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 心のエントロピー

カテゴリ : 未分類

 エントロピーという概念を、学問的に調べようとすると、ずいぶん難しいことが書いてあって、理解するには骨が折れるし、私の年齢になると、もうこの種の論理に頭がついてゆけない。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%94%E3%83%BC

 これは、去年の夏前に書いた私のブログで、私なりにエントロピーを理解しようとすると、こうした理屈に単純化して覚えるしかない。

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-385.html

 簡単にいえば、この世に差分があれば、それを埋める力=ポテンシャルが働くということで、森羅万象に、この原理が適用できる普遍的法則である。

 私は、もう数十年も前から、何度も「経済エントロピー」について書いてきた。
 人間社会に格差が存在すれば、必ず、それを埋めようとする力が働き、やがて格差が埋まる方向のみに時間が進んでゆく。

 もちろん、一時的な現象として、格差が拡大し、悪化することもあるのだが、これは、弁証法という最高の形而上学の分析によれば、この世の矛盾、差分というものは、行ったり来たりしながら、らせん状に少しずつ、それを解消し、上昇してゆくものであって、いきなり矛盾が止揚されるのではなく、「一歩後退二歩前進」の形式を経ると、たくさんの哲学者が指摘している。

 だが、この世に矛盾あるかぎり、それは必ず止揚され、合理的な方向にのみ歴史は進み、いつかやがて「絶対精神」(イデー=God)という完全無欠の存在になってゆくのだと、ヘーゲルが書いている。

 一人の人間も、肉体的存在としては、たかが数十年、長くとも100年そこそこの弱い生命体なのだが、人間の本質=本当の精神的存在としては、宇宙誕生から滅亡まで存在を続けていて、延々と合理性を求めて輪廻転生を繰り返して、少しずつ進歩し、やがてイデーに到達するのだと、これも多くの人たち、釈迦も、たぶんキリストも指摘している。

 つまり、一人の人間の死は肉体の死にすぎなくて、心が死ぬわけではない。魂は生き続け、輪廻転生を繰り返すたびに、前世、過去性のカルマを少しずつ解消して、絶対精神に向けてらせん状に上昇してゆくというわけである。

 こういう考え方をすると、「この人生は、この肉体限り」という脅迫が、強い焦りを生んで、「生きてるうちに、他人を出し抜いて金儲けしなければ、強い権力を得なければ」という狭い価値観に捕らわれていることが、どれほど愚かなことか理解することができる。

 自分という存在は、以前の人生から未来の人生に至るプロセスの一角に存在するにすぎず、大切なことは、自分の過去生におけるカルマと、どう向き合ってゆくかということだと分かるのである。
 セレブや権力者など、何の魅力もない、本当に魅力があるのは、強欲や執着を捨てた身軽な人々であることを思い知らされるのだ。

 経済エントロピーという考え方も、30年前の中国と日本の立場が、今になって逆転していて、昔、貧乏だった中国の人たちが、豊かな日本人に憧れて、金を儲けるようになり、表面的な「豊かさ」という意味では、すでに日本を逆転してしまっている。
 しかし、追い抜かされて焦りを感じている人は少ないだろう。その理由は、中国人一般の精神性が、日本人を本当に上回っているとはとても思えないことであり、ゼニカネの尺度ではなく、「心の豊かさ」という尺度を用いれば、日本人は、まだ世界に対して焦りを感じるような段階ではない。

 むしろ、現在、温泉地の旅館を予約するのも大変なほど、外国人が日本観光に殺到している本当の理由も、日本人の心の豊かさに憧れてというあたりが真実なのだろう。

 今の日本を支配する自民党の政治家たちや、若手の世襲議員たちは、実に心の貧しい愚か者ばかりが揃っていて、不愉快千万なのだが、戦後70年間、精神的な快適性を追求してきた日本人、他人に奉仕することに喜びを感じられる心の持ち方、愚かな争いを避けることのできる日本人の精神性という意味では、世界中の人々を憧れさせるものがあるということだ。

