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大家族生活 その2 客家

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 国家と大企業の従順な家畜となることで、身も心も、価値観も人生観も売り渡し、代わりに、衣食住、中流生活の幻想を与えられてきた日本人の生活は、国家・組織・企業の破滅とともに崩壊し、今夜の糧を求めて彷徨う非情な野生に放り出されることになるだろう。

 国家も企業も力を失い、地域社会も親戚も友人も助けてくれない。追いつめられた饑餓のなかでは、これまでの一夫一婦制小家族生活では、とても生き抜いてゆくことができない。
 それは、あまりに非効率であり、企業の雇用、営業利益という支えを失った社会では通用しないのである。
 というよりも、小家族の成立は異動の容易、工場労働力の効率的稼働のために近辺への居住を求めた企業の要求であったことに気づかなければならない。

 かつて我々は、山と海、循環し、再生産される自然の恵みを受けて、集団で支え合って生きてきた。だから、それは等しく自然を分け合う、分散した大家族生活であった。都市を必要としない生活スタイルであった。
 だが、賃金労働が自然の恵みに頼らない生活スタイルを生み出し、集中しながら、互いに孤立した小家族を要求してきたのである。すなわち、効率的に稼働する工業生産のための都市を求めたのである。
 したがって、小家族の必然性、命脈は資本主義の崩壊とともに消え去ることを理解する必要がある。すなわち、都市は、資本主義生産とともに消えゆくということを。

 賃金労働という頼りを失った我々に残された唯一の延命手段は、信頼のおける仲間たちと団結し、昔のように、自然の恵みを最大に利用する、循環再生産可能な大家族共同体による効率的生活を目指すしかないと繰り返し指摘してきた。
 みんなで助け合って暮らせば、一のものを十にすることができる。十のエネルギーを費やしてきたものが一の力で可能になる。

 どういうことかというと、孤立した小家族の場合は、三人であっても冷蔵庫や洗濯機をはじめ、あらゆる生活機器を一軒に一台以上必要とするわけだ。しかし大家族で住めば、冷蔵庫も洗濯機も数十名に一台あればよいことになり、小家族生活が、いかに浪費に満ちていたか理解できるはずだ。
 それどころか、子供の面倒を見るときでも、調理をするときでも、介護をするときでも、洗濯をするときでも、小家族では、一人の母親が、すべてを行わねばならず、極めて重労働であったものが、大家族では、それぞれ任務を分担してこなすことができて、あらゆる生活が実に効率的であって、経費も労力も数分の一になるということだ。

 小家族は非効率であり、大家族は効率的である。だから生きるための労力が大幅に軽減される。だが、それよりも、はるかに重要な本質がある。「大家族にはプライバシーがない」と心配している方に、この本当の意味は、「大家族には孤独がない」と言い換えていただきたいということだ。
 大家族は互いを思いやる生活であり、構成員が、それぞれ、みんなのために自分の人生を捧げる「利他主義」を身につけるのである。共同生活者に奉仕する利他思想がなければ大家族は成立しない。

 人は一人では決して生きられない。みんなで助け合い、支え合ってこそ、人生が成り立つのである。
 我々は資本主義に洗脳され、小家族で対立し、他人を羨み、見栄を張るだけの利己主義的な競争生活に慣らされてきた。しかし、大家族では、見栄など何の意味も持たない。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」 つまり、他人を大切にする利他思想だけが大家族を支えてゆく。
 そこには競争から生まれる人間疎外もない。あらゆる人間関係の苦悩から解き放たれ、他人に対立する自我、利己思想も消えてゆく。そうして、共同体の一部品としての人格が成立するようになる。

 しかし問題点もある。
 、共同体の構成員が増えすぎたとき、みんなの目が行き届かない死角が増えて、人間疎外が発生し、団結を崩壊させる腐食が起きることになるからだ。
 だから、共同体には適正人員というものがある。それは、おそらく数十名、多くても百名程度であろう。
 それ以上に増えたら、内部に落ちこぼれとともに、突出した権力者や生活格差が発生し、平等や連帯が消える代わりに規則や束縛、制裁システムが成立することになる。こうなれば単に領主と農奴の関係になってしまうから、もはや共同体ではなく、予防のために分割させねばならないことになる。

 これは、1980年代までの日本社会が、戦後地方における農業共同体の倫理観、価値観の上に作られてきて、日本国家全体が互いを思いやる共同体という要素が大きく、世界的にもすばらしい社会性が成立していたわけだが、中曽根政権の誕生を境に、利己主義と格差が社会を覆い、規則や束縛が人々をがんじがらめにして人間性を矮小化させ、それが共同体利他思想によって成り立っていた日本国家を崩壊させていったプロセスを見れば、理解できると思う。
 すなわち、日本は差別・格差によって共同体を失ったために滅びているのである。

 共同体の適正システムというものは、長い共同体生活の歴史に学ぶ必要があり、我々は、世界各地にある大家族共同体から多くを学ぶことにしよう。
 先に白川郷について、少しだけ紹介したが、大家族の合理・不合理について研究しておくことは、これから子供たちの新しい未来を用意してやるために一番大切なことだ。

 世界に大家族共同体は数多いが、もっともよく知られた共同体は客家(ハッカ)であろう。
 中国に本拠を置いているが、台湾・ベトナム・フィリピン・タイ・マレーシアなど東アジアの多くの国に、数千年の昔から居住している人々であり、「華僑」の多くが客家であるともいわれる。

