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2009年6月15日 ● 交通安全と利他主義

カテゴリ : 無題




 

 筆者は、1980年代、中曽根政権の登場まで、日本社会は世界でもっとも素晴らしい(主要国家のなかで)利他主義の王国であったと考えている。
 利他主義とは、自分の利益よりも、他人の利益を優先させる思想であり、人の笑顔が自分に生きる喜びをもたらしてくれると信ずる思想である。「人情主義」とでもいえば想像がつくだろう。
 もちろん「思想」などと仰々しく語る必要はなく、言葉にならない部分で、民衆の生活が拠って立つ社会の基盤のようなものが「人情」だが、それをうまく概念で言い表すのがなかなか難しいので、とりあえず「利他主義」と表現することにした。

 利他主義を共有し、理想とする社会では、人々は他人の笑顔によって癒される。他人の喜びは自分の喜びであり、人の悲しみは自分の悲しみである。それは、他人に対する同情心と連帯感から産み出される自然な感情なのだ。
 日本が、戦後、こうした素晴らしい利他主義・人情社会を作り出すことができた理由は、戦争加害者になったことで、戦後、助け合わねば生きてゆけないような苛酷な貧しさを経験したこと、それに都市の貧しい下町と、地方の農山村社会に根付いた共同体の伝統であった。
 もちろん、金持ちや権力者は利己主義者でなければなれないわけで、社会の表に現れる利他主義はほとんどない。それは、社会を底辺で支え続けている庶民のなかに流れる、見えない、聞こえない、言わない人情の河としてしか存在できない性質のものだった。

 だが、1980年代、カネを至高の価値と勘違いした自民党支持者の拡大と、人間の連帯を見失った社会党の衰退により、日本社会は連綿と続いた利他主義の本質を見失い、人々は金儲けに狂奔する利己主義に洗脳されるようになった。日本から利他主義を推進する政党も思想も消えてしまった。人情の河は枯渇していった。そして人は癒されなくなった。

 多くの人々が、利己的な蓄財・権威・権力に憧れるようになり、他人を睥睨するだけの底の浅い優越感、無用な贅沢、虚飾に走るようになった。社会を底辺で支えようと思う人は消えてしまい、自分の利益だけを追求する社会になり、かつてのような思いやり、同情、そして人情、愛情、友情といった人々の連帯が失われていった。
 
 行政も、それを担う官僚たちも利己主義に染まり、身を張って社会のために尽くそうとする役人がいなくなり、税金を使って自分の利権や、権力を確保することだけが生き甲斐のような腐敗役人が横行するようになった。
 彼らの行政指針は、箱物をたくさん作って建設業者から接待供与を受けることであり、そうしてコネを作ることで自分の天下り先を確保することでしかなかった。
 あるいは、批判を受けぬよう、失敗せぬよう小さく縮こまって、先例だけを教条的に信奉し、義務を果たせば、あとは、定年までぬくぬくとした人生を過ごそうとするだけの低俗な役人根性にまみれた者ばかりが目立つようになった。

 このため、戦後、1980年前後まで、利他主義に導かれた思いやりの行政が珍しくなかった日本だが、バブルの狂奔が始まってからは、あらゆる行政が「地方の活性化」とやらにの妄想に取り憑かれたように、やるべきことを見失い、未来に困窮を招くだけの愚かな箱物建設主義に走ったのである。
 日本中に、恐ろしく立派な「公共施設」が続々と建設され、地方は採算性のない、財政を苦しめるだけの箱物を競って作るようになった。
 一方で、住民生活に寄与するための、本当に必要な行政が見向きもされなくなった。箱物は業者のリベートや接待でいい思いが待ちかまえているが、真の住民サービスは役人にとって重荷でしかなかったからだ。

 地方行政のなかで、真の行政サービスとは何か?

 まずは、①住民が安心して暮らせるための最低限の生活を保障しなければならない。仕事と収入を確保しなければならない。
 ② 子供たちの未来を大切にするために、借金を減らし、自治体財政を健全化しなければならない。できるだけ税金を安くし、できるだけ任意の協力に依存しなければならない。
 ③ 子供たち、老人たち、障害者など社会的弱者が、安全に生活できる社会インフラを整備しなければならない。交通安全を整備しなければならない。
 ④ 子供たちの教育設備を確保しなければならない。
 ⑤ 住民の医療サービスを確保しなければならない。
 ⑥ 廃棄物処理をしなければならない。
 ⑦ 都市計画を作り、行政指導をしなければならない。
 ⑧ 治安、消防、安全を確保しなければならない。
 ① 非常災害に対応し救援しなければならない。

 まだ、たくさんあるが、主立った地方行政の仕事は上のようなものだ。
 1980年代、中曽根政権以降、自民党政権の固定化・右傾化の流れのなかで、行政の基本的任務も、最初に述べたように、親方日の丸で定年まで大過なく、ぬくぬく過ごそうとするだけのお粗末な役人たちによって、教条化し、手抜きされ、利権優先の構造に切り替えられてきた。

 今回は、そのなかでも、地方行政と国土交通省の協調により、交通安全の思想が、どれほど利権主義に汚染され、ゼネコンと癒着した官僚、議員たちの手によって必要もない立派な道路ばかり整備建設される一方で、本当に必要な地域社会の安全が、どれほど損なわれているかについて告発を重ねてゆきたい。

