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 他人を見下すことが大好きな人々

 私が、311以降、原発推進の安倍信者たちから、連日連夜、延々と嫌がらせを書き込まれた事情については、すでに何度がブログに書いている。

 安倍晋三支持の自民党シンパたちによる嫌がらせの共通点は、ディスリスペクト=「嘲笑・侮蔑」だったといえるだろう。
 それも知的レベルが高い者なら絶対にやらない、恐ろしく低俗な誹謗を延々と繰り返すのには恐れ入った。
 
 正直「ここまで下劣な人間性でいられることが奇跡」とさえ思ったものだ。普通なら、こんなことを書いていたら癖になって、必ず自分の周囲にも同じ態度で接し、周囲から蛇蝎のように忌み嫌われるようになることは避けられないからだ。

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この吉田くんというアカウントは消えてしまってるが、ぜひとも情報を知りたい。
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 どうも、この愚かな連中は、「自分の方が私よりも上にいる」と勘違いしてしまっているようで、自分には私を蔑む資格があると信じているのだろう。

 正直、生まれてこの方、多くの人々と接する機会があったが、これほど下劣な連中に引っかかったのは初めてで本当に面食らった。

 結局、連中の嫌がらせで、五年前の意味不明なツイートが自殺幇助のように受け取られてアカウントを完全凍結させられたが、同じように連中もまた繰り返し凍結されながら、絶対に完全凍結されないで何度でも同じ下劣ツイートが繰り返されるのを見ると、完全にツイッター社の管理員による政治的思惑が働いていると確信するしかなかった。
 ツイッター社に自民党ネトサポが入り込んでいるという噂は本当だったのだ。

 そこで私は、老化現象で長文を書くことに自信を喪失していたのを、やむをえずブログに戻って、再び書き出すしかなかったが、まあ、悪い結果にはなっていない。

 本題から逸れたが、人を見下すことが好きな人が登場する原因は、相模原の植松殺戮事件と同じで、もの凄く硬直した差別意識に洗脳されてしまうからである。

 社会全体が、私の若い頃よりも、格差や差別が深まってきていて、他人に強くコンプレックスを抱く人間性の狂った若者が増えてしまっているのだろう。

 私が、この数十年間、社会全体を見渡して、私の子供時代には少なかった「いじめ」が凄まじく増殖して、所得や学歴、地位といった人間を判別する上には邪魔でしかない、ケチな基準がのさばり、本当に大切な基準である、心の広さ、優しさ、正しい判断力、責任感、実行力といった観点が軽視され、立派な仕事をしている者が見下されるような倒錯した価値観が蔓延しているような危機感を感じる。

 私の子供時代にも「いじめ」はあったが、主に暴力団の子弟が主役で、まともな家庭の子供が陰湿ないじめに走るようなことはめったになかった。
 ところが、今では、いじめの主役は、何でもない普通の家庭の子供たちであるという。
 なぜこうなったかといえば、子供たちの世界に競争主義が深く浸透し、他人をいじめることで競争に勝っていると自己満足するような倒錯が起きているからであろう。
 
 私の子供時代には、古すぎて申し訳ないが、月光仮面とか七色仮面とか、怪傑ハリマオとかバットマンとかのキャラクターで、勧善懲悪一点張り、とても分かりやすい価値観だったが、「悪役のなかにも大切にすべき人がいる」という視点が皆無のために、家が貧しくて古いもの汚れたものを着ているような子供は悪人とみなされていじめられるということがあったような気がする。

 絶望的な地獄の子供時代を過ごした、壱番屋創業者の宗次徳治さんなんかは、本当に大変だっただろう。今は本当の神様だが。
 おおむね理不尽にいじめられた人は、宗次さんのように桁外れに立派な人になるか、あるいは池田小殺傷事件の宅間や、相模原事件の植松のようになってしまうことが少なくないようだ。

 こんな愚かで、つまらない社会では、みんな人生が楽しくないだろう。私の若い時代にも理不尽な怒りを感じることは、いっぱいあったけど、おおむね、老人たちが戦争の苦難や、戦後の飢餓時代を経験していたから、とても優しく、心の広い人が多くて、本当に大切なことを、きちんと見抜いてくれて、若者を励ましてくれたものだ。

