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2009年10月28日 ● 大恐慌の本当の意味 その7


 日々、生活恐慌が身近に迫ってくる。企業は次々に倒産し、やがて銀行も倒産しはじめれば取り付け騒ぎから預金封鎖に至るのは目に見えている。

 アメリカでは、10月26日現在で、ついに年初より銀行倒産が106行となり、預金保障機構(FDIC)がペイオフの支払いさえ危うい事態になっている。
 3兆円ほどの預託金を銀行から集めて、当座の破綻保障に充てたい考えらしいが、次々に倒産が連鎖して、あとどれほど倒産するのか見当もつかないうえ、シティ・バンカメ・メリルクラスの大銀行が倒産すれば、一行だけでリーマンを上回る負債が闇に消えるのだ。
 保障など不可能なのは見え透いているわけで、だから全米の銀行に取り付け騒ぎが広がっている。もはや銀行を信用する者などいない。

 銀行というものは、地域に独立した存在ではなく、多くは国際的に為替準備や株式持ち合いをやっており、もしアメリカ大銀行が倒産すれば、その負債は地球を駆けめぐり、あらゆる銀行に深刻な影響を及ぼすのである。
 例えば、日本の四大銀行、とりわけ三菱UFJあたりは、その株式の8割以上を外資が保有し、経営権を握られていると船井幸雄が暴露していた。
 だから、倒産寸前の苦境に立たされているJPモルガンに対して1兆円もの出資ができる、というより、損失を引き受けさせられたわけだ。いわば三菱UFJの日本預金が人質に取られたということで、モルガンの破綻とともに、1兆円の日本資産が消えてゆくのである。

 アメリカでの銀行倒産ラッシュは、いずれ必ず日本に波及し、アメリカで預金封鎖が実施されたなら、数十日で日本でも起きると見るべきである。
 こうなれば、BIS規制によって銀行は店を閉じるしなかい。もちろん貿易為替も不可能になり、たちまち輸出入が途絶えることになる。
 今のところ、IMFのSDR(通貨引き出し権、国際電子マネー)を前提に、そこから銀行が借り入れて存続する計画と思われるが、コモディティ・バスケットという金や資源などの価値を担保として権利が設定される見通しで、日本のように金も資源も持たない国は、SDRは実に小さなものでしかなく、世界最貧国に転落するのが確実で、もちろん輸入産業は壊滅するだろう。

 大衆の生活は大変なことになる。知らないうちに銀行預金が封鎖されて、当座の生活に必要な数十万円程度しか下ろせなくなる。
 それどころか、石油・穀物などにハイパーインフレが発生し、ドルも円も、どんどん価値を失い、やがて、あらゆる現金が紙屑に転落することになる。
 こうなれば、カネでモノを購入できる時代は終わり、当分の間、物々交換が復活するだろう。

 混乱のなかで、米や麦など穀物一食分を単位とする地域通貨が自然発生し、やがて長い時間をかけて秩序が回復することになるのだろう。
 問題は、価値交換の秩序が回復するまで、果たして生き延びることができるのか? ということだ。

 というのも、ドルや円の価値が下落して紙屑に変わるなら、たちまち貿易がストップし、食料が手に入らなくなる。
 今、スーパーを見れば豊富な物資が山積みされているが、こんなものは仕入れが止まれば、わずか一週間で空っぽになるはずだ。
 飲食店も供給不能になり、本当に食べ物が消えてしまうのだ。

 こうなったとき、都会にいたなら地獄だ。筆者のように過疎の田舎にいれば、とりあえず最低限の食物を手に入れるのは可能だと思う。
 だから口を酸っぱくして、備蓄せよ、プランターでもいいから作物を自給せよ、田舎に移住せよ、友と手を携えて農業共同体を構築せよと書き続けてきた。

