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 自由と人間解放

カテゴリ : 未分類

 私が若くて元気だった半世紀前は、仲間たちに共有する価値観として「人間解放」という概念が普及していた。
 この言葉は、最近では巷で聞かなくなってしまったのだが、検索エンジンに入れればたくさんヒットする。

 半世紀前、1970年前後に、「人間解放」という言葉が流行った理由は、たぶん、差別問題がクローズアップされ、部落名鑑の出版による結果、企業の人事担当者が、未解放部落や在日朝鮮人を選択的に排除することが常識になっていたこと、こうした不合理な差別への怒りが共有されていたことが大きいと思う。

 実際問題として、私は実家が名古屋市中村区で、図書館に行って、自分の家の情報を江戸時代に遡って調べたところ、まるで、地上に存在しない ブラックホールであるかのように、すっぽりと情報が抜け落ちていたことで、自分の住む土地が非常に奇っ怪な情報喪失を起こしている現実に驚かされた。
 そこで、ますます興味を持って調べて見ると、近所には「カラスの森」という地名があり、用水沿いに毛皮を処理する零細業者がひしめいていたり、私が子供の頃から、学校で、いじめっ子から「四つ」という蔑称を投げつけられることがあったりと、深刻な未解放部落問題が存在する地域であることが分かった。

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-247.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-245.html

 以下は、私の記事をヤフーブログが勝手に削除したため阿修羅掲示板から引用するのだが、引用者の4153番というのは原発推進派の極右で、たぶんアゴラの編集メンバーで、私を部落民と嘲笑する目的で転載したようだ。
 http://209.54.50.129/12/cult10/msg/795.html

 別に私が部落民であっても差し支えないが、実際は、実父が1950年前後に、名古屋機関区のSL運転手で、勤務先に近い、中村区の土地を非常に廉価で購入できたことで、当時、千種区覚王山から転居したものだった。
 (今でも、この周辺の土地は不可解に安い)

 1960年代後半に、岡林信康が、部落問題を告発するフォークソングの名曲を次々に発表し、当時の我々の心を突き刺すような鋭さで、差別問題をクローズアップした。

 https://www.youtube.com/watch?v=YlOToxOxOME

 https://www.youtube.com/watch?v=lbiCLUwFwTY

 この手紙という曲は、岡林が実話であると明かしている。当時は自殺した女性の名前も分かっていたが、今ではネットから削除されてしまっている。

 私の記憶でも、未解放部落の居住者や、在日朝鮮人には明確な差別があった。私の住んでいた中村区は、大門という赤線地帯があって、当時はすでにソープランド街へと変わっていたのだが、こうした風俗産業には、付随する在日系の暴力団関係者が非常に多く、私が通う小中学校でも在日者・暴力団子弟は一大勢力だった。
 名古屋を代表するパチンコ産業のメッカが中村区だったのだが、同級生だった正村の娘(パチンコ創始者の)以下、これも大半が在日者だった。
 名古屋の在日者は、民団系よりも総連系が圧倒的に強力だった。パチンコ業界の大半も総連系である。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-5.html

 当時、在日者と部落名鑑出身者は、絶対に一流企業、とりわけ銀行や商社などには入社することができず、どんなに成績優秀であっても人事が不良品をはねるように除外したので、在日者と部落出身者の就職先といえば、真面目な者はプロ野球、ボクシング、格闘技などのスポーツ界、そして一大勢力になっていたのが芸能界で、あとは土木建築と暴力団くらいしかなかった。
  https://honuryoma.wordpress.com/%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/%E8%8A%B8%E8%83%BD%E7%95%8C%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%9C%A8%E6%97%A5%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%80%8E%E5%AE%98%E5%A0%B1%E3%80%8F%E3%81%AB%E5%B8%B0%E5%8C%96%E3%81%AE/

 メンバーを見ると、蒼々たる顔ぶれどころじゃない。スポーツ界と芸能界から在日者を排除したなら、業界そのものが成立しないほどである。
 また世界的な名声を得ている空手も、極真会館の創始者は崔永宜(大山倍達)現館長は文章圭(松井章圭)であり、また主立ったメンバーの多くも在日者で、もし極真がまとまって祖国に帰国でもしたら、日本空手界は崩壊してしまう。
 また芸能界でも、五木ひろし・都はるみ・和田アキ子ら大御所メンバーの多くが在日者で、これも日本を追放されたら芸能界の半分が消え失せてしまいそうだ。
 プロ野球界も、金田正一・張本勲を筆頭に、実力者の数割が在日者で占められている。

