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2009年8月13日 ● 競争と差別の社会がもたらすもの

カテゴリ : 無題


 今起きている大恐慌、社会崩壊について、さまざまな意見があるが、的を得たものはほとんど見られない。なぜ恐慌と経済崩壊が起きたのか? なぜ生活と社会の崩壊にまで至ろうとしているのか? 誰彼の作為や錯誤などではなく、本質的、必然的な理由はあるのか? そして、これからどうなるのか? どうすべきなのか?

 みんな現実と真実を見失っているように思える。とりわけ、高学歴のインテリ層は全滅だ。職業的に人を教え、ものを書く立場の人たちは、枝葉末節に囚われ、誰一人、現実に対してピントが合わず、真実を見ていない。見る能力すらない。本当は何が原因で、どうすべきなのか理解している者は皆無だろうと思うしかない。

 誰かが間違ったからだとか、意図的な陰謀だとか、システムの問題だとか、倫理の問題だとか、どうでもいい枝葉の議論ばかりが巾をきかせている。あたかも、政権政党が代わり、有効な対策を打てば恐慌が収まり、また元の安定した社会体制が戻るかのような幻想を抱く人が多いようだが、そんなものは幻想にすぎない。
 たとえ、民主党が政権を掌握しても、どんな素晴らしい政策が実行ざれても、社会の根底的崩壊という恐ろしい結果は何一つ変えることができないだろう。どんな素晴らしいリーダー、救世主が登場しても結果は変わらない。それは、為政者の誰一人、今起きていることの真実を理解していないからだ。

 筆者は、30年も前から、こうした社会体制の崩壊を予想していたし、資本主義体制の崩壊は絶対に避けられないと断言してきた。それどころか、社会全体が地獄に堕ちて、何もかも無茶苦茶に破壊されるしかないと書いてきたし、これから本当の苛酷きわまりない生活恐慌がやってくると指摘してきた。
 やがて都会の真ん中で、飢えた人々が彷徨い、殺し合い、次々に倒れて死骸が散乱する街になると指摘してきた。だから都市から逃げよ、過疎の田舎に行って、仲間同士で自給自足の体制を作って、この大恐慌をやり過ごせと書いてきたのだ。

 この原稿を書いている今現在、まだ、そこまでの事態に至っていないが、いずれ時間の問題で、そうなるだろうと思っている。
 みんな、「まさか」と思っているだろう。だが、今はカネだけが人の生きる絆になっている社会なのだ。かつてのように人情に頼り、絆にする時代ではとっくにない。
 仕事がなく、収入がなければ、人は飢えるしかない。都市のなかを彷徨い、奪い、奪われ、争い、そして朽ち果てるしかない運命に見舞われるのだ。こんなことは誰にでも分かることだ。誰が快適な住居と食事を無償で与えてくれるというのだ?

 政府が救済してくれるなどと甘い幻想にも浸らない方がよい。
 政府がそうした力を持っているのは、経済が上昇過程にあって、何もかもうまく回転し、国内に十分な資力があり、国民の大多数が政府を信頼、支持して、治安も良好に保たれている条件がある場合だけだ。
 利己主義に洗脳されて、特権と金儲けしか考えられない腐敗官僚と、無能なくせに名誉欲だけに縛られた二世三世議員、麻生のような人物しかいない日本政府のどこに、民衆を救済できるような信頼感が見えるのか?
 彼らは「地位とカネの切れ目が縁(仕事)の切れ目」であって、大地震や気象災害が頻発し、天変地異によって予算を消耗し、役人の給与も出せなくなった段階で、仕事場も政権も放り出して逃亡することしかできないのだ。
 民主党だって同じことだ。内部には、現実を理解できない二世三世だけでなく、観念だけの宗教的右派も多く含まれていて、天皇制国家や軍国体制の復活を熱望する者さえいる政党だ。本当に国家国民のために身命を捧げて取り組もうと考えている者たちが、どれほどいるというのか?

