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 東亜半月弧

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 長い人生経験のなかでも、希なほどの梅雨らしい梅雨。
 家に閉じこもっているしかないが、何もしなくとも、肌にじっとり湿気が絡みついてくる。洗濯物は扇風機をかけ続けても乾く様子がない。
 さすがに、これほどの雨では日課の山歩きもできないので体調は悪くなる一方で、鬱々とした時間が過ぎてゆく。

 気象情報を見ると、日本列島の九州から関東まで、東西に延びた梅雨前線と、降雨帯が鮮明に見えている。

 kisyou02.jpg


テレビで放送される気象情報は、ほとんど日本列島内だけなので、地球規模で梅雨前線を理解できている人は少ない。
 以下のように東アジア版に拡大してみると、北緯34度付近に、ヒマラヤから太平洋に向かって半月を描く弧状の降水帯が鮮明に見えてくる。
 kisyou01.jpg


これが梅雨前線の東アジア規模の様相だが、これをじっくり見ていると、日本史・古代史に詳しい人には、ある固有名詞が浮かんでくる。
 「東亜半月弧」と呼ばれる、特有の文化・植生・民俗を共有する地帯である。
http://miharanosato.blogspot.com/2018/07/112.html
 
kisyou03.jpg


 これを初めて取り上げた佐々木高明らは、雲南省を中心にした、それほど大きくない三角地帯を提唱していたが、後に、ブータン・シッキムから日本列島に至る広大なベルトとして認識されるようになり、これが東アジア梅雨地帯とほぼ一致していることが分かる。
 これを一括して、照葉樹林帯文化圏と呼ぶようになった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%85%A7%E8%91%89%E6%A8%B9%E6%9E%97%E6%96%87%E5%8C%96%E8%AB%96

 この広大な地域は、豊富な夏期の降水量によって、森林は湿性の照葉樹林(広葉帯)になり、人々のライフスタイルは、米作を中心として、焼畑農業・水稲栽培・絹・納豆・味噌・蕎麦などが共通で、木器・漆器や円月刃物・母系氏族社会・歌垣・鳥居などの民俗文化も共有している。

 日本では、ブータン・シッキム・雲南などの高地族ライフスタイルと、四国・九州・遠州などの山上生活者のライフスタイルが、ほとんど瓜二つの民俗文化を伝えてきた。
 離島ではあるが、台湾も、この東亜半月弧に全面的に含まれていて、やはり日本と共通性が高いことで、明治時代の台湾併合でも文化的抵抗が少なかった。

 四国の山上居住者が、シッキムのレプチャ地区に入ったなら、どこを見ても自分の故郷と見まごうにちがいない。
 それどころか、東亜半月弧の東の端に位置するシッキム・レプチャ族と、西の端に位置する日本には、共通する文化、言語まで山ほど存在していて、両者ともに違和感を感じないほどだ。
https://ameblo.jp/central1961/entry-11085790088.html

 この東亜半月弧の概念に含まれる地域を並べてみると、
① ブータン・シッキム
② ビルマ北部
③ 雲南省
④ 重慶
⑤ 武漢(長江沿岸部)
⑥ 南京・上海
⑦ 台湾
⑧ 九州・四国

 ということになる。しかも、これらの土地に大昔から住んできた先住民は、びっくりするくらい、人相風体、民俗文化が似ていて、まるで同じ民族といってもよいほどだ。
 共通するのは、山の尾根の上に住んできた高地族、大河川河口部などに展開してきた米作農耕の人々だ。

 実は、日本の国史では、2600年前に、神武天皇が九州高千穂に降臨したのが始まりということになっているが、その時代、神武らが、どこから来たのかという史実を調べてゆくと、ちょうど同じ時代に、(100年の時差があるが、この程度の古代時差は問題にならない)長江河口に近い(現在の南京・上海圏)ところに、蘇州で知られる「呉」という国があって、隣国の「越」と長い争いを繰り広げていた。