 客家は、漢族でありながら、どの地方語とも異なる彼ら独自の「客家語」を話すことから、何か特別な由緒を持つ民族であると考えられているが、その歴史を調べても、古代中国史に登場せず、はっきりしたことは分からない。
 しかし、彼らの大部分が、好んで山岳地帯に暮らしている事情が、その出自にヒントを与えているかもしれない。(客家語は唐宋北方中国語の古語といわれ、数字発音などが、現在の日本語の読みに近い)

 宇野政美が「客家は『失われた古代ユダヤ』である」と講演で主張している。
 その「移民性」の激しさ故に、ユダヤ人・アルメニア人・インド人(印僑)などとともに、」『世界四大移民』 『流浪の民族 『中国のユダヤ人』などと表現されることがあるが、古代ユダヤとの関係は、今のところはっきりしない。
 しかし、中国には開封という地域にユダヤ社会があったと記録されていて、これが客家であったという記述も最近知った。(客家研究者、高城桂蔵が、北宋時代に客家のユダヤ人移民が開封におり、皇帝が7つの姓を与えたと書いている)
 筆者は宇野の主張に不信感があったが、考え方を改める必要があると思いはじめている。

 客家について、はっきりと言えることは、恐ろしく教育水準が高く、中国と周辺諸国で歴史的な指導者を輩出し続けてきたということである。
 ごく一部を挙げても以下の通りである。
 洪秀全・孫文・朱徳・小平・リー・クァンユー・葉剣英・コラソン・アキノ・李鵬・朱鎔基・胡耀邦・楊尚昆・台湾の宋一族など、 歴史上の人物でも、唐の張九齢・王陽明・徳川光圀の師であった朱舜水など、あまりにも多すぎて、とても書ききれない。言い換えれば、中国の歴史、権力史を作り出してきた核心に客家がいる。それどころか、台湾の宋一族はシティグループの実質的なオーナーとも言われており、世界金融資本の黒幕といっても過言ではなさそうだ。

 どうして、これほど教育熱心なのかといえば、共同体の結束が固く、すべての子供たちが、「個人の子供」ではなく「みんなの子供」という認識が成立していることが大きい。
 客家には「円楼」という丸い砦のような建物に数十家族が共同生活をする民俗風習がある。
 これは、古代中国から現代に至るまで、中国では、問題が起きると、帰属する氏族結社(中国人は政府を信用せず、身内結社に頼る)に解決が委ねられ、話し合いがつかないと「械闘」という戦闘争議が起きる風習があり、他の結社に襲われて一夜にして一族が殺されるといった氏族間戦争が珍しくなかったことから、襲われても籠城戦に持ち込めるように、氏族ごとに頑強な城を構築した習慣によるものだ。
 とりわけ客家は、その言葉の意味が「よそ者」であるように、地方社会で疎外、攻撃の対象になりやすかったので、こうした生活スタイルが定着した。

 この円楼の周囲が数階建ての居住区で、真ん中が広場になっていて、共同体のすべての仕事が、すべての構成員に、一つの隠し立てもなく見える仕組みになっている。
 このことが、円楼居住者の平等感と連帯感を生み出した。居住者は、すべて同じ条件の部屋に住み、すべて、分け隔て、隠し立てのない行事に参加する。共同生活のすべてが見えて、平等に参加できる仕組みである。

 こうした差別のない生活がもたらす思想は、徹底した連帯感と利他主義である。
 居住者のすべてが疎外感を感じず、平等感を満喫し、同じ円楼に住む者は、血肉を分けた兄弟よりも親しく、愛情を抱くことになる。

 これが客家の驚くほど高い教育水準を産んだ。
 「わが円楼の子供たちは、すべて自分の子供であり、子供たちのために最高の未来を用意してやりたい」 と居住者は考え、できる限りの教育環境を用意し、また進学援助を惜しまない。
 これが、客家が世界最高の人材を生み続けてきた秘密である。
 孫文も小平も葉剣英も朱徳も、こんな客家の利他思想に育まれ、自分が周囲の大人たちからもらった恩義を、国家に奉仕することを通じて返すための努力を続けた。
 客家は利他思想の故郷であり、ゆりかごであった。

 実は、筆者の新潟の従兄弟の嫁さんが台湾客家の出身で、やはり、徹底的な利他主義で、実に外向的で親切な人だ。
 しかし、出身一族の利益に奉仕することも、夫に奉仕する以上であった。出身客家が訪れると、その接待費用が嵩むのに音を上げていたというのが本音だ。
 身近にいる白川郷出身者も客家出身者も、内向的な姿を見たことがなく、徹底的に明るい人たちだ。そして実に親切、他人の世話を焼くことに生き甲斐を感じている。
 大家族で生活すると、人は、このように利他思想を身につけ、明るく親切な人間性になる。

 逆に、閉鎖的な小家族で育った一人っ子は、ほとんどの場合、唯我独尊、自分の思い通りにならないと面白くなく、すぐにヒステリーを起こしたりして、他人の迷惑行為をすることが多い。
 これは、子供たちの育て方が根本的に間違っているからであって、子供は大勢のなかに投げ込んで、たくさんの人たちに祝福され、抱かれ、愛され、それによって人見知りをせずに利他思想を自然に身につけることが、最高の素晴らしい人生を約束されるのである。

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