FC2ブログ

Entries

人生に本当に必要なもの

カテゴリ : 未分類

 
 地球上に生息する「人間」という生物にとって、生まれてから死ぬまでの間に、何を目的として命を維持し、何を獲得して、何のために人生を終えるのか?
 という視点で、きちんと考えたことがあるだろうか?

 ほとんどの人々は、「何のために生きている?」という思索を、することさえ恐れて、ただ他人の背中と、眼差しに迎合して生きて、死んでゆくのである。

 「おぎゃー」と生まれたなら、目の前に優しい母親の笑顔があって、おっぱいに吸い付く快感を楽しんで生きてゆく。
 少し育てば、やはり母親の暖かい眼差しに惹かれて、あらゆる知識を吸収し、たくさんの現象を体験して好奇心を満たしながら生きてゆく。

 やがて身体能力が向上すれば、今度は、近隣の子供たちとの競争に夢中になりながら、さらに能力を高めて、自分の世界が広がってゆくことに喜びを覚える。
 このとき、学校などで、競争や優劣ばかりを洗脳すると、死ぬまで、他人を見て「自分とどちらが上か?」と比較するだけの劣等感と優越感の狭間に漂う矮小でつまらない人間になってしまう。

 長じても、子供時代に醸成された優劣価値観に縛られ、「自分は他人より上だ」という自己満足だけが人生を支えている価値観・人生観の人が、とても多い。
 これは資本主義社会・新自由主義社会が、そのような人格を必要としていることも大きい。
 こんなタイプの人は、「真実の価値」を見抜く力が失われ、世間の観念的な評価、例えば学歴とか地位とか権威とかに拘泥しまくる人生だけが待ち構えている。

 ここまでくると、もう「何のために生きている?」という哲学的問いかけなど、どうでもよくなって、ただ「他人より上を行く」ことだけが、人生を支える価値になってしまうのである。

 こんな優劣価値観にガチガチに洗脳されきった人にとっては、ベンツに乗っているか、レクサスに乗っているか、妻が美人か、息子は東大か、地位はどうか、という他人を見下して、自分を自慢することだけが人生の満足=目的ということになるだろう。

 私などは、労働貴族だった父親が、自分の不運なコンプレックスを息子を自慢することでで補いたくて、いわゆる「立身出世主義」の価値観を押しつけてくることに強い不快感を抱き、上に見るような学歴社会や出生街道の奴隷人生観から遠く逃げ出したのである。

 競争主義社会から脱落させられた落ちこぼれ組にあっても、
 「他人がメシを食うから自分も食う。他人が生きているから、自分も生きる」
 という没主体的な流され組になってしまうことが多い。

 「ちょっと面白そうなこと」を楽しみながら、川の流れを静かに見守るように時間がすぎてゆく。
 まあしかし、脱落組には、「自分の楽しみを見つける」という特権が与えられているから、決して悪い人生ではない。

 実は、自分の人生の意味を本当に理解している人物など、過去60年以上、出会ったことはない。
 勝手に世の中を解釈して、リーダーシップをとるタイプの人に引きずられて、他人の価値観を無条件に受け入れてしまっている人も多い。

 宗教団体の大半が、そのようなものだろう。ただ「ありがたく受け入れる」という没主体が自分を救ってくれると信じているのだから、それはそれで仕方ないことだ。
 自分が確立していないうちは、どうしても「この人に従っていれば御利益がありそうだ」という判断に傾くものだ。

 (以下、2000年前後に書いた私のブログから転載する)

 99%の人生は牧場の家畜たちと変わらない。群れのリーダーに付随して右往左往しながら生きているのであって、依存する他者に付和雷同して動くことしかできない。
 だが、わずか1%にも満たない人たちだけが、自分と周囲を見つめて対象を分析し、もっとも適切な行動を行おうとするのである。
.
 こんな社会における「民主主義」など、しょせんタテマエだけの虚構にすぎない。それは決して全員参加型の民主主義ではなく、帰属する集団、「群れ」の集合社会なのであって、その本質は、群れのボスによる寡頭政治といえるだろう。

 我々の大半は、管理された「人間牧場」に帰属し、生かされているという現実に気づかねばならない。
 その最小単位は家族であり、最大単位が国家である。中間に、学校や企業や、宗教団体やら、さまざまの組織・結社・集団が存在しているわけだ。
.
 天は、すべての人に等価の能力を与えていない。社会には、それを牽引する少数の人々が存在してきていたのであって、歴史上、民主主義が理屈どおりに機能した事例など存在しないのである。

 突出したカリスマに頼るという時代が終わったのも事実だ。
 我々の社会が「真の民主主義」を獲得するためには、求めるべき未来を感じ取り、隅々までしっかりとビジョンを思い描いた無数のオピニオンリーダーを輩出し、全員が確固たる主体性を確立し、いつでも誰でもリーダーとして機能する、等価な人間性を獲得しなければならないのである。
.
 だが、現実を見るなら、恵まれた青春によって醸成された利己主義しか知らない人たちに満ちた今の社会では、そんな希望は絶望的だ。
 今、我々には惨めな政治的敗北感に加えて、苛酷な苦難の洗礼が必要なのだ。やがて来るにちがいない世界的暴風雨の地獄を超えた未来に希望を托すしかない。きっと、恐ろしいほどの苦難が一人一人の人間を鍛え、新たな素晴らしいリーダーたちを無数に産み出してくれるだろう。
*********************************************************************