 これは司馬遷の史記に出てくる有名な呉越戦争のことだが、結局、呉が負けて越に吸収されることになったのが2500年前である。
 当時の中華では、敗残国が国民全員、生きたまま穴に埋められる「坑刑」という大虐殺があったことが知られている。

 蘇州呉は、大昔から水郷地帯で、操船文化が最高度に発達していた地域だから、敗残呉国民が坑刑を恐れて、国ぐるみ船で逃げ出して大移動を行ったと考えるのが合理的である。
 彼らは、船で逃げたなら、台湾・南西諸島・九州・朝鮮南岸・済州島などにたどり着くことになる。ちょうど、この地域に包摂される国家があった。それを「倭」という。

 民俗学では、2500年前に、日本や朝鮮南岸に米作農耕が伝えられ、納豆・味噌・ろくろ木器なども始まったという定説になっている。
 彼らには「山の民、海の民」がいて、海の民は文身を入れて海産物を主体に食べた。山の民は高地に住み、焼畑農業とろくろ木工を行った。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B9%B8%E5%BD%A6%E3%81%A8%E6%B5%B7%E5%B9%B8%E5%BD%A6

 当時の古い人相を考えると、私には石垣島の人々、BEGINや夏川りみが浮かぶ。
 目がぎょろりと大きくて丸顔で、裏表のない素直な性格、暖かい人柄である。
 この民族が、有明海にも上陸し、邪馬台国を作った。私は昔、邪馬台国の、卑弥呼の円墳を探していて、地形的に柳川市役所の下だったと見当をつけている。

 そして、彼らこそ「弥生人」の定義にぴったりと当てはまる。筑後川・遠賀川・菊池川などの河口部に客家のような大規模な共同体集落を構えて、米作農耕・漁労文化を創り上げ、船で移動し、瀬戸内から静岡にまで子孫を展開したのだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA

 呉の避難民が流れ着いたのは日本だけではない。済州島にも、完全な弥生文化があった。明らかに「倭」の特徴も持った国もあった。
 済州島の先住民と、九州人を外見上、区別するのは事実上不可能である。だが、戦後、李承晩政権下で、先住民の大虐殺があったと記録されている。

 この大規模な降水帯に附随した東亜半月弧=照葉樹林帯文化圏だが、ここは世界的にとてつもなく降水量が多い。
 中国の場合は、雲南・重慶・長江流域がそうで、中国のGNPの半分がこの地域で生産されている。
 しかし、中国共産党政権は、この地域の高い生産性を保証してきた巨大な自然循環システムを「三峡ダム」によって壊してしまい、揚子江イルカなど、たくさんの固有生物を死滅させてしまった。

 その三峡ダム流域に、今年、過去100年間なかったほどの集中豪雨が、たった今起きていて、三峡ダムの決壊が危ぶまれている。
 これも、三峡ダムが気候を変えたせいと指摘する専門家も多い。

 https://www.youtube.com/watch?v=iGecFpRhGaA

 https://www.youtube.com/watch?v=gAQ_rJxN-zU

 https://www.youtube.com/watch?v=sRiDuSTM1KI

 場合によっては、今日明日の大決壊が起きるかもしれない。そうなれば、長江流域に住む7億人の人々の大半が死亡する可能性がある。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1164.html

  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1171.html

 もしかしたら、三峡ダムは、東亜半月弧の文化だけでなく、文明までも壊してしまったのかもしれない。
 雲南・重慶・長江(揚子江)・台湾・日本は、一つの巨大な自然循環系を形成していた可能性が強く。たった今、九州の人々を震え上がらせている豪雨禍も、もしかしたら中国共産党による自然の摂理に反した構造物が気候変動をもたらした結果かもしれない。

 「豊かな日本」そして「中国の生産核心部」は、すべて、「東亜半月弧」に存在するのである。 

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