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最期の革命 その6 内なる価値を見いだせ

 

 日本に住む我々は、これまで資本主義の家畜であった。
 人生の価値は、資本主義が用意した競争社会のなかで他人を蹴落として勝ち上がることであると洗脳されてきた。
 資本主義の定めた権力・権威・地位・学歴・贅沢・浪費を人が目指すべき価値と思いこみ、それを獲得したならば、ありがたがって他人に見せびらかすことが最良の人生と信じこまされてきた。
 豪邸に住むことや、高級車に乗ること、美人妻を娶ること、ブランド品を手にすることも、すべて、成り上がった優越感に浸る人生の証であった。

 だが、どれほど高い地位に上り詰め、どれほど大きな権力を獲得してみても、どれほど人の羨む贅沢ができたとしても、他人を蹴落として成り上がった人たちの心に真の満足はなく、空虚で冷え冷えとした視線、連帯のない疎外された人間関係に苛まれて寂しく死んでゆく運命しか得られなかった。
 どれほど煌びやかに飾った人生であっても、彼らの小馬鹿にする貧しい労働者の家庭にある暖かく快適な連帯感には遠く及ばなかった。

 しかし、それらの虚構、人の心を冷やすばかりの空虚な価値観も、資本主義の破滅とともに消え失せようとしている。
 国際金融詐欺師どもが、ありもしない架空のカネで、世界中の資産、資源を集めようとした。しかし、存在しないカネだったがゆえに追いつめられ、金融資本が支配した資本主義産業すべてとともに破滅しようとしている。

 すでに贅沢生活を与えてくれた投機・投信・金利・クレジット社会は崩壊した。買いたくともカネがない。価値あるものと信じてきたブランド品も、二束三文のゴミにすぎなかったどころか、捨てるのにさえカネを取られるほどだ。
 いまや、資本主義が作り出してきたすべての価値がカネとともにゴミに変わろうとしているのだ!

 我々が価値ある宝と信じこまされてきた物資の山、それは邪魔なだけの粗大ゴミにすぎなかった。我々が価値と信じて求めてきたものは、空虚な幻想にすぎなかった。地位や権力、蓄財がなんだ? 高級車や豪邸がなんだ? 
 考えてみれば、我々に本当に必要な価値は、立って半畳、寝て一畳だったのだ。

 家は暖かく快適に寝られれば十分だった。幽霊の住む部屋数数百の豪邸よりも、疲れた心を癒してくれる語らいの空間の方がはるかにマシだった。
 車は、どこの駐車場にも入らないリムジンよりも、テキパキと実務をこなせる軽自動車の方がはるかにマシだった。
 数百万円もするルイヴィトンより、軽快な登山ザックの方がはるかにマシだった。
 見栄張りばかりの贅沢三昧で文句ばかり多い美人妻よりも、暖かい料理を作ってくれる心優しい不細工な妻の方がはるかにマシだった。見てくれだけのかっこいいイケメン夫よりも、勇気をもって困難を克服できる信頼感を与えてくれる冴えない夫の方がはるかにマシだった。

 価値と信じてきたもの。それは、すべて自分の外にある虚構にすぎなかった。
 崩壊した資本主義の瓦礫のなかで、我々はやっと、真実を見ることができるようになった。
 資本主義は、終わってみればなんと虚飾に満ちた空しいガラクタにすぎなかったのか・・・・。

 おかしいと思っても文句も言わず、言われたことだけをやっていればカネが与えられ、衣食住が保証される時代は終わった。これから何が起きるのか? 自分のアタマで考え、自分の未来は自分の五体、手足、能力によって切り開かねばならない時代がやってきた。

 皮肉なことに、豊かだった時代、我々は資本主義産業の物言わぬ従順な家畜になることを強いられてきたが、その資本主義が瓦解して苛酷な原野に放り出されたとき、我々は一匹の野獣として自らを取り戻すことになった。

 だが、原野のなかに、どこに食べ物があるのだろう? どうやって命をつないでいったらよいのか? どうやって子供たちの未来を紡ぎ出すことができるのか? 野山を彷徨ってみても、どこまでいっても答えが見つからず、みんな途方に暮れはじめている。

 思えば、我々は資本主義に飼育された家禽にすぎず、与えられたライフスタイルに溺れて自然の姿を見失い、エサの取り方さえ忘れてしまったのだ。家畜・奴隷としての人生以外、誰も知らないのだ。自由とは何なのか?
 我々は縛られた猿だった。解き放たれ、もう誰も自分を縛っていないのに、みんな縛られていたときと同じように不自由にしか動けない。いったい、どこを探せば未来につながる答えが見つかるのか?

