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2009年7月23日 ●短所是正法社会の終わり

カテゴリ : 無題


 

 1996年、筆者がインターネットに東海アマのホームページを開き、掲示板を設置してから、すでに13年以上経過している。
 この間、最初から、今に至るまで延々と、掲示板の「荒らし書き込み」にうんざりさせられる毎日が続いていて、最近では、ブログのコメント欄にまで、ほぼ同じメンバーが出没して嫌味たっぷり書き込みが続いている。

 書き込み内容も、人でなし、殺人鬼、詐欺師だとか、他人のコピーペーストしかできないくせに、自分で書いたように装っているだとか、低学歴の無知蒙昧だとか、よくも、ここまで飽きずに次々に嫌味を書けるものだと、ほとほと感心するほど、多様な誹謗中傷が並んでいる。
 筆者も、そこまで他人に恨みをかう覚えはないのだが・・・・・見つけ次第、削除する姿勢へが面白くないのだろうか? それとも、いわゆる有名人や高学歴のインテリでもないのに、世間の常識から外れた突飛なことを書くので「出る杭は打たれる」というあたりだろうか?

 元より、筆者は気の短い方で人間的キャパシティも大きくない。自分がエライ人間だなどと吹聴したこともなければ、権威ぶった御宣託を書いているつもりもない。ありのままに、気の向くままに、思いついたことを正直に書いているだけのつもりだ。
 しかしながら誹謗中傷に対しては13年経っても未だに慣れず、精神衛生に悪いとしか言いようのないネチネチした嫌がらせ書き込みに、相当にカリカリさせられている。
 どのような書き込みに一番腹が立つかといえば、何様かになったつもりで偉そうに見下し、筆者に対して根拠もない低俗な批判をし、しかも、こそこそと身元を隠して書き逃げする連中である。

 自分を隠さずに、連絡先を明らかにして真正面から批判してくる人は、内容がどれほど辛辣であろうとも気持ちの良いものだ。それが誠意から発していることが一目で分かるからだ。少しくらい偉そうにしていても構わない。きちんとした根拠があれば有り難い忠告と受け止めることもできよう。
 筆者は、こそこそと隠れながら悪口を言うような卑劣、姑息な姿勢が嫌いなのだ。逆に言えば、公明正大、無私の真摯な姿勢が好きなのである。
 かつて日本社会は卑劣を排し、勇気を尊ぶ武士道精神を規範としてきた。「筋を通す」ことを人生の一義としてきた。人に相対する姿勢は、決して後ろ向きであってはならない。善悪好悪は仕方ないが、それは隠れて言うべきものではなく、真正面から誠心誠意をもって言うべきものであった。
 それが卑劣と評されたなら、それは死よりも苛酷な屈辱であり、命をもって漱がねばならなかった。人にものを申すということは命がけの誠意だったのだ。

 人は弱く不完全な動物にすぎず、完全無欠の人など一人もいない。誰でも、たくさんの失敗をし、恥を晒して生きてゆかねばならない。失敗は人間の本質的な属性なのだ。
 だから、人が間違いを犯すのは仕方のないことで、それを責めてみても仕方ない。どうして間違いを犯したか、調べ、繰り返さないように対策し、知恵を深化させてゆけばよいだけのことだ。そのために、失敗を明らかにし、その解決法を議論すればよい。
 人の失敗を指摘するときは、失敗を責めるような姿勢では不快感と反発を産むだけで、何一つ生産的なものは生まれないし無価値なものだ。
 相手がその失敗によって、より認識を深化し、より知恵をつけて、よりよき人生を歩んでほしいという思いで、そのための助力をするという姿勢が基本なのだ。そうした暖かい気持ちのない批判など利己的な誹謗にすぎず、無価値、無意味であって、決してするべきではないのだ。

 相手に対する思いやり、つまり利他主義の存在しない批判は利己主義から出ているもので、結局、他人にケチをつけたり、やっつけたりすることで劣等感が漱がれ、優越感に浸っていい気持ちになれるというお粗末な報復心から出ているものだ。
 ところが、筆者HPの掲示板に限らず、人を批判し、やっつけることで優越感に浸りながら相手を傷つけるだけの愚かな批判が絶えないのが、あらゆる日本のコミュニケーションの現実なのだ。

 結局、日本人というのは、何か人にものをいうとき、相手の利益に奉仕する、暖かい利他主義の立場で説得することがとても苦手で、相手をやっつけることで劣等感を濯いですっきりしたいという、冷たい利己主義から抜け出せない人が非常に多いわけだ。
 
 ある宗教団体で、多数の役員が一般参加者の人生相談を行ったところ、参加者が二度と来なくなるような事態がおきたという話があった。
 その理由は、役員が相談者の言うことを聞いているうちに、目上の目線から問題の起きた理由を責めるばかりになってしまい、それを聞いている参加者が嫌気をさして、みんな脱退してしまったということだった。
 どんな立派な理屈、理論を持っていると信ずる人でも、日本人というのは、科学的に問題解決するという姿勢の前に、とにかく他人を批判し、責めたがる傾向がある。
 目上の者が、目下の者にガミガミと説教を垂れたがるというのは日本式コミュニケーション・カルチャーの常識になっていて、聞く側は、本当は聞いているフリをしているだけで、相手にガミガミ言わせることで優越感を味あわせ、ヨイショしているにすぎないのである。
 ヨイショする必要のない人が、同じようにガミガミと説教を垂れられるなら、嫌気をさすだけで、逃げてしまうのが当然の帰結である。

