スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

利己主義から利他主義へ その10 すべては旧約聖書・ユダヤ教

kyousou3.jpg

 利己主義から利他主義へ その10 すべては旧約聖書・ユダヤ教

 日本は「先進国」だ。だが、どのような理由で先進国になったのか? きちんと説明できる人は少ない。
 筆者は、日本も含めて世界の「先進国」である欧米日が、そうなった理由を探してみて、結局のところ、これらの国家が共通して「競争原理」を適用してきた思想性を持っていることに気づいた。
.
 先に述べたように、「競争原理」こそ、進歩発展のメカニズムである。
 これを信奉する国家では、国民は生まれてから死ぬまで、あらゆる競争に晒され、優れたものに憧れるように教育洗脳されることになる。他人を出し抜いた者がエライのだと・・・。
 人を出し抜いて勝者となり、競争社会からオチコボレた者を馬鹿にして排除し、秀でていると他人から評価されることを目指して邁進するという価値観を共有することで、そうした国家群が地球上で強い利権を確保する支配的勢力となったのは当然のことだ。
.
 だが、忘れてはいけない・・・・こうした「競争原理社会」では、「優れたもの」を獲得したと同時に、必ず対極に「劣ったもの、悲惨なもの」までも副産物として作り出すことになるのだ。
 「世界一」の称号を得るために、「アンタはエライよ」と言われたいために、それと引き換えに失うものが必ず存在することを忘れてはいけない。大いなる豊かさを求めるなら、それは同時に大いなる貧しさをも産み出す。
 それゆえ、「先進社会」にあっては、素晴らしく恵まれた特権階級の「豊かな暮らし」が成立する反面、彼らが侮蔑てきた「後進社会」には決して存在しない、悲惨な貧困階層と人間疎外を産み出すことも避けられないのだ。
.
 「先進社会」を動かす基本法則は弱肉強食、淘汰の原理であり、優越的支配層は豊かで恵まれた生活を謳歌する反面、底辺の大衆は家畜として彼らに奉仕するために飼育・使役される運命をもたらすのである。
 特権階級への奉仕さえできないオチコボレ大衆は、苛酷で悲惨な境遇に追いやられ、淘汰排除される残酷な国家システムが成立することになる。
 例えば、ヒトラーが提唱した優生保護思想、すなわち劣った人たちを「遺伝的悪」と決めつけて排除抹殺する思想は、こうした「先進社会」の避けがたい属性であって、特権者が敬われ、もてはやされる風潮の反作用として、必ず社会的蔑視の末に抹殺するシステムが成立するようになる。
.
 日本では、ライ病者や遺伝障害者がそうであって、彼らの子供たちが、これまで、権力によって、どれほど強制的に抹殺処分されてきたか、その実態を知ったなら読者は驚愕するにちがいない。
 またホームレスや犯罪者、障害者、働けなくなった老人たちを援助しようとする暖かい思想など先進的行政には存在しない。あるのは陳腐な見せかけ、言い逃れの正当化だけであって、その実態は「臭いモノにフタ」、そして放置・餓死・病死・自殺を期待する人情のカケラもない侮蔑的政策に他ならなかった。
.
 我々は、21世紀を迎えても、いまだに一向に改善しない、こうした「先進国行政」の愚劣さ、非人間性、「人間疎外」の理由を突き止めなければならない。
 「いったい、何が間違っていたのだ!」
 資本主義の下で、「自分さえよければよい」という利己主義に導かれて、この社会は発展したが、いまや、それは金融資本の強欲とともに歴史的破綻を起こしたのだ。
 もはや競争原理をもてはやす社会は完全に破滅しているのだ。もうすぐ、競争原理信奉者たちが最期にすがってきた御神体である紙幣は、紙屑になる運命だ。
 そうなって、右往左往しながら地獄を彷徨う前に、子供たちの未来は、どんな思想性をもって切り開くべきなのか、はっきりと理解する必要がある。