 ずいぶん前に書いたブログだが、当時と今、おおむね私の考え方は一致している。
 要は、「もう他人の背中を見たり、眼差しに左右されたり、ハーメルンの笛吹き男についてゆくだけの人生はやめようよ」と言いたいのだ。

 世はコンピュータ社会、AI社会だと言い、「取り残されるな」と叫んでいる評論家が大勢いるが、私は「何も分かっていない連中」だと呆れている。
 コンピュータも電子機器も、戦争が起きてEMP爆弾がいくつか爆発すれば、戦前どころか明治時代の生活に戻ると何度も書いてきた。

 あらゆる電子機器が破壊されるのだから、情報通信機器どころの騒ぎではない。カマドで薪をくべてご飯を炊かねばならなくなるのだ。
 自動車や耕運機も使えない。自分の足と、せいぜい鋤や鍬を使って畑を耕して、作物を作らなければならない。
 針と糸を使って、自分で衣類の補修をしなければならない。

 だから、本当に必要なものが何なのか、もう一度考え直さねばならないのだ。
 繰り返すが、コンピュータやAIは食事を与えてくれない。それは自分の汗水で生み出さねばならない。食料工場をコンピュータで稼働させても、EMP戦争一発で終わりだ。
 だから、子供たちに本当な必要な知識の順番は、最初に食料生産の基本がきて、次は住居と衣類の作り方でなければならないのである。

 もう一度問う。「人生に本当に必要なものは何か?」
 それは、決してコンピュータの操作技術ではない。それは食料を生産する技術とともに、人の心を温める能力でなければならない。
 人に「生きてゆく希望」を与えるものでなければならない。

 自分の人生は自分だけのものだ。他人に利用されるための人生ではない。他人を利用する人生というのも愚かなことで、我々の宇宙は、「人に与えたものが自分に還ってくる」絶対法則があると、釈迦が「因果応報」という言葉で、腐るくらい説き続けてきた。

 この人生は、川の流れ、洪水に流されてゆくのではない。自分で泳いで人生を全うするのである。
 「因果応報」と言い続けた釈迦の真意は、我々の対象的世界(宇宙)を生み出しているのは、実は「自分の心」であるということだった。
 
 何もかも、自分の心が生み出している宇宙なのだ。だから、自分の生み出した心が自分に還ってくるものが人生なのである。
 いわば、対象的世界は、自分の心が生み出している「茶番劇」であって、なぜ、そんな茶番劇が必要なのか? といえば、それは、未来へのシュミレーション(仮想現実)なのである。

  https://www.youtube.com/watch?v=8X3AIKnCtmo

 霊的チャネラー、シルバーバーチとか、バシャールとか、江原啓之なんかは、死後の世界こそ実存であって、現実の世界は、死後の世界で生きるためのシュミレーション訓練であると言っている。
 死後の世界は、幽冥界とか霊界とか、いろいろあって、物質界にフィードバックしながら、行ったり来たり、少しずつ、らせん状に上昇してゆくのだそうだ。
 だから、一つの魂には、数え切れないほどたくさんの人生シュミレーションが用意されているというわけだ。

 シルバーバーチなんか、地球は、火星に次いで宇宙で2番目に悪い星だと言っていて、バシャールは、逆に「地球は霊的な大学院」つまり、もの凄く難しい星と言っている。両者とも、意味は同じだろう。
 つまり、地球に生まれることは、たくさんの人生のなかで苛酷な獄舎に閉じ込められることに等しいのだ。いわば「地獄星」なのである。

 こんな地獄星のなかで、我々は生きていく運命を背負わされている。だから、前世、よほど悪いことをやった奴らばかりではないだろうか?
 もちろん私も……。最近は、間質性肺炎が進んで、いよいよ終わりが見え始めたので、身の回りを整理して、最後の命をどうやって燃やそうかを考えているところだ。

 結局、「人生、立って半畳、寝て一畳、天下を取っても二合半」という真理が残っていて、「心の身の丈」にあった人生のなかでカルマを解消すること。
 この人生を踏み台にして、次の人生につなげるには、「利他主義」を唯一の価値観として生きて死ぬことで、利己主義から生み出された苦悩から解放されると信じている。
 つまり、「人に生きてゆく希望を与える」利他主義である。

Appendix

プロフィール

tokaiama

Author:tokaiama
ツイッターのアカウントは、原発運転による健康被害をとりあげた途端に永久凍結されました

最新記事

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
その他
3位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
3位
アクセスランキングを見る>>

カレンダー

01 | 2020/02 | 03
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

アクセスカウンター

アクセス数