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ウイルスパンデミック 資料から抜粋転載

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 スペイン風邪
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%8B%E3%81%9C

 スペインかぜ(1918 flu pandemic, Spanish Flu)とは、1918年から1919年にかけ、全世界的に大流行したインフルエンザの通称。
 アメリカ疾病予防管理センター(CDC)によるインフルエンザ・パンデミック重度指数(PSI)においては最上位のカテゴリー5に分類される。感染者5億人、死者5,000万~1億人と、爆発的に流行した。

 【東海アマ註】
(当時20億人の世界人口の3割が感染して、5000万人が死亡したといわれるが、疫学研究者の説によれば、地球上のほぼ全員が感染した可能性がある。私の住む中津川市の隣、白川町黒川は、大都市との人的交流が極めて少ない、孤立した過疎地域だったにもかかわらず、ほぼ全員が感染し、多くの死者を出した。これは人的接触感染よりも、例えば渡り鳥による伝播などの、常識では理解できない感染経路があったことを疑わせる)

 発生源は、1918年3月のアメリカ・カンザス州の米軍基地。
 カンザス州の小都市「ハスケル」が初の流行地域。当時、全米で2番目に大きいアメリカ陸軍基地(常時5万6千人の兵士が常駐)である「キャンプ・ファンストン」があり、ハスケルの一部の住民の出入りがあった。

 以後は、ひと春で、全米の36の主要駐屯地の内24か所で集団感染が確認された。さらには軍事施設に隣接する34都市でも犠牲者が急増した。
 その後同年6月頃、ブレスト、ボストン、シエラレオネなどでより毒性の強い感染爆発が始まった。

 アメリカ疾病予防管理センター (CDC) によれば、既に1915年にインフルエンザと肺炎による死亡率が米国で増加している。

 新型インフルエンザ対策に関する検討小委員会ではカナダの鴨のウイルスがイリノイ州の豚に感染したとの推定が委員から説明されている。
 近年のコンピューター解析によって、1918年型インフルエンザウイルスの前駆体が、1907年頃に発生したことが判明している。

 スペインかぜは、記録にある限り、人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行(パンデミック)である。

 感染者は約5億人以上、死者は5,000万人から1億人に及び、当時の世界人口は18~20億人であると推定されているため、全人類の3割近くがスペインかぜに感染したことになる。感染者が最も多かった高齢者では、基本的にほとんどが生き残った一方で、青年層では、大量の死者が出ている。

 【東海アマ註】
 (疾病抵抗性の弱いはずの老人が軽症で、強いはずの青少年に膨大な重症者・死者が出た。これは、おそらく、老人たちが人生経験のなかで一定の免疫性を獲得していたことを示すものかもしれない。少なくともパンデミックの30年以上前に)

 日本では、当時の人口5,500万人に対し39万人が死亡、米国でも50万人が死亡した。 これらの数値は感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中でも、最も多くのヒトを短期間で死亡に至らしめた記録的なものである。

 流行の経緯としては、第1波は1918年3月にアメリカ合衆国デトロイト市やサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり、アメリカ軍のヨーロッパ進軍(第一次世界大戦における)と共に大西洋を渡り、5〜6月にヨーロッパで流行した。

 第2波は、1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり、重篤な合併症を起こし死者が急増した。
 第3波は、1919年春から秋にかけて、第2波と同じく世界で流行した。また、最初に医師・看護師の感染者が多く、医療体制が崩壊してしまったため、感染被害が拡大した。

 【東海アマ註】
 (このパンデミックは、今回の新型コロナウイルス流行と似ている。初期に、医療関係者の大規模な感染が起きて、医療体制が崩壊したことがパンデミックを招いている。
 また、病原体が次々に突然変異を起こして、どんどん致死性の強いものに変化し、免疫を持たない若者たちを直撃して大量死に追いやった。したがって、新型コロナウイルスの致死性・毒性は、これから急激に変化する可能性があることを意味している)