 日本が、こういう情けない事態に至ったのは、水が高いところから低いところに流れるように必然的なものだった。
 先ほど、インテリ知識人たちで現実にピントが合っている者は皆無と指摘したが、実は、今起きている崩壊の、本当の原因は、社会に優越的立場の階級が登場したことが原因だったからであり、それによって、人々が互いに同じ「タダの人」として連帯することができなくなったことだったのだ。
 高学歴インテリ層とは、優越的階級であって、自分たちの存在そのものが連帯と思いやりを破壊し、あらゆる人の絆を破壊し、大恐慌をもたらしたという視点を見ることができないのは当然のことなのだ。「灯台元暗し」なのである。

 人を優越者と劣等者に区分する社会差別体制こそが、今ある大恐慌の本当の原因であり、社会を根底から破壊するポテンシャル(必然性)の根源であると、筆者はこれまでも繰り返し主張してきた。
 その理由は、身分や地位、資力、学力の差別があれば、そこに優越感と劣等感が生まれ、同じ人間としての対等の連帯関係が疎外される。優越者は他者を見下すようになり、劣等者は他者を畏れるようになる。
 差別のなかで連帯感や思いやりなど生まれるはずがない。だが、それこそが人を励まし、人間社会の根底を支える心の基盤だったのだ。
 差別によって対等な人間としての温かい心の交流が疎外され、社会をみんなで平等に支えようとする気概が失われてゆくため、社会を根底で支える心の基盤が破壊されるのである。

 みんなが平等であると信じられる社会では、人は利己主義を捨てて利他主義に喜びを見いだすことができる。自分個人が独占的に利益を受けることなど、何一つ価値のあるものではない。それよりも、一緒に生きている仲間の笑顔を見られることこそ、人生最大の喜びになるのである。これが利他主義だ。
 しかし、不平等な社会では、必ず人は利己主義を求めることになる。他人は自分を差別して苦しめる存在であり、他人の笑顔など見たくもない。自分さえよければよい。差別が利己主義をもたらすのは当然のことなのだ。
 利他主義の平等な社会では、人は見返りなしに他人の利益のために尽くすことに喜びを感じられ、自己犠牲こそ、もっとも価値の高いものであると信じることができる。しかし、利己主義に支配された差別社会では、何か、ことをなすにあたって自分への利益、見返りがなければ動かなくなるのである。行動原理が、すべて利己主義に支配されることになるのだ。

 人は、みんなが平等な社会の元では、決して自分だけ特別な存在になろうとしない。「みんなタダの人」で十分に満足し、他人の利益に奉仕する人生に喜びを見いだすことができる。
 しかし、天皇や貴族、特権階級など特別な存在の人がいて、その人たちの利益のために無理矢理奉仕させられていると感じる社会では、人は、そうした存在にコンプレックスを抱き、「自分だけ特別な人間になりたい」 「タダの人でいたくない」という欲求をもたらすのである。

 これも人間なら当然の要求である。小泉純一郎・竹中平蔵たち「新自由主義者」(無制限の自由な競争を経済の基礎におく思想)は、この日本社会に、そうした特権者、特別な存在、格差を招き入れることが1990年以来、崩壊したバブルからの脱出の近道であると宣伝し、徹底的な格差、差別体制を構築した。
 このため、人々は、激しいコンプレックス、不平等感に苛まれ、毎日の人間関係に不快感を抱かされるようになったため、徹底的な利己主義に陥っていった。
 入る食堂、住む家、乗る車、通う学校、行く病院、あらゆる場所で、暗黙の差別が始まり、「カネのない者は死ね」というような政策が実現され、労働者の生活は苛酷になり、人間関係は荒廃していった。

