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2009年11月2日 ●大恐慌の本当の意味 その8

カテゴリ : 無題


 

 次に来たるべき、というよりは追いつめられて生き延びるためにやむなく、友と支え合う農業共同体を構築する運命になるわけだが、そのプロセスを少し考えてみたい。

 これを書いている2009年11月上旬の段階で、まだ「大恐慌」という実感さえ湧かない人も少なくないだろうが、一方で就職口を失って、もはや都会での就労を諦めて田舎に帰った人たちも多い。
 大恐慌は最初に弱者を直撃する。一番弱い立場の人たちが最初に追いつめられ、身を守るための方策を実現しないかぎり、残酷な運命が待ちかまえている。

 だが、これは天のシナリオとでもいうべきで、だからこそ、大恐慌の凄惨な嵐の核心に至って、生き延びることができるのは最初にひどい目に遭って逃げ出した弱者だけなのだ。
 弱者を搾取して、左うちわで暮らしてきた強者は、最後までカネが自分を守ってくれると勘違いしたまま、ある日、頼みの綱のカネが紙屑に変わっていることを思い知らされても、もはや遅い。
 金融詐欺師たちが、いつまでもカネの力で贅沢な生活が保障されると思うのは、大きな間違いであり、やがて、すべてのカネも貴金属も、一食を購うことさえできない時代がやってくる。
 それまで踏みにじり、掠め取ってきた弱者の力をアテにすることなど、どうしてできようか? どうして札束とキーボードしか触ったことのない手に農具を持つことなどできようか? それに、共同体で貧乏人と手を組むことなどカネ持ちのプライドが許さないだろう。
 それゆえに、利己主義に邁進してきたカネ持ちたちの運命は、スマトラ大津波で巨大な波濤を見ながら悠々と海辺で見ていた人たちと同じことになるのである。我々は彼らの溺死を目撃することだろう。

 筆者の住む中津川市の田舎でも、最近、目立って若者の姿を見かけることが増えた。農家の子弟は比較的近い豊田市や三河周辺での自動車産業に従事してきた人が多いので、派遣雇用を打ち切られて帰省した若者が増えてきたのだ。
 田舎のある者は、とりあえず帰省して、様子を見ながら景気が回復すれば、再び良い仕事を探そうということだろう。だが、おそらく、そうはならない。

 田畑のある故郷の田舎を持たない都市住民にとっては、毎日、事態が深刻さを増すばかりだ。仕事が見つかっても、それは詐欺的なものだったり、信じられないような劣悪な雇用条件だったりすることが多い。
 筆者も、たまにアルバイトに誘われて行くと、命がいくつあっても足らないようなひどい危険・重労働仕事で逃げ帰ってくることも多い。
 結局、インチキ仕事に引っかかって財産はおろか命をも失うことを思えば、百姓をやれる条件のある若者は、農作に取り組んだ方がマシということになる。

 筆者の場合、農地を取得できないため、なんとか地場産業の木工に活路を開こうと努力しているが、残念ながら、恐ろしく安価な中国・ベトナム・インドネシア木工製品に太刀打ちするのは容易ではなく、先行きは明るくない。
 なんといっても、その実売価格は、我々の取得する原材料価格よりも安い場合が多い。とりわけチークなどの南洋材はそうだ。まるで勝負にならない。何よりも、木工は労働時間で稼ぎ出すものであり、労働単価の安い外国と勝負するのは不可能なのだ。

 世界経済には熱力学エントロピー法則と同じ拡散平均化の法則があり、弱者と強者の格差ポテンシャルは、高い位置の水が低い位置に流れると同じ、埋まる方向にのみ流れるのである。したがって、我々の苦境は、第三世界と先進国の生活格差が埋まらなければ決して解決することはない。
 竹中平蔵は、それが理解できず、あたかも強者がますます富めば弱者が牽引されるかのような詭弁を弄したが、もちろんウソ八百のインチキ理論にすぎない。
 人類と弱者が大恐慌から救われる日は、その格差・差別が埋まった日でしかないのだ。
 低賃金労働の安価な製品に勝てる国家経済は存在しない。まして中国には1億人を超えると噂されるヘイハイズ(黒亥子)無戸籍労働者が奴隷労働を強いられているのである。
 彼らが、我々と同じ人間として遇される日が来るまで、我々もまた苦難が続くのである。

 国際経済の格差社会のなかで、ぬくぬくと先進国座布団に甘えて暖まってきた我々日本人は、この苛酷な嵐のなかで、これまでトクした分だけ損する運命を享受することになる。
 日本から輸出できるものは、すでにない。しかし輸入することもできない。したがって、大恐慌で国際貿易が停止すれば、自給自足以外の道は存在しない。
 我々の運命も、やはり最終的には、どこかで誰かと組んで農業共同体を構築し、自給自足体制にすすむしかないと覚悟すべきである。
 弱者は手を携えて、団結して、この苦難を乗り切るしかないのだ。

 しかし、まだ都市の雇用が完全に崩壊しておらず、職場を追放されて路頭に迷う人が全体の半数に達しないと、なかなか自給自足共同体は実現できないだろう。
 意図的に準備するよりは、追いつめられてやむなく目指すという形しか考えられないからだ。
 筆者は、おそらく年内に、アメリカ金融業界の大崩壊に連鎖して、日本の金融機関も恐るべき連鎖倒産に進み、預金封鎖を行うしかなくなると予想している。
 このとき、本当に食料が消えて、しかも購入するカネも手に入らなくなるだろう。