 この経緯を教訓とし、2009年新型インフルエンザの世界的流行の際には、インフルエンザワクチンを医療従事者に優先接種することとなった。

 患者の遺体から見つかったゲノムより復元されたスペインかぜウイルス

 スペインかぜの病原体は、A型インフルエンザウイルス(H1N1亜型)である。
 ヒトのインフルエンザウイルスの病原性については1933年にフェレットを用いた実験で証明された。その後、スペインかぜ流行時に採取された患者血清中にこの時分離されたウイルスに対する抗体が存在することが判明したため、この1930年頃に流行していたものと類似のインフルエンザウイルスがスペインかぜの病原体であると考えられた。

 その後、1997年8月にアラスカ州の凍土より発掘された4遺体から肺組織検体が採取され、ウイルスゲノムが分離されたことによって、ようやくスペインかぜの病原体の正体が明らかとなった。

 これにより、H1N1亜型であったことと、鳥インフルエンザウイルスに由来するものであった可能性が高いことが証明された。
 よって、スペインかぜはそれまでヒトに感染しなかった鳥インフルエンザウイルスが突然変異し、受容体がヒトに感染する形に変化するようになったものと考えられている。

 つまり、当時の人々(若者)にとっては全く新しい感染症(新興感染症)であり、スペインかぜに対する免疫を持った人がいなかったことが、この大流行の原因だと考えられている。

 スペインかぜについては、解読された遺伝子からウイルスを復元したところ、マウスに壊死性の気管支炎、出血を伴う中程度から重度の肺胞炎、肺胞浮腫を引き起こすことが判明した。
 このような強い病原性はウイルス表面にある蛋白質HA(赤血球凝集素、ヘマグルチニン)が原因である。また、スペインかぜウイルスは、現在のインフルエンザウイルスよりも30倍も早く増殖する能力を持つことが分かっている(増殖を司る3つのDNAポリメラーゼによる)。

 通常の流行では小児と老人で死者が多いのだが、スペインかぜでは青年層の死者が多かった点に関し、2005年5月にMichael Osterholmはウイルスによって引き起こされるサイトカインストームが原因であるという仮説を提唱した。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%B3%E6%94%BE%E5%87%BA%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

 2007年1月に科学技術振興機構と東京大学医科学研究所が人工合成したウイルスを用いてサルで実験した結果では、スペイン風邪ウイルスには強い致死性の肺炎と免疫反応の調節に異常を起こす病原性があることを発表している。

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 2009年、新型豚インフルエンザ

 2009年6月11日、世界保健機関(WHO)が、新型豚インフルエンザに対する警報フェーズを最高レベルの6に引き上げ、香港かぜ以来41年ぶりのパンデミックが宣言された。

 インフルエンザ・パンデミックにおける感染力と致死率に関する報道
 以下の記事は、内容から2009年のメキシコにおける新型インフルエンザパンデミックの特集であると思われる。(相当に長大な記事)

 https://www.jiji.com/jc/v2?id=20090501newtype-influ_01

 https://www.jiji.com/jc/v2?id=20090501newtype-influ_13

 このときの致死率は0.4%。90歳以上の老人は免疫性を獲得していた。

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 香港かぜ

https://imidas.jp/hotkeyword/detail/F-00-112-09-07-H017.html

A型インフルエンザウイルスH3N2が、1968~70年に引き起こしたパンデミック(世界的大流行)。
 68年6月に香港で爆発的に蔓延し、8~9月にオセアニアや東南アジアへと感染地域が拡大。12月にはアメリカでもピークを迎えた。68~69年に襲った第1波は比較的軽い被害ですんだが、70年の第2波で大きな被害を出し、最終的に世界全体で100万人以上が死亡した。

