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警察国家への道 その1 家康の施政哲学

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 警察国家への道 その1 家康の施政哲学

 今回は、今、日本国民が直面している著しい民衆管理苛酷化について警鐘を鳴らす目的で書きたいと思っている。
 淫行条例・ポルノ規制など、隠された心の襞まで管理し、エロ漫画を所持しただけで懲役半年という苛烈な懲罰で縛ろうとする姿勢に対して、これが何の目的でなされ、どのような結果を招くのかについて、読者に問題提起していきたい。
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 近世民衆管理の元祖といえば徳川家康だ。彼ほどの統制管理の達人は滅多にいない。それは家康が人の心を読み切る能力に優れていたからだが、家康統治の本質について触れた文章は滅多に見ない。
 これまで、家康の本質に迫ることのできた論者が、ほとんどいなかったのだ。
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 家康の築いた徳川時代は、1603~1868年までの265年間を言う。これは人類史上希にみる長期の固定体制政権で、他に比肩するとすれば、千年王国といわれる大ローマ帝国くらいだろう。
 だが、こちらは紀元前27年~西暦395年あたりまでが実質的なローマ帝国であって、長さでいえばいくらも変わらない。しかも、中味は持続的体制というには問題があり、継続性のある政権とはいえない。
 ところが、江戸時代は、たった一人の権力者が政治的基礎を構築し、それが260年以上も崩壊せずに継続したわけで、こんな例は、おそらく世界史にもほとんど存在しないだろう。
 これほどの超長期にわたる安定政権を築いた秘密は、どこにあるのか?
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 それは家康の築いたシステムに300年の時代に堪えうる普遍性があったということだ。人間と社会の核心を突いた本質的法則を見抜き、利用していたということだ。その家康政治の驚異的エッセンスについて、筆者が気づいたことを挙げてみよう。
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(1) まず家康は、強大な江戸幕府中央集権と、大きな権限をもった地方自治委任体制のバランスを確立した。
 中央政府の権限は、直轄地(天領)を除けば極小に抑えられた。経済運営ですら100%各藩の自治に委ねた。収税権は藩にあり、自治権を保証されただけでなく、収入も地方税として直接得ることができて、住民を国家が直接収奪する国税もなかった。後に、享保の改革で国税が設定されたが藩収の1%程度にとどまった。
 地方自治を強固に構築し、幕府が管理調停者にとどまって地方に余計な負荷をかけなかったことが政権長寿の最大の理由であったといえよう。逆に、崩壊に至った理由は、江戸時代末期に天災が相次ぎ、加えて権力機構が肥大して藩の費用が嵩み、各藩の負荷が激増して堪えられなくなったことであろう。
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 ここで家康の思想哲学の根底に、「他人を支配するスタイルは委任を原理とする」という姿勢が明確に見える。収入まで奪って管理し、あらゆる統制を強めるのでなく、配下の者の自主性を最大限尊重して生かし、できる限り自由を保証し、権力は、桶のタガのような調停者として君臨するにとどめるという姿勢が、体制を安定させ、長持ちさせる最大の秘訣であったといえよう。
 人類史における政権崩壊の共通点は、政権と官僚制度が肥大し、その独占権益と統制を極度に強めて配下の収益や自由を奪ったことで政権を底辺で支えるシステムが疲弊崩壊したことが真の理由なのである。
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(2) 家康の支配原理は、「二極化システム」であった。政争や武力衝突を起こしそうな強大な勢力、とりわけ宗教組織を、すべて二極に集中し、互いに対立させた。
 一番危ない武装兵を持つ修験を天台系と真言系に二極化し、神道も吉田系と白川系に、木地屋でさえ、筒井系と小椋系に分けた。幕府の抱える兵法者、大工や火消しなどまでも二極化しようとした。
 こうすれば、武力を持った集団は、必ず互いに競争牽制する意識が働き、相争い、幕府は、その調停者として君臨することで存在理由を確立することができたのである。
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 これは人の競争・闘争本能を利用した最高級の統治理論、知恵である。
 家康の用意した施政哲学の根元にあるものは、心の法則を利用するものであった。人は集団になると一定の原理、法則で動く性質を持っているのである。分けても、人が競争・闘争しようとする性質を、政治支配に利用するという視点こそ、まさに家康の真骨頂であった。
 これを会得したのは、おそらく今川氏の人質だった竹千代時代、日本最大の今川文庫のなかで対立を主題にした「太平記」を学んだことによるものだろう。
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(3)「知らしむべからず、拠らしむべし」 家康は、大衆が知恵をつけて反権力組織を結成することをもっとも恐れた。
 人が生まれて死ぬまでの、すべてを管理し、体制に疑問を抱く反抗者を出さないために、家康は、痒いところまで手の届くような徹底した管理システムを構築した。それは、人生のすべてが「お上」によって与えられ、支配下大衆は、家畜のように従っていれば、不満のない人生が過ごせるというものだった。
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 制度の核心にあったのは、民衆の自治と、それを統制する五人組連帯責任制度であった。この基礎となったのは、律令制下の五保制だが、秀吉が治安維持のため、下級武士に五人組・庶民に十人組を組織させたシステムを家康が継承発展させたものだ。
