FC2ブログ

Entries

 ゴーンの失脚

カテゴリ : 未分類
 11月19日、日産自動車・三菱自動車・ルノーの三者CEO兼務であるカルロス・ゴーンが東京地検特捜部によって逮捕された。
 容疑は、有価証券報告書に、自らの収入が100億円であったにもかかわらず、半分の50億円であると虚偽記載し、さらに、日産から私的な目的での資金引き出しを行った背任の疑いというものである。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37939890Z11C18A1MM8000/

 私が、このニュースを聞いて、最初に思ったのは、日本の「ことなかれ集団経営」に対し、強欲で強権の独裁的人物が介入し、組織を率いて経営を立て直した。
 しかし、強欲のスケールが日本的風土の限界を超えるものだったので、他の役員が驚いて、相談して追い出しを図ったという構図に見えた。

 実際、ゴーンは、他の取締役に配分されるべき役員報酬まで、独裁権力によって私物化し、独占しようとした事実が報道されており、これでは、いくら、事なかれ主義の日産役員でも、追い出しを画策するのは必然であった。
 自分たちの組織における利権をゴーンに独り占めされそうになった経営陣が、大慌てで「検察との司法取引」を利用して、ゴーン追放を画策し、利権を守ろうとしたというのが、この問題の本質であろう。

https://mainichi.jp/articles/20181121/k00/00m/040/188000c

 そもそも、ゴーンは、本当に日産を立て直す救世主だったのか?

 聞こえてくるのは、終身雇用=情実経営の風土を引きずる日産の経営体質に対し、日本人には絶対にできない姿勢で、一切の情実を排除し、血も涙もない合理化を断行した結果、業績は見かけ上向上したが、企業体制を維持したものの、その本質はゴーンが、日産を利用して、自分の利権を構築することにすぎなかったというものである。

https://mainichi.jp/articles/20181120/k00/00m/040/103000c

 そもそも、日産の経営は、スカイラインを軸にした、旧プリンス自動車を1966年に吸収し、桜井真一郎による斬新な開発の続いた時代には、日の出の勢いであったが、それが、傾き始めたのは、「日産トロイカ」と呼ばれた、会長・社長・労組委員長による、権利の独占、もたれあい体制が発足した1980年台で、つまり、組織全体が、事なかれ経営によって活力を失っていった、典型的な組織主義崩壊と私には見える。

https://matome.naver.jp/odai/2149286697612768501

 労組が企業経営に介入し、権力をふるうようになった例は、日産以外にも、たくさんあるが、問題の本質は、中間管理職より上の組織管理的立場にある者たちが、自分たちの利権を固定し、甘い汁を吸い続け、ぬくぬくとした座布団の上で官僚化していったことにより、自由闊達な創造の息吹が抑えられ、大胆な変革や、新しいリスクを伴う事業を画策しても、組織官僚たちによって、よってたかって因縁をつけられ、叩かれてしまう日本型経営組織の愚かさにあるのだろう。

 組織の硬直と腐敗いう事例は、私も腐るほど経験してきた。私の経験で、「これはひどい」と感じたのは近鉄である。私が関係した当時は、野茂英雄が近鉄球団から追放された頃で、近鉄の古すぎる経営体質に対して激しく憤ったものだ。
 近鉄に限らず、私の見知った限りの日本型企業組織では、ほぼすべての組織で、長年の経営安定の上に、強固な年功序列秩序や、管理職による支配体制が確立し、新しいアイデアや、合理的な改革が悉く押さえつけられ、管理職たちの事なかれ主義の前に失われていった。
 こうした愚かな組織主義の結果、日本を支えた弱電企業、東芝が崩壊の危機に直面しているのは、周知の事実である。

 日産とゴーンの関係は、まさに、この種の組織主義対、独裁主義によるバッティングであり、そこには、底辺の現場で生活を営んできた数十万の労働者たちへの思いやりや、責任感は微塵もない。
 企業と自分の利権を守るためには、底辺で日産を支え続けてきた労働者たちが、生活の糧を失おうが、困窮しようが何の興味もない。ただ強権と強欲だけの人物がゴーンであり、ゴーンを追放した経営陣だって同じであろう。
 ゴーンに報酬配分を握られて、利権を奪われた役員たちも、自分たちの取り分が失われるのでなければ、今回のような司法取引逮捕追放劇は起こさなかっただろう。