 日本では当時の厚生省が、流行開始後の68年7月末より、罹患した貨物船員を停留させるなど水際作戦を展開。しかし、国内侵入は防げなかった。
 H3N2ウイルスは、57年に200万人以上の死者を出したアジアかぜの原因であるH2N2から変異した、いずれも当時の新型ウイルスで、現在もなお、香港A型として流行を繰り返している。
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内閣官房 アジアかぜ(アジアインフルエンザ)・香港かぜ(香港インフルエンザ)
 https://www.cas.go.jp/jp/influenza/kako_10.html

 https://www.cas.go.jp/jp/influenza/kako_13.html

 パンデミックとしてよく知られている「スペインインフルエンザ」「アジアインフルエンザ」「2009年パンデミック」に、イタリアインフルエンザ、ソ連インフルエンザを加えると、
 1918年 スペインインフルエンザ
 1947年 イタリアインフルエンザ
 1957年 アジアインフルエンザ
 1968年 香港インフルエンザ
 1977年 ソ連インフルエンザ
 2009年 2009年パンデミックインフルエンザ
と、29年、10年、11年、9年、32年の間隔で新たなインフルエンザに見舞われていることになります。

Ⅰ. アジアインフルエンザ

 最初に認知されたのは、1957年4月香港とされていますが、ほぼ相前後してシンガポール、台湾、マニラから流行の報告がなされています。
 また、中国大陸ではその年の2月には貴州省・雲南省に端を発したと考えられているインフルエンザの大流行がすでにあり、その余波が香港やシンガポールに及び、そこで新たなインフルエンザウイルスであることが明らかになり、さらにアジア一帯、オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパへと伝わり、約半年で地球上の多くの国に患者が発生したと考えられています。

 1957年はいつものインフルエンザ(今でいう季節性インフルエンザ)の流行が終わった頃に、新聞報道で5月に香港で今までにないインフルエンザA型が見つかったということが初めて国内に伝わりました。

 「新型インフルエンザ」への備えなど全くない状態でのニュースであり、関係者の間では「スペインインフルエンザ」が思い起こされ、相当な緊張が走ったといわれています。5月20日に東京都足立区内の小学校で時ならぬインフルエンザの集団発生があり、ここでの検査からA型インフルエンザウイルスが見つかり、このウイルスはそれまで流行していたA型インフルエンザとは全く異なっており、香港で流行したウイルスと同一のものではないかと考えられました。

 ただし、足立区内の流行の前にもその他の地域での小学校での流行の記録があり、最初のアジアインフルエンザの流行は5月10日の世田谷区内の小学校であったとされています。
 しかしそのきっかけとなったアジアインフルエンザウイルスがどこからどのようにして入ってきたかは不明です。なお、足立区内で見つけられたウイルスはその後シンガポールで流行したインフルエンザウイルスと同一であることがウイルス学的にも確認され、A/東京/57インフルエンザウイルスと命名されました。

 この流行は夏にはいったん収まりますが、秋になると再び流行が始まり1958年の春先に再び収まっています。最初の流行を第1波、2回目の流行は第2波、としています。夏は、学校が夏休みで流行の中心・増幅の場所とならなかったこと、仕事場でも家庭でも冬と違って窓など開放されていること(現代とは大違いですが)などが、流行を一時抑えたのではないだろうかとも考えられています。

 【東海アマ註】
 (当時は冷房が少なかったため、職場でも学校でも、春から夏場は窓を開放するのが普通だった。このことが、流行の抑制につながったといわれる)

 アジアインフルエンザの臨床症状には特別なものはなく、従来のインフルエンザ(季節性インフルエンザ)と大差はなかったと記録されています。
 通常のインフルエンザでも肺炎の合併、ことに細菌性肺炎の合併は現代においても問題になりますが、スペインインフルエンザでは細菌性肺炎の合併が死亡数の多さ、致死率の高さに大きな影響を与えたとされています。

 年齢別罹患率は、小中学校年齢が圧倒的に多く、次いで幼児、青壮年層、高齢者は少なくなっています。死亡実数は幼小児と高齢者に多く、通常のインフルエンザとあまり変わらないパターンとなっています。なお、当時は高齢者人口は少なく、その点も現代との比較に注意すべきところかと思います。

