天皇の歴史 その3 神武天皇のこと

 いわゆる天皇史を考える上で、「万世一系」という真っ赤なウソをでっちあげたのは、帝大史学部教授だった平泉澄であった。
 平泉は、山県有朋とともに「天皇の国=日本」という、戦前に広く日本国民に強要された皇国史観を捏造した最大の功労者である。
 それは、彼の権力への限りない憧憬と崇拝がもたらした想像力、妄想の世界に他ならなかった。

 平泉澄といえば、彼の教えた史学への価値観を象徴するような有名な言葉が遺されている。

「百姓に歴史がありますか?」 「豚に歴史がありますか?」

 https://bokukoui.exblog.jp/19767190/

 まさに、皇国史観の内臓を切り裂いて本質を見せてくれるような言葉だった。


 平泉が皇国史観をでっちあげた動機は、彼が生まれ育った勝山平泉神社こそ、新羅人=泰澄を開祖とする白山神社の主要支社であり、天皇朝鮮渡来説の証拠となるような渡来人の歴史を持っていて、純国産、天皇家の万世一系を自ら否定するような存在であったことが関係しているように思える。

 万世一系など、社会的に存在できる余地はない。世界の権力機構だって、例えば千年王国のローマ帝国をとってみても、せいぜい数百年単位で、権力抗争が発生し、政権が遷座している。
 長い政権が成立すれば、それだけで侵略の対象になってしまうのだ。とりわけたくさんの国家が入り乱れた大陸では、そうであった。

 島国日本だけが例外であるわけではない。一つの強い権力は、利権を集中させ肥大してゆく。このことで権力内部は腐敗し、周辺は矛盾に耐えかね変革を求めることになり、必ず抗争に至って、権力の根本的な置き換えが起きるのである。
 人類には、数百年を超えるような国家的継承を維持する能力は存在しない。

  [神武天皇のこと]

 天皇家初代とされる神武天皇は、江戸時代の暦学者、渋川春海により、BC660年に即位したとされ、万世一系の妄想を信奉する戦前の権力者たちが皇紀2600年と大騒ぎして祝った。

 そもそも本当は何年だったのか? 春海の計算の正しさも証明されていないし、日本書紀は天武天皇によって編纂されており、天武が渡来人であった可能性も強く、自分たちの皇位の正当化や権威付けのために日本書紀を捏造した疑いだって指摘されている。
 日本書紀に年代誤差が含まれているのは確実で、研究者によれば、それは少なくとも60年以上だという。

 「神武天皇が高千穂に降臨」の記述は、遠方、他国から大規模に移動してきた集団が、高千穂(日向)の見える場所に拠点を構えることができた、という内容に受け取れる。

 世界的にも民族の発祥伝説には類似性があって、多くの場合、王権が確立してから、権威付けのために創作されるものであるが、「降臨」という場合は、かなり遠方から大規模に移動してきて、その地に住み着き、勢力を誇示できるレベルになったと自認するときに、創造される伝説である。

 民族大移動というものは、必ず、非常に規模の大きな天変地異や戦争によって、元いた場所には住めなくなり、生き延びられる環境に移動することを意味するものである。
 多くの歴史学者が言う渡来人伝説のように、「三々五々、移動してきた」なんてことは絶対にありえないと私は思う。
 戦争により、やむにやまれず追い出されてきた、というのが唯一の真実であろう。

 当時、中国では、すでに中華文明が花開いていて、抗争に次ぐ抗争の歴史が記録されていて、孔子以下、著名人の思想や記録もたくさん残されている。
 当時の記録として、神武天皇の高千穂降臨に結びつく年代の記録といえば十八史略に記された「呉越戦争」がある。

 十八史略は、まるで小説のように面白く、読書、歴史好きを虜にしてやまない。凄い脚色があるのかと思えば、どうやら純粋な史実らしい。史実は小説よりも面白いのである。

 BC473年、越が呉に勝利したことにより、水郷国家だった呉国=現代における中国蘇州の人々が、敗戦により、当時の敗戦国民への刑罰である「坑刑」=国民皆殺しの生き埋め刑を逃れて、大量の船に乗って、東シナ海目指して漕ぎ出し、ある者たちは南朝鮮沿岸部へ、また多くが九州西岸にたどり着いたと想像するのに困難はない。

 「当時の小さな船では不可能」という意見に対しては、ポリネシア・ミクロネシアの先住民たちが、アウトリガーのついた丸木舟で南米やアジア・オセアニアの大陸間、超長距離航海を日常的に行っていた事実だけで十分だろう。

 日本書紀の記述年代から約200年の時代誤差をどうみるかが問題になるものの、民族大移動を示唆する歴史的事象は、他に記録がないので、私は、呉国の敗戦国民が新天地を求めて九州に上陸し、王権を宣言したというのが、神武天皇の記述であろうと確信を抱いている。

 確信の根拠は、いわゆる文献史学ではなく、民俗学である。
 張楚金の書いた魏略に「帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。その俗、男子みな面文を点ず。その旧語を聞くに、自ら太伯の後という」

