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人を見て生きるのか? それとも、金を見て生きるのか?

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 この数日の「寒の戻り」によって、新芽を出したばかりの野菜がダメージを受けている。 ジャガイモの芽が真っ黒になってしまった。数回は再生するが、五回くらい霜害に遭うと種芋が腐ってしまう。
 キャベツ・カブ・大根は、寒冷紗を張ってあったので、とりあえず無事だが、カボチャや唐辛子、枝豆などは、黒マルチをかけてあっても発芽さえしてくれない。
 今日はトマト苗を植えたが、寒さに弱いので、透明ドームをかぶせることが不可欠だ。大きくなればこの脇にショウガを植えるつもりだ。

 名古屋の狭い公団アパートから蛭川村に移住して、すでに15年を超えた。
 裏手の山林の木を切って、三脚チェーンブロックで50本くらいの根を引っこ抜き、80坪ほどの傾斜のある畑を作った。
 たくさんの失敗を重ねて家庭菜園をやってきたが、15年経っても、まだ失敗ばかりだ。しかし、農業というものが、どれほど奥深く凄みのある技術か、時間薬のおかげで、ようやくわかりかけてきた。

 数日前に、昨年、取り残した九条ネギをたくさん食べたら、急に元気が出てきて体が動くようになり、いっぺんに仕事力が回復した。
 ネギには人を元気にする力がある。九条ネギは、根元を5センチほど残して上を利用すれば、残った茎から、またたくさんのネギが生えてくるので、何回か収穫できる。
 畑に生えているのを、そのまま食べるので、劣化せず栄養分がダイレクトに体に染み渡ってくるのだ。

 カブや大根もそうだが、自分で作った野菜を、収穫後、ただちに食べることは、健康にとって、とてつもない威力があることを実感している。
 最近は、保存用に糠漬けやピクルスをたくさん作ってるが、一年経っても、まだ美味しく食べられる。自家栽培と自家加工の素晴らしさを知れば、田舎暮らしはやめられない、
 都会では、こんな畑なんか、とんでもない金がかかってしまうが、過疎の山村である当地では、坪あたりの価格は、わずか数千円で、高齢のため畑を手放したい人も多い。

 だが、過疎の田舎は、仕事がないし、バス便も、この10年で半分に減らされた。今は日中は4時間に一本程度なので、事実上、使い物にならなくなった。
 だから、認知症がかってきた老人も、買い物や病院などのために、車が手放せないのだ。地方を大切にしたいなら、こういうケアは、もっとも大切なはずだが、自民党や公明党は、一切関心を示さず、意図的に、過疎の地方に人が住めなくしているように思える。

 これで、安倍政権の水道法改悪により、水道料金が数倍に上げられたなら、とても生活がおぼつかない。最近では、プロパンガスが高価なので、カセットガスに変える家庭が増えているようで、廃棄ボンベを棄てにゆくと、実に大量の空ボンベが捨ててある。
 しかし、山村は、地下水が豊富という強みがあるので、安価な井戸でも、結構役に立つ。うちの井戸は、15年前に造園屋がユンボを使って20万円で作ってくれたものだ。

 安倍晋三政権によるアホノミクス超愚策のせいで、ありとあらゆる生活コストが上がり、もちろん給与は上がらないから、庶民の生活困窮は、日に日に深刻さを増すばかりだ。
 バブルの全盛時は、ちょうどタクシーの運転手をやっていて、山一証券倒産のころまで、人々の生活は豪奢で、繁華街も賑わっていたことを知っている。
 バーやスナックでの散財が厳しくなると、それでも人々は、ワンランク下げて安居酒屋や喫茶店に行くようになる。ところが、数年前から、その喫茶店さえ閑古鳥が鳴くようになった。
 もうコーヒー代をも節約しなければ、やっていけないほど追い詰められてきたのだ。

 次に何が起きるのか?

 生活経費の最後の砦は、食事である。エンゲル係数がとてつもなく上がり始めている。安倍晋三大先生に言わせると、これは景気回復作用だそうで、そのように閣議決定したのを見て、呆れかえるより恐るべき無知蒙昧に恐怖心さえ抱かされた。

 エンゲル係数を下げないと生きてゆけない。だから、スーパーでも、18時過ぎの値引きタイムに人々が殺到するようになり、今や、値引き品を買うことも、バーゲンセールの競争なみに過酷になってきた。

 しかし、エンゲル係数を下げる、「最期の革命」=切り札がある。それは「共同」である。
 食事に共同性を持ち込むのだ。つまり、これまで家族内だけで食事を作って食べていたものを、数家族まとめて作って食べるように、つまり集団化することで、食事コストが大幅に下がる。

 これをやろうとすると、一家族が孤立し、独立して生計を建てている、今の小家族ライフスタイルに大きな変革を迫られる。
 どういうことかというと、小家族では食べていけないから、大家族生活にするのである。
 田舎の大きな一軒家で、数家族が一緒に生活するスタイルにすれば、大きな節約効果が得られることになる。

 しかし、小家族になった必然性、理由を考えると、たくさんの人と付き合う煩わしさから逃げたいから小家族になったのに、再び、いつでも他人の顔色を伺って忖度していなければならない大家族なんか、まっぴらだと思う人も多いだろう。
 だから、大家族生活を始めるには、他人がたくさんいることが幸せであると感じられるような意識改革が必要になるのである。

 まあ、世界中の大家族生活を観察していると、プライバシーへの干渉が多くなる大家族生活に、とても耐えられないと思う人がばかりだろうと思うと、意外とそうでもない。
 むしろ、たくさんの人のなかで、寂しさを感ぜず、対話が増えることで脳が活性化されて人生が生き生きと輝く人が多いように思えるのだ。

 もちろん、様々のパターンのなかには、とてつもなくうっとうしい隣人のせいで、ノイローゼになる人もいるだろうし、静けさを求めて飛び出してゆく人も多いだろう。
 だが、その逆に、性格のおかしな人も、絶え間なき対話のなかで、うっとおしい性格が是正されてゆく人もいて、人がいないと寂しくてたまらなくなる人もいる。

 私が知っている大家族生活で、他人がうっとおしくてノイローゼになっている人を見たことはなかった。むしろ、たくさんの人と対話できることで、人間性が活性化して、生き生きとした活気あふれる人生を送っている人の方が多かった。
 しかし、こればかりは、実際に体験してみるしかないだろう。

 だから、もし大家族生活に移行するにしても、たくさんのバリエーションや、たくさんの失敗を織り込んで、少しずつ、ライフスタイルを変化させてゆくように考えるべきだろう。
 いきなり、心の準備もできていないのに大家族に移行しても、戸惑うばかりかも知れない。

 しかし、私が蛭川村に移住して、たった一人で15年間かけて家庭菜園を作ったことも、たぶん大家族生活だったなら、一年か二年あれば、はるかに規模の大きな優れたものを作り出すことができただろうと思う。
 一人暮らしでは、脳が衰退し、新しいことを始める意