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大家族生活 その4 小家族の破綻から大家族共同体へ

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 http://www.dokidoki.ne.jp/home2/yh1305/diary01-01.html#1/1
 【指定された場所と時間に指定されたセリフを言うというエキストラのアルバイトを始めた役者志望の男。周囲の人間はセリフにない言葉をまったく受け付けない。実は周囲の人間もすべて指定されたセリフをしゃべっているだけのエキストラにすぎず、これまでそれに気付いていなかったのは彼一人だけだと知らされ愕然とする。】

 そう、現代社会は、学校、会社はおろか家族・友人の会話まで、指定された常識を逸脱しないように言うべき台詞が定められている。もし逸脱でもすれば、朝青龍や国母のような一斉バッシングを受けるハメになるわけだ。
 その制裁は恐ろしいものだ。『良識』やら『品格』やら、糾弾している本人さえ、たぶん分かっていない空虚な批判が飛び交い、朝青龍は優勝しながら引退を強要され、国母は実力ナンバー1でありながら、オリンピック参加を辞退させられかけた。「逸脱すれば追放と死刑が待っている恐怖社会」というべきだろう。

 戦前、治安維持法、大政翼賛会体制の元で「天皇崇拝命令」に従わなかったり、「お上」の命令で戦争に協力することを断ったりしたなら『非国民』と決めつけられて、社会からつまはじきにされ、抹殺された洗脳統制社会が、いまや再び復活しているのだ。
 家族のなかですら、血を分けた親子の間ですら、ホンネを言うことは許されない。タテマエだけの乾ききった世界。これこそ、ジョージ・オーウェルが『1984年』のなかで予言した、権力による超管理社会の到来を実質で成就したものではないか?

 見せかけだけの自由と権利、コントロールされた『反抗』、体制の家畜として従順に生きる限りは衣食住が保障されるが、体制に疑問を持った瞬間、そこには屠殺が待っている。こんな社会は、いったい何のために用意されたのか?

 それは、人類を家畜として支配しようとする特定の勢力によるものだと決めつければ簡単であり、実際に、ロスチャイルドを代表とするユダヤ・タルムード信奉勢力の歴史を見れば、『シオンの議定書』に書かれているとおり、緻密に計算された恐るべき『ワンワールド社会』に向かっていることが明らかだが、実は、それで決着がつくほど単純なものではない。

 自分の間違いを棚に置いて他人の間違いばかりを糾弾し、鬼の首を取ったように喜び勇んで制裁しようとする人たちは、決してユダヤ勢力ばかりではなく、自分の両親兄弟であり友人であり、上司であり、教師や役人たちである。
 社会の真実に目を向ける機会がいくらでもありながら、臭いモノにフタをし、見ざる言わざるを決めて、現実から背を向け続けてきたのは、いったい誰なんだ?
 ネットの匿名性を利用して、姑息に身元を隠しながら、恥知らずに他人を誹謗中傷しているのは誰なんだ?
 道端で倒れているホームレスを、気の毒にさえ思わず、汚い、嫌なものを見たと一目散に逃げているのは誰なんだ?

 結局、自分自身が、それに対処できる実力も自信もなく、真正面から向かい合う誠意もないことを思い知らされ続け、せいぜい虚勢を張りながら、囲われて、安全地帯で生きる人生に逃避しているのが実態ではないのか?
 どうして、日本人は、こんな愚か者ばかりになってしまったのか?  人を臆病で矮小で無能な弱虫にしてしまった最大の原因は何だったのか?
 その最大の理由は、人々が連帯を忘れたことだ。小家族になり、対話せず、孤立する人生を強いられているからだと私は思う。

 我々が小家族にされてしまった理由は、工場労働力の効率的稼働のために近辺への居住を求めた企業の要求であった。
 資本主義の金儲けシステムに依存していれば楽ちんに食べてゆけるから、賃金労働をしていれば、自給自足では手の届かない贅沢ができるから・・・・みんな、先を争って、資本家の奴隷に身売りしていったのだ。

 大自然に抱かれる野生を売り渡し、他人の不幸の上にあぐらをかいて、金儲けだけを目的にした仕事に無批判に従事する家畜に成りはてたのは誰だ?。
 「正しいこと、間違っていること」を言う、人間として当然の姿勢さえ売り渡し、会社に盲目的に従ってきたのは誰だ?
 見ざる、言わざる、聞かざるを決め込んで、賃金のために人間性を売り渡してきたのは誰だ?

 かつて我々は、循環し、再生産される自然の恵みを受けて、集団で支え合って生きてきた。
 だが、資本主義の勃興とともに、人々は企業に依存する賃金労働家畜に転落させられていった。大家族で団結し、連帯して、創意工夫、知恵を出し合って生活を切り開くのではなく、企業の用意したぬくぬくとした座布団に座って、指示されたことだけをやっていれば安泰であるかのような家畜的人生が人々を支配していった。

 だが、そんな『資本主義畜産社会』とでもいうべき管理社会が、突如、音を立てて崩壊しはじめた。
 1990年、我々は鉄壁の大資本、山一証券が崩壊する姿を見た。バブル崩壊は、戦後資本主義を次々になぎ倒していったが、アメリカによる金融資本主義の巨大な隆盛によって需要が牽引され、一段落するかに見えた。
 しかし結局、それは幻想に過ぎず、投機というゼロサムゲームの詐欺市場による集金システムにすぎなかった。それは2007年末に、ツインタワーのように崩壊を始めた。
 世界の商品市場は一気に需要を失い、労働者が路頭に放り出される時代がやってきた。