 この意味で、「心のエントロピー」という概念を我々は知る必要があるように思える。
 日本人の懐は、安倍晋三のせいで貧しくなったが、心は決して貧しくない。毎日、モーニングショーに、不届き者、不心得者の特集ばかり満載ではあるが、実は、世界のレベルを考えると、これでも、日本人の心は、とても豊かなのである。
 世界は、日本人に対し、劣等感を抱き、この心の差分を埋めようとして、日本に押しかけてきていると考えられなくもない。

 だが、こうして日本精神に外国人が身近に触れて、日本人が培ってきた「心の安定」の本当の意味を理解するようになれば、やがて、心のエントロピーも埋まってゆくのだろう。

 私は、日本人の心の奥底にある「思いやり=やさしさ」という至高の価値が、安倍晋三ら自民党によって、日々浸食され、心まで貧しくさせられている現実に、とても深刻な危機感を抱いている。
 人の心をかき乱し、心の安定が許せないように破壊しているのが安倍政権である。
 安倍政権になって、恐ろしいほどのイジメ=人間疎外が進んでいる。とりわけ、我が子殺しの激増を見て、なんともいえない焦燥を抱いている。

 私は結婚したこともなく、子供もいないが、もし、いたなら、人生がどれほど豊かになるだろうかと憧れるのだが、もう遅い。
 せめて、若い人たちが、子供を育て、社会の未来を子供たちのために、よきものに変えてゆける価値観=姿勢を持って欲しいと考えている。
 まともな人間性というのは、子供たちの未来を確保する人のことを言うのだ。

 私には、とてつもなくひどいストーカーがついていて、連日、悪意に満ちた嫌がらせを書き込んで、私を殺人犯と罵ってみたり、引きこもり浮浪者と決めつけてみたり、なんとかして私を落ち込ませたくて仕方がない愚劣を絵に描いたような嫌がらせの意思が鮮明に見えるのだが、この人物を調べてゆくと、引きこもり障害者であることが判明したため、100回分くらいの殺意も失われてしまった。
 嫌がらせの動機が、私に対する恐ろしいほどのコンプレックス=妬みだと分かったからだ。同時に、彼の置かれた凄まじい人間崩壊の環境を思いやるしかない。

 こんな人物が出てくるのも、親兄弟や周囲から疎まれ、人間性を矮小化させられてきた環境のなかに生きてくるしかなかったからで、肉体や心の障害の結実が、この嫌がらせであると理解している。
 心の貧しい環境にいれば、どんな人でも、貧しく愚かになってゆく。我々日本人が、豊かな精神性を誇っていられるのも、ゼニカネではない心の本当の豊かさを求めてきた先人たちの努力の結果である。

 何が、人々の心を豊かにしてきたのか?
 私は、この十数年、それを考えてきたのだが、比叡山の千日回峰行を見ていて、これが京都の人々の精神性に、どれほど巨大な影響を与えてきたのかを想像した。
 千日回峰行者の存在こそが、京都という巨大な精神集団を支えてきたのだと確信した。

 私は、全国に数万ある寺の役割、鎌倉仏教の一つの到達点であるとも理解している。
 今から800年前に比叡山で学んだ若き僧たちが、全国に散って、釈迦の思想性を説いて回った。目先の欲望に捕らわれる浅はかな人生ではなく、過去生から来生に至るカルマの流れによって人生を説明してきた。
 地域社会に10万もの寺を建設し、その講中に集まった住民たちに、因果応報の本質を教えて、人生観の安定を生み出してきた。
 最澄・空海らの努力が、巡り巡って、今の心豊かな日本を生み出してきた。

 しかし、それらの宗教的形象は、今や多くが崩壊の瀬戸際に立たされている。
 同じように、キリストの愛を教えようとしたカトリックが、今や恐ろしい終焉を迎えようとしていて、「宗教の時代」そものが、終焉を迎えようとしているのかもしれない。
 これからは、宗教の立場からの「心の豊かさ」ではなく、一人一人の個人の哲学としての人生観を問うてゆく時代に入ってゆくのだろう。

 京都に千日回峰があるとすれば、私の若き時代には、小西政継や植村直己がいた。彼らの勇気が、日本人に与えたものは巨大だと私は思う。

 私は、心のエントロピーを埋めてゆくための道具として、新しい哲学の再興が必要なのではないかと考えている。
 このとき、千日回峰行や小西・植村らの冒険登山に匹敵するような、若者を吸着してやまない何かが求められていると思う。



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