 これだけでも、邪馬台国の人々が、「自分たちは呉の太伯の後裔である」と言っているというわけで、中国の史学者の間では、呉の逃亡民が弥生人=邪馬台国人になったことは常識として捉えられているが、文献史学にはイチャモンが多すぎて、何が真実なのか分からないことになってしまう。
 しかし、民俗学はウソをつかない。

 日本における呉文化の影響は実に大きく、主食である米作農耕、沿岸部における漁労、文身、「呉服」といわれる衣類、漢字における呉音、万葉かな、歌垣と呼ばれる男女の交際文化、夜這いの文化に至るまで、いわゆる弥生人文明=照葉樹林帯文化のすべてが呉国民とともに西日本に持ち込まれたことが明白である。

 もちろん、我らが卑弥呼、邪馬台国が、呉国民の直接の子孫であり、ヤマト文化というのは弥生人文化のことであり、すなわち呉国文明のことでもある。
 決定打は、DNA検査において、呉国民(蘇州民)西日本の住民の共通性が浮かび上がったことである。
http://robasan.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/dna-46-4c11.html

 http://www.iokikai.or.jp/kodai.sosyuu.html

 ここまでくれば、もう神武天皇は、2500年前に、呉越戦争に敗れた呉国民が船で九州に押し寄せ、ヤマト王権を宣言した存在であると、ほぼ断言しても間違いがなさそうだ。
 つまり、神武天皇こそ、それから800年後に存在したと確認されている邪馬台国の創始者であるということになる。
BC474年とBC660年の差分は、記紀のなかで、決定的な誤差ではなく、許容範囲とも言えると思う。邪馬台国はAD200~300年前後であろう。

 邪馬台国については、魏志倭人伝や東夷伝などに一定の記録が出てくる。
 しかし、彼ら弥生人の国家は、今で言う国家の概念とはまるで異なっていて、国というのは、当時の主要な交通手段であった水路を前提とした、交易範囲のことであると考えるのが民俗学的思考法である。

 当時の食料事情は、現代からは想像もつかない天国であっただろう。戦前の記録でさえ、有明海を百歩歩けば一日分の食料を得ることができたといわれたほどで、海面には無数のイカやトビウオが跳ねていて、網を広げれば、勝手に獲物が飛び込んでくるともいわれた。
 陸を歩いていても、至る所にウサギなど小動物がいて、容易に食料にすることができた。

 筑後川のような大河川の汽水域に住んでいれば、食料や水の心配はまったくなく、そこは米作農耕の適地でもあった。かなり大量の人を、そこで生活させる条件が整っていたのである。
 米作農耕の文化を持った民族にとっては、有明海周辺は、まさにこの世の天国のような地域だった。
 
 豊富な食料は乾燥品に加工され、食料の不足した地域に船で運ばれ、特産品と交換される交易が、海岸沿いに大規模に発展したと思われる。
 当時の民俗である文身と潜水漁労の文化を持った地域は、九州から山陰、朝鮮半島南岸にまで広がり、一帯を「倭」と呼んだと私は考えている。

 当時の国は、あくまでも実際に人が住んでいる地域であり、陸上交通の未発達だった当時、主な交通路は、海路・河川路であって、その行動範囲を国という概念でくくることができたはずである。
 よって、この視点から魏志倭人伝の記述も見直されるべきであろう。交通路のない内陸部を国の概念に含めるべきではない。

 日本書紀に描かれた神武天皇の記録は、ややこしすぎて検証の意欲が湧かない。
 日本書紀を編纂した天武天皇は、神武後1300年、奈良時代の天皇だが、すでに、この時代、天皇家は弓月氏・秦氏の末裔で占められ、すなわち百済由来の王権に替わっていた。
 天武の意図した目的は、朝鮮半島からやってきた自分たちの足跡を隠蔽し、自分たちが、日本建国以来の王権の継承者であるという歴史の捏造を行うためと考えられる。

 桓武天皇時代に都合の悪い記録を焚書したと北畠親房の神皇正統記に記録されている。
神武後、弓月氏が数万の民を連れて山陰に上陸したとする記録はAD300年前後と思われるが、ここまでの800年間は、おそらく呉由来の弥生人によるヤマト王権が成立していたのだろうと私は思う。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B

 このときから、日本史、天皇史の示す事象が巨大な変貌を遂げることは、江上波夫の騎馬民族説に詳しい。

 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E9%A6%AC%E6%B0%91%E6%97%8F%E5%BE%81%E6%9C%8D%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC


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皇室陵の開示と展示と学際研究が必要だ。史記列伝にある徐福の来日と徐福伝説、神社等は一致する。紀記を読み比べても、戦前弾圧された白鳥門下生津田左右吉氏の論述を普通人は超えられない。万葉集は民間伝承の宝庫で、妻らを他人と共有する筑波の伝統の祭り歌もある。
南洋の土人が船でアリュウシャン列島から米国西海岸や山脈を経てペルーボリビアに至りインカに滅ぼされたと歴史が教えるアイマラ族は蒙古斑点があり、顔貌も東洋人や南洋土人に似ている。
那珂通世の支那通史の呉越の項には確かに、呉の太宰ひが越の賂をうけ、、、の記述があり、姓名はもともと地名に由来するから、筑前の太宰府と一致は偶然ではなかろう。
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