 多くの人は、自分の求めるもの、自分を救うもの、得るべき価値は、自分の外側にあると考え、それを探して当て処もなく、途方もなく彷徨っている。だが、探す場所を間違えてはいけない。あなたの外に答えはない。真の答えは、あなたの内側にあることに気づかねばならない。

 求めるものは役所の救済事業にあるのか? 人の善意にあるのか? 巨大企業にすがればよいのか? 銀行強盗でも行えばよいのか? 空き巣と万引きを目指せばよいのか?
 カネをくれる仕事を探し、雇い主を捜してみても、もう、ニーズがないのだから雇い主などいない。どこまで歩いても仕事はない。役人たちは、税金を吸い上げて、それを利用してきたにすぎない。だが、もはや誰もが税金を支払う能力を失ったのだ。
 強盗をやってみても、得られる価値など、それによって失う価値の数万分の一にも満たないのである。自分の愚かさを思い知るだけに終わるだろう。

 だから、結局のところ自分で仕事を作るしかないことに気づかねばならない。自分で、衣食住を生産し、価値を作り出すしかないのである。このとき、探すべきものは外ではなく、自分の内側にあったことを思い知らされるのだ。
 よく考えてごらん。人を頼っても、政府も自治体も企業も家族も友人も、みんな他人を助ける能力が失われてしまったのだ。だから自分の外に救済を求めても無駄なのだ。救済を求めるべきは自分の内側なのである。頼るべきは自分だったのだ。

 これまで、人に助けてもらうこと、指示をこなすことだけしか考えてこなかった人、他人に頼ることしかしなかった人は、もう自分を助けてくれる人が、どこにもいなことに気づく必要がある。
 だが、自分を助けてくれる最後の切り札があった。それは自分だったのだ。
 自分の内側を見つめ、これから起きる事態を予想し、自分と、自分を支えてきてくれた周囲を救うために、残されたすべての力を振り絞って立ち上がらねばならないのである。

 このことが理解できるなら、次になすべきことは、これから人間社会に生まれる真の必需を見極め、衣食住を生産し、命を紡ぎ出すために必要な行動をしなければいけない。
 人は、一人では決して生きられない。我々は人間社会のなかで助け合って生きるしかない。自分さえよければいいという思想、自分の利益だけを追求する利己主義の姿勢が、社会の主流となってしまったために、この社会が破滅したという真実を見抜かねばならないのである。
 だから、破滅した社会を修復し、元通り希望の見える助け合い社会を復活させるためには、利己主義を追放し、利他主義を最高の価値とする助け合い社会に作りかえねばならない。

 カネによって救われるのではない。カネなど単なる生活の道具にすぎないのだ。
 我々は、他人の生活に奉仕する助け合い社会によって生かされてきたことを深く思いだすべきだ。今、我々が存在するためには、長い歴史のなかで先人たちが、子孫のためを思う利他主義の心で、未来のために行った努力に支えられていることを思い出せ。
 たとえば、我々の家を建て、家具を作る木材を見よう。一本の柱は決して自然に生えているものを利用しているだけではない。数百年の昔、未来の人たちのために先人が大規模に植林し、長い時間をかけて大切に育て、手入れしてきたことにより、今我々が利用することができる。
 我々は、カネという道具で、それを入手できたとしても、決して自分のためだけに、それを使ってはいけない。我々が利用した分は、未来の子孫のために、補充しておかねばならない。そうでなければ、未来社会の木材が消えてしまうではないか?
 今、自分にカネがあり、いかなる贅沢が許されたとしても、それは先人たちの子孫を思う努力の結晶を消費しているだけのことであって、それを得た者が、さらに子孫のために植林し、大切に育てることで、過去から未来への歴史が成立するのである。

 だが、自分が得た金を消費しただけで終わるなら、それは浪費にすぎず、子孫の未来は存在しないことを知るべきである。
 自分の血縁子孫など、どうでもいいことで、人類全体の未来に奉仕するという普遍的愛情の思想が必要なのだ。あなたの使う木材は、あなたの血縁先祖だけが作ったものではないからだ。今、我々の存在、生活は、そうした先人たちの無私の奉仕精神、利他思想によって成立しているのである。
 
 我々が、日々、生産するものは、「他人の幸せ、未来の幸せ」に奉仕するためのものである。決して、自分の蓄財や利権のために作られるものであってはいけない。利己主義が生み出すものは、未来の破滅でしかない。自民党や保守勢力、官僚たちは、未来の子供たちに負債を押しつけることで利己主義の繁栄を謳歌しようとしてきた。
 いわば子供たちの未来を犠牲にして、自分を肥大させるだけの贅沢・浪費に邁進してきたのであり、まさに未来に対する巨大な犯罪といわねばならない。
 今ある高速道路、数々の箱物建築物、巨大なビル群が、子孫の幸福を保証できるものか? よくよく考えよ、それは、建築利権によって自分たちを肥え太らせるための道具でしかなかったではないか。

 思えば人生とは価値を探す旅路であった。価値とは何か? それは人の求めるもの、人の羨むもの、人の感動するものであり、あたかも人の外にある唯物的なカネ、金やダイヤモンド、不動産、地位、権力であると思いこまされてきた。

 しかし、それが本当に人生の価値なのか?
 そう思いこんできた人たちによって、今起きている破滅がもたらされたのである。だから我々は、自分の外に置かれた、そうした価値が、本当に自分と未来を救うものかどうか、もう一度考え直さなければいけない。

 我々の人生は、先人の未来に対する奉仕精神、利他主義によって成立していることを思い出せ。だから、他人の人生、子供たちの未来、人類の未来に、奉仕することが、連綿と続く人類の歴史に奉仕することであり、それこそが真の人生の価値であることに気づく必要がある。
 価値は自分の外にあるのではない。それは自分の心の内にある。利己主義を克服し、他人のために努力することで真の価値、満足を得る内なる思想を獲得することが、自分にとって最高の価値であることを知る必要があるのだ。

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