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 集合無意識の意味 地球ガイア

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 私は昔タクシーの運転手をやっていたことがあるのだが、勤務は「本勤」といって、朝6時前に出社し、24時間連続でタクシー業務をこなし、次の24時間は休みというものだった。
 1990年くらいのことで、バブルの頂点が崩れた時代ではあるが、まだまだ繁華街には深夜までサラリーマンが溢れていて、毎夜、遠方にタクシーで帰宅する客を拾って、結構な稼ぎがあった。

 深夜になって、客を乗せて一番困ったことは、客が車内で寝込むと、運転している自分まで、ひどく眠くなってしまうことだった。
 これは、タクシー稼業をやめて、友人を乗せて遠方に行ったときも、助手席の友人が寝ると、すぐに、眠気が運転している自分に襲ってきて困ることが多々あった。

 この現象について、おそらく、眠気の波動、あるいは脳波が、何らかの方法で、車内に伝わるからだと思っていた。
 そんな視点で考えると、怒っている人の近くに行くと、理由もないのに、自分まで怒りっぽくなってみたり、嬉しそうにしている人の近くに行くと、自分まで嬉しくなったりと、脳波? の伝播(伝染?)を証明するような経験は、たくさんあるような気がする。

 カール・ユングは、100年以上前の心理学者だが、「人間がなんらかの方法で、意識を共有している」という「集合無意識論」を最初に発表した人だ。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E5%90%88%E7%9A%84%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%98
 (説明は、かなり難解なので各自が想像力を働かせていただきたい)

 ユングの「集合無意識」は「脳波の共有」などというミクロレベルのものではなく、「人類全体の精神に存在する共有」というマクロ的な心理学である。

 私は、40歳を過ぎてから、さまざまな心霊現象や、自分自身の体験を総括して、既知の理屈では説明できない人間存在の根底にかかわる真実が隠れていると信じるようになり、自分なりに哲学的な論理を構成しようとした。
 自分が体験した不思議な現象のなかで、社会全体が、一つの方向性を持って動き出す原理について、「集合無意識」のリアリティが、もっとも容易に説明可能であると考えるようになった。

 人間社会というものは、ひとつの価値観にまとまりやすい。それは、社会のなかで、さまざまな判断を強いられる局面が続くとき、判断の基準として、「信頼する他人の意見」を参考にするという原理から、当然、価値観の共有が成立してゆくのだが、本質的には、ヘーゲルが存在原理としたイデー、すなわち「存在は合理性に向かって進む」という法則からみても、より合理的な判断が、より多くの利益を生み出し、結果として、より多くの支持を得るというメカニズムなのだろう。

 だが、それだけでは説明できない歴史の奇っ怪な齟齬が存在している。
 例えば、第二次世界大戦に向かって突っ走った陸軍統制派や、国内の強硬な帝国主義大好き人種たちが、天皇制を嵩にきて、「売国奴」とか「赤心忠誠」とか「八紘一宇」とか叫びながら、まるで合理性のない盲目的な侵略戦争に突入していった。

 個人の、今ある幸せを最大の価値として考える人たちを小馬鹿にしながら、「国家」という虚構の価値・妄想を人々に暴力的に押しつけ、狂気の戦争に向かって、まるでレミングの群れのように地獄の敗戦断崖に向かって突撃していったのだ。

 これなど、合理性思考の観点や、「信頼される人物の思想が求心力を持つ」などとの社会原理は蹴散らされ、社会全体の無意識レベルで共有された、一種の集団自殺・破滅に向かった集合無意識が成立していたのではと考えるしかない。

 こうした国家主義の暴走は、社会学的に分析すると、根底に救いのない女性差別が存在していることが多い。例えば、世界中で暴走を重ねる国家は、ほとんど女性の人権を無視している国ばかりだ。
 代表を言えば、イスラム圏で、「不倫をした女性を投石で殺害する」なんて旧約聖書レビ記の戒律を未だに実行している国には、正常な合理的思考が存在せず、戒律を絶対視した強硬な独裁と暴走が社会を覆っている。

 かつての(戦前の)日本も、まったく同じで、女性の権利が蹂躙されていたことは、金子みすゞの気の毒な運命に端的に示されている。
  https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/04/11/17452

 戦前の日本女性は、封建的価値観のなかで、ほとんどの女性が、人権を無視されて、男たちの奴隷として生涯を終える人生を強要されていたのである。
 男たちも、たぶん、「これではいけない」という自責の念が、どこかにあったはずだが、こうした社会矛盾が、帝国主義侵略戦争の原動力に昇華されていったのだ。
 もう、誰も、どうすることもできず、社会の理不尽な男尊女卑と国家主義の洪水に流されてゆくしかなかった。

 こんな閉塞した戦前の日本社会では、言葉でも行動でも、女性たちの権利を確保するのは絶望的であったわけで、そこで登場するのが「集合無意識」である。
 女性たちは「呪う」しかなかった。ところがどっこい、何の役にも立ちそうにもない「呪い」が、心理学のなかでは巨大な意味を持つのだ。

 女性たちは、男社会の崩壊を実現するには、男たちの暴走と自滅を待つしかなかったのだ。私は、第二次世界大戦の暴走の結果、日本女性の地位が大きく高まり、女性解放の息吹が訪れたことから、その根底にあったものは、日本女性の集合無意識であり、「無意識に暴走破滅と社会崩壊、再生を期待した」のだと考えている。