 「競争による進化」をもたらした愚かな思想とは、いったい何だったのか? いったい、どこから来たのか? はっきりと見抜くことができなければ、子供たちの明るい未来など作りようがないのだ。
.
 筆者は、若い頃から、すでに40年以上も、こうした間違った社会の本質を見極めようとしてきた。そうして、ある一つの結論にたどり着くことになった。
 この社会を根底から破壊している利己主義や競争原理を、歴史や民族の移動から調べてゆくと、たった一つの思想教典に導かれることが分かった。その正体とは「旧約聖書」であった。
.
 中世から近世、現代へ、地球上で大規模な発展成長を遂げた最初の国家群は、古代エジプト・ギリシア・ローマ帝国を引き継いだハプスブルグ王朝から欧州資本主義国家群だ。
 昨年、リスボン条約によって、EUが統一的な欧州合衆国政府を成立させたのも、その根底には、欧州特権階級の人々に古い統一国家、ローマ帝国・ハプスブルグ王朝に対する憧憬があったからだろう。
.
 こうした国家群の再編成統一が、単に経済利権だけで行われるはずはなく、歴史的経緯からのアイデンティティが存在しなければ絶対に不可能だ。この意味で、EUはローマ帝国の再来であると断言してもよい。
 フリーメーソン・イルミナティと呼ばれる、世界のエスタブリッシュメント、超上流階級の大金持ちたちも、結局のところ、こうした「スグレモノへの憧れ」に突き動かされ、最終的には世界規模の統一政府、大ローマ帝国の再建を夢見ているにちがいない。
.
 かつて世界の先進地だった欧州に、カトリックに敵対したプロテスタントが登場し、ピューリタンと呼ばれた彼らがアメリカ大陸に渡り、合衆国を建設した。
 もちろんアメリカも欧州とのアイデンティティを共有しており、その基盤はキリスト教であった。故に、欧米は一体的な「先進社会」である。
.
 旧約聖書を基礎教典とするのは「世界三大宗教」であるユダヤ教・イスラム教・キリスト教だが、実は欧米におけるカトリックも、そしてプロテスタントも、その本質において、実は決してキリスト教とはいえずユダヤ教に近いものなのだ。
 その証拠に、カトリックはキリスト教といわれながら、実際には、新約聖書を引用することは少なく、ほとんどの教義は旧約聖書に基づいている。
 現在、欧米で性道徳に対する苛酷な倫理規制が進み、性や麻薬を含めて、僅かな人間の過ちを信じられないほど苛酷な刑罰で規制する法の仕組みが実現している。
.
 アメリカでは麻薬を三回摘発されれば終身刑、万引きや売春の微罪で三回起訴されても終身刑だ。
 イエスは、人を苛酷な刑罰で規制せよなどと一言も言っていないが、これらの刑罰苛酷化による警察支配を進めてきたのはキリスト教勢力(共和党)なのだ。
 この思想はイエスの教えによる新約ではなく、人々を苛酷な刑罰によって従わせるように定めた旧約の教えによるものであって、したがって、欧米のキリスト教は、新しい契約を示したイエスではなく、旧約聖書を実現するユダヤ教と同じ本質を持っていることに気づく必要がある。
.
 欧米のキリスト教は、イエスの思想と全く別のものと断言してもよい。イエスは生涯、一度も他人を殺せ、異教徒を排除せよ、キリスト教会に参拝せよなどと言ったことはない。
 ところが欧米キリスト教の歴史は、殺戮教と言ってもよいほど残酷な大虐殺に満ちている。中世カトリックは、十字軍遠征によってイスラム教徒数千万人を虐殺し、さらに魔女狩り摘発により数百万人の罪なき人々を残酷に殺害して回った。プロテスタントも負けていない。ルター・カルビンの凄まじい大虐殺は歴史に名を残した虐殺魔たちの所業にランキング入りしている。
 日本に落とした原爆も、ベトナム戦争の枯葉剤やナパーム弾も、キリスト教の教えに基づいて行われた。
 つまり、キリスト教は断じてイエスの思想ではなく、まさに旧約聖書倫理をキリストの名において強要するユダヤ教に他ならなかったのである。
.