 人間は、決して一人では生きられない。「人」という字は、二人が互いにもたれ合っている様を表象したもので、まさに人間の本質を表している。
 信頼のおける友と団結して、自給自足体制を造り、この苦境を乗り切らねばならないのだ。
 人と団結できない者は淘汰されるしかない。今の若者に多い「挨拶のできない人」なんてのは、残念ながら生き抜ける資質がないということで、自殺を考えた方がよい。
 まずは、誰にでも明るく挨拶し、互いに手を取り合って、協力、協調する姿勢を示すことが団結の第一歩なのだ。

 通貨の信用が消えてしまった社会で用いられる流通は、最初に物々交換になり、次に食料単位となる。つまり一食分の食事で、これだけの仕事をしてほしいという契約が成立するわけで、それから一食分の食事を単位とした地域通貨が登場し、最後に、信用のおける大規模な組織が、地域を代表して通貨を発行することになる。これが国家レベルの通貨に発展してゆくわけだ。
 こうしたプロセスは法則的なもので、おそらく、どんな社会でも同じ経過をとるであろうことは、民俗学を深く学んできた者なら見当がつく。

 その「信用のおける組織」というものは、優れた指導体制が確立し、生産力の強い農業共同体であろう。
 「仲間と手を携えて自給自足の農業共同体を作る」
 とかけ声をかけても、実際にうまく機能する共同体は非常に限られていて、大恐慌の前から綿密に準備された、例えば「ヤマギシズム」や「癒しの郷」のようなグループに限られるだろう。

 ほとんどの共同体は、出発しても、基本的な挨拶さえできない、学歴を鼻にかけたり、ブランド品を自慢してみたり、利己主義に洗脳された若者たちが中核になったとしても100%失敗するしかない。
 それを牽引、領導するのは、心底から利他主義を身につけた中高年や老人たちである。
 農業に対して深い造詣と長い経験を持った人を軸にして、暖かい心の持ち主が数名集まれば、共同体の中核ができあがる。
 若者たちは、まずは挨拶の仕方から習う必要があり、農作を通じて人間性を磨かねばならない。

 これまで資本主義体制のなかで学ばされてきた、専門性の高い学問など屁理屈にすぎず、ほとんどの場合、現実生活に役に立たない無用の長物なのだ。農作実践のなかで、もう一度、本当の学問を学び直さなければならないだろう。
 作物の育て方、収穫の仕方、保存の仕方、木工・鉄工の技術、医療や介護の知識、現実の生活に必要な、あらゆる知識と学問を、もう一度学び直す必要があり、共同体のなかに学問所を設けて、病気の直し方、椅子の作り方、料理、洗濯、建築など、すべて勉強して真の学問を身につける必要があるだろう。

 どうして若者たちが利己主義に洗脳されて、団結や協調を忘れてしまっているのか? きちんと反省し、問題解決の道筋を確認しなければ決してうまくゆかない。

 こうした農業共同体は、それまでの一夫一婦制家族の常識観念を根底から覆すものになるだろう。
 一夫一婦制家族は、実は、資本主義の要求に応じて作られた制度である。そもそも、男系社会が成立して以来、夫婦は一夫多妻制であった。これが長い歴史のなかで女性の権利拡大とともに一夫一婦制になったわけだが、本当の理由は、企業活動の要請であった。
 すなわち、大きな企業体や工場のなかで、労働者が安心して働き、企業組織に従属するために、一つの目的価値として一夫一婦制家庭の所有、子供の育成の体制を作り出したのだ。
 資本主義企業が成立する前、農村社会にあっては、基本的に共同体社会であり、実質、多夫多妻制といってよいものであった。

 日本においても、実に1960年代まで、西日本の広い地域で、そうした多夫多妻制共同体社会が息づいていた。
 例えば、筆者は30年前に徳山ダム予定地で水没する運命だった徳山村に入って民俗調査した経験がある。
 このとき、土地の飲み屋のママが『毎晩、若い衆が「やらせろ」と忍んでくるので本当に困る』 とこぼしていたのに驚いた。
 実は、徳山など西日本の閉ざされた村では、フリーセックスに近い伝統が息づいており、後家さんが若衆の性教育をする義務があった。それは共同体社会の伝統であった。
 女子は初潮が来れば離れに住まわせ、赤飯を配った。これが「おいで」の合図で、その晩から近所の若衆が娘の元に夜な夜な忍んでくる。これを「夜這い」と呼び、1960年代まで、西日本では、ありふれた習俗だった。