 「他人を見下す」という習性を持った人々、という共通点で全体を見ると、国際的に、韓国人なんかは、日本人全体を見下している姿勢が、慰安婦問題などでよく分かる。

 韓国では、儒教的価値観から、「中国は父、韓国は兄、日本は弟」などという勝手な差別観が普及してて、日本は韓国の属国であると思いたがる人が多く、見下すのが当然と思っていても、現実はそうでないから、それを直視できなくて、慰安婦問題のような派生的な部分で、まるで民族の代えがたき怨念であるかのような異様なナショナリズムの興奮が起きるのだろう。

 桜も寿司も日本文化の大半は韓国起源という主張も、こちらが赤面したくなるほどだが、日本人を見下したいという強烈な怨念には勝てない。

(歴史的に考えれば、天皇家が朝鮮半島からやってきたことから、日本は韓国の派生国であるという考えが出たようだが、本当は、彼ら=天皇家・秦氏・弓月氏は満州=高句麗から来た女真族であって、今の韓国人の多くがは渤海・沿海州から移動してきたエベンキ族が主体で、両者は民族的にも一致していない)

 先に書いたように、慰安婦問題など、世界の戦争史のなかでは、取るに足らないありふれた事象であって、それよりも朝鮮人強制連行の方が桁違いに重要だし、昭和通商による麻薬密売問題の方が、はるかに、桁違いに重く陰湿な民族的迫害であるし、ベトナム派兵韓国兵によるライタイハン問題や、ベトナム婦女子大虐殺は、韓国人の将来をも束縛するほどの巨大な問題であるのに、一切、顧みず、一番どうでもいい慰安婦ばかり何十年も掘り返し、イチャモンをつけ続けるという感覚は、世界でも韓国にしかないものだろうう。

 これも、元を正せば、韓国に特有の儒教思想による極度の差別構造から生まれた社会的洗脳が明らかで、同じ儒教国でもベトナムでは、過去に起きたことで未来を拘泥させるような粘着質の発想は軽蔑され、明日を見て歩くことが大切な価値であると共有されていることで、社会差別は少ないようにみえる。

 儒教国の大本は、もちろん中国で、孔子の思想によるものだが、この人は普通の人間関係からは、ひどく嫌われるタイプの、まるで優しさのない唯我独尊、男尊女卑を絵に描いたような独善的人物で、女房の作った食事のできが悪いと床にぶちまけたりして、生涯4回も女房に逃げられている。
 大好物は人醤=人間の塩漬けだったそうだ。

 しかし、2500年前、春秋時代の戦争に明け暮れた国家群(今と変わらない軍閥国家と思えばよい)のなかでは、孔子の国家権力第一主義の思想は、国家と戦争を正当化するには頗る都合のよいもので、国家と、それによる文明開化、科学と軍事こそ、人類が動物でなく人間となった証であるとする思想は、支配者たちに大歓迎された。

 孔子という人の思想を端的に言えば、例えば正力松太郎のような優秀病というか、上昇志向だけが人間であるかのようなファッシスト特有の発想が見える。
 時代は旧約聖書と同じく、男尊女卑・家父長制度のまっただ中にあり、人に序列をつけ、女性を見下し、強権で人々を支配するような権力的発想で、まるで旧約聖書の世界観に酷似している。

 「仁」という概念を作った人だが、これが今でいう思いやりとかとは違うような気がする。権力支配の緩衝材としての仁なのだろうが、この中身は五常の徳と称される仁・義・礼・智・信で、何を意味するかといえば、階級秩序を守れということのようだ。
 つまり人間を序列化し、年功序列や地位、性別で差別し、そんな上下関係を守りなさいという意味にすぎない。

 いずれにせよ、孔子の思想は、徹頭徹尾、国家権力にとって都合がよい。現代中国が孔子を神のごとく持ち上げるわけだ。
 国家を維持する上で、権力者に権威を与え、差別に価値を与え、科学=学問や軍事を重視した。国家と人間疎外は孔子にとって不可分、一体のものであった。

 春秋時代は戦乱の世であり、戦争に勝ち抜くには、孔子の思想が合理的だったと考えられるが、一方で、民衆に巨大な身分差別の膠着した思想を普及させてしまったように思える。