 流行直後に行った血清抗体の保有状況からみた、成人を中心にした罹患率調査では、第1波では26%、第2波では30%が罹患、通算して56%が罹患したという調査があります。

 1957年全体では、超過死亡の筆頭は肺炎、ついでインフルエンザ、心疾患と続き、インフルエンザと関係があろうかと思われる超過死亡数の合計は24,000名となっています。

 スペインインフルエンザ流行当時と異なり、アジアインフルエンザ発生時にはすでにインフルエンザワクチンは実用化されており、日本では学童への集団接種が行われていました。

 しかしアジアインフルエンザは突如として発生した(発生したかのように見えた)新型インフルエンザなので、それまでのワクチンではまず効果のないことは明らかです。それにもかかわらず、一部の地域では国有であったそれまでに使用されていたインフルエンザワクチンが供給されるなどの混乱もあったようです。
 一方では、新型インフルエンザとして登場したアジアインフルエンザウイルスにかかった東京都内の患者から得られたウイルス(A/足立/2/57)をまずワクチン製造用株と決定し、それと同様の抗原構造を持つウイルスもワクチン製造用株として使えることとして、国内5ワクチン製造会社が緊急に製造にとりかかり、出来上がったワクチンを国家買い上げとすることを決定しています。

 アジアインフルエンザは、1957年4月に香港で最初に認知されたとされていますが、ほぼ相前後してシンガポール、台湾、マニラから流行の報告がされています。また中国大陸ではその年の2月には貴州省・雲南省に端を発したと考えられているインフルエンザの大流行がすでにあり、その余波が香港やシンガポールに及び、そこで新たなインフルエンザウイルスであることが明らかになりました。

 さらにアジア一帯、オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパへと伝わり、約半年で地球上の多くの国に患者が発生したと考えられています。

 日本国内では、1957年5月に新聞報道で香港において今までにないインフルエンザA型が見つかったということが初めて伝わり、関係者の間では「スペインインフルエンザ」が思い起こされ、相当な緊張が走ったといわれています。最初のアジアインフルエンザの流行は5月10日の世田谷区内の小学校であったとされています。5月下旬には早くも国内各地でインフルエンザが見つかるようになりますが、秋になると再び流行が始まり1958年の春先に再び収まっています。最初の流行を第1波、2回目の流行を第2波、としています。

 パンデミックが始まる時期についてはいずれも、2009年のパンデミックの端緒が4月末であったことを含め、北半球における季節性インフルエンザの流行が終わる頃に新たなインフルエンザウイルスが発生して世界に拡大したということは注目しておくべきところと思います。

 香港インフルエンザ発生当時は、アジアインフルエンザ発生の頃よりもさらに、国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や各地にある地方衛生研究所、大学など研究機関の一部でインフルエンザウイルスの分離培養や血清診断が可能になっており、ワクチンも製造されるようになってはいましたが(ただし現在のようなHAワクチンではなく、副反応としての発熱率などの高い全粒子型ワクチン)、1968年当時は依然として医療機関で簡単にインフルエンザウイルスの検査ができるものではありませんでした。

またインフルエンザは、伝染病予防法による届出伝染病となってはいましたが、一線の医療機関でインフルエンザと確定診断することは依然として不可能で、患者発生の実数を精度高く把握することはできず、学校などでの流行状況調査と合わせてその概要を把握する、ということがアジアインフルエンザの時と同様に続けられてきました。