 どうして、こうなっているかというと、戦後における在日朝鮮・韓国人・部落民に対する激しい差別の結果である。つまり、彼らの行き場は芸能界・スポーツ界・土建業界・暴力団業界など、極めて少なかったので、みんな必死にがんばったのだ。

 当時は、こうした差別に対する底辺の人々の怒りが共有され、浸透しはじめた時期で、民族差別や出身差別に対し、激しく憤る人々が「人間解放」というスローガンを掲げて差別撲滅運動を行ったのである。

 そこで、「人間解放」という言葉の持つ意味が、本来の概念を外れて、在日者の人権擁護という方向にずれてしまったので、もっと広い普遍的意味での人間解放に関する議論が、小さくなってしまった印象もある。
 本当の意味での人間解放とは、在日者差別も含めて、人を見下し、差別することで、自分の優位性に満足したいという姑息な精神構造こそが、人間社会を息苦しく狭い、愚かなものにしているというわけで、偏狭で硬直した差別的精神性を克服しようというものだった。

 そもそも、解放された精神性からは、戦争や核武装や階級差別などという発想は出てこない。死刑制度推進や天皇制賛美も出てこない。
 それらは「未解放精神」とでもいうべき矮小で卑屈な利己主義から生まれるものであり、人を許さず、制裁処分するという発想しかなく、旧日本軍の極右思想を受け継いだものといってもいい。

 自由の本当の意味もまた、牢獄に閉じ込められた肉体が解放されて自由になるのではなく、自らの硬直した差別観念が、自分の精神的牢獄作りだし、自らの心が閉じ込められていることから、「自分で作り出した牢獄から脱出しよう」という意味なのである。
 人が不自由と言う場合、大半が、実は自分で不自由を作り出しているのであって、そのことに気づけば自由になれるのであり、それは、肉体が牢獄にあって閉じ込められていても、心は束縛から自由であるという意味でもある。

 我々の人生は、極めて限られた空間と時間のなかにあって、人によって活動領域は大きく違う。熊の活動範囲は数十キロもあるが、蟻は数メートルしかない。しかし、それで蟻は熊より不自由かといえば、決してそうではない。小さな空間で、短い一生を終えたとしても、その生の充実感に違いがあるわけではない。
 生物は、それぞれの生のなかで、それぞれの必要に応じた活動を終えて生を全うするのであって、これは人間も、まったく同じ。
 広い活動範囲の人も、狭い活動範囲の人も、長い人生でも短い人生でも、その生の全うのなかで得られるものは変わらない。

 自由とは自ら作り出すものであり、狭い広いは関係なく、財産や権力の多寡も関係ない。
 「人間、立って半畳、寝て一畳、一日4合の飯」と信長が指摘したことになっているが、人間に「身の丈」という制限があったとして、それを大きく越えることに意味があるわけではない。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-4.html

 一人の寝るスペースは一畳しかなく、立つスペースは半畳しかない。食べられる量は最大4合しかない。寝床が百人分あっても寝られるのは一人分だけ、テレビが100台あっても同時に見られるのは一台だけ、乗れる車も一台だけ、それなのに、必要を越えた無駄な所有に走るなという意味である。
 このことを理解することで、「人間の自由」の本質的な意味を知ることができるのだ。自分の限界を知って、本当の自由を享受できること。
 これこそ「人間解放」であると、先人たちは教えてくれている。

 「ものごとの本質を見よ」と先人は教えている。
 武田信玄は、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
 と語ったが、この意味は、見せかけに騙されるな、本当の城は人間であり、本当の石垣も本当の堀も人間なのだと指摘している。
 この世は人間がすべてであり、物質に騙されるなというわけだ。

 現代は、コンピュータが発達して、IT・AIが人間のすべてを定めて、人の生活まで変えてしまい、我々はコンピュータの奴隷になるしかないと、一部の愚かな評論家が言っているが、これも、ものごとの本質を見ることができない愚かすぎる思考であり、人間を定めるのは人間しかないことを忘れている。
 コンピュータが直接人間を支配するように見えても、そのコンピュータを操るプログラムと、システムの背後に鎮座しているのは人間なのだ。
 コンピュータが支配するのではない、人間がコンピュータを使って支配するのだ。

 我々が自由になり、人間解放に向かうということの意味は、この本質を知るということであって、背後にいて人々を操ろうとしている人間を知ることである。
 我々は、自分から自由になり、人間から自由になるのであり、その結果として人間解放という社会に至るのである。

 

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