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 ベトナム戦争と私 その3

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 ベトナム戦争は、遠く離れた他国の戦争ではあったが、我々、日本人に与えた影響は巨大なものであった。

 1970年前後の若者文化は、ベトナム戦争の影響と切り離して考えることなどできない。
 岡林信康・高石友也・高田渡・ジョーンバエズ・PPMなど、日本と世界のフォークソングは、ベトナム戦争に対する憤りと、人間性の回復、人間に本当に必要な価値観を考えさせるメッセージソングばかりであった。

 当時は、まだ報道も健全だったので、世界中から、岡村昭彦・本多勝一のような優れたジャーナリストが命を省みずに地獄の戦場に潜入し、生々しいルポルタージュ報道を展開した。
 これらの報道を、我々は、ダイレクトに受け止め、激しく心を揺さぶられ、その残酷さに心を痛めつけられた。
 何もできない我々は、唇を噛んで激しく憤る以外の手段はなく、街頭に出て大声で叫んだ。「アメリカよ、罪なき民衆を殺すな!」

 80年代に入って、こうした人々の内的進化に対し危機感を抱いたCIAが日本芸能界にも介入し、芸能界における左傾化、というより人間性回復運動ともいうべきメッセージソングの傾向を、政治性からかけ離れた恋愛ものに変えてゆくことで、若者たちから怒りのメッセージを奪い、軽薄な営利目的の芸能に変えていった。

 信じられないだろうが、今では不滅の名曲とされる、なごり雪や、神田川も実は、CIAが若者たちを政治への関心から引き離し、恋愛などに変えて洗脳してゆくための文化的操作だったといわれる。
 日本の若者たちを政治への関心と、ベトナム反戦運動から引き剥がす文化的な洗脳工作が行われたのである。

 今はネットから削除されてしまったが、CIAが岡林や高田、高石らを/営利芸能界から追放して、イルカらに変えていったことが書かれている戦後芸能史のサイトがあり、それを読んだ我々を驚愕させたが、数年前まで閲覧可能であったものの、今では、この種の秘密暴露サイトは、CIAや手先の電通によって一掃されている。

 政治性のあるメッセージソング、はすべて、テレビや舞台などから追放され、イルカやかぐや姫、伊勢正三などの、当たり障りの良い、非政治的なものに変えさせていったのである。
 私は最初、信じられなかったが、やがて経過を思い浮かべれば、「なるほど……」と思うしかなかった。

 ベトナム戦争への憤りを共有して、激しい議論、コミュニケーションを重ねた時代が1970年代だとすれば、80年代に入って、日本経済は上昇し、バブルが始まっていた。
 バブル時代の価値観といえば、金儲け一筋、ただ金儲けのためだけに労働者は、資本の奴隷として経営者に奉仕する思想が要求された。
 労働者は、もはや人間ではなく、金を生み出す道具にすぎなくなった。

 記憶しているのは、国立駅前に、お立ち台を作って、営業マンが、朝から自分がどれほど会社の役に立っていなかったかを大声で懺悔されられていて、本当に気の毒で仕方がなかった。
 また、ここまで悲惨な奴隷となってまで企業戦士と言われたいのかと、あきれた。
 私なら、そんな人を人とも思わぬような奴隷告白を命令した上司を思い切り殴り倒して、すぐに解雇されることだろう。
 どうすると、そこまで主体性のない馬鹿になれるのか、不思議で仕方なかった。

 何もかも、金儲けだけが唯一の価値観であり、芸能も文芸も、ありとあらゆるものが落ち着いた、生活の楽しさを踏み潰して、「金を儲けねば人間に非ず」のような愚劣極まりない時代がやってきた。
 豊田商事のような詐欺師が暗躍する時代になった。
 私は、彼らの洗脳された価値観に同調するつもりは、まったくなくて、金儲けにひた走る愚かな連中を横目で軽蔑して、山登りばかりに夢中になっていた。

 ベトナムのあの悲惨に同情し、激しく憤った仲間たちは、どこへ行ってしまったのだ?
 バブル時代、それは、私の人生のなかで、もっとも暗い、不愉快で、嫌な時代だった。
 金儲けに奔走する愚か者たちの価値観に押し潰される毎日。実りのない過酷な労働を強いられ、酒と風俗に入り浸って、あの人間解放の息吹など、遠い異国の妄想にすぎなかったようにさえ思えた。

