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 弁証法 追記

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 「弁証法的世界観」と昨日のブログに書いたが、ほぼ無反応だった。
 私の若い頃は、弁証法と聞けば、「この世の究極の真理」を理解する糸口として、満身の興味を示したものだ。だが、今の若者は、弁証法について、ほとんど何の興味も示さない。PS4あたりのゲーム攻略法の方が大切なのだ。

 60歳以上の人たちなら、若い頃、「弁証法って何だろう?」と好奇心から耳目を傾けたものだが、とりわけ40歳以下の人たちにとっては、他に興味のあるものが多すぎて、訳の分からない昔の難解な屁理屈なんて就職の選択に何の関係もないし、生きてゆく上でも、どうだってよいいのだ。
 今では、弁証法が理解できなくとも、大学の文系で博士号を取得できるのである。

 なぜ、こうなってしまったか?
 1970年代あたりまで、日本のアカデミズム(学問界)には、マルクス主義学者がゴロゴロいて弁証法は基礎教養に位置づけられ、研究運動も盛んだったのだが、このような現状に対し「国際勝共連合」の岸信介・中曽根康弘や谷口雅春(生長の家創始者)らが危機感を抱き、マルクスの体系化した唯物弁証法を社会から追放する運動を始めた。
 唯物弁証法という理論があると神仏の価値が失われるため、非常に困る宗教界を中心に、反マルクス主義の日本会議が結成され、自民党保守を社会の主役にする思想運動を始めた。

 韓国の統一教会などは、教祖の文鮮明が、ヘーゲル弁証法を土台に若者たちを洗脳する教義を生み出していて、マルクスを仇敵に見なして、社会主義・共産主義の傾向のある理論を片っ端から封殺していった。
 学問界から唯物弁証法が追放され、それを研究することが就職などに不利になるような環境を生み出した結果、若者たちの意識から、弁証法はタブーとして、話題に上ることさえ拒否するような雰囲気が生み出されていった。

 今、YouTubeの言論の主役になっている、上念司とか、藤井厳喜とか、武田邦彦なんて右翼系の知識人たちも、おそらく弁証法的世界観を問えば、若い頃から拒絶反応しか知らなかったせいで、ほとんど何も答えられないだろう。

 弁証法が、これほど嫌われた理由の一つは、理論の具体的内容というよりは、意図的に難解に解釈して、人々に易しく説明するのではなく、「自分は、こんなに難解な理論を語れるほどエライのだ」と知識をひけらかす「哲学者」という一群の集団がいて、この理論を自分を飾る道具として利用しようとしてきたことだろうと私は考えている。

 実は、本当の弁証法の核心的理屈は、保育園児でも直観的に理解できるほど易しいのである。あまりに易しすぎることにより、それではハクがつかないので、むちゃくちゃに難しく装飾を加えて、結果、誰も理解できないというのが、多くのアカデミスト哲学者の傾向であろう。

 どのように簡単かというと、弁証法の基本法則は、わずか三つしかない。
 ①否定の否定 ②対立の統一 ③量質転化 である。これが理解できれば、弁証法を理解したことになる。
 これは人の心の法則なのだが、それは現実の世界が心に反映したものであり、宇宙も心も、ありとあらゆる事物現象プロセスに内在する法則であるということになっている。
 もう一つは、これは生きた時間に付随する法則(属性)であり、事物現象が時間の経過によって起きる変化の法則を意味している。

 ①否定の否定
 というのは、事物現象は必ず時間とともに自分を否定(疎外)し、さらに、もう一度否定して元に戻るが、すでに最初の状態ではなく、脱皮した新しいものに変わっている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A2%E6%8F%9A

 抽象的すぎて分かりにくいだろうが、ひとつの事物現象は、決して一カ所に立ち止まって変化しないのではなく、形式から見れば二回の否定を行って別のものに変わってゆくという意味である。
 二回目の否定をアウフヘーベン(止揚)というのだが、これは進化を意味する言葉でもある。

 すべての事物現象は、いったん正反対(対極)に触れてから、振り子のように再び元に戻ってくる。
 これを「螺旋的上昇」とも言い、世の中のすべての進化・変化というものは、必ず振り子が螺旋運動をするように、ぐるぐる周りながら上昇して、より合理的なものに変化してゆくのである。

