スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

利己主義から利他主義へ その9 競争社会

kyousou2.jpg


 侵入したハクビシンに襲われたニワトリが瀕死の状態になった。
 すると、仲間から突つかれたり、羽毛を抜かれたりして攻撃されたので、別のケージに移して回復させることにした。二ヶ月後、完全回復を見計らって元の飼育場に戻したところ、仲間たちから再び激しい攻撃に遭った。
 とりあえず落ち着いたものの、現在でも絶えず追い立てられ、エサを食べようとしても攻撃され、片隅で寂しく生きている。元は立派なボスだったのだが・・・・。
.
 ニワトリは弱肉強食で、例え実の兄弟だろうと、親しい仲間だろうと、一度、病気や怪我で力を失うと、群れ社会から袋だたきに遭い、ときには殺されてしまう。
 ニワトリの直系先祖は、かつて地上の王だった恐竜、チラノザウルスだ。哀れチラノの末裔は、人間様の家畜として、また良き共として今日に至るわけだが、その見境のない闘争本能の凄まじさに太古の残映をかいま見ることができる。
.
 ニワトリ社会にあっては、まずは己の利権を確立するために、激しくも徹底的な序列付け闘争を行い、優位の個体は、劣位の個体をいじめ抜き、エサも水も与えず、ときに殺してしまうことさえある。
 エサが余ったときだけ劣位個体はオコボレを食べることが許されるが、夜間、一番最初に襲われる可能性の高い危険な場所に追いやられるのだ。
 こうしてみると、「死の商人」ユダヤ金融資本の利権のために、愛国心教育で洗脳され戦場に送り込まれる哀れなアメリカ青年たちの運命が思い浮かぶのだ。
.
 ニワトリ社会に鶏情はカケラもなさそうだ。そこでは優位を残し、劣位を淘汰するという原理が非情に貫かれている。そこでニワトリたちは、毎日、利己的な餌の奪い合い、順序付け合戦に明け暮れることになる。まさに実に人間的な利己主義社会を体現しているではないか!
 人間社会は、こんな肉食恐竜の末裔、ニワトリ社会から比べて、いったいどれほど進化したのだろう?
.
 この数年、人類規模で起きている金融危機の始末を見ている限り、我々はニワトリだった時代から、その本質において、些かの進歩もないのではないか?・・・と悲しくなるときさえある。
 まさに我々の社会は、ニワトリ並みの利己主義社会なのだ! 人情のカケラでもあったなら、どうして世界中の貧しい人たちが石油や食料の暴騰に苦しむような残酷な投機ができるだろう?
 ゴールドマンサックスらユダヤ投機集団のやっていることは、アメリカ政府に財務長官を送り込み、自分たちに都合よく公的資金を引き出し、失敗のツケを国民負担に押しつけているだけだ。それどころか、テロをでっちあげて危機感を煽り、若者たちの命を金儲けのために弄び、戦場に送り込んで、莫大な利権を掠め取っているのだ。
 世界中の人々が苦しむのに目もくれず、石油や食料を買い占め、値をつり上げ、社員は数千億円という給料ボーナスをかすめ取ってゆく。まさに、これほどの凄まじい利己主義を実現してみせた強欲組織は、人類史上かつてなかったといえよう。
 もし、地上に本当の悪魔がいるとすれば、それはゴールドマンサックスやJPモルガンなどユダヤ金融資本のことではないか?
.
 筆者はこれまで、こうした利己主義を生みだしたメカニズムは「競争」だと指摘してきた。
 我々は、生まれたそのときから競争に追い立てられ、「他人より秀でよ、成績を上げよ、社会的評価を求めよ、覇権を求めよ、蓄財せよ」 と息つく間もなく鞭打たれ、走り続けさせられてきた。立ち止まれば、そこでは自殺の運命しか許されない社会だった。
 「末は博士か大臣か」・・・「人を出し抜くことこそ正義」と幼いうちから洗脳させられ続け、競争を正当化させられてきた。
.
 競争を正当化する理屈とはなんだったのだろう?
 それは、人には、というより生物にはプログラムされた「競争・闘争本能」があり、自然には劣位種(オチコボレ)を競争によって淘汰する原理が働いているというわけだ。
 競争によって、人々は知恵と認識を深化させ、次々と合理的なものを産み出し、社会を進化させてゆくというメカニズムが語られてきた。確かに、そうした一面は否定できない。
.
 だが、他方で、競争は人々に非情な淘汰排除を正当化させ、優越志向をもたらし、ヒトラーの提唱した優生保護思想をも正当化してきた。
 社会に役立たない、障害者やライ・結核患者など弱者を抹殺せよ・・・と、日本でもライ患者の生んだ子を取り上げて殺害することが平然と行われてきた。ヒトラーは、ドイツの障害者を30万人以上、ガス室で抹殺したといわれる。(T4作戦)
.
こんな思想の行き着く先は、「そして誰もいなくなった・・・」というオチでしかない。優れた者だけが生き残るとすれば、最期には誰もいなくなるのである。
 そんなことも気づかず、人々は競争に勝つ「優れたもの」に憧れ、いわば「スグレ主義」というべき観念的偏執を産み出し、他人を蹴落として自分だけが優位に立つ弱肉強食の、残酷な社会を作り出してゆくことになる。
 上流階級に集う経営者たちが、労働者を苛酷に扱い、血の一滴まで絞りに絞って合理化し、大衆を宣伝で騙して必要のないものまで買わせ、自分の会社を行き着くところまで拡大して「一番」になりたがるのも、こうした「スグレ主義」あるいは優越特権志向の産物であろう。