 さて、このとき、食うために何をすべきか? と焦眉の問題意識が世間に流れ出すことになるが、なかなか、すぐには答えが出ない。
 民主党政権が無事ならば、遊休農地や耕作放棄地を開墾し、農作を行うための大規模な政府施策が実施されることになるはずだが、このとき、民主党がモンサントやカーギルの利権を優先するのか、それとも国民の生活を優先するのか、今の段階では、まだ予断を許さない。

 先見の明のある立派な政治家が主導権を握っていれば、弱者大衆による自治的、自給コロニーの建設援助に進むと思うが、小沢・前原・岡田という人物はロックフェラーと深い関係があり、目先の食料提供を条件に、モンサントなど巨大アグリビジネスと取引する可能性も否定できない。
 赤松農水相は筆者のご町内で、オヤジの代からの知り合いだが、二世議員の本質が権力・名誉欲に支配されていることには変わらないから、期待はしていない。今の農水省施策が、中小零細農民を淘汰し、大規模企業農業の推進に傾いていたのを赤松氏が弱者優先に変更させたという話は、まだ聞いていない。
 こうなれば、日本の農地をアメリカ金融資本に売り渡すような政策が行われるかもしれない。

 例え、政治が弱者滅亡政策を行ったとしても、我々は生き抜く意志によって、それを克服しなければならない。
 農地法を変えるつもりがないならば、我々は団結して共同で、過疎地の山林を取得し、それを開墾して農地を作らなければいけない。
 奥地の山岳地帯は国立公園などに指定されて開発が許されない可能性が強いので、老齢化で見捨てられた耕作放棄地の多い地域を狙うしかない。これを借りて農作を行うのである。

 「農業は、恐ろしく大変な重労働だ」と恐れる人も多いだろうが、実は決してそうではない。
 筆者は、ブラジルで育まれた無農薬・無肥料・無耕起・無除草栽培法について学ぶ機会があった。
 概要を言えば ①自然林の区画のうち三分の二だけを農作地として利用する。 ②そこに10m間隔で50センチ四方の溝を掘る ③溝には小枝などを入れて地クモの生息環境を整える ④90センチ幅の畝幅で30センチ以上の高畝の畑を作る ⑤そこに厚さ10センチの草マルチを敷き詰める ⑥果樹などの自然酵素を入れておく
 こうした農地を5年間放置すれば、好気性バクテリア、光合成菌などによりフカフカの素晴らしい無農薬・無肥料畑になり、連作障害も起きない夢のような農地ができあがる。収量も一般農地と変わらない。

 こうした技術は、数十年に及ぶ研鑽によって育まれたものであり、日本でも故福岡正信氏はじめ、たくさんの実践者がいる。
 この農法の利点は、投入する資材が極端に少なく、自然任せということであり、従来の至れ尽くせり農法に比べると、その手間は十分の一になる。
 この技術を正しく学ぶことができれば、驚くほど軽い労働で自給自足を行うことができる。

 これは一例だが、別に重労働が好きなら、そうした農業を行っても構わない。ただ仲間で団結して、自給自足で生き抜くということだ。
 それに、この農法では、まともな生産が可能になるまで五年以上の歳月が必要になり、過渡的な栽培技術がどうしても求められることになる。

 このような生産体制を確保できれば、あとは共同体が持続可能な力を持つことが大切になる。その解決、核心は、団結力にかかっている。
 すなわち、参画者が問題を起こさずに、協調して一緒に歩んでいけるか? より矛盾の少ない、解放された、思いやりに満ちた暖かい大家族的共同体を構築できるかが鍵になるのだ。

 ヤマギシズムなど先進的共同体では、その核心に思想を据えている。ヤマギシの場合は故山岸巳代蔵氏の思想を、特別講習研鑽会や度々の研鑽会によって、長い対話を保障することで、思想的団結を確保している。
 この思想的一致のない共同体は、うまくゆかないだろう。
 古い資本主義や利己主義の贅沢に憧れる人が主導権を握れば、あっという間に共同体は破壊されるのである。

 筆者は、共同体の思想的核心を「利他主義」に求めるべきだと主張してきた。これは実はヤマギシズムとも同じものだ。
 というより、世界の思想は人の数だけあるわけだが、その本質を整理してゆけば、最後に、たった一つの対立に収斂するのである。
 すなわち、人類の思想の根源であり、それは「利己主義と利他主義」の対立であると考えている。

 マルクス主義も宗教も、すべて、この原理に行き着くことになる。例えば、社会主義労働運動は、労働者の権利を求めて戦ったわけだが、これは利他主義によるものであった。日本では総評労働運動の初期の状態だ。
 だが、やがて労組の利権が確立し、労働運動は労働者団体の利権確保運動へと堕落してゆき、利他主義を忘れて、自分たちが少しでも余分にもらいたいというだけの利己主義運動へと変質させられていった。
 このように、見せかけは利他主義であっても、本質は利己主義という思想運動があれば、その逆もある。
 大切なことは、その思想が、真に社会全体の未来、子供たちの未来を見据えた利他主義に導かれたものであるか? という視点である。

 次回は、共同体における利他思想について

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