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警察国家への道 その2 児童ポルノ規制に見る矮小人間の大量生産

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 2006年5月、アメリカ、アイオワ州に住む38歳の男性が日本のエロ漫画を所有していたことで、当局に逮捕された。
 アメリカの犯罪全般に対する刑罰苛酷化の流れ、とりわけ性犯罪に対する人権無視の制裁的処罰は知られていたが、ひとりの趣味的コレクターが、日本で普通に店頭販売されている漫画を個人的に所有して逮捕されたことで、市民の自由が大きく損なわれる転換点であると多くの人に強い危機感を与えた。
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 日本から取り寄せたマンガの私的所有を理由に、最高20年の禁固刑の罪で起訴されたクリストファー・ハンドリーは、「未成年の性的行動を含む猥褻描写がある」と政府が主張する本の所持のため、PROTECT法(児童虐待に関する法律)によって起訴された。
 ハードリーは1200冊の市販マンガのコレクションを所持し、その中のわずか数冊の性的描写によって起訴された。
 CBLDF(出版物権利協会)の弁護士であるバートン・ジョセフは指摘した。
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「わたしの長い経験でも、個人が私的に楽しむための絵の所有だけが理由で、一般消費者が逮捕されるという事態は初めてです。この起訴は絵と絵を描く人にとって、そして特にコミックスという創造的で新しい試みをする分野にとって、表現の自由の規制という点で大きな影響を持つでしょう。歴史的に見ても、芸術の性質を誤解し、猥褻罪を曲解するものです。」
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 連邦郵便検査局はハンドリーの住居を捜索し、未成年の性的虐待を描いたわいせつ物(日本漫画)を更に没収し、ハンドリーは2007年5月にアイオワ州の大陪審において起訴された。
 上訴裁判費用の心配と、保守的なアイオワの陪審員では勝目がないと判断した私選弁護士の勧めにより、司法取引を選択したハンドリーは、アメリカ法18条1466A(b)(1)違反により、有罪を認めた。
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 これによって、「性的に露骨な行為を行う未成年が描かれた」日本マンガを所有するだけで、ハンドリーは最悪「15年の実刑、2500万円の罰金、3年間の司法当局による監視付き釈放」の可能性に直面することになった。
 アメリカでは2002年に最高裁が「現実の子供を使うことなく作られた画像に対する児童ポルノ禁止を拡大する州法は表現の自由に基づいて違憲」との判決を下していた。しかしその後、アメリカ連邦議会は未成年を性的に描くわいせつ物を更に具体的に定義、禁止した通称PROTECT法の法案を可決した。
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 結局、ハンドリーは、2010年2月、6カ月の懲役を言い渡され、3年の監視下での保釈、5年の執行猶予となった。おそらく、その後も、児童性犯罪者の烙印を押され、生涯、アメリカ社会の苛酷な監視を受け続けることになる。
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 この判決により、「実在しない仮想未成年キャラクターに対する性的虐待描写を描いた表現物(たとえばロリ漫画・エロゲーム)」の単純所持を違法とする判例が確定することになった。
 アメリカでは、18歳以下をイメージさせる裸の漫画を所持していただけで、懲役15年・財産没収の刑に処せられる可能性があるという判例が確立したのである。
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 また、オーストラリアでも、2009年12月に、架空のキャラクターを使ったわいせつ画像を自分のコンピュターに所持していた男性が逮捕され、3000ドルの罰金と2年間の監視付き保釈で有罪となったことがあった。
 ここでも実在しないキャラクターのわいせつ画像所有で有罪になったことで話題となった。
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 これらの事件は、日本人が、空港で売られている漫画雑誌を購入して、アメリカの税関で発見されたとき、そこに少女のエッチシーンが表現されていたなら、懲役15年の刑を受ける可能性を示したものであることに注意しなければならない。
