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大家族生活 その7 家族とは何か

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 我々は、ほとんどの場合、生まれ落ちてから家族のなかで育てられ、周囲の人間関係のなかで必要なことを学びながら、自分がやるべきことを自覚し、それを実現しながら年齢を重ねてゆく。
 人は、「自分自身」(自我)を自覚するに至る段階までは、養育者のペットのような客体的存在であって、環境に依存して「生かされる」しかない運命だ。
 しかし、たくさんの経験を積んで、やがて養育者に甘えない「主体的な自分」を自覚することになり、「自分の意志」で対象的世界を変えられる段階にまで成長することになる。
 ここで人は客体的存在から主体的存在へ、受動的存在から能動的存在へと革命的飛躍を遂げるのである。すなわち「自立し、一人前になった」ということだ。もちろん、そのプロセスは千差万別で、人によって異なるものだが。

 一人前になった人がやるべきこととは何か?
 最初に自分の命を保全することである。自分が今日食べる食事、保温、安全な寝場所の確保であり、明日の食事、寝場所の確保である。そうして、周囲で自分の生きるモチベーションを支えてくれる人間関係を確保し、安定した快適な生活を送れるよう努力することが人生の仕事といえよう。
 やがて(可能ならば)異性と結ばれ、性欲を満たし、子を設け、育て、老いて死ぬのが人生のすべてだ。人生とは、これ以上でも以下でもない。
 付け加えるなら、好奇心を満たそうとするモチベーションがあることくらいだろう。人は周囲を知りたいものだ。知ることによって、より快適な生活が保障されるようになるからだ。

 今、資本主義国大衆の多くが望んでいるような、周囲にいる人々を蹴落として、自分が優位に立つことが人生の本当の目的ではない。
 有名になることも、他人に秀でることも、蓄財や権力を得ることも、決して人生の普遍的目的ではない。それは人を利用するだけの歪んだ社会によって変形した精神の要求なのだ。それは金儲けと人間疎外を正当化する資本主義による洗脳の産物なのである。

 それは周囲の生き物に怯えて噛みついて回る、病んだ狂犬のように不自然な姿であることを知っておく必要がある。自然のなかで、のびのびと生きている犬は、特別な理由がなければ噛みつきなどしない。しかし、狂犬病に罹ったり、理由なく殴られたりして、不自然なストレスを与えられれば、暴走して周囲に噛みつくようになる。
 人間が、名声・所有欲・権力・蓄財に幻想を抱いて、他人の迷惑も顧みず暴走する理由は、ストレスを与えられた狂犬と似たようなものだと知る必要がある。
 資本主義社会は、人を金儲けのために利用しようと強烈なストレスを強要する社会だ。このなかで、我々はストレスに苛まれ、狂犬のように、怯えて周囲に噛みつき、利己的な欲望に突き動かされて、うろつき回る人生を強いられているのである。
 あらゆる犯罪の根源は、資本主義の生んだ金儲け主義のストレスから生まれるものであり、人の不幸の大部分が、そこから生成されていることに気づかねばならない。

 人が他人に秀でたいと思うようになる理由は、人から疎外され、軽蔑され、悲しい思いを強いられた経験が重なり、秀でることで注目を浴びて、大切にされたいという思いから生み出されるモチベーションである。
 他人から軽蔑されたことのない人間は、決して秀でたいとも思わないのだ。例えば、天皇家で育つ子供たちは、すべてガツガツした自己主張の饑餓など微塵も見えないではないか?
 人は人間関係におけるコンプレックスを解放したいと願うもので、例えば、見下されたなら見返してやろうと思い、愛されたなら愛してやろうと思う。
 人は自分のもらったものを他人に帰す性質を持っている。
 同じもので返せないときは、別のもので返すことになる。例えば、学校で肉体的に脆弱なことが原因で虐められた悔しさを、学業で返したり、地位や蓄財で返したりというメカニズムである。
 こうして、さまざまなコンプレックスが原因で、社会的差別のシステムができあがり拡大してゆくのである。

 人生も社会も、複雑怪奇に見えても、実際には驚くほど単純なメカニズムで成立しているものであり、今、我々が直面している格差・階級社会のメカニズムも、その原因を探せば、小さなコンプレックスの積み重ねということになる。
 したがって、差別・格差社会を解決するために、一番大切なことは、人の心を傷つけない暖かい社会を作ることであり、コンプレックスの解消が、権威・権力や蓄財に結びつかないように、そのメカニズムをすべての子供たちに、きとんと学ばせる必要があるだろう。

 解決の難しい、差別や格差をもたらす社会的コンプレックスを作り出してきた最大のメカニズムは家族制度にある。
 例えば、人口過多社会における家族では、「夫婦が一人っ子を育てる」ことしか許されないようになり、子育てに優しく助言してくれる老いた両親も、親身になって相談に乗ってくれる友人もいない。
 小さな家では両親と共に住むことができず、子供の学歴や、ブランド品を購入する見栄張り競争のために付き合っている友人が心を開くこともない。