 インターネットの掲示板や、相談板を見ていると、本当に、偉そうに説教を垂れるのが好きで好きで仕方のない人が多いようだ。しかも、ネットでは身元を隠してしまえるから、小学生が大人のフリをして、大人に説教を垂れていることもあるわけだ。
 筆者も、当初、まさか、ここまでひどいとは思っていなかったが、やがて、これが日本文化の基底にある根本問題であることに気づくようになった。
 
 こうした説教好きの人は、同時に必ず重箱隅愛好家でもあり、問題の本質を捉えて解決しようとする立場よりも、ただ人を批判することで優越感、快感に酔いしれるのが好きなのである。
 筆者が、掲示板の荒らし行為と決めつけるものの多くが、こうした説教マニアの屁理屈である。こんな無益なあら探し、ケチ付けマニアに付き合っていては不愉快千万、精神衛生が悪化するばかりなので、情け容赦なく削除することしか考えていない。
 すると、削除された者は意地になって、ますます無意味な嫌がらせを繰り返すというメカニズムになってしまっているようだ。

 さて、ここで、今日のブログ主題を提起しよう。

 「短所是正法」という言葉を広めたのは船井幸雄である。彼は子供の頃からエリート意識の非常に強い人物で、一番大好き、競争大好きマニアであり、少なくとも人類の穏やかな、暖かい未来に貢献するタイプの人ではなく、むしろ資本主義社会の苛酷な戦争経済に貢献する人物であった。
 彼は「強い会社、強い日本、強い組織」が大好きなのだ。
 彼に頼ってコンサルティングを求めた企業の業績を伸ばすことに貢献をしてきたが、競争という洗脳から人々を解放し、明るく暖かい未来を作り出そうとする人では決してなかった。
 だが、船井幸雄は、企業業績を上げるために、働いている一人一人を活性化するために何が必要かを見抜いた。その答えが「長所進展法」であった。
 これは「短所是正法」の対語であって、人を批判して成長させるために、どのような姿勢、方法をもって当たるのが一番良い結果が生まれるのか? という観察研究から導き出された回答である。

 日本人は、人を優越的な立場で批判することが好きだ。何か間違いを起こしたとき、「それみたことか! だからアンタはダメなんだ!」と怒鳴りつけるのが、このタイプだ。
 言う側は、これで間違いに気づいて成長して欲しいと屁理屈をつけようとするわけだが、言われる側にとってみれば、失敗して落ち込んでいる心の傷に粗塩を擦り込まれるようなもので、傷が深まり、人生を暗くし、後退させる結果しかもたらされない。
 上司が、こんな姿勢で部下に当たる会社では、部下のやる気は萎縮するばかりで、企業業績は後退するしかないわけで、これを船井は「短所是正法」と呼んだ。

 これに対して、「長所進展法」は、「人は必ず失敗を犯す」という当然の真理から出発し、人の失敗を責めるより、人の成功を誉めることにより、人生に喜びを導き、やる気を引き出そうというものだ。
 「人は必ず失敗するのだから、くよくよするな、失敗から教訓を導き出し、次に生かせば十分だ。それよりも、君はこんなに素晴らしい仕事をしているんじゃないか。君は立派だ、よい仕事をしてるよ、ありがとう」
 という具合に部下を励ますのが「長所進展法」ということで、こうした姿勢で当たる事業所では、社員はやる気に満ちて、業績がぐんぐん良くなり、明るく暖かい、素晴らしい企業になるというわけだ。

 この本質を見抜いた船井は、自社のコンサルティングの基本方針として「人を誉める」ことで素晴らしい成果を導いた。
 ひるがえって、日本社会の根底にある「短所是正法カルチャー」が、これまでいったい、社会にどのような影響を与えてきたのか、今、崩壊を前にして、はっきりと見直す必要がある。
 「短所是正法」は、すでに鎌倉時代、戦国時代には明確に武家の思想に現れていたし、武家社会というものの論理は徹底的な短所是正法であり、「失敗すれば殺す」という苛酷な論理であった。
 これが明治に至って、「殺さずとも怒鳴りつけることで反省させる」程度に穏やかに変わったのかもしれないが、現代に至っても、短所是正法が、あらゆる人間活動、とりわけ競争社会のなかに息づいてきたといえるだろう。

 そう、短所是正法は人を追いつめる。追いつめることで、潰れてしまう人が出るのは当然だが、追いつめられることで異常な能力を発揮し、成果を挙げる人も出てくるのである。
 これが競争社会の原理であり、戦争の原理でもあった。
 いいかえれば、短所是正法は競争と戦争のカルチャーだったのだ。

 さて、2008年発、世界大恐慌が勃発し、金融→企業→生活恐慌へと深化するプロセスで、企業に依存して生きるというシステムから大勢の人々がはじき出され、路頭に迷い、飢える時代がやってきた。
 こうなれば、企業に頼って生きるときに要求された、競争のための短所是正法カルチャーは、すでに不要無用であり、力を失ってゆくしかない。
 我々は、企業や組織に頼らず、仲間と団結し、自分たちの力で生き抜く社会がやってきたのだ。

 このとき、我々は人間関係のカルチャーについても考えなければいけない。
 これまでのような競争思想のなかで育まれた短所是正法思想が、もう必要もなく、意味もない時代になったということに気づく必要があるのだ。
 これから、我々の人間学は何を目指すべきなのか? 次回のお楽しみ。
 

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