 今後、実際に、旅行者が所持だけで逮捕され、実刑を宣告される事態が避けられないと思うべきで、エロ漫画がヘロインや覚醒剤なみの扱いとなってしまったのである。
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 我々、日本人の感覚からすれば、ちょっと信じられない、異常な取締りであって、イランやサウジで、結婚前に性交したことが発覚したカップルが逮捕され、絞首刑にされている恐るべき事態と、本質においては、ほとんど変わらない怖さを感じる。
 日本人にとって、イスラム諸国や欧米で起きている、こうした異常な性犯罪取締り苛酷化を横目で見て嗤っていられるうちは、まだマシだった。だが、ある日気づいてみると、同じような異常な性弾圧が、いつのまにかわれわれの足下にも忍び寄っていたことに愕然とさせられるのだ。
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 それは、悪辣な霊感詐欺商法で知られる統一教会が、日本で「倫理運動」と称して、たくさんのインチキ市民団体をでっちあげ、アグネス・チャンなどを広告塔として利用し、性風俗弾圧キャンペーンを繰り広げるなかで、気づかないうちに深刻な事態にまで進んでいたのである。
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 日本では、1999年に(第一次)児童ポルノ規制法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律、平成11年第52号)が成立し、「児童」の定義を、教育基本法や民法における13歳ではなく、18歳未満と規定し、これに該当する性行為や性表現を、それまでより格段に厳しく処罰する取締法が成立していた。
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 この法案を成立させた中心的議員は、自民党の森山真弓・野田聖子・高市早苗らだが、民主党の小宮山洋子や公明党の松あきららも加わっている。
 この法律によって、2008年、乳幼児のおむつ換えのシーンや、小学生の入浴映像が「男児ポルノ」に該当するとして、放送倫理・番組向上機構が、自主規制を要望する動きに出ている。この年あたりから、テレビで未成年者の性的表現が、ほとんど見られなくなったことに読者の多くが気づいていると思う。
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 日本ユニセフ協会(統一教会系? 寄付の多くを私的流用するので悪名高い詐欺的組織)が、アグネスを看板にして推進している「子どもポルノ処罰」は、実写だけでなく、冒頭に取り上げた架空の漫画キャラで、「18歳未満に見える」性表現全般が対象になっている。
 また、2009年度に一時凍結になった第二次ポルノ規制法においては、宮沢りえの写真集サンタフェや、若き関根恵子の映画作品などは、それを所持しただけで犯罪とされ、懲役1年の実刑と規定されることになった。
 野田聖子は、この法案を、いずれ必ず可決してみせると息巻いている。岐阜県民が、こんな馬鹿者を国会議員に送るなら人間性が問われるというべきだ。だいたい自民党支持者はスケベ老人ばかりじゃないか。いずれ、自分が聖子推進の法律で窮地に立たされることを覚悟せよ。
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 また、性犯罪撲滅運動、処罰苛酷化をアメリカで中心的に推進してきた勢力は、誰あろう、カトリックと共和党なのだ。
 この数年、カトリック聖職者が児童性犯罪の最大勢力である事実が暴露され、ローマ法王が窮地に追い込まれていることは周知の事実だ。
 まさに一番危ない連中、「性職者」たちが、自分たちを真っ先に裁くであろうポルノ規制法を実現したという笑い話のような展開になっているわけだ。
 こんなアメリカに追従して、日本でも性犯罪処罰の苛酷化が、強い圧力で社会に浸透している事情について、どう考えるべきか?
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 もちろん、性犯罪だけでなく、ほとんどすべての犯罪について、社会が更正を期待する姿勢を見せて寛容だった半世紀前に比べて、対象範囲が恣意的に拡大し、処罰が苛酷化している実情に気づいている方が多いと思う。
 性犯罪については、苛酷化が、とりわけ被害者となりやすい女性たちの支持を得られやすいことから、いわば処罰苛酷化、警察国家、制裁国家に進む右傾化社会の尖兵としての意味がある。
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 欧米日だけでなく、イスラムなど第三世界でも同じような傾向が見られ、世界的に大衆生活に寛容な規制が撤廃され、処罰苛酷化に向かう流れを明確に感じ取ることができる。いったい、これはなぜなのか?