 この社会は、「人々が望むもの、求めるものが実現する」社会である。
 だからイエスも「求めよ、されば与えられん」と繰り返している。
 第二次世界大戦の日本=男社会の破滅を求めたのは、日本の女性たちの集合無意識であると私は思う。女性たちが求めなければ、日本が敗戦の惨禍を味わうこともなかった。
 日本社会には、それが必要だと、みんなが意識を共有したのだ。

 それから70数年、社会というものは、ヘーゲル弁証法が示すとおり、右へ行ったり左に行ったり、振り子のように運動して、少しずつ上昇(止揚)するといわれる。
 振り子のスパンは、おおむね60年から70年程度、今は、振り子が、ちょうど戦前の1940年あたりと同じ位置に来ているわけだから、とんでもなく矛盾が貯まった状態で、再び、激烈な戦争や災厄によって振り子が押し返されるのを待っている状態だ。

 だいたい、人間の一生は、必ず人生のなかで一度は社会的に極めて苛酷な環境に晒されることになっている。それは阪神震災、東日本震災であったり、太平洋戦争であったりするのだが、一人の生涯でいえば、60年に一度大災厄が訪れることになっている。
 すべての占い、気学も、四柱推命もそうなっている。そもそも、人の一生は、原則60年であるから、これを還暦という。
 たぶん、何一つ災厄・苦難を経験しない人生は存在しないだろう。そのように人間が設計されているのだ。

 つまり、我々は、太平洋戦争以来の、災厄を目前に控えている。おそらく新型コロナウイルスも、その一つなのだろう。そして、東日本震災を超えるような凄まじい巨大震災も目の前に近づいている。
 ちょうど、太平洋戦争で、米軍のB29が飛んできて、日本を焦土化するのと同じだ。

 ここで、集合無意識の意味を深く考える必要がある。
 我々が意識を何段階にも共有していることの本当の意味は、我々の人生が、決して一人、個人だけのものではないということだ。
 一人で生きているようでいて、実は、たくさんの意識の共有のなかで生きているとユングは解説している。

 それは霊的世界の解説のなかに、「類魂」=グループソウルという集合無意識論を補完するような存在があって、一人の意識は、決して一個人ではなく、地球上に、肉体は異なれど、たくさんの共有された意識があるというのだ。
 例えば、オードリーヘップバーンの類魂が、アンネの日記の作者だったともいわれる。つまり、一つの魂が複数の肉体で、それぞれ異なるシチエーションの人生を送り、総合的に人生を学ぶという仕組みになっているのだという。

 私は、多段階の集合無意識を考えるなかで、実は、地球上の全生命の意識を集合した無意識があると信じている。
 これを「地球ガイア」と呼ぶ。地球を一個の生命体として理解するもので、地球は、自身のガイアを守るために、地球を破滅させそうな人々や、悪いエネルギーを滅ぼしてゆく自律的性質を持っていると考えるのだ。
 もちろん、地球を守ろうとする人々には、それを保護する力を与える。言い方を変えれば、これをGODと言うべきなのかもしれない。

 霊的存在の研究を重ねている人のなかには、人間の個性は、無数の霊たちの関与の集合体であると指摘する人もいる。
 例えば、非常に優れた作家は、頭の中にイメージやドラマを作り出して文章にするのだが、このとき、歴史上の人物や、現実世界で同じような喜怒哀楽を経験した霊たちと波長が合って、どんどん入り込んで意識を乗っ取られることさえあるという。

 実は、これは私も経験がある。私は「霊媒体質」で、浮遊霊に憑依されやすいのだ。山に行って、自殺した人の霊と波動が合ってしまい、憑依されて長期間ひどい目に遭ったことがある。
 まあ、信じる人も少ないだろうが、これは決して妄想ではない。古い歴史的人物について調べているとき、その人と波長があって、彼の見ていた景色がほのかに見えることさえある。たぶん、歴史小説を書かせたら、もの凄いリアリティが作れそうな気がしている。

 そんな話をし出すと、生死の関係や過去や未来の非可逆性についても、我々が考えているほど固定されたものではないという証拠がある。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-945.html

 【木内鶴彦は、「子供だったときに千曲川に転落しそうになった。そのとき、「危ない!」という声が聞こえたことで助かった。いったい、誰が声をかけてくれたのか?
 臨死体験中、声をかけてくれた人物を探しに過去に遡った。すると、「危ない!」と言ったのは、未来から来た自分自身だった。】

 と語っている。そうなると、時間も不可逆なものではなく、過去にも未来にも自由に遡れて、しかも、それを変えることさえできることになり、人生観が根底から変わってしまう。
 だから、釈迦が繰り返しているように、「今を大切にしなさい」、今目の前にいる人を大切にしなさい、という結論になるわけだ。
 真実は、今、目の前にしかないのである。

 集合無意識に触れているうちに、とんでもないところに飛んだが、最後に私の本当に言いたいことを書いておく。

 自分という個性は、自分で考えているほど絶対ではなく、自分を支える、たくさんの魂、自分とともにある、集合無意識の存在とともにあるのだ。
 だから、一番間違っているのは、自分の利益だけを追求する利己主義である。
 本当の素晴らしい人生は、自分を支えてくれていて、意識を共有する、すべての魂のために生きることである。
 これを利他主義と呼ぶ。

 利他主義があるからこそ、人生の幸福が成立する。集合無意識の存在が、それを教えてくれるのである。

  

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