 こんな思想がもてはやされる社会では、やがて、かつてナチスや日本軍統制派がやった劣等民族大殺戮処分の思想が復活するにちがいない。
 それでも、あなたは優れたものが欲しいか? 劣ったものを処分したいのか? 競争原理を信奉したいのか?
.
 実は、ユダヤ金融資本が、あれほど傲慢で強欲な世界資産の独り占めを行っている理由も、彼らの教科書であるタルムードという教典の教義を実行しているからだ。
 タルムードには、世界は最高エリートであるユダヤ人のためにあり、ユダヤ以外の人々は、ユダヤに奉仕するためのゴイム(家畜)であると明確に記されていて、ゴイムの命や財産をユダヤのために勝手に使っても構わないとまで書かれている。
 その理由は、彼らユダヤ教徒が神に選ばれた民であり、「優れているからだ」というわけだ。
 こんな思想こそ、競争と進化を金科玉条にした人たちの行き着く先なのだ。だから、世界のスグレ主義、人類の進歩の歴史は、ユダヤ人を中心に行われてきた。
 人類の先進技術のほとんど、核に至るまで、進化だけを目指したユダヤ教徒たちの尽力によるものといっても過言ではない。
.
 もし人が競争しなくなったなら?
 その人間的成長も、社会的進化も、恐ろしいほどスピードが落ちて、自然の脅威や社会的問題を解決する能力すら失ってゆくかもしれない。
 いわゆる先進社会は消えて、ニューギニアやアマゾンの奥地に暮らす先住民のような生活を連綿と続けることになるかもしれない。
 だが、その何が悪いのか? という視点も見失わないようにしよう。ロボットが生産し、あらゆる生活が自動化されるオートマチック社会が、はたして人間に本当の幸せをもたらしているのか? もう一度、よく考えるべきだろう。
 筆者は、ニューギニアの山々に裸で暮らす人たちに憧れる口だが・・・。
.
 子供たちは競争のなかで成長を見いだしてゆく。人類史においても、「競争とは進化の属性である」という理解も決して間違っていないだろう。
 競争は諸刃の剣であった。それは人類に優れた技術をもたらしたとともに、世界を支配する独裁者と、ゴイムとして使役される哀れな大衆の二極社会をもたらすことになった。
 物質的な豊かさと引き替えに、心の貧困を招いたとも言えよう。ごく少数の幸福な特権階級と、大多数の貧しい悲惨な家畜人類を作り出すことになった。
.
 生命は競争と淘汰の苛酷な宿命を背負わされている。であるとするなら、人類に利権競争と弱者淘汰の宿命はやむをえないことなのか?
 いや、そうではない。それをもって人を究極に差別する利己主義社会を正当化することなどできないのだ。
 なぜなら、ニワトリよりも進化した高等動物たちのなかには、はるかに利他的な助け合い社会を構築してきた種もたくさんいるからであって、例えば、オオカミや類人猿の群れでは、鮮明な利他主義に貫かれているものもあるからだ。
 一番進化しているはずの人類だけが、古代恐竜なみの利己主義に退化してしまっているのは、いったい、どういうわけなのだ?
.
 我々は、競争・闘争本能が社会をどのように支えているのか? 競争原理とは何か? そして、それが社会をどのように破壊しているのか? その両面を見て、本当に人類の未来に必要な思想とは何であるのか? しっかりと考えておく必要があるだろう。
.
 我々は、人を成長させ、人類を進化させてきた「競争」というメカニズムをどのように位置づけ、利用し、そうして「人情味溢れた持続可能な社会」を、どのように構築していったらよいのか? はっきりとした理解をしておかないと、再びヒトラーの亡霊を呼び覚ますことにもなりかねない。
 今、ゴールドマンらユダヤ資本のやっていることは、ヒトラーの世界統一支配を経済面で行っているに他ならないからだ。
 このままゆけば、ユダヤ金融資本は、タルムードに書かれている通りの社会を、彼らの宗教的理念に従って実現してゆくことになる。
 競争原理を絶対視し、人類に無数の階段序列を設け、最高位に位置するユダヤ教徒が、大多数の民衆をゴイム(家畜)として利用する社会がやってくる。
.
 そんな統一支配の武器がコンピュータであって、すべての人民に18桁の背番号を設定し、巨大なコンピュータで、生まれてから死ぬまで家畜として管理し、利用する社会なのだ。
 我々は、こうした恐るべき悪魔の目論見に対し、明確にノーを突きつけるときがやってきた。
.
 競争原理は利己主義しか生まない。競争と進化だけが人生のすべてではない! 我々は競争から解放されて、のびのびと自分の足で大地を踏みしめ、誰からも追い立てられず、自分の意志で歩みたいと。
 そうして、他人を淘汰して自分が特権を得たいわけではなく、みんなが楽しく過ごせる社会、差別のない、明るい楽しい社会が欲しいんだ! ・・・と、大声を上げる日がやってきた。




















コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:tokaiama
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ブロとも一覧

また、あした♡

~卓球・日本式ペンの繁栄~Byベル
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。