 「競争に勝ち上がれば有利な生活が保障される」
 と謳われたが、例えば、学歴競争にしても、親の経済力により、幼児のときから雲泥の差がつくことになり、カネさえあれば、どんなバカでも「良い学校」に入れる仕組みができている。「自由平等の競争」など、あるはずがない。
 資本主義先進国、イギリスでは、まるでインドのカースト制度のように、親の社会的地位、階層によって一生涯を規定されるシステムができあがっている。
 すなわち、工場労働者の子は工場でしか働けず、職人の子は職人にしかなれず、資本家の子だけが資本家になれるのである。こうしたシステムを強固に構築しているのが、フリーメーソンという上流階級社会である。
 フリーメーソンに登録された子だけが社会を支配する立場になれるよう、すでに16世紀には厳重に定められている。
 日本でも、事情は同じで、明治維新のときに長州系官僚たちが、フリーメーソン社会を作り、鹿鳴館などを舞台に上流階級社会を生みだし、それが連綿と続き、現代に至っているのであり、今の日本の多くの経営者が、明治フリーメーソンの流れのなかにいる。基本的に成り上がり金持ちや権力者は、田中角栄のように撃たれる仕組みができあがっている。
 東大出身者の家の大部分がフリーメーソンに関係ある。そして彼らの多くが国家官僚になり、国家体制を利用して旨い汁を吸う構造ができあがっている。
 今ある社会差別の根源は、実は明治維新に用意されたものだったのだ。

 さらに、上流階級を固定すると、国民の怨嗟の標的になるため、あたかも、それは誰でも目指せる目標であるかのような幻想を与えることが行われる。
 学校では、人間の連帯よりも、競争して仲間を蹴落とし、自分だけが特権階級に成り上がることが正義だとするような教育が行われることになる。
 だが、実際には違う。貧しい大衆が特権階級になることは事実上不可能だが、そした幻想を与えるために、学歴競争システムが持ち込まれるのである。
 しかし、本当に貧乏人が支配階層に行けば、田中角栄や堀江貴文の運命が待っているし、植草一秀のように闇の勢力によって堕とされてしまうのだ。

 こうした差別体制の固定した競争社会では、人が連帯感や他人に対する思いやりを見失い、徹底した利己主義に走ることになるため、社会を底辺で無私の精神で支えてきた人たちは去ってゆき、カネにならないことは誰もしたがらなくなる。
 こうして、あらゆる人の絆が消えてゆき、社会は根底から蝕まれ、それを支えてきた人情の基礎が空洞化し、ある日気づいたときには遅く、倒壊する運命が待ちかまえているのである。
 人情を大切にする人が底辺にたくさんいる社会は安定しているが、そうした人たちは、カネだけを絆にするような社会では息をすることもできなくなり、去るしかない。そうして、彼らが支えてきた、人生の癒しや喜び、生活の楽しみ、人間関係の喜びが根底から破壊され、人の心は荒廃し、社会体制のあらゆる場所で利己主義がそれを食い荒らすのである。

 こうしたメカニズムによって、人々は徹底した利己主義に陥り、自分だけの金儲けを追求した結果、貧しい人々が生活できなくなった。そして彼らが支え続けてきた社会のあらゆるサービスが崩壊し、大混乱に陥った。
 経済は、特権階級がすべてのカネを持ち去ったために、大混乱に陥り、大崩壊が始まった。もう取り返しがつかない。
 利己主義の地獄社会が始まったのだ。

 こうした荒んだ社会をもたらした本質は、差別であり、それを維持するための、見せかけの競争社会なのである。
 競争が、人々に「タダの人になりたくない、特別な存在になりたい」というコンプレックスと差別再生産の要求をもたらすのだ。
 人は、どこまでいっても「タダの人」を一歩も超えることができない。
 だから、同じタダの人として連帯し、思いやりをもって互いに支え合ってゆく社会こそ持続性の保障された正しいあり方であって、競争と差別のある社会には、社会矛盾の累積と、その結果としての大崩壊、恐慌や戦争しかありえないという真実を、我々は自覚し、これから目指す社会の本質は、差別や競争を克服する社会であると知るべきである。

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