 我が国に香港インフルエンザウイルスがもたらされたのは、香港を経由して1968年7月25日名古屋港に入港した船舶の乗組員多数がインフルエンザ様症状をあらわしていたことが発端になったとされています。
 患者から得られた検体については、名古屋市衛生研究所と国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)でウイルス分離が試みられ、得られたインフルエンザウイルスはA/愛知/2/68と命名され、国際的にも香港インフルエンザの代表的ウイルスとして知れ渡っています。
 香港インフルエンザの本格的な流行は季節性インフルエンザシーズンに入ってからの1969年になってからで、図2に見るように届出患者数、閉鎖学級数、流行発生数の増加が見られています。ただこのシーズンの国内のインフルエンザは、全シーズンに引き続きB型インフルエンザウイルスの流行もかなり混在していることが確認されており、インフルエンザ全体の流行にB型の存在がどの程度の影響を与えたか与えているかは不明です。

 その理由はすでに述べたように、当時第一線の医療機関で簡便にインフルエンザウイルスの検査を行うことは不可能であり、患者発生の実数を精度高く把握することはできず、学校などでの流行状況調査、一部の集団等からのウイルス検査と合わせてその概要を把握する、という状況であったためであるといえます。

 香港インフルエンザの臨床症状には特別なものはなく、従来のインフルエンザ(季節性インフルエンザ)と大差はなかったと記録されています。これは国内外とも同様です。合併症についても、アジアインフルエンザとして特別なものはなかったとされています。

 1968年秋(41週)~1969年春(16週)での患者数は127,086名、死亡者985名との記録があります。

 この香港インフルエンザウイルスの研究により、人類にとって脅威となり得る新型のインフルエンザウイルスの登場は、鳥インフルエンザを起源としてブタが介在してヒトに影響を及ぼすという鳥→ブタ→ヒト説への発展へとつながりました。

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変異するインフルエンザウイルス
http://www.seirogan.co.jp/fun/infection-control/influenza/mutation.html

インフルエンザウイルスは自分の力では増殖することができず、他の生物に感染し、感染した細胞の中で自分の遺伝子のコピーを作り増殖していきます。その結果、インフルエンザウイルスに感染したほとんどの細胞は死滅してしまいます。

また、インフルエンザウイルスの遺伝子はRNA(人の遺伝子はDNA)という遺伝子で、このRNAは誤ったコピーが発生しやすく、これを変異といいます。

インフルエンザウイルスは常にこの変異が起こっており、人の1000倍の確率で起こっているといわれています。さらに、増殖スピードは速く、1個のウイルスは1日で100万個以上に増殖します。インフルエンザウイルスは常に変異と増殖を繰り返して、徐々にマイナーチェンジしながら生き延びています。

 【東海アマ註】(RNA遺伝子は、人のDNA遺伝子の千倍のスピードで突然変異を繰り返す。このとき、病原体毒性が軽くなる方向と、重くなって致死率が増す方向とがある。スペイン風邪では、第一波より第二波の方が、桁違いに致死率が増したといわれるが、これは突然変異が毒性の強い方向に向かったことを意味する。
 新型コロナウイルスの場合も、現在の致死率は、これから、どんどん変化し、最悪の事態も想定すべきである)

一度、インフルエンザにかかったのに、何度でもかかることがあるのは、このように変異したインフルエ ンザウイルスに感染しているからです。

通常はマイナーチェンジだけの変異が、数十年に一度、フルモデルチェンジの変異を起こすことがあります。
 今まで鳥だけに感染していた鳥インフルエンザウイルスが、このフルモデルチェンジの変異で人に感染するようになり、さらに人から人に効率よく感染するように変化したのが、新型インフルエンザウイルスなのです。

新型インフルエンザの大流行(パンデミック)が起こり、ほとんどの人が新型インフルエンザウイルスに感染してしまうと、季節性のインフルエンザとなってマイナーチェンジを繰り返して生き延びてきます。

鳥インフルエンザウイルスが新型インフルエンザウイルスに変異するのに、現在、以下の3通りが想定されています。

1つ目の経路は、鳥と人の両方のインフルエンザウィルスが、両方のウィルスに感染しやすいブタに同時に感染し、体内で両者の遺伝子が交じり合うことにより、全く新しいインフルエンザウィルスになる経路です。
2009年に発生したブタ由来の新型インフルエンザ(A/H1N1型)は、この経路による新型インフルエンザです。