 いまや、賃金労働という生活基盤を失った我々に残された手段は、再び昔のように自然の恵みを最大に利用する、循環再生産可能な大家族共同体による効率的生活を目指すしかない。野山に放り出された我々は、基本的に農業による自給自足を目指すしか生き延びる手段がないのだ。
 だが絶望することはない。みんなで助け合って、株主や経営者の儲けのためにではなく、自分たちの生活のために行う労働には、金儲けのために人間性を無視して追い立てる鬼もいない。疲れたら休めばいい。
 それは愛があって人間疎外がなく、とても楽しく、意欲をかき立てられるものなのだ。

 小家族は非効率であり、大家族は効率的である。だが、「大家族にはプライバシーがない」と心配する人が多いだろう。だが・・・プライバシーとは何だったのか?
 それは、冒頭に述べたような愚かで無意味なバッシングから逃避するためのものでしかなかった。それは仮面家族のなかで、本当の自分に戻って癒されるための部屋だった。
 だが、本当の自分をさらけ出して、ホンネだけで生きられる社会があるとすれば、そこには隠すものもなく、プライバシーも必要なくなるだろう。
 必要なことは、いつでも一緒に生きる仲間が優しく癒してくれる生活だったのだ。孤独から解放されることだったのだ。
 大家族は互いを思いやる生活であり、構成員が、それぞれ、みんなのために自分の人生を捧げる「利他主義」を身につけるのである。共同生活者に奉仕する利他思想がなければ大家族は成立しない。そこにはバッシングでなく暖かい癒しがある。

 さて、こうしたバッシング、姑息に身元を隠しながら他人を攻撃して自己満足する類の矮小な人間性は、どのようなメカニズムで生まれるのか? と考えるなら、結局、孤立させられた小家族と私有財産制度から生まれると筆者は考えている。
 東海アマの掲示板で、悪意に満ちたバッシング、嫌がらせ書き込みを執念深く続ける「カイロ」(カ)などを見ていても、その内容は、実に陳腐矮小な私有財産への執着にすぎない。
 「人間が、どのように共同して楽しく生きてゆくか」
 という前向きな問題提起が存在せず、人生観の根底が腐敗崩壊していると思うしかない劣悪なものであり、おごり高ぶり、ねじ曲がった卑屈なプライドを守ろうと必死になっている姿が哀れというしかない。

 これまで、掲示板に悪意書き込みを続けた者の多くが、おそらく小家族の偏狭な価値観に育った「一人っ子」であろうと考えている。
 彼らの特徴は、徹底して自分勝手であり、他人に対する思いやりのカケラもないことである。カイロなどは、「ホームレスになったのは自己責任だから死んで当然」と書いていて、自分がホームレスに転落する可能性を、まるで理解しておらず笑ってしまう。
 彼のような悪意性の高い人物こそ、みんなから嫌われて誰からも援助を受けられず、最期はホームレスに転落する運命が約束されているのだ。

 このまま小家族ライフスタイルが続くなら、無数のカイロが登場し、矮小偏狭な人間性で埋め尽くされた社会になるであろうことに戦慄を覚えざるをえない。
 結局、「私有財産(権力・地位・蓄財)の多寡により人間の値打ちを評価する」という価値観がのさばっている以上、こうしたゴミどもが次々に形を変えて登場してくるわけで、良き人間性の若者たちを育てるためには、何をおいても大家族共同体で、他人をいたわり支え合って生きるという価値観を身につけさせるしかないと確信している。

 筆者は、近所の中津川市福岡にある「満天星温泉」によく行く。300円で気持ちのい鉱泉銭湯だが、困ったことに、最近は公共浴場におけるマナーを理解していない者が増えていて、辟易する機会が多い。
 体を流さず浴槽に入る者など初歩的で、体を洗って、ついた洗剤を流さず、いきなり浴槽に入る者、タオルを浴槽内で使う者、なかには浴槽内で体を洗う者など、それも結構な年代のオッサンがやっている。
 見ているだけでウンザリし、注意するよりも、「もう二度と来るものか」と思ってしまうことが多い。

 筆者の子供時代、まだ各戸に風呂はなく、銭湯が一般的であって、庶民は誰でも銭湯に通ったものだ。当時は、ご意見番の世話焼き老人がたくさんいたもので、子供が浴槽に体を洗わずに入ろうとすれば、親身に注意してくれたものだ。
 愛情たっぷりの気持ちが伝わってきた時代だから、こちらも、ありがたく小言を頂戴した。風呂のマナーというのは、共同体生活にとって本当に大切なものだ。
 我々が他人と協調して生きているという現実を、風呂ほど端的に物語ってくれるものはない。自分勝手な利己主義洗脳者が公衆浴場に入ると、たった一人で数百名の楽しみを無茶苦茶に破壊してしまうからだ。

 日本で唯一、成功している大規模な無私有の共同体がある。
 そこでは、小さな風呂に数百名が入るが、最後まで湯が汚れない。それは、みんな風呂に入る前に、徹底的に体を洗うからだ。それは共同体の基本マナーなのだ。
 次回は、共同体の運営について、日本最大の共同体ヤマギシズムを見てみたい。






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