 こうした環境で育つ子供は、「他人と仲良くする」という基本的な能力が発達せず、人間に対して恐ろしく無知で、独善的、自分勝手な人間性になってしまう事態が避けられない。
 我慢をすることの大切さも教えられず、周囲は、すべて自分の欲求を満たすための奴隷のようなつもりになってしまう。叱られても、その意味も理解できず、無意味に殴られた狂犬のような精神状態に陥るだけだ。殴られる恐怖で、一時的におとなしくなったとしても、その心は怯えて歪み、やがて他人に対する無意味な攻撃性・凶暴性に転化してゆくことが多い。
 小家族では、子供に自分勝手な利己主義が育まれることになりやすい。

 だが、家族が両親と一人っ子だけの「核家族」でなく、老人や兄弟姉妹など、たくさんの人によって構成されているなら、子はたくさんの愛情を受けてのびのびと育ち、開放的な人間になり、人間とはどのようなものかを知るたくさんの機会に恵まれることになる。
 大家族では、子供たちに、他人の利益に奉仕する利他主義が育まれるのである。

 そもそも、人類史の大部分の生活が「大家族共同体」であった。9割以上は「母系氏族社会」であった。そして、今のような一夫一婦制ではなかった。
 共同体の生活様式は実に多用だが、母系氏族社会にあっては、男女の関係は固定されたものではなく、複数の関係を結ぶのが普通であった。それは「多夫多妻制」に近いものであった。
 現代にあって、我々が洗脳されている倫理である「貞操観念」は、資本主義における小家族制度維持のための虚構にすぎない。

 男女とも貞操が洗脳による虚構にすぎないという真実は、夫婦生活がいかに危ういものか、ほとんどの夫婦が実感しているところだろう。
 すなわち、女性は妻であっても、目の前に魅力的な男が現れたなら、実に簡単になびいて、現実の生活を捨てて跳んでしまうことが少なくないし、男性も、若く魅力的な女性が現れたなら、いとも簡単に浮気するものであって、夫婦という制度が、便宜的な虚構にすぎないことに気づかぬ夫婦はいないはずだ。

 ところが、これでは男性の権力を、その子に継承する相続システムを求める封建的思想にとって非常に困るもので、母親が誰とでも寝たのでは、自分の子供が分からなくなってしまう。
 そこで、母親に貞操を強要するために、苛酷な倫理や残酷な刑罰を考え出した。
 イスラム・モスリムに今なお残るように、夫以外の男性と性交した女性は、例え暴行されて犯されたとしても厳罰に処せられ、その多くは残酷に処刑されてしまうことになっている。
 イスラムでは、毎日のように、こうした自由な心の女性たちが見せしめに殺害され続けている。処刑の理由は、女性を男性の奴隷とすることで、父系社会、家父長社会の秩序を維持するという観念にすぎないのである。

 日本でも、封建社会、男性優位社会の残渣観念が残り、夫婦における貞操を要求する法的制度が成立している。
 しかし、現実には、「財産・権力・地位を我が子に受け継がせる」ことのできない貧しい大衆にとっては、「我が子を特定する」ということは無意味であり、父の子が誰であっても構わない。母親に経済力がありさえすれば、邪魔な父親などいない方がよいことになり、母子家庭が激増しているのである。
 今や、日本にあって、「父の子を特定する」必要のある大衆など、ごく一部であって、下層大衆ではフリーセックス、多夫多妻制が実態化しているのが現実である。

 例えば、私有財産を否定するヤマギシ会にあっては、一応、名目上の結婚制度は存在しているものの、その実態は、1人が生涯で5~10回の離婚再婚を繰り返しているのであり、これはヤマギシ会に限らず、「子を特定する必要」のない共同体社会では、必然的な現象であることを知っておく必要がある。
 逆に、このことが、男女関係の本質を物語っている。
 結婚は虚構であり欺瞞である。その本質は男性権力社会にあって、男性の子を特定し、その子に権力財産を相続させるものでしかない。
 したがって、その必要のない共同体社会、母系氏族社会では、多夫多妻制、乱婚が常識となる。ただし遺伝的劣化の見地から、白川郷のように共同体内部での血縁性交が許されなくなるということだけだ。

 これから、大恐慌が進行することで、財産をなくした大衆が激増し、受け継がせるべき財産も権力も所有しない大衆にあっては、もはや結婚制度が有名無実化することが避けられない。
 人々は、結婚制度の拘泥から解放されて、今、目の前にいる人と自由に恋愛し、性交するようになるだろう。というより、事実上、とっくに、そうした自由結婚の社会が到来している。
 イスラム諸国が、近年、女性の貞操に対して、残酷極悪な弾圧処刑を繰り返すようになった本当の理由は、実はイスラム圏にあっても、もはや父系社会、男性権力が無意味になり、男性の子を特定し、財産を継承させるシステムが不要になっている結果、女性たちが自由な恋愛を望み始めた事情を恐怖していることによるものだ。
 イスラムにあっても、おそらく数年以内に、父系社会は崩壊し、女性が家族から解放されて自由に恋愛できる社会が到来することだろう。

 社会は小家族から大家族へ、孤立した人間関係から、共同体へ、父系社会から母系社会へと今、巨大な変革が始まっている!
 我々は、結婚という制度を拒否し、誰とでも自由に恋愛し、性交する社会を実現すべきであり、私有財産の継承という制度を否定すべきである。
 共同体を結成し、そのなかで誕生した子供たちは、すべて共同体全員の子として共有し、育てる社会を実現するべきである。

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