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 「人を許さない、非寛容社会」が、際だって世界の傾向として見えている事情は、社会全体の差別化が進み、特権階級と一般大衆の明確な分化が起きて、特権者たちは、差別が進んで民衆の不満が高まったことから、自分たちの財産や生命の維持に危機感を感じるようになった。
 それゆえ、刑罰を苛酷化することで、特権者たちが大衆から身を守ろうとしているといえるだろう。彼らは、人間に頼らず金に頼るしかない人生を送っていて、最期は、結局、法と暴力を利用するしかないのである。
 その特権階級が金融資本の台頭による投機社会になって俄に私財を増やし、政治的な力をつけて、自分たちの利権を擁護する目的で、このような苛酷な処罰社会を望んでいるのが真実だ。
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 さらに、こうした処罰苛酷化によって、大衆が著しく精神の自由度を失い、人間性を喪失し、精神の矮小化をもたらすことを指摘する必要がある。筆者は、自分の若い頃に比べて、若い人の人間に対する感覚が劣化、矮小化している現実をひしひしと感じている。
 他人とトラブルになったとき、寛容、許しの姿勢で、相手の短所、欠陥を吸収し、長所を伸ばしてやりたいという心のゆとり、愛情をもって望む人たちが極端に減った。それは、こうした刑罰苛酷化の社会的風潮がもたらしたものだ。
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 今から50年前、日本は敗戦に打ちひしがれた貧しい生活から、死にものぐるいで働くことで、やっと豊かな生活を掴みかけはじめていた。
 この頃、人々は、まだ戦争の残酷、悲惨を鮮明な記憶で思い知っていたから、人が明るく、楽しく毎日を過ごす姿を見ることが何よりも嬉しかったのだ。
 だから、他人に対して寛容で、少しばかり間違いをしても、許し、相手が幸せになってくれることを心から願っていた。人を叱るときでも、真に相手の幸せを考えた利他思想に満ちていた。
 社会は、助け合うことを当然とみなし、自分勝手な利己主義は、みんなから強く諫められ、人の幸せを願うことを正義とし、そのなかに人生の喜びを見いだそうとする人たちで溢れていた。それが1950~1980年の世界でも抜きんでて素晴らしい国家共同体だった日本社会を構築した原点だった。
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 この頃、人々は、「人間は失敗し、過ちを犯すもの」という優しい寛容思想を共有し、間違ったことをしでかしても、それを制裁するのではなく、更正させることを正義としていたのである。
 だから、青年が性的に満たされず、女性を襲うなどという事件は、今も昔も変わらずに起きていたが、それを苛酷な刑罰で制裁し、社会から追放するという姿勢ではなく、多くは、青年の性欲を満たし、満足させてあげるために、周囲の大人たちは配偶者を見つけてあげることに奔走したり、赤線地帯に連れていったりして、彼の心を癒し、二度と他人を傷つけないように諭すという暖かい姿勢だった。
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 日本の刑法自体が、制裁報復という愚劣な発想ではなく、牧野英一による「教育刑思想」によって構築され、犯罪を導き出した個人の思想を矯正し、更正させるという世界的に進んだ合理的思想で担われていたのである。
 明治刑法の牧野イズム、すなわち教育刑思想から、今、野田聖子やアグネスチャンらが主張している制裁報復による苛酷刑罰主義を見るならば、実に愚かな封建的前時代への回帰であって、その救いなき心の貧しさに驚くほかはない。
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 結局のところ、こうした制裁・報復思想による権力がもたらすものは、国民の心の貧しさ、矮小な精神性でしかなく、刑罰に怯えた臆病な大衆を大量生産することで、社会は、特権階級の利権だけを擁護する家畜社会へと変わってゆくのだ。

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