 ちょうど、今の自民党政権が、かつての日本社会を否定して極端に右傾化しているのは、ちょうど振り子の対極点に行ってしまっているからで、やがて再び否定されて必ず元に戻ってくるのだが、以前と同じ位置ではなく、ずっと上に向かって変化すると考えればよい。

 この上昇運動を規定するエネルギーは、「合理性」というポテンシャルであると、ヘーゲルは言う。つまり、宇宙のすべての事物現象は内在する合理性に向かって移動してゆくのであり、それはちょうどエントロピーの拡散平均化運動を想像すればよい。

 ついでにいうと、人間が死んでも霊魂になって、やがて再び人間に生まれ変わってくる理由も、霊魂が、より合理的なイデー(絶対精神)になるためであり、合理的な「否定の否定による」前進というポテンシャルは、我々の人生だけでなく、宇宙のすべての事物現象に適用されるのである。
 
 ②対立の統一
 我々が、「明るい」という概念を理解するためには、必ず「暗い」という概念と対立させ、二つの対立する現象が統一されて、はじめて「認識」=「明るさを知る」という現象が生成される。
 それが「認識の法則」というもので、対立化させなければ「知る」という状態は生まれない。明るいだけの世界しか知らなければ、明るさという概念は永久に理解不能である。

 すべての事物現象が、このように正反対の対立する概念を統一させることで成立していて、これはつまり、認識のメカニズムだけでなく、対象世界が実際に「対立の統一」によって生成されているからである。認識は、対象世界の対立を発見することで、「知る」という現象を引き起こしている。

 ③量質転化
 量の変化が質の変化を規定する。昔は、対象世界の物質は、無限大の種類があって、凄まじい数の質的変化のため、人間の知は、自然に対して遠く及ばないと思われていた。
 しかし、人間の知的進化・深化によって、無限の質的変化とはいいながら、実は、量が変化しているにすぎないのではないかと考えるようになった。

 無限の質的差異は、調べてみれば、実は百数十種類しかない原子の組み合わせによって成立していることが明らかにされ、その原子も、数種類の根源粒子の組み合わせによって成立していると考えられるようになった。
 つまり、この世の、すべての質的差異は、実は量的差異に過ぎなかったというわけだ。

 人の怒りの量を考えると、少なければシカト(無視)、大きくなると暴行、膨大になると殺人という具合に質的に変化してゆく。私は、安倍政権に対して、最後に近くなってきた。
 塩の量も、少なければ無害、大きくなると塩辛い、さらに増えると有害という具合に質的に変化する。
 どんな現象でも、詳しく調べてみれば、一定の要素の量的変化が質的変化をもたらしていることを証明することができる。

 上に述べた、たった三つの法則を理解できれば、この宇宙における、すべての本質が理解できることになる。
 だから、弁証法こそは、最大の形而上学(形式)であると言うこともできる。
 
 三つの形式から成る弁証法の一番根源にある法則は、上に書いた「すべての事物現象は合理性に向けて進化を遂げる」というヘーゲルの指摘であって、どんなものでも、必ず合理的な矛盾のない存在に向けて黙々と進化を遂げてゆくのである。

 その進化の最終地点が「絶対精神」であるとヘーゲルは言う。ここに至れば、ちょうど位置エネルギーが転がり落ちて終焉を迎えるように、進化のエネルギーも失われる。

 人間の霊魂も、絶対精神に達すれば、形状を失い、ただ光り輝く存在になるといわれている通りである。これがGODといわれる状態である。

 私が、「進化があれば退化がある、生まれたものは必ず滅びる」というときは、実は「否定の否定」のなかの最初の否定を言っていて、退化や滅亡の先があるのだ。
 人類社会も、必ずらせん状に進化するのであって、一度は否定されなければ次に進むことができない。
 安倍政権もやりたい放題、自分たちの思い通りに進んでいるように見えるが、弁証法は、そんな思い通りの独裁は許さない。必ず、否定の否定、つまり止揚(アウフヘーベン)が行われて、独裁から民主主義のより良い社会が戻ってくるのである。

