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2009年6月10日 ● ヤマギシズムのたそがれ

カテゴリ : 無題


 

 世界資本主義体制の崩壊が目前に迫り、カネのやりとりを軸に動く人間社会が終わりを告げようとしている。
 人はカネに使われ、カネの奴隷となって、カネに追い立てられて、誰もが息も絶え絶えになってしまった。もうカネなんかゴメンだ!
 カネのない社会を作ろう! いや戻そう・・・・・

 そう、遠い昔、人間社会にカネがもたらされ、人がカネを使う時代が始まった。だが、いつのまにか、カネが人を使う時代へと変わっていった。
 いったい、いつ頃、カネが人を使うようになったのか? いつ頃、人類はカネの奴隷にされたのか?

 一つの回答として、ジャパンバンドラーズで紹介された以下の書を推薦しておきたい。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4198627371.html
 本書を立ち読み程度で上面を勝手に解釈し、筆者自身の考察もテキトーに加え、一言でいうならば、マネーは旧約聖書の思想から派生した人類畜産システムである。

 旧約聖書とは、原始共産社会が産み出した母系氏族社会を否定して男性権力が成立したときに、それを根幹において支える合理思想として産み出されたものだ。
 カネは旧約聖書を信奉する司祭たちによって、神殿と権力と、国家と男性優位社会を支えるための武器として登場したのである。
 それは人が人を直接支配するのではなく、カネという媒介を通じて、間接的に、しかし狡猾に、人々を家畜として洗脳し、飼育するための最大の道具であっった。
 それは【ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの主流の11の宗教と並ぶ、12番目の宗教である】

 カネが生まれたのは旧約聖書と同じ頃、今から3500年ほど前だろう。それは、人類が母系氏族社会を失い、男性優位社会、すなわち国家を成立させたときであり、神殿を構築したときであり、家族、私有財産の起源が成立したときであった。
 カネこそは、アダムを陥れた禁断の果実であった。
 カネ・カネ・カネに支配された世の中で、カネを必要としない生活なんか、どこにあるんだ?

 いや、あったのだ。幸福会ヤマギシ村が・・・・・
 http://www.yamagishi.or.jp/

 筆者がヤマギシ会とかかわったのは、今から40年前、たしか1970年頃だったと思う。当時、新宿争乱か何かで高田馬場案内所でお世話になったことがきっかけだった。
 輝くような笑顔の男性がそこにいた。

 「カネや国家に支配されない、一人一人の人間性を解放する真に豊かな社会がそこにある」

 と彼は言った。情熱に溢れ、その目は光り輝ていた。筆者はいっぺんに夢中になった。何か、自分の本当の故郷を思い出したような郷愁に包まれた。

 ヤマギシズムとは、1953年、幸徳秋水のアナキズム思想の影響下にあった山岸巳代蔵が、養鶏を中心に据えた共同体農業社会を目指して、実現した最初の農事法人ユートピア運動である。
 それは当初、宗教団体とは一切かかわりなく、むしろ反体制政治運動や無政府主義運動に近い思想があった。
 だから1970年前後、ベトナム反戦運動で鶴見俊輔の依頼を受けて脱走兵をかくまうようなこともあった。
 筆者が特別講習研鑽会を受講した1976年頃は、ヤマギシズム代表を毛沢東思想派の新島淳良が務めていた。当時は、全共闘運動が衰退して、人間の全的解放を農業に求めて新左翼活動家のヤマギシズム参画が相次いだ。
 筆者も、80年代にかけて、ヤマギシズムに憧れを抱き、運転手のバイトや製品販売などで接触した。内心、「本当のところはどうなんだろう」という疑心を解明したいという意味もあったが。

 ヤマギシズムでは農業主体の共産主義に近い思想により、参画者に財産共有を求められ、額は決まっていないものの全ての私有財産の供出が要求される。
 ヤマギシ会内部では、意志がカネで実現することはない。衣食住は完全無償である。外部のカネ社会に向かうときは、提案書を出してみんなの承認を受けてから支出してもらう、面倒くさいシステムになっている。