 この孔子の体系化した思想=儒教は、東アジアの五つの国に継承されて現代にまで強固な思想的影響を与えている。
 本家の中国、李氏官僚社会において独自の発展を遂げた韓国・北朝鮮、民衆統治に儒教(朱子学)を採用した日本(江戸幕府)、そしてベトナムである。

 韓国の異様な階級差別感覚は、我々にとって驚異的なものだが、実は北朝鮮では、桁違いに凄まじい。
 民衆を54階級に分けて、権力に役立つかどうかの視点で序列化しているのである。
 これの、どこが社会主義、共産主義なのか、嗤うことしかできないが、李氏朝鮮社会における男尊女卑=女性差別を根源として、社会全体が巨大な差別の檻のなかに自縄自縛になっているように思え、呆れかえってしまう。

 韓国においても、社会差別は李氏より、はるかに遠い昔、おそらく日本の奈良時代より古い三韓時代以前から、凄まじい差別と序列化の思想に覆われていた。
 この時代、日本にもたくさんの半島人が渡来していて、持ち込まれた習俗のなかに、三韓時代の差別風俗と考えられる制度が存在している。

 例えば、韓国で白丁といえば百年前まで実在した奴隷階級を指し、現代にあっても生き続けている部落差別と同じものだが、これが日本にも持ち込まれ、衣類の色が官職や階級差別の代名詞になっているのだ。
 すなわち、無官を白丁と言い、身分の低さの代名詞となっている。逆に言えば、日本の部落差別の起源が、奈良時代の白丁にあることが明らかなのである。

 いずれにせよ、韓国では孔子が始めた人間序列化の思想が究極的に洗練されて階級差別に昇華しており、階級が違えば、人間が違うという勘違い、思い込みが社会を広く覆い尽くしていることから、最底辺の階級(白丁)はインドのカーストの下にあるダリット階級とまったく同じ意味で「不浄の民」とされ、処刑、動物死体処理や、し尿処理以外の仕事に就くことができない。

 逆に、支配階級である武家階級=ヤンパン(両班)はインドのクシャトリアと同じ意味で、権力の暴力を司り、高級な仕事にしか就かない。
 この制度は、もちろん日本も同じで、武家が両班、士農工商という良民階級があり、その下に白丁を意味する穢多階級が置かれる仕組みになっている。

 こうした社会差別の観念は、韓国では歴史的に強固な観念となって人々を呪縛しているため、民族的ナショナリズムの根底に、優越感と劣等感の入り交じった複雑な階級意識がむき出しになっている。

 慰安婦問題が二転三転して膠着する本当の理由は、韓国人の根底にある、日本人への見下しにあるのだ。日本は自分たちより下であると韓国人が満足できる事態が起きれば、何もなかったように問題は収束するはずだが、そうは問屋が卸さない。

 こうした社会で、何が価値観になるかといえば、それは見栄とメンツである。

 中国でさえ、強力な官僚制度の根底にある価値観は見栄とメンツであるが、韓国では、自分の所属する階級を正当化する見栄とメンツが、人生のなかで最も巨大で不可侵の価値であると洗脳されきっている人が非常に多いので、見栄を守るためには命をかけねばならないほどだ。

 北朝鮮の金政権が、アメリカに恫喝され、突如態度を翻して核開発の放棄を言い出したが、これまでアメリカと対等を主張し、核戦争でもやってみせるような大言壮語を吐き続けた理由も、朝鮮社会における見栄とメンツの価値観が大いに関係している。
 
 元々、金正恩は非常に臆病な気の小さい性格と言われていて、アメリカの恫喝にびびりまくっていたはずだが、国家のメンツ、権力のメンツを演出するため、強硬態度を示していたが、CIA長官の直接面会による最後通告により、アメリカによる侵略と北朝鮮国家破壊が本当に現実のものになったと悟って、突如、泣きをいれたというわけで、これも見栄とメンツの原理さえ分かっていれば、十分に予測できた経過であろう。

 南北両国とも、見栄とメンツの儒教的価値観に完全に洗脳されきっていて、自分たちの信奉する見栄の部分が、どれほど空虚で中身のない幻想にすぎないかを思い知らされる日がくるまで、朝鮮民族の異常さ、他人を見下す思想はなくならないだろう。  

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