 ホピ族の言い伝えによれば、これまで人類は4回の生成と滅亡を繰り返してきて、滅亡しては再生されてきたが、そのたびに一歩ずつ合理的な前進を遂げてきたというわけだ。
 五回目の滅亡が目と鼻の先に待ち受けているように私には思えるが、次に生成される人類社会では、「核兵器で他国を脅すことが平和を保てる」というような馬鹿げた核抑止論や、人の過ちを制裁懲罰することしか考えない死刑制度のような幼稚な思考だけは否定されていなければならない。
 愛が人類を包み込む絶対精神の社会に、いつかは到達するのだろう。

 もう一度書くが、1970年代まで、弁証法という学問は、基礎教養の一つだった。誰でも弁証法を知っていたが、理解していたわけではない。
 しかし、これからの社会は、弁証法の理解なくして未来を見通すことはできないと私は思う。
 弁証法は、再発見されるべきである。

 なお弁証法は二つあることを知っておかねばならない。
 一つは弁証法の創始者ヘーゲルのもので、もう一つは、ヘーゲルの弟子であったマルクスのものである。後者を唯物弁証法といい、何が違うかというと、

 ヘーゲル弁証法は、すべての事物現象、存在の前に「絶対的な意思」があったとする。つまり、人智の及ばぬ神としての存在が最初にあって、それから否定の否定が行われ、最後に再び絶対値=イデーの世界に収束するというもので、「唯心論」と呼ばれる。

 これに対し、マルクスは、これを180度転倒させ、最初に物質的存在があったとする。物質から意思が生まれた。これを「存在が意識を規定する」といい、物質が先に来るから「弁証法的唯物論」ともいう。

 既存の宗教の大半が、前者の唯心論を採用しているが、これは「神の絶対的権威」を利用すれば、人々を洗脳(騙して)して、宗教を維持しやすいという理由だろう。
 唯物論の場合は、「物質から意思が生まれ物質に還る」というメカニズムでは、結局、物質的快楽が最高の価値であり、すべてだと勘違いする人がたくさん出てきて、今起きている資本主義社会のように「金だけがすべて」という価値観に収束していってしまうから、強欲な荒廃した社会を招いてしまう。

 私は、高校生時代からガチガチの唯物論者だったのだが、30歳を過ぎて自分の心霊体験を総括して、実は、この世の物質界は、あの世(霊界)の意思をシュミレーションのように演じている茶番劇世界ではないかと思うようになり、霊界の存在を信ずる、つまり唯心論者に変わっていった。

 一人の人生は一つだけでなく、イデーに向かって無限に連鎖する霊的な進化のプロセスにすぎないと思うようになった。
 この理論から現実を検証してみて、たくさんの心霊現象の謎が解けるようになり、私は、今や絶対的に霊的存在である自分を確信している。

 なお、私の若い頃、1970年代に活躍した高橋信次は、地球における人類の霊体は、3億6千500万年前に、土星の方角にあるベータ星というところで、今と同様に進化した人類がいて、核融合実験(ブラックホール実験)を行っていて、自分たちが住む星を消滅させてしまう結果に至り、このとき、当時の人類は巨大宇宙船に乗って、まだ未開だった地球にやってきた。
 そして、霊たちが岩や植物について数億年の進化を遂げて、やがて再び人類に戻ってきたと述べている。
 それからホピ族が言うように、4回の滅亡を経て現在に至っている。
 私は、この説に極めて高い信憑性を感じたので、高橋を自分のHPにリンクしている。

 http://tokaiama.minim.ne.jp/takahasisinji/takahasisinji=a21.html

 今、欧州で、ベータ星における実験に似たハドロン実験が行われている。  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9E%8B%E3%83%8F%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%B3%E8%A1%9D%E7%AA%81%E5%9E%8B%E5%8A%A0%E9%80%9F%E5%99%A8

 ここでは、マイクロブラックホールを作り出す実験が行われているのだが、ホーキンスが、これは地球を消滅させる可能性があると繰り返し警告を発していた。
 あるいは、再びベータ星の悲劇が繰り返されるのだろうか?

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