 旧約聖書は、まず女性を差別し、男のための家畜として利用する思想であって、奴隷を容認し、人に差別を持ちこみ増幅させる思想であった。
 そこから、「神に選ばれた」傲慢な選民意識に満ちたユダヤ教が発生し、競争原理と社会の進歩発展を進めていったわけだ。
 我々は、およそ世界の「先進技術」、電気からコンピュータや原子力の大部分、数学・物理化学の基礎理論の大部分がユダヤ教徒によって発見され利用されてきたことを知っている。
 その理由は、彼らが人を競争させ、差別し、利用し、追いつめたからなのだ。
.
 ところが、同じ旧約聖書を聖典とするイスラム教にあっては、ユダヤ・キリスト教ほどの競争原理は持ち込まれなかった。
 基本的に、自然環境の苛酷な砂漠の民に持ち込まれた旧約聖書は、家父長社会を維持することに役だっても、競争原理を持ち込んでも、助け合いの思想なくしては生き延びる条件がなかったからだろう。
 イスラムはユダヤ教のタルムードのような選民主義に向かわず、苛酷な自然のなかで互いに助け合い、支え合う思想として利用するにとどまったのである。
 したがって、競争のないイスラムは「先進社会」にならなかった・
.
 それでは、欧米とならんで「先進社会」を築いた日本ではどうだったのか?
 日本における思想的規範となったのは「神道」と「仏教」だが、仏教は1500年ほど前、秦氏によって朝鮮から持ち込まれたとき、すでに神道と習合していた。
 日本における仏教界は、基本的に、中国の形式が持ち込まれたものだったが、それは、すでに道教との習合だったと言えるだろう。
 むしろ、過去1500年間、日本における思想的規範をリードしてきたのは、神道思想である。
.
 神道とは何か?
 それは、まさしく旧約聖書の体現であり、ユダヤ教の日本版と断言してもよい。その証拠、神道の公式マークであるカゴメ紋こそ、ユダヤ教のマークである「ダビデの星」 六芒星であることに端的に象徴されている。
 これまでも、これからも、神道とユダヤ教が同じものであることを機会を捉えて証明してゆきたいと考えているが、具体的な証拠は、あまりに多すぎるので、別の機会に譲ろう。
.
 その核心的エッセンスは、神道も女性差別を原理とした、差別の重層的社会を構築することを目的としていることだ。
 神道思想に導かれた日本社会も、またローマ帝国以来の欧州と同じように競争原理に支配された社会であり、みんなが助け合って平等な社会を作るのではなく、選ばれた特権階級というゴールがあって、人々は、そこを目指して競争する仕組みが成立してきたということだ。
.
 日本社会にあっては、「スグレ主義」が人々の価値観を支配し続けてきた。
 人は「優れたモノ」目指して、全身全霊で突き進んでいかねばならないとされた。
 みんな同じように、特権階級のゴール目指して全力でかけっこをするように強要され、オチコボレは馬鹿にされ、排除され、ときに殺害されてきたのである。
 こうした価値観は、今や、50年前よりも、はるかに激しいものになっていて、若者たちの選民への憧れは強烈で、逆に、弱者オチコボレに対する蔑視、排除も苛酷さを増している。
 まさに、旧約の競争原理、選民思想が日本社会にあって究極の結実をなしているといわねばならない。
.
 人が、自分自身を見つめ、人を愛し、無理なくゆっくりと歩むことを許さない社会、家畜のように管理され、追い立てられ、息を切らして倒れたなら、後ろから殴り倒され、屠殺場に投げ捨てられる社会がやってきた。
 まさに、旧約聖書の理想が実現し、社会は究極の利己主義社会となっているのだ。
プロフィール

tokaiama

Author:tokaiama
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ブロとも一覧

また、あした♡

~卓球・日本式ペンの繁栄~Byベル
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。