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2009年7月27日 ● 続 短所是正法社会の終わり

カテゴリ : 無題


 

 筆者は、「短所是正法」問題を、人類意識レベルの歴史的発展過程の基幹にある重大問題と位置づけている。この問題を克服できるかどうかは、人間社会が、自分たちと子孫の未来のための本当の民主主義を獲得できるかどうかの根本問題だと考えているのである。
 すなわち、「人が幸せになれるか否か?」が、この問題に集約されているのだ。
 だが、人類史を貫く意識・認識の歴史的変遷、発展段階における弁証法を理解できないと、この問題の本質を見ることはできないとも思う。

 これまで筆者は、できるだけ分かりやすくするためと、形而上学的屁理屈が嫌で、なるべく理論的アプローチを避けてきたが、ブログの主張に対して、あまりにレベルの低すぎるコメントが繰り返されているため、人類史の本質を理解できない知恵の不足した者を相手にする意欲を失っている。
 今の若者たちは、筆者の若い時代に比べて、明らかに読書量・学問的レベル・論理的な理解力・自分のアタマを使った哲学の思索が劣っている。「本を読まない世代」が増えているというのを聞いていたが、「いったいアタマの中味はどうなっているんだ?」と驚き呆れるしかない無知性で低俗なコメントばかりだ。

 押しつけられた学校教育のなかで、自分では何一つ思索したこともなく、与えられただけのテストという競争ゲームに夢中になって勝ち上がるることで学歴という証書を与えられ、それだけのことで社会や人生、宇宙について、ほとんど哲学思索もしたことがないのに、自分を優れた知識人と勘違いしている無知蒙昧の愚か者のなんと多いことだろう。
 彼らは競争ゲームは得意かもしれないが、問題の本質を見抜く目は厚い鱗に覆われているようだ。哲学を知らないから、ものごとの本質をどのように見極めるのかさえ、保育園児並みのレベルから進化していないのだ。

 「人類史の弁証法的発展」と難しそうなテーマを振りかざしてみても、本当は決して難しいものではなく、その内容は、小学校4年生、10歳程度で十分に理解できるものであって、余計な屁理屈の鱗に覆われた目を持つ大人たちには逆に理解が困難かもしれない。

 筆者が主張している死刑問題も、こうした短所是正カルチャーの延長上にある誤りであって、この間違いを理解できなければ、日本から死刑制度が消える日も来ないし、真の民主主義など夢物語だ。
 恐ろしいのは、これほど知性・学問的レベルの低い若者たちが、短所是正法や死刑制度の持つ意味を理解できず、ただ即自的、報復的感情だけに突き動かされて、事態を改善するどころか、社会を暗黒の中世時代のような混乱と破滅に導く可能性が強まっていることなのだ。

 例えば、ポルポトによる300万人のインテリ大虐殺、文化大革命による3000万人の富農・知識人階級大虐殺などを引き起こした理由を考えていただきたい。社会に知性を否定する大衆が圧倒的な優位に立つと、それを正当化するために、自分たちの理解できないことを言う連中は抹殺せよという世論が成立するようになる。
 そうなれば、一部の支配者は、その愚かさを利用して人類家畜化計画を実現するだろう。いや、逆に、人類家畜化計画に基づいて、(テレビやパソコンなどの洗脳によって)今の若者たちの無学な愚かさが準備されてきたのかもしれない。

 中国が飲料水汚染や公害垂れ流しなど無知蒙昧の愚行を繰り返している理由は、文革時代に社会を指導する立場の知識人・技術者階級をほとんど抹殺してしまったことが一因になっていることを知っておいた方がよい。
 中国では確かに実権派の腐敗があり、それは糺されねばならなかったが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というわけで、「理屈を言う者はすべて邪悪だ」と決めつけられ、膨大な人々が虐殺された。
 こうした雰囲気によって、腐敗分子どころか、一番大切な「思索する人々」、社会を正しくリードする立場の人たちまで、十把一絡げに殺戮されてしまったのだ。

 このまま若者たちの知的劣化が進めば、日本の社会水準、学問水準は中国なみに劣化し、一般的な社会管理はおろか、原発の管理も、大規模プロジェクトも、ほとんど不可能になるに違いないし、その後は、知的劣等感に苛まれた若者たちの知識人や文化の破壊活動が起きるにちがいない。
 バーミアンの石仏が爆破されたように、深くものごとを考える習慣のない無学なネットウヨクが「朝鮮文化」と決めつけている法隆寺も正倉院も焼き払われることになるだろう。またカンボジアや文革のように、「理屈を言う者は敵だ」と決めつけられて殺戮される時代が復活するかもしれない。

 そうした事態を防ぐためにも、短所是正法の誤りを明らかにし、普及する活動が大切なのだ。同時に、あまりにお粗末な若者たちの知的レベルを上げる取り組みや啓蒙活動も重要だ。
 ネットブログによる自由な言論は、社会を正しい方向に導くために有力な利器だろう。

 ここから、再び「短所是正法」の根元的誤りについて述べたい。
 
「人を誉めて、やる気を引き出す」という方法が「長所進展法」であるなら、対極に、「人の誤りを指摘して是正させる」という方法があり、あたかも、両者が相互補完的に用いられてきたかのように勘違いしている人が多いが、決してそうではない。
 短所是正法は、対等の人間関係が成立していない、上位下達の組織的関係のなかでのみ機能する方法論であることを知らなければ、人間文化の基本さえ理解が不可能だ。