 ヤマギシズムの組織運営は、絶対価値を否定し、すべてを参画者の話し合いによる相対価値と捉え、自由に組織を変化させてゆくとする思想があった。
 組織の管轄を二分化して対立させ、参画者を自由に行き来させて、権力の固定化を排除するというようなシステムもとられていた。
 組織の支配階級があって、下層大衆が奴隷・家畜として仕えるという一般的な構図は存在しない。参画者全員の意志が、必ず反映させる素晴らしい仕組みが作られていた。

 しかし・・・・・
 しかしなのだ。筆者がかかわった1980年代ですら、大きな問題が始まっていた。
 本来、安全で人間的な農業を求めていたものが、いつのまにか効率優先となり、農薬使用やケージ養鶏、愚かしい科学主義、合理主義が持ち込まれてしまった。
 これは、参画者が外部から雑多な資本主義慣習を持ち込む以上、避けられないものだったが、そうした思想汚染に対する免疫が、ヤマギシズムには成立していなかった。
 それは、あたかも疫病のように、内部に伝染拡散していった。現実の社会に根付いている、金儲け主義による効率化、中央集権化などが、次々に持ち込まれれくるのだ。
 今では統括権力が一元化され、どうやら支配階級と被支配階級の対立の構図が生まれたらしい。代表はベンツに乗って移動するのだという・・・・・。
 それは結局のところユートピア運動であり、現実から乖離した、ユートピアが独立して存在することはできないとする定理を覆すものではなかった。

http://www.lcv.ne.jp/~shtakeda/library/

 さて、資本主義社会が自壊する過程で、多くの人たちが都市を離れて農村に向かい、農業共同体を自発的に組織して助け合って暮らすスタイルをとると、筆者は20年以上前から主張しているわけだが、そのモデルは、もちろん、このヤマギシズムであった。
 あった、といわねばならない事情は、上に書いたように、大きな組織であるがゆえに、外部からの影響を避けることはできず、結局、外部社会の利害関係に翻弄され、組織自体もカネの論理によって変質してしまったことが明らかだからである。

 また、創始者である山岸巳代蔵もまた、幸徳秋水など大正アナキズムの影響を受けているとはいえ、やはり時代の大きな制約から逃れることはできなかった。
 以下の巳代蔵思想には、ナチズム優生学思想やT4作戦に通ずる恐るべき全体主義を感じるしかない。

 【今彼等(釈迦・キリスト・カント・マルクス)と同じ又は,彼等以上の優秀な遺伝子を持って,よき機会に恵まれた人が,百万人一千万人と実在したなれば,世界はどんなに変るでしょうか。そして,白痴・低能・狂暴性・悪疾病遺伝子の人達に置換されたなれば,物心両面の幸福条件・社会風潮等を,如何に好転さすかに思い至るなれば,何を置いても,この人間の本質改良に出発せざるを得ないでしょう。
 かのフランクリンやエヂソンの頭脳が,ああした環境・機会を得なかったなれば,今日の物質文化は,何処に止まっていることでしょう。一人の頭脳は,連鎖関連的に全世界を一変するでありましょう。
 世の女が皆,クレオパトラの鼻や,楊貴妃に成っても妙味は無いが,創造の神とやらは,余りにも不公平で,才色麗姿,孔雀の誇りに鳳の高さを兼ね与え,一方梟眼にアヒルの無様さ,かける翼も,さえずりさえも与えられない醜女の一生を歎ぜしめる無慈悲さは,私には辛抱し切れないのです。せめて赤い牡丹にない紫を可憐な董に,香を白梅に,与えられるように,色とりどりのよさ美しさ,持ち味が保てるようにはしたいもので,自他の好まぬ劣悪因子をなくして,親は至らぬ子に心を苦しめ,子は鏡面にため息する哀れから,解放しなければ可愛想でしょう。
 美醜の標準,賢愚・優劣の限界は定め難く,巷の卑女も,絶海の孤独ものには又なき美女となったり,二世の契りの仲でも,突然紛れ込んだ美しい白鳩に眩惑される不安定性もあり,田舎初段の天狗も,兄弟子には手も出ないように,上には上があったり,何れかに一線を設ける訳には行きませんが,少なく共,大差を無くすることで,そうする場合,低きを再び繰り返さない方法を採ります。
 遺伝因子には,その殆どが劣悪形質遺伝因子であっても,一個又は数個の優秀なものを含んでいることもあり,それを抽出して,他のそれに劣った因子に置き替える組み合わし法によって,悪質を除去して固定したり,場合によると,劣性優良形質二個を組み合わせて,一代特別子を造ることも可能です。】

