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2009年8月4日 ●生活恐慌が始まった

カテゴリ : 無題


 このところ、仕事(木工おみやげ屋の開業準備)が多忙で、ブログを書く時間的余裕が少なく、更新が進まない。悪意の荒らし書き込みも激増していて、削除など対策にも時間がかかるようになっている。
 ネット界全般に、反体制的主張(アカデミックな権威に従わないという意味で)に対する誹謗中傷の嫌がらせがひどくなっていて、船井幸雄サイトが侵入されてウイルス汚染されたり、藤原直哉のサイトも攻撃を受けた。

 ふぐ玉ブログも悪意の誹謗集中攻撃に遭っているようで、筆者への嫌がらせコメントも含めて、これらの真の狙いは、「お上の意に沿わない」サイトを攻撃して意欲を失わせる自民党政府や統一教会系反共団体などの世論操作にあると考えている。
 攻撃は重箱の隅つつきや、揚げ足取りの誹謗ばかりで、こそこそ身元を隠しながら卑劣な侮蔑ばかり書くのが特徴で、著者をうんざりさせて更新意欲を失わせるのが目的だろう。だいたい荒らしを行う者は卑屈な臆病者ばかりで、まっとうな主張は皆無、主体性のカケラもない。撃っても叩いても起き上がって嫌がらせしてくるゾンビのような連中ばかりだ。

 東海アマHPオマケを見れば分かるように、筆者は今から20年前の1990年段階には、日本の先進産業を軸とした国家体制が自滅し、崩壊することを明確に予見していた。
 元より、筆者は40年以上前の高校生くらいからマルクス主義を齧っていたから、資本主義体制が利己主義の増長によって破滅し、自己崩壊によって、やがて国家独占資本という段階に至り、私的所有の体制が瓦解するという法則を必然的な社会原理として理解していた。
 今起きている金融資本の瓦解は、まさしくマルクス経済学の基本中の基本が法則通りに展開されているということであり、何の不思議もないことなのだ。
 旧ソ連圏や東欧諸国ではマルクス主義経済学を学校で教えていたから、筆者の世代の人たちは、この大恐慌を起こるべきして起きた必然と理解している人が大部分だろう。

 マルクス経済学にあっては、恐慌は資本主義の基本法則であって、60年に一度(マルクス自身は10年に一度と指摘していたが、経済規模の拡大再生産、循環法則を前提にすれば60年になる→活動人生サイクルと一致することに注意)は大恐慌が来ることになっている。今はマルクスの予測通りの展開である。
 しかしマルクスは、共産党一党独裁が競争者を排除する官僚主義によって腐敗自己崩壊することまで予測しなかったので、現実社会への適合という観点では失格というしかなく、今では誰も顧みなくなってしまった。だが、こと資本主義の歴史的必然性予測に関しては一つも外れていないことを知るべきだ。

 いずれにせよ、資本主義の必然として大恐慌が定期的に発生するのは間違いない真理である。それは経済を市場原理だけに任せれば、経済に人間の欲望法則が作用することになるからだ。
 最初、ニーズに導かれて商品を生産し、販売し、それが大きな利益を生むということになれば、みんなが争って利益を求めて駆け出すことになる。やがて消費ニーズを満たし、それ以上売れないときがやってくる。だが、それでも他人の金儲けがうらやましくて、状況を読まずに無茶な暴走投資が繰り返される。
 消費ニーズが行き詰まっても生産力の膨張は止まらず、生産過剰になり、商品が売れずに在庫の山となる。社会はデフレに陥り、カネが消えてゆく。これがマルクスの時代の恐慌であった。

 しかし、今では違う。ニーズが満たされて余剰になったときは生産を休んでいればよいのに、金儲けの魔力に取り憑かれた利己主義の愚か者たちが、労働者を絞って、鞭を当て、絶え間なく、際限なく、もっともっと金儲けを要求するのであり、商品ニーズが飽和しても、それ以外の、社会のあらゆる仕組みに金儲けの活路を見いだそうとする。これが余剰生産力によるデフレ恐慌を超えて金融資本主義へと新たな暴走が始まるメカニズムである。