 何一つ、いい思い出のない長い長い時間の浪費、バブル時代の価値観のなかで、私は孤立し、女性たちにも相手にされないから結婚もできず、飲んだくれ、ふて腐れて、性欲を風俗で満たし、実りなき無意味な時間を過ごした。
 唯一の救いは、タウンエースを改造して泊りながら、日本全国の山登りに出かけたくらいか。90年には、日本百名山を完登することができた。

 それから1997年、長銀や山一証券の倒産を契機に、日本はバブル崩壊後の暗い陰惨な時代に突入していった。
 
[ベトナム戦争と韓国]

 アメリカは1970年代、ベトナム戦争による、あまりの被害の凄まじさに怯え、国内の反戦運動、反徴兵運動の圧力もあって、アメリカの青年を徴兵して、ベトナムの地獄に送り込むことに及び腰になった。
 ベトナム派兵の主力は、韓国兵になったのである。

http://www.asahi.com/international/history/chapter08/02.html

 朴正熙は、クーデターで、李承晩を追放すると、1961年、渡米してケネディ大統領に援助を求め、交換条件として、ベトナムへの韓国兵派兵を進言した。
 64年から73年まで、実に32万人をベトナムに兵士として送り込んだ。これは、アメリカがベトナム戦争期間中に送り込んだ兵士の総数、55万人の半数近い。

 派兵される韓国兵には、大きな特典が付与された。ベトナム戦争に参戦すれば、アメリカの市民権を与えられたのである。
 韓国では、国家が国民を平然と虐殺する韓国の体質に怯え、なんとか韓国を脱出して日本やアメリカに渡航したいと願う若者が非常に多かった。
 そこで、恐怖のベトナムの先に、アメリカ永住権をちらつかされて、多くの若者が喜んで派兵に応じた。

 アメリカのコリアンタウン、韓国人居住区が成立したのは1965年であり、その規模は、現在では200万人に達している。65年以前は、数万人程度でしかなかった。
 日本のアメリカ移民が、1890年頃から130年の歴史で、120万人しかいないことを考えれば、韓国のアメリカ移民数の異常な多さは、ベトナム戦争と切り離して考えることができない。
 アメリカのコリアンタウンは、まさしくベトナム戦争によって成立したのである。

 派兵された韓国兵の多くは、ベトナム住民、とりわけ婦女子など弱者に対し、法外に荒っぽい仕打ちを行い、虐殺と強姦を繰り返した。
 韓国兵の虐殺趣味によって殺されたベトナム人の多くは婦女子で、総数は1万人を大きく超えているといわれる。
 米兵によるソンミ村事件の比ではない。

  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-378.html

 これらの事件は隠蔽され、世界に知られるのは、1990年代に入ってからであった。
 虐殺の主体になったのは、全斗煥や盧泰愚率いる猛虎師団や白馬師団など、韓国軍の中核的精鋭であり、後に師団長は、二人とも大統領に上り詰めた。

 ベトナムに派兵された元兵士たちは、99年のハンギョレ新聞による告発に対し、ハンギョレ社を襲撃し、内部を破壊し、編集員たちを負傷されたが、ベトナムでの暴虐に対しては、一切反省を見せず「あれは戦争だったのだから仕方がない」という言い訳に終始した。

 ベトナムでは、韓国兵によって強姦されて出生したライタイハンと呼ばれる混血児も数万人に上るといわれるが、韓国は口をつぐんだままで補償にも一切応じていない。
 その後、ベトナム女性を韓国に嫁として迎える機運があったが、ベトナム政府は、韓国人によるベトナム女性への深刻な暴力、傲慢な対応を知って、これを禁止した。

 韓国人によるベトナム婦女子大虐殺、大強姦は、日本による南京事件大虐殺と同様、民族的なカルマを作り出すものであり、韓国人が、これを正式に謝罪し、補償する日が来るまで、韓国は自らの論理によって、自らを呪縛する自業自得のカルマに陥ることになり、実際にそうなっている。

 韓国の凄まじい独善、利己主義、自己正当化の性癖は、このような事件の積み重ねで、一切反省しないことから、どんどんひどくなり、人類全体からの信用を毀損しているのである。
 日本政府は、南京事件や三光作戦を、形の上で自己批判しており、このような姿勢が、国民的カルマを軽減してゆくことになる。
 「南京事件は存在しない」と強弁する右翼は、韓国人と同じ道を歩んでいると知るべきである。

 

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