 こうした強く美しいものに対する憧れ、信仰(コンプレックス)、そして差別的な独善がヤマギシズムの根幹にあるとすれば、今、そこにに起きている恐ろしい現実も必然性に導かれたものである。

 人を選び、優れたものを追い求める姿勢は、ナチスの本質であり、国家権力の本質であり、組織の本質である。それは男性優位社会の行き着く末路なのである。
 この意味で、我々の目指す地平は、明らかにヤマギシズムとは違うはずだ。筆者は、それを母系氏族社会への回帰だと繰り返してきた。ヤマギシ思想は男性優位社会から一歩も外れるものではなく、結局組織の肥大を求め、権力を求める道でしかない。

 だが、もう組織の時代ではない。

 組織を支えるものの正体は、実は底辺の構成員たちの利他主義なのである。今、社会が崩壊していることの本当の意味は、実に利他主義が崩壊していることを反映しているものに他ならない。
 組織を支えようとする人々が消えたのだ。組織のトップが利己主義を追い求め、模範を示したわけで、これによって、構成員たちも利己主義が正しいと思うようになり、利他主義を忘れてしまったのだ。だから組織が崩壊している。

 例えば、企業でいえば、会社が安定してうまく稼働している時代は、その経営者たちは社員の生活の安定と幸福感に気を配り、社長でありながら社員の奴隷のように、その生活に奉仕してきた。だから会社は大きく繁栄してきたのである。
 ところが、社長が自分の利益だけを優遇し、不景気になれば社員を切り捨てて財産を保全しようなどと利己主義に走るようになれば、社員たちも、それを見習って利己主義に走り、誰も組織を支える者がいなくなってしまうわけだ。これが利己主義型崩壊なのである。

 同じように、かつて役人は、国や地方のために、我が身を捨てて粉骨砕身で仕事をしたものだ。だが、今では役人たちは、親方日の丸のぬくぬくとした座布団から立ち上がろうともせず、上から下まで、引退後の天下り先を確保することに血眼になり、役所を骨髄まで搾り取り、利用し尽くすことしか考えなくなった。
 こんな役人ばかりなら、どうして民衆が、役所や国を大切に思うだろうか?

 同じような意味で、国家が崩壊し、会社が崩壊し、農業共同体に参画するのがよいと考えてヤマギシズムに向かっても、そこにあるのは、日本中の組織と同じ、利己主義に洗脳された幹部たちに支配された奴隷社会だったとすれば?
 筆者は、「そうでない!」と言いたいが、残念ながら言えない。

 我々が頼るべき組織など、どこにもないのだ。
 結局、自分たちで一から作るしかない。このことを、しっかりと自覚する必要がある。 我々は利他主義を原理とした、人情・友情・愛情によって支えられる、新しい共同体を構築しなければならない。
 しばらくの間は、ヤマギシズムを羨みながら、空腹に耐えながら、必死に開墾しなければならないだろう。
 しかし、それしかない。

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