 当然、子供ができるが、お腹が膨らめば、娘は忍んできた若衆のなかから一番気に入った男を夫に指名する権利があった。若衆は、これを拒否することはできなかった。もし拒否すれば、村から叩き出されるほどの指弾を浴びた。 夫指名はお腹の子の種男である必要はなかった。どうせ、生まれた子供は、村の共同体みんなで育てるのであって、誰の子でも構わないのだ。子供は村全体の財産であり、みんなで育てる義務があった。村の共同体では、困ったことは、みんなで相談して解決するのであって、一人でも飢える者を出すことは許されず、餓死するときが来れば、みんなで一緒に餓死したのである。そこには貧しくとも、孤独という苦悩は皆無であった。
 
 やがて若衆が都会に出るようになり、都会の家畜的労働者の習俗を村に持ち帰ることによって、夜這いも廃れ、共同体も瓦解していったが、祭りなどには、そうしたフリーセックスの習慣が遅くまで残り、1980年代まで村の祭りは無礼講であり、どの人妻と寝ても良かった。できた子供が、父親の子である必要があるのは、権力と財産を相続する必要のある名主や武家に限られいて、共同体生活をしてきた民衆には、受け継ぐべき権力も財産もなく、したがって父の子を特定する理由がなかったのである。

 この当時の人間価値観というものは、人間が心から解放された原点にあるもので、人々は利他主義を最大の価値として、生き甲斐として生き抜いてきた。
 「夜這い」にあって、どのような女性に人気が集まったのか? 宮本常一の記録を読めば、男たちに本当に人気があった女性は、今で言う「させ子さん」であった。
 つまり、どんな男が忍んできても、決して拒絶せず、優しく下半身を開いてくれる女性であり、男たちは、その優しさに打たれ、争って妻に求めようとした。
 今では「公衆便所」などと軽蔑される、誰とでも寝る女性こそ、女の鏡であり、もっとも素晴らしい、利他主義の優しい女性であり、それを妻にすることが最大の栄誉だったわけだ。

 今後、都会の若者たちが過疎の田舎に移住して、農業共同体を結成して生き抜こうとするとき、これまでのような見てくれ重視、ブランド重視の愚かしい発想はクソの役にも立たない。
 本当に求められる人間の資質は、利他主義であり、誰に対しても分け隔てのない心優しさであることを知っておくべきだ。

 こうして、資本主義の社会が崩壊し、原始共産的、共同体社会が復活してゆくことになる。
 新しい社会の主役は女性たちである。男どもは、資本主義の古い価値観から容易に醒めることはない。見栄や権力欲、蓄財に憧れ、人間の本質を見失いやすいのだ。
 しかし女性たちは、男と違って、まずは子供を育てやすい社会を望むのである。
 ブランド品やヨン様に夢中になっている馬鹿女性でも、共同体に入れば、あっというまに、仲間と語らって、みんなで子供を育て、いたわり合う楽しさに、価値観が激変してしまうだろう。

 自由な性交が保障された共同体社会では、生まれてくる子供の親を特定できるのは母子しかない。DNA検査など資本主義の価値であって、自分の生んだ子を特定し、生まれた母を特定できる社会では、必ず母系氏族が成立するのである。
 したがって、農業共同体はやがて母系氏族社会に変わってゆくだろう。

 共同体が大きくなると、必要に応じて細胞のように分裂増殖することになる。このとき、女王蜂が分蜂するように、母系家族が独立してゆくはずだ。それぞれの母の氏姓による共同体が増殖してゆくだろう。

 次回は、共同体を支える生産体制について

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