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因果応報

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 古代宗教、わけても古代インド仏教の教えの根幹にある原理が「因果応報」である。
 初期の教典であるスッタニパータには、因縁=縁起と果報を中心に書かれているが。すなわち、この世の原理が因果応報であることを示している。

 原因があって、結果がある。あらゆる事物現象は、原因と結果の連綿とした必然の流れのなかに存在している。
 すべては必然であり、因と果しか存在しない。因果の法則を見極めることが「知る」ということである。

 私が、六十数年の人生を俯瞰し、決算してみても、あらゆる記憶、経験の抽象に現れる真理こそ「因果応報」である。
 もっとも、私は、若い頃から弁証法に関心をもって読みあさり、精神が分裂しそうになるほど夢中になって、宇宙の根源法則を知ろうとした。
 たまたま、弁証法によって見いだした根源法則と、釈迦の言葉が同じであったにすぎない。

 釈迦以来、仏教における真理探究者が得られる結論は、すべて因果応報であり、すなわち人生は「与えたものが還ってくる」という真理である。
 弁証法哲学者が見いだした結論だって、ほぼ同じようなものだ。一緒にならなければ宇宙の根源法則であるはずがないのだ。

 因果応報という大真理の本当の理由を考えると、我々が現実=実在であると信じている対象的世界は、本当は、心の生み出した幻に過ぎないかもしれない、という疑問に行き当たる。

 宜保愛子や江原啓之が示してくれた霊界の真相も、結局、霊界が心の作用である想念の世界であり、意思が結実する世界であるとし、すなわち、実は何もかも、心の生み出した幻の実在であることを知るのである。

 それじゃ、心の作用は、いったい、どこから生まれるのか? 物質的肉体としての脳の作用だろうが! とチャチャを入れたくなるのは当然だが、誰も、このあたりのメカニズムを語ってくれない。
 「我思う、ゆえに我あり」とデカルトが決めつけるのみである。
 デカルトも、物質的実在が正義と考える唯物論者であった。

 観念論者であるヘーゲルは、宇宙生成の原理に「イデー」=絶対精神という抽象を持ってきた。
 宇宙の始まりに「意思」=絶対精神があったというのである。意思によって物質的実在が成立した。なんとなく、これは旧約聖書の創世記のために書かれたような気もする。

 このあたりの理屈になると、毎晩、私が1時間程度で書いてるようなブログの中身を飛び越えて、山の中に入って一ヶ月も断食しながら思索を続けて見いだすべき真理を書かねばならないのだが、あいにく、そんなヒマはない。
 まずは、最初に意思があったという奇っ怪な真理を素直に受け入れておかないと、本当に書きたい因果応報の意味も書けないことになる。でなければ、霊界の存在を説明できないのだ。

 この世にも霊界にも、絶対的存在など皆無であり、存在するのは想念であり、ただ意思によってリアルな物質世界が成立し、制御されて持続する。
 死ねば、人は物質的肉体の束縛を離れて自由自在に思うところにゆくことができる。

 死ななくとも、千日回峰行の四無行(9日間断水断食不眠不臥)を行っている行者の意識は肉体を離れて彷徨い歩くのだという。
 酒井雄哉は、アメリカの都市の上空を飛行して、屋根の形もはっきりと見えたと語っている。

 先日他界した実父も、死ぬ半月ほど前、関西の寺にいる姉の夢に出てきて、自分が彼岸前に死ぬことを語り、死後、再び来て葬儀の礼を言っていったという。
 実は、私も、若い頃から幽体離脱を何度も経験しているから、こうしたことが夢物語でなく、リアルな現実として、よく分かるのだ。

 物質的存在でない、精神的存在として、意思を伝え、物質界を俯瞰することができるなら、論理的必然として。間違いなく我々は想念の世界に生きていると断定してもよい。
 もし、それが事実なら、いったい何のために? どんな理由で、そんなことになっていいるのだ?

 そこで、冒頭の「因果応報」の本当の意味に立ち返る。

 この世界は、自分の心が生み出した幻であり、茶番であり、精神的演劇なのである。ある原因を与えれば相応の結果が生み出され物質化するのであるから、この世界における行幸も幸運も、あらゆる喜びも、悪行も、不幸も、悲しみも何もかも、自分の心が作り出したものである。

 こうした因果の流れは、「カルマ」とも呼ばれている。我々のやること、なすこと、あらゆる人生の局面は、自分の心が作り出した幻想=妄想にすぎないが、なぜ、そんな世界を作り出すかという理由については、「カルマ」が深く関係している。

 我々の人生は、決して、今ある人生だけでなく、数万年にわたる数百数千の過去生と関係しているとも言われる。
 誰でもたくさんの人生経験を抱えている。新しい人生の理由は、過去生でのカルマ=因縁を解消して、より合理的な人生観を確認するためである。

 ヘーゲル 「人は[合理性]を根拠として、螺旋状に上昇してイデーに近づき、やがて同化してゆく。」

 人生の目的は絶対精神=神に近づき、同化することだという。次々に過去生のカルマを克服するための新しい人生を作り出し、すべてのカルマが解消し、絶対精神に同化するとき、人の個性、存在は存在理由を失って消えてゆく。

 相当抽象的な文章になってしまったが、私が本当に書きたかったことは、因果応報であり、それは、あらゆる運命を自分自身が生み出しているという本質である。

 人生とは、与えたものが還ってくるプロセス。 江原啓之

 他人に与えたものしか還ってこない。
 もの凄く有能な超大金持ちが、若者たちを低賃金と過酷な重労働で搾取し、自分のあらゆる欲望を満たす成功者となったなら、彼には、何が還ってくるのだろう。

 たぶん、憎悪と妬み、人間不信、苦悩、ということになるだろう。それを他人に与え続けた人生なのだから、還ってくるものは憎悪しかない。
 つまり、人々の憎悪、苦痛、不幸、貧乏の苦しみを成功者は背負って、誰からも嫌われる孤独のなかで死んでゆかねばならない。
 その行き先を「地獄」と呼んでいる。

 これが「因果応報」の本当の意味である。
 彼は、利己主義的成功によって負った巨大なカルマを、来生に解消しなければならないが、それも苦難に満ちた遠い遠い地獄の道になるだろう。

 これに対して、貧しくとも人に愛を与え続けた優しい心根の人は、どうなるのだろう?
 その人が笑顔で接してくれて、周囲のあらゆる人々が癒やされ、優しさと温かさが社会全体に伝播してゆくような人生。

 そんな人を、人々は強く求め、魅入られ、愛し、いつでも自分の近くにいてほしいと願い、みんなの人生の模範となって、社会をより住みやすいものに変えてゆく大きな光になる。

 これも因果応報である。

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