 人口も、その経済規模も、生産力も技術レベルも、巨大な破滅がないかぎり拡大再生産を遂げることが当然だから、恐慌の質も拡大し深化してゆき、やがて、可塑性を失い、根元的破滅に至り、資本主義体制そのものが完全に瓦解することになる。
 今は、その最期の大恐慌、大崩壊が起き始めているのだ。マルクス主義で言うところの「国独資段階」であり、こうなれば、資本が消え、流通が消え、権力まで消えてゆくわけで、これを防ぐために過去、戦争による新たな大損耗が繰り返されてきた。すなわち恐慌はブッロク化経済(鎖国)を産み、鎖国は戦争を産み、戦争は損耗と不足を産み、不足は生産要求を産み、生産は過剰を産み、過剰は恐慌を産むという具合に、連鎖サイクルが成立するのである。

 しかし、恐慌がサイクルとはいっても、いつでも元に戻るわけではなく、そのサイクル自体が限界に達し、すべてぶっ壊れてしまうときがやってくる。それが資本主義体制の根元的崩壊であり、国家独占資本段階とは、すなわち資本主義と利己主義の終焉を意味するものなのである。
 だが、マルクスは、その国家に幻想を抱き、あたかも共産主義という思想が、優れた社会体制を構築できるかのような錯覚に囚われ、大局の判断を大きく誤ったのだ。
 (というよりは、マルクスがユダヤ人であり、資本論の発刊がロスチャイルドによって行われたことで、マルクスがユダヤ教の人類統一支配という陰謀に荷担したのではないかという疑惑も囁かれている)

 結局、人類はマルクスの予測を大きく超えたアホだった。資本主義をコントロール可能な優れた理論も、人も、国家も役人も、この地上には存在しなかったのだ。
 みんな利己主義に囚われ、あらゆるシステムを自分の利権のために利用しようとしたから、その国家までぶっ壊れてしまおうとしているわけだ。まずは共産主義などと屁理屈の能書きを垂れる前に、愚かな利己主義を克服することが先だったのだ。

 さて、恐慌の屁理屈は置いておき、今、本当に大恐慌が来てしまったことで、これから何が起きるのか? 何をするべきなのか? はっきりと見定めて覚悟を決める必要がある。

 恐慌は、金融恐慌から企業恐慌、生活恐慌へと深化する。今、景気が回復したと宣伝しているが、もちろん真っ赤なウソもいいとこで、藤原直哉のラジオブログを聞けば、そのカラクリがよく分かる。
 実際には、公表失業率8%、実質20%という現実が雄弁に物語っている。年末までに失業率は40%を超え、失業給付も限度を超え、生活保護の条件のない人たちは、どこをどうやってもカネがなく、強盗でもしない限り、本当に餓死してしまうことになる。
 となれば実際にやる人もたくさん出てくるに違いなく、治安は限りなく悪化し、路上に餓死者の遺骸、殺人被害者の遺体が散乱する日が、もうすぐやってくるに違いない。

 生活恐慌とは、カネがなくて家を追いだされ、食べ物も買えず、ただウロウロと路傍を歩き、そして倒れて死ぬ悲惨な世界である。
 過去、日本では1945年にそれを経験している。当時、上野駅では戦災孤児が数千名も地下道に寝ていて、毎日、数十名の餓死遺体が出ていた。もちろん大人たちも、たくさん餓死していた。
 それが安定したのは1950年あたりになってからで、進駐軍の積極的な支援が大きな役割を果たした。当時のアメリカは、残酷だったが包容力も大きかったのだ。
 日本が本格的に復興するのは1950年以降、朝鮮戦争特需によってであった。