 筆者が仕事などの都合で、よく通行する千葉県内の道路事情をモデルに問題点を指摘しておきたいと思う。
 千葉県には、素晴らしい高速道路が縦横無尽に建設されている。幹線道路の整備は素晴らしいが、一般道路、生活道路の整備状況は日本最悪クラスである。
 とりわけ千葉市周辺があまりにもひどい。市当局は、本当に住民の安全を考えたことがるのだろうか?
 住民が外出に車しか使わないとでも思っているのだろうか? 行政は歩行者や自転車の安全に一度でも思いやりを示したことがあるのか? 車優先社会の思い上がった価値観に洗脳された役人、為政者たちが、住民の基本的生活に思いを寄せず、改善の意志もないために、どれほど多くの交通事故の悲劇が起きていることだろう。あまりにも劣悪なのである。

 千葉県はいつでも交通事故の上位にいて、とりわけ老人や子供など交通弱者の被害事故が多いことで知られる。同じ事故多発地域である北海道や愛知県では、主に道路整備が行き過ぎて、車の単独、あるいは衝突事故での死亡ケースが多い。しかし千葉など首都圏周辺では生活道路での歩行者事故が多い。
 明らかに生活道路、地域道路の安全整備が極めて遅れており、あたかも1970年代以前の地方の道路を見るようだ。これは行政担当者、首長の資質、意欲に依存する部分が大きい。
 千葉市では、最近、市長が汚職で逮捕失職したために、新たな市長選が行われ、民主党の若い市長が登場した。この機会を捉えて、新しい市長に交通安全への関心を喚起しておきたい。
 首長の汚職発覚が相次ぐ千葉県は、「やはり・・・・」と思うしかないが、基本的な住民の交通安全さえも確保できない行政が、他のあらゆる行政でも、ろくなことをしていないのは明白であり、千葉の住民のために、まずは原点としての安全確保から真摯に取り組む姿勢を期待したい。

 千葉市などは、立派な箱物やモノレール、幹線道路には巨額の予算を投入しているが、生活道路の歩車分離、橋歩道などは著しく遅れている。行政は、まるで住民生活に関心を示していないかのようだ。
 いかに役人たちが利他主義を見失い、役所を自分の人生に利用するだけの利己主義に凝り固まっているかを端的に示している。

 主要幹線道路は、そこそこの歩車分離が実現しているが、一歩脇に入った場所では、安全配慮は皆無に等しいような、危険道路が至る所に待ちかまえている。
 どこの市町村でも、歩道のない二車線橋梁が、どれほど危険であるか分かっているから、橋の歩行者通行には安全対策を行っていることが多いが、千葉市は、まるでそうした配慮が欠落しているようだ。

 筆者の計測で1時間1000台を超す通行量のある二車線橋梁である花見川柏井橋では、5.5m二車線車道の片隅を歩行者や自転車が、通過するダンプの陰で接触事故に怯えながら通行しなければならない状況だ。(写真)
 これでは、夜間や雨中、視界不良の状況では、まるで戦場なみの危険に晒されることになる。おまけに、この道路は事実上の主要幹線道路格でありながら、歩車分離、歩道整備が実にいい加減で、歩道は雑草で通行不能、ときには幅が30センチもない形だけの場所も多く、まったく存在しない危険なカーブも多い。
 これほど、安全対策、配慮のない幹線道路は1970年代までに、ほとんど消えたものと思っていたが、2009年段階で、こんなにひどい道路が存在していること自体、千葉市行政当局は恥を知るべきである!

 もちろん、ここだけでなく、千葉県、千葉市周辺には、こうした危険道路があまりにも多すぎる。住民が徒歩で外に出ようと思っても、あまりの危険性に、散歩すらためらわれるほどだ。こんなことでは、住民の行政に対する信頼感も存在しないだろう。

 筆者が長年居住した名古屋市では、本山革新市政の時代に、大規模な安全対策が実現した。全国で初めての歩車道バリアフリーが実現し、乳母車や車椅子、自転車の通行が非常に容易になったために、一躍自転車交通の普及が進んだ。
 このため、元々広い車道や歩道に恵まれていたことから、自転車が遠慮なく暴走可能な環境ができてしまい、歩道における自転車衝突事故が多発するようになった。こうしたデメリットについても、配慮し対策が必要だ。

 しかし、まずは、時間1000台クラスの幹線・準幹線道路の歩車分離を徹底するのは、最低限の安全対策であり、これをやらない千葉市当局は怠慢以外のなにものでもない。
 また道路安全基準指針にあるように、二車線道で、歩道を確保できない場合は、絶対に中央車線を引くことを許してはならない。あくまでも広めの一車線道路にとどめるべきだ。
 それは、二車線の分離が成立している道路では、運転者が道路対策が存在するものとの思いこみから、安心してスピードを出すからであり、一車線ならば、安全確保に警戒心が高まるからだ。

 結局、筆者の試案では、現在の主要交通は、①車 ②バイク ③自転車 ④歩行者 によるものであり、幹線道路は最低限、車・二輪自転車・歩行者を分離する必要がある。
 自転車は車道に追いだし、歩道から追放しなければならない。そして車道に二輪車専用車線を設けることが安全対策の基本にあるべきだ。
 今後、自転車も電動化が進むことが自明であり、二輪のカテゴリーに加え、歩行者の安全を確保する必要がある。

 字数の関係で、別に書く予定

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