 「短所是正法」は、決して個人的な人間関係の論理ではない。親子や友人など、親しい関係のなかで用いられても効果を発揮しない。愛情・友情を前提とした人情的人間関係の中で、短所是正法が機能することなどありえないのだ。
 例えば、自分の子供に対して、その欠点ばかり指摘して、短所を是正するよう指導してみても、子供はふて腐れるばかりで、素直に親の言うことを聞かないことなど誰でも知っている。
 自分の欠点を客観的に正しく指摘し、改めるよう求める友人に、あなたは友情を感じられるか? そんな友人なら会社の上司まで友人になってしまうだろう。

 「あなたは、ここが間違っている」
 と論理的に指摘し、改善を求めるというやり方は、一見合理的に見えるが、それは一方的な服従関係を前提にしてのみ機能するものであり、服従の対価として、食事や生活が保障されるという体制を信じて、本来の人間性を抑圧して成立するものなのだ。すなわち、それは生活の保障される組織のなかでしか通用しない。
 昔から、上司が立場を利用してガミガミ説教を垂れるという「短所是正法式説諭」がありふれていたが、説教をまともに聞いている人が一人でもいたか?
 実は、聞いたフリをして、上司に優越感を持たせ、ヨイショしていただけだとは前回にも述べたが、それでも上司の言うことを聞かなければ組織から追放されるため、安定した生活や明日の食事のために、みんな不快な説教を我慢していたというのが真実に他ならない。
 これは会社の序列関係があるから仕方なしに受け入れていただけで、そうした束縛がなければ、誰が不快でうっとうしい説教マニアの言うことに素直に従うだろう?
 欠点を指摘されることは不愉快なことだ。人は不愉快な感情のなかで、自分を変えることなどできない。しかし奴隷的立場で、食料や自由を代償に強要され、従うことはできたのだ。

 愛情のある人間関係のなかで、自分の誤りに気づき、それを改善することは、より大きな愛情を得られるという大きな期待感によってなしうるのである。
 親子の愛情や友情を考えてみよ。親子や友人の間で、短所是正法を適用し、「あなたは、ここに欠点があるから改めよ」と指摘して、素直に聞く子供や友人がいるだろうか?
 そんなものは愛情でも友情でもない、「ただ人を批判することで自分の優越性に自惚れたいだけだ」と誰でも直感的に気づくことだろう。

 人情の関係の元で、短所是正法など適用は不可能なのだ。そこには、相手を心底思いやり、相手を助けたい一心で行われる助言があり、励ましがあり、願いがあるのだ。
 この意味で、愛情関係のなかでは長所進展法だけが許される。相手を暖かく励まし、より大きな未来に気づかせ、より成長を願う気持ちだけが存在することができる。
 もし、ここに短所是正法を無理矢理適用しようと思うなら、人情の関係は壊れてしまうのだ。

 もう一つ大切な視点を忘れてはいけない。
 人の心は否定要素からモチベーションを生みだせるものではなく、より大きな喜び、幸福感に引っ張られてモチベーションを自ら作りだし成長させるのである。
 もし、「愛情を喪失するから誤りを是正せよ」という論理を強いるなら、人は悲しみのあまり自らを傷つけ自殺するモチベーションを生みだすだろう。人の心とは、そのようなものだ。
 短所是正法の特徴は、「もし言うことを聞かなければ不利益がもたらされる」という脅しを行うことだ。だから親子友人の人情関係の元で、「不利益をちらつかせながら改善を迫る」というやる方を行うなら、それは、もはや、どんなに長所を誉めようと長所進展法ではないのである。

 人の心は、ロボットのように論理回路でできているわけではない。愛を求める感情回路によって成立していることに気づかなければならない。これが不利益をちらつかせるような否定的な立場から人を説得しようとしても必ず失敗することの本質なのである。

 短所是正法が人間社会の根底にカルチャーとして定着してきた理由は、人間社会の組織性にある。人は、生活のために組織に依存し、感情的な人間性を抑圧するようになった。
 国家や企業という組織が成立し、社会の基盤となったとき、今日の糧を得るために、食を与える者に服従するカルチャー(文化というよりは「常識」に近い意味として)が成立するようになった。
 だから短所是正法は会社や国家における組織の論理なのである。

 それは、個人の犠牲の上に組織を運営し、組織全体の利益を引き出す目的で用いられる方法であって、強制力や義務意識により、人情を抑圧し、人を追いつめて組織に従属させるのであり、このために人を訓練する方法として短所是正法が用いられる。
 そして、それに従わない者は、組織から追放されるか、あるいは制裁され、殺害される。

 組織において長所進展法が用いられることはない。組織は、人の愛情や喜びによって成立するのではなく、恐怖や悲しみの感情を土台にしてのみ成立するものだ。
 長所進展法は、人を誉めて「嬉しい気分」にさせ、自分の失敗も未来のために肯定的に捉えるという視点を前提にしてのみ成立するのである。
 それは人に対する愛を前提にしなければならない。だが、組織は愛のために生まれるものではなく、特定の人々の利益に奉仕するためのシステムである。
 組織には愛がない。だから長所進展法も存在しない。

 だからこそ、組織の利益を厳重に守るためには、徹底した短所是正法を必要とするのだ。
 短所は排除され、抹殺されねばならない。この意味で、死刑制度こそ究極の短所是正法であった。
 字数制限のため、また後日




  

 

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