 だが、大恐慌の真の悲惨は、これから始まるのだ。次に朝鮮特需が起きるとは限らない。
 もちろん資本家は、それを願っている。なんとかして悪漢北朝鮮を焚きつけて韓国を攻撃させ、新たな朝鮮戦争が勃発してくれないかと、毎日祈願していることだろう。
 だが、いかんせん、日本の役人の質が落ちすぎた。彼らには、そうした国民を救済するというビジョンも能力もない。ただ天下り利権と保身に汲汲とするのみで、戦争などとなれば逃げることしか考えないだろう。

 もはや、戦争によって破壊とニーズを生みだすという愚かな手段で、この大恐慌が解決できる時代ではないのだ。戦争をやれば、北朝鮮には全人類を絶滅できるだけのBC兵器(貧者の核)が準備されていることだろう。そうでなくとも、戦争は際限なく拡大し、あらゆる国家の、あらゆる軍備が用いられ、人類絶滅は避けられないのだ。

 これから何が起きるのか? 今何をすべきなのか?
 筆者はHPで何度も飽きるほど繰り返し書いてきた。昨年にはアメリカで200を超える銀行が倒産すると書いたが、実際、この1年で100近い銀行が倒産した。GMも倒産し、次はGEやシティの番だ。今は金融詐欺の主犯格である幹部連中が政府救済資金を持ち逃げするのに必死になっているのは報道されているとおりだ。
 問題は、我々の生活がどうなるかであって、何度も書いてきたように、戦後60年間の先進国景気は、すべてアメリカの戦争と浪費によって支えられてきた。その浪費経済が破綻し、これ以上の需要が許されなくなったわけだ。
 したがって、アメリカは「大草原の小さな家」に還ると藤原直哉が指摘している通りだ。日本も、これまでのようなアメリカ依存経済体制は完全に崩壊し、戦前型の農業社会に戻る以外に選択肢は存在しない。
 これも何度も書いてきた。戦前のように大家族で寄り添って、自給自足を基本とした助け合い生活をするしかないと飽きるほど指摘してきたが、浪費経済体制の元で個人主義、小家族に慣らされた人たちの意識改革は恐ろしく大変である。

 学歴や高所得などという幻想に取り憑かれた連中は、今起きている事態の本質が容易に飲み込めない。したがって、尻すぼみになる経済、崩落する生活水準に打ちのめされて、自信を喪失し、電車に飛び込むか、鬱になって閉じこもるくらいしか能がないのだ。

 こんなとき、本当に頼りになるのは女性たちなのだ。女性たちは、学歴や生活水準などという幻想を簡単に捨てることができる生理能力を持っている。
 これからは、女性を中心とした農業共同体社会が社会を救うことになるはずだ。
 一夫一婦制、小家族制度は、実は資本主義の要求によって成立したものである。それは工場労働者にとって、大家族だと会社よりも家族を重く見ることになり、会社の求めに応じて自由に赴任することもままならず、結局、会社は大家族よりも身軽な小家族を要求することになる。
 しかし、その会社が崩壊するのだから、もう移動の必要もなく、助け合いの人間関係、真の家族が心の唯一の支えになるわけだ。だから、小家族よりも大家族の方が有利になり、必然的に、血縁を重視しない大家族主義が成立することになる。

 しかも、一夫一婦制すらも資本主義企業の要求によって生みだされたシステムであり、それは労働者を企業に縛り付けるための最小単位の家族制度であり、小家族が互いに対立し、見栄を張り合い、浪費に走り、資本主義に貢献させるために大衆を洗脳した制度に他ならないのだ。
 したがって一夫一婦制は崩壊し、共同体生活の必要に応じて多夫多妻制が成立することになる。
 というより、妻と夫は、こだわりの関係を失う。共同体の主役は女性たちだ。男は種付けと労働力さえあればよい。

 自由な性交が許される共同体生活にあっては、当然、父親の特定が困難になる。したがって、親子は母子に限定され、血縁は母系となるのである。
 これが原始共産制度から男系社会成立までの人類史の99%を占める社会が母系氏族社会であった本当の理由であった。
 「原始、女性は太陽であった」
 という言葉は、実に、このような意味を持っている。人類は資本主義を失った段階で、再び母系氏族社会への道を獲得するのだ。

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