 もう一つの動機としては、ゴーンの独裁は、日産が1933年以来積み上げてきた自動車産業としての技術的矜持を、マクロン=ゴーン体制が、根底から崩壊させようとしていたことがあげられる。

https://www.sankei.com/world/news/181002/wor1810020013-n1.html

 ゴーンは、マクロン=ルノーの意向を受けて、日産を電気自動車オンリー企業に変身させようと画策していた。
 歴史的なガソリンエンジン部門は、ルノーに残し、日産を中国企業なみの低レベル生産工場に変えるという方針がゴーンによって示されていた。

 これは、日産90年の歴史的土台の上に築き上げられていた技術者、関係者たちのプライドを根底から崩壊させるもので、およそ日産自動車に愛着、郷愁を抱いていた社員たちを激高させていた。

 ゴーンなら、情け容赦なく、何の躊躇もなく、金儲けのために日産を世界の三流メーカーに転落させる経営改革を平然と行うだろう。
 ゴーンを一刻も早く追放しなければ、歴史的な日産の伝統、プライドが完全に失われ、人材も消えてしまうという強い危機感が、今回の強硬な追放劇になったと、私は社長の記者会見を聞いていて思った。

 別に日産の肩を持つわけではなく、日産にかつての姿を取り戻して欲しいと思うわけではないが、マクロン=ゴーンによる、日産という巨大企業の私物化、そしてあらゆる利権をルノーに貢がせ、あまつさえ、ルノーには技術プライドを残すが、日産のそれは消し去ってしまうという発想では、日産にかかわる、すべての人々が憤るのは、ごく自然な結果であって、ゴーンは、本当に「日産のプライド」を完全に敵に回してしまった結果、経営クーデターによって追放されたのである。

 私の考えでは、日産のような巨大組織は、東芝と同じで、今後の人間社会にとっては有害無益でしかない。
日産・三菱・ルノー連合の正体は、実は技術上、経営上の問題ではなく、国際金融資本が、利権をかすめ取るために必要な体制であった。
 マクロンという人物は、国際金融資本=ユダヤ企業の代理人であり、世界中の金をすべて奪い、国際金融資本に集中させることが行動目的であって、いわゆる「国家独占資本段階」の資本主義の究極、自滅の最期の形態である「金のお化け」を作り出すことしか頭にない人物である。

 こうした「国家独占資本」の形態は、人間社会のあるべき姿とは真正面から衝突するものであり、人類の未来にとっては、合理性と対極にあるものだ。
 それは、自滅しなければならない。

 地球上のすべての人々は、集中した権力、資金と、その強欲姿勢に対しうんざりし、激しく憤っている。
 そうした大多数の人々の意思は、必ず実現するのであり、ヨハネ黙示録における究極の奴隷社会が登場したとしても、人々は、決してそれを容認しない。

 そもそも、世界を一極支配するマクロンらユダヤ人の発想の根底には、ユダヤ教における旧約聖書の預言=神との契約実現と、「ユダヤ人だけが神に選ばれた人間 」であって、他のすべての人々は、彼らに奉仕するための家畜=ゴイムにすぎない、とタルムードに描かれたユダヤ人世界を実現することを幼いうちからすり込まれて、人生を捧げているものであって、今回の日産の姿も、そうしたタルムード価値観の立場から見れば、容易に推移が理解できるものである。

 旧約聖書とタルムードを知らなければ、日産と日本社会が今後どうなるかも予想できないのである。

Appendix

プロフィール

tokaiama

Author:tokaiama
ツイッターのアカウントは、原発運転による健康被害をとりあげた途端に永久凍結されました

最新記事

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
その他
3位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
3位
アクセスランキングを見る>>

カレンダー

10 | 2018/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

アクセスカウンター

アクセス数