2つ目の経路は、鳥インフルエンザウィルスが突如変異を繰り返しているうちに人から人に対する感染性を獲得して新型インフルエンザウィルスになるものです。

3つ目の経路は、鳥と人の両方のインフルエンザウィルスが、ブタではなく人の体内で遺伝子を交わらせて、新型インフルエンザになるというものです。

インフルエンザの主な感染経路は飛沫感染と接触感染です。また、空気感染による感染も否定できません。

飛沫感染
感染した人が咳やくしゃみをすることで排泄する、ウイルスを含む飛沫(0.005mm以上の水滴)が飛散し、これを健康な人が鼻や口から吸い込み、ウイルスを含んだ飛沫が粘膜に接触することによって感染する経路。

接触感染
皮膚と粘膜・創の直接的な接触、あるいは中間物を介する間接的な接触による感染経路。

空気感染
空気感染とは、飛沫の水分が蒸発して乾燥し、さらに小さな粒子 (0.005mm以下)である飛沫核となって、空気中を漂い、離れた場所にいる人がこれを吸い込むことに よって感染する経路。飛沫核は空気中に長時間浮遊するため、対策としては特殊な換気システム(陰圧室 など)やフィルターが必要になります。

 【東海アマ註】

 中国当局は、第三の感染経路として、エアロゾル感染が起きていると2月上旬に報告した。これは、空気感染の一種と考えるべきだ。
 ウイルスが付着した5ミクロン以下の水粒子(空中水分がまとまったもの)や花粉などに触れると感染が起きるが、この大きさはPM2.5粒子に近いものであり、黄砂や咳くしゃみ飛沫などが長時間浮遊して感染力を持つ。
 このタイプの感染力は、麻疹などに匹敵するといわれるので、満員電車に一人のスーパースプレッダーがいれば、全員が感染する可能性がある。
 
 今回の感染経路のなかに、「目からの感染」が報告されていて、汚染粒子が目に入ると、そこで結膜炎を起こし、肺にまで感染するというものである。(眼科学界は、全身症状の一つと公表しているが、目からの感染→結膜炎を考える方が合理的だ)
 https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3908451.html

 したがって、電車などの濃厚感染機会に向かう場合、必ず、花粉めがねなどの着用をすべきである。マスクは、安価品ならば二重に用いる。携帯用ウイルス消毒薬を持参し、頻繁に手などを消毒するなどの対策が必要になる。

 なお、消毒薬としてウイルス不活化に効果を示すのは、次亜塩素酸ナトリウム、アルコール、ポビドンヨードであるが、次亜塩素酸は、ブリーチやハイターを流用可能であるが、苛性ソーダが含まれているため、直接、人体に使用できない。
 使用するなら、水で100倍に希釈して、雑巾でドアノブや手すりなどを拭くにとどめる。漂白性があることに留意。

 アルコールは濃度70%以上で、不活化効果が認められている。50%以下では、効果が限定的。
 ヨードも毒性があり、直接、目などを消毒できる薬剤はない。
 目を消毒するには、水道水やぬるま湯のシャワーを目に当てて5~10分洗い流すことしかない。水道水には、ごく薄い次亜塩素酸ソーダの添加が義務づけられている。

 なお、今回の新型コロナウイルス・パンデミックは、乳幼児から80歳代の老人たちまでが、たくさん死亡していることから、スペイン風邪のような免疫抗体は存在しないようだ。
 結局、普段から登山やジョッキングなどで呼吸器を鍛錬している人、免疫の強い人が軽症で済むことしか分かっていない。

 呼吸器系基礎疾患 COPDや間質性肺炎、喘息、気道炎、それに糖尿病など免疫低下疾患があると、重症化することが分かっている。
 「健康でない者が淘汰される」疾病ということになる。私も、淘汰予備軍なので、スペイン風邪のように地球人口の大半に感染が拡大する場合は、私も覚悟している。

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