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大家族生活 その3 母系氏族社会

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 大家族生活 その3 母系氏族社会

 白川郷では、かつて一戸に数十名の男女が共同生活する民俗習慣があった。独立した一戸における大人数家族の生活スタイルは、どのようなものだったのだろう?

 かつて、白川村に大家族生活が存在した時代では、戸主夫婦以外の男女は、もちろん兄弟姉妹・叔父叔母・甥・姪などの血縁であり、近親交配の悲惨な結果も、先祖から伝わる経験則のなかで十分に理解されていたはずだから、戸内家族間での性交は戸主夫婦が専用個室で行う以外もちろん許されなかった。
 大きな広い戸内であっても、寝場所は意外に小さく、デイ(男部屋)チョウダ(女部屋)は、それぞれ10畳ほどしかなく、ここに20名近くが寝ることもあったようだ。
 これは、人の目が行き届かないと、男女の間違いが起きるという用心が働いていたのだろうことと、極寒の土地なので、寄り集まって寝る必要があったのだろう。当然、プライバシーなどカケラもないが、慣れれば、それを不快と感じる者も少なかったようだ。

 正式に婚姻できるのは戸主のみでありながら、健康な男女の性欲まで封じ込めることなどできないから、家の者たちは他の家の男女と交際し、婚姻せずに肉体的に結ばれることになった。
 男女の性交は、離れた田に作られていた農作小屋や、夜這い用に設けられた小さな出入口から、示し合わせて、二階や三階の小部屋に行ってすませていたようだ。
 男女の関係は固定することが普通だったが、婚姻の束縛がないため、比較的、自由に相手が変わったようだ。しかし、「男が女を捨てる」場面では、家族の女たちから一斉に口を極めて罵られたと記録にある。
 他に楽しみもない深い山里のため、みんなせっせと子作りエッチに勤しんでいたため、なかには十名近い子を産む母もいた。
 こうして産まれた子は、すべて「家の子」として育てられ、父親側には帰属せず、母の家に帰属することになった。
 こうした男女関係を民俗学では「妻問婚」と呼んでいる。

 【ウィキ引用:妻問婚とは夫が妻の下に通う婚姻の形態のこと。招婿婚ともいう。女系制の伝統のある社会など母権の強い民族に多く見られる婚姻形態で、普通、子は母親の一族に養育され、財産は娘が相続する。 かつてこうした婚姻形態を持っていた民族として有名なのは、インド南部ケララ州に住むドラヴィダ人、古代日本人など。
 彼らの家には幾つかの区切りがあり、女性達は共同の広間と自室を持っていて、夫は夜間にその部屋に通う。一人の女性に複数の男性が通うことも多く、結果、女性が妊娠した場合は、遺伝上の父親(ジェニター)ではなく一族の長である女性が認めた男性が女性の夫、子供の社会的な父(ペイター)となる。子は母親の一族に組み入れられ、妻の実家で養育される。社会的な父には扶養の義務があり、畑仕事などで一家を養う。
男系社会における妻問婚
古代日本は基本的に一夫多妻制の男系社会ではあったが、財産は女子が相続し、社会的な地位は男子が相続する形態を取っていたと考えられている。基本的に、女子は社会的地位(位階)は夫に準じ経済力は実家を引き継ぐが、男子は社会的地位は父に準じ経済力は妻の実家に準じる。女子の後見人は兄弟や一族の男性であり、男子の後見人はやはり一族の主だった男性である。】引用以上

 ウィキ引用に指摘されているのは、妻問婚には母系と男系の二つの様式があるということだが、白川郷の場合は後者になる。
 すなわち、中世封建領主(内ヶ島氏)の荘園として拡大した白川郷にあっては、戸主は大領主に帰属する小領主であって、年貢・軍役などの義務、財産を相続するのは男系男子であった。
 しかし、内ヶ島氏が登場する以前は、真宗門徒の自治的な地域であった可能性が強く、室町時代以前頃までは、おそらく母系氏族社会であっただろう。

 母系社会にあっては、家を支配する家長は母親であり、権力・財産を相続するのも母の血統である。このことの意味は、束縛のない自由な性交が許される環境ということだ。
 婚姻による束縛のない自由な男女関係にあっては、父の子を特定することはできず、母の子だけが特定されるため、必ず母系氏族社会になる。また、分散した小家族で暮らすよりも、はるかに効率的な大家族生活を好むようになる。
 したがって、人類の権力史が始まる以前、草創期の大部分が母系氏族社会であったと考えられる。男系社会が登場するのは、男の権力、財産、すなわち国家の登場と共にであった。男の権力・財産を相続させるために、母を束縛する男系社会が成立したのである。

 父の財産と権力を、父の特定された子に相続させようとすれば、母親を家に束縛して貞操を要求することになり、小家族の方が束縛に都合がよいため大家族生活など成立しない。
 大家族共同体生活は、もっぱら母系氏族社会の生活様式である。白川郷に大家族生活が残ることの意味は、実は、中世に至るまで、母系氏族社会の本質を色濃く残していた地域ということがいえよう。
 早い時期から男系社会になっていれば、妻を束縛しにくい大家族は廃れ、小家族になりやすいのである。