 五人組は、惣百姓・地主・大家を中核に、五戸前後を一組として編成し、組頭を定めて名主・庄屋の統率下に組織化した。これは連帯責任・相互監視・相互扶助を目的とし、領主はこの組織を利用して治安維持・争議解決・年貢確保・法令の伝達周知をはかった。
 これによって江戸時代の民衆は、生まれて死ぬまで、仕事も旅も、性と出産も、教育も、ケンカも病気も、あらゆる生活を監視され、一方で人生を委ね、生活に安心感を得ると同時に、他方で、体制の家畜として利用されるシステムに生涯押し込められることになった。
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 人間は、荒野に一人で放り出されたなら、いったいどうやって食物を得て、どうやって身を守り、欲望を満たし、何を目的に生きたらいいのか見当がつかず、強い不安を抱く弱い存在なわけだが、家康は、大衆に対して、その日常から思想、行為まで、すべてを明確に定めてみせたわけだ。
 これなら人生に不安も迷いもない。悩みもなく、ただ家畜として励んで終わればいいわけだ。こんな体制に疑問を抱かず、黙って従う大衆に洗脳教育するために、さまざまな仕組みを考え出したわけだが、その核心システムが五人組であった。
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 最大の問題は、生活に産み出される不満をどう解消するかということだ。五人組は、人間に関するさまざまの問題を、地域共同体(構成員は数十名)のなかで、助け合って解決するシステムであった。
 食欲・性欲・病気・教育・争議・死など、この助け合いシステムが、すべてを解決することで、権力は、その監視者、庇護者として君臨するものであった。そして、思想的根幹として、体制擁護の儒教(朱子学)と死生観・人生観について仏教を与えた。
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 こうして、人の心の隅々まで監視し、フォローする体制が確立、265年という長期安定政権が成立したわけだが、その崩壊は、結局のところ、体制が安定していたことで、システムに対する過剰な依存心が生まれ、そのなかで官僚たちが利権(私腹)を拡大し、権力を肥大化させ、システムを必要以上に増やしすぎて余計な荷物を抱え込むようになった結果、藩も民衆も、その負荷に耐えられなくなり、倒壊してしまったのが実態である。
 今、まさに、明治以来の日本権力が倒壊する現実を、我々は目撃しているわけだが、その本質にあっては、江戸幕府の倒壊と何一つ変わらないものであることを認識する必要がある。
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(4) 徳川時代は、人の心を矮小化することで統治した。 人の心が、どの程度解放され、活性化されていたか? それは時代の芸術作品に忠実に反映している。
 戦国の大争乱のなかで生まれた安土桃山時代の芸術文化は、まさにルネサンス、世界的にも人類最高峰に至ったものが多い。例えば茶道・織部・加納派絵画・水墨画・安土城・伏見城、京都の代表的な建築文化は、ほとんど、この時代に創り出されたものだ。だが、江戸時代、家康統治が始まってから、芸術文化は俄に活気を失い、その芸術的質も劇的に下落した。
 職人の精緻な工芸が廃れたわけではないが、戦国時代の雄大で開放的なロマンは、すでに見られない。人類最高峰の織部焼は幕命で廃棄処分にされ、芸能も失われた。
 人々は、体制に奉仕するためだけの人生を強要され、家畜としての一生に満足するよう、臆病で矮小姑息な人間性に貶められたのである。このために、解放された伸びやかな人間性を必要とする芸術・芸能をも矮小化していった。
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 徳川政治の本質は、人々の自由な主体性を奪い、豊かな心を奪い、いつでも権力に怯え、互いに監視しあって足を引っ張り合い、臆病者に貶めることであった。
 このため、人間に対して、「してはならない」 「御法度」をこれでもかと大量に作り出し、苛酷な刑罰をもって、はみ出し者を規制するシステムがとられた。
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 筆者が、今回、「警察国家への道」と題して、この文章を書いている理由は、表向き自民党から民主党政権に権力転換が起きても、国家が民衆を法によって苛酷に規制し、その思想と人生をがんじがらめに束縛する姿勢が変わっていないからである。
 為政者は国家体制のために国民を家畜として利用するという基本的な理念を一つも放棄していない。この国家体制を本当に支配し、そこに強固な利権を構築している輩の正体は、実に、資本主義を構築したフリーメーソンにつながる資本家たちである。
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 それは、表舞台には決して出てこない奥の院に鎮座してきた大金持ちたちと、それを参拝し飼犬として使役される政治家・官僚たちから成立している。
 その思想は、ユダヤ金融資本と何一つ変わらない。自分たちが国家システムを利用して特権階級として君臨する。大衆は特権階級に奉仕するためのゴイム(家畜)にすぎない。
 家畜を利用するために、その競争・闘争本能を利用して、人生の価値が他人を出し抜いて特権を得ることであると洗脳し、互いに争わせることで、権力を、その調停者として君臨させ続けるというやり方である。
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 この本質が、民主党政権に変わっても、ほとんど一つも変わっていない事情を明らかにし、今のやり方が、家康と同じように、大衆を臆病な家畜に仕立て、相互監視で矮小な人生を送らせる目的になることを明らかにしてゆきたい。

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