族農耕生活を送ってきた。そこでは家族の絆が濃密に形成されたが、しかし親子は家族であっても、夫婦はそうではなかった。嫁は子を産むための道具という地位から一歩も進むことができない封建観念に縛り付けられていたのである。
 したがって、明治にあって、嫁は簡単に家から追いだされ、結果として、家を大切にするために貞操を守るという思想に縛られることは少なかった。

 一方で、武家社会や、明治以降の家族制度で、一夫一婦制、あるいは一夫多妻制(妾制度も含めて)が重視されるようになった本当の理由は、実は、男性優位社会にあって、男性の所有する地位・権力・財産を、特定可能な、その男性の子に受け継がせる必要から生まれた制度だった。決して女性のための制度ではない。

 例えば、女性が自由に乱交する社会にあっては、母の子は特定できても父の子を特定することは不可能だ。だが、男性優位の父系社会にあって、父の子を特定するためには、母親の乱交を厳しく規制しなければならない。
 このため、妻は夫以外と性交してはならないという苛酷な性倫理を強要される伝統が作られることになった。
 この意味で、女性の性倫理に苛酷なタガをはめているイスラム社会や日本の武家社会などは、すべて男性の利益を守るためだけの社会だと言えよう。
 一夫一婦制の本質は、一夫多妻制のバリエーションにすぎないのである。男性の利益を守り、男性の権力を維持するための制度であるという真理を理解しておく必要がある。

 こうした男性の独善的な資産継承の結婚制度では、女性の本質は子を産むための、家付き家畜にすぎないわけだが、逆に、もし女性が独立したまっとうな扱いを受ける社会ではどうなるか? といえば、それは女性優位社会になる必然性がある。
 なぜなら、女性の意志が尊重されるなら、それは乱婚制度になり、母の子を特定できても父の子は不明である以上、家族はすべて母系家族となり、その尊敬は女性に集中するのである。これが原始時代から連綿と続いた「母系氏族社会」の本質である。
 「原始、女性は太陽であった」
 という表現の真意は、このような意味だったのだ。

 さて、男性の権力・資産を受け継がせる社会とは、権力社会だが、士族や支配階級では当然、男性優位社会のための家族・結婚制度が続かねば困るわけだが、持たざる階層、民衆社会にあっては、母の子が誰の子であっても、みんなの子として育てれば何の問題も起きない。
 西日本の民衆社会では、権力や財産を受け継がせる「父の子」など無用だったから、母親が誰の子を産んでも、イスラム社会のような苛酷な糾弾や制裁を受けることはなかった。
 だから「夜這い」という習慣が大きく定着し、このため生まれた子供の父親は誰だか分からなくなり、それを決めるのは夜這いされた母親であり、指名された男が父親になる仕組みだった。
 結果として、それも不確かだが、別に問題は起きなかった。子は集落全員の共同の子だったからだ。つまり、集落全体が一つの大家族だったのだ。
 これは西日本弥生人社会がやってきた中国江南地方(おそらく蘇州周辺)の客家のような氏族大家族社会では今でも行われている習慣である。

 今後、急速に資本主義が崩壊してゆくプロセスのなかで、旧来の家族関係、観念も大きく変化してゆかざるをえない。
 資本主義企業が求めた、身軽な赴任移動に耐えられる最小単位の小家族制度は、資本主義の崩壊とともに消滅し、再び、生活の必要から、集落全体が家族のような共同体大家族制度が復活するしかないのである。
 このため、権力を継承するための父系社会の家族制度(一夫多妻)や、資本主義の小家族制度(一夫一婦)から、一つの共同体に集う男女の全員が夫であり妻である多夫多妻制度へと変化してゆく必然性があることを理解すべきである。

 集落、共同体の全員が父であり母である子供たちが生まれてくるわけだ。
 こうした新しいシステムでは、女性は嫌な男にも抱かれねばならないか? といえば逆である。多夫多妻の倫理関係は非常に民主的なものになり、個人の意志が徹底的に尊重されることになるだろう。
 ただ、一夫一婦制小家族では、暮らしが不可能になるから、仕方なしに大家族に移行するのである。

 自給自足農業生産が生活の基本にあり、みんなで助け合わなければ生き抜いてゆくことができなくなる。
 子供も、みんなで一緒に育てることになる。不調になった人、老いた人、病んだ人なども、共同体みんなで直接支え合う体制があれば、本当に安心した素晴らしい生活を楽しめるにちがいない。
 もちろん、その反面、個人の名誉や蓄財や利己主義に基づいた、あらゆる欲求は許されなくなるだろう。
 利己主義を信奉し、個人的な名誉や権力・蓄財に憧れる人が共同体に参画することは不可能だ。それを支える思想は利他主義しかありえない。

 今後、日本の家族制度が、依存する生産体制に応じて変化してゆく方向を見極める必要がある。

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