 世界に、同じような妻問婚と母系氏族社会の伝統を残している地域がいくつかある。なかでも、テレビ番組取材などで取り上げられて知られた地域には情報が多い。

 【モソ人:http://blog.livedoor.jp/open_eyes/archives/cat_322581.html
 雲南省と四川省の境界線上に位置する「秘境」濾沽湖付近にのみ居住する「モソ人」と呼ばれる人々がいる。人口は約1万人で、人数的には民族と扱いうるが、「族」を形成するだけの勢力を持たないため、正確な表記は「モソ族」ではなく、あくまで「モソ人」とされる。公式な少数民族の中にその名を見つけることはできない。
 モソ人は系統的には雲南省の麗江地区を生活拠点としているナシ(納西)族から枝分かれした一派といわれているが、ナシ族とは明らかに異質な文化や風習を持つ。中でも特徴的なのが、「通い婚」という結婚形態だ。
 これは男性が必要な時だけ妻のもとに訪れるという慣習。「通い婚」は「アシャ(阿夏)婚」ともいう。「アシャ」とは、モソ語で「親愛なる伴侶」という意味。男女とも成人になると、男性が金・銀・玉を贈り、女性は飾り物を返礼して交際をするようになる。
男性は妻と共に生活する義務はなく、昼間は実家で暮らし、夜になると妻のもとへと通う。妻と一夜を過ごしたのち、翌朝再び実家へ帰るという生活を繰り返す。
モソ人の家族には、「父親」や「夫と妻」という役割は存在せず、また私たちが普通に考える「父と子」という関係も存在しない。父親である男性は「父」や「夫」ではなく単に「おじさん」と呼ばれている。子どもたちは生みの母親だけではなく、母の実家の全員で育てる。一家の家長は女であり、代々女が家を継いでいく。
複数の男性と肉体関係を持つことに関して、モソ人の女性はオープンであり、兄弟で父親が違うことも珍しくない。「一夫一妻制」ではないため、「未婚の母」「私生児」「未亡人」という言葉も存在しない。
家事も子育ても女性の実家まかせだから、男性にとっては羨ましいようにも思えるが、モソ人社会は「女の国」と呼ばれるほどの母系社会であり、家財などを管理するのも家長である女性の仕事である。立場の弱い男性は女性に頭が上がらないということらしい。】引用以上

 これを見ると、白川郷の大家族によく似ている。違うのは、白川郷では、すでに領主支配が確立し、徴兵・納税のために男子を優先させる男系家族制度が成立しており、家を支配し、財産を相続する家父長は、男性であり、戸主の長男が跡目を継ぐシステムになっていたということである。
 しかしながら、封建領主が登場する以前の白川郷では、引用したモソ族とほとんど同じ生活スタイルであったろうことが容易に察せられるのである。
 すなわち、大家族共同生活の伝統は、母系氏族社会の伝統である。

 【台湾アミ族:http://blog.katei-x.net/blog/2008/12/000721.html
●部族-氏族構成 ガサウ>マリニナアイ>ロマの三層構造で構成される。
・ガサウ:祖先or故地を同じくする集団≒同生地族
・マリニナアイ:具体的に系譜関係を辿れる範囲の自律的集団≒母系出自集団
・ロマ:集団の基本単位≒単位集団
●ロマの母系制規範 ロマの長は、多くの場合最年長の女性。ロマの家屋敷、田畑は家長が所有。財産は基本的には母から娘へと相続。姓も母系継承。首長などの地位は、母方オジからオイへと継承。基本的には婿入り婚規範。(※現在のアミでは、これらの母系制的な様相はほとんどみられなくなっているそうです)
母親を「太陽(cidar)」と称す。赤色の伝統的な服飾や羽の冠、花の冠、肩帯びに付いた円形の貝殻、腰帯に付いた鈴などはすべて太陽である母親を象徴。歌の中にも母親という言葉が頻出。】引用以上

 アミ族は台湾原住民、高砂族の最大部族で、アニミズムの母系氏族社会を持つ。かつて日本が台湾を植民地化し併合していた歴史があることから、アミ族の人たちで日本に帰化し、完全に溶け込んでいる人も多い。
 筆者の昔の職場にもいたが、とても従順で、妻や母親など女性の意のままに支配される傾向があった。
 身体能力の高い人が多く、郭源治・陽仲壽・陽耀勲 などプロ野球選手を輩出している。台湾政財界にも多くの人材を送り込んでいる。

 母系氏族社会にあっては、男性権力を尊重することはなく、生理・妊娠・出産など女性の自然な営みを大切にする傾向があり、非常に融和的である。
 アミ族は、戦後まで「首狩り」の風習が残るほど獰猛ともいえるほどの台湾先住民社会にあって、唯一、そうした残酷な習慣を持たない部族であった。これも、家父長が母親であったことの属性によるものだろう。

 ドラビタ族・モソ族・アミ族も、すべて、とても穏やかで友好的な人たちであり、母系氏族社会では、男性の権力闘争や戦闘が少ないため、友好的で心暖かい人たちが多い。
 先に述べたように、客家では世界的な指導者を輩出し続けている。白川郷からも、「人を救う」ことに人生を捧げる人たちが輩出されている。
 他人の犠牲の上に、利己主義的な欲望を満たそうとする人たちは、決して大家族から生まれないのである。それは、人間疎外の上に築かれた小家族制度によって生み出されるのであり、たくさんの家族に祝福されて、暖かく育った子供たちが、戦闘を好み、利己的な蓄財や権力を好むこともない。

 我々は、小家族制度が生み出してきた矮小姑息な人間性と、大家族制度が生み出してきた、広い暖かい人間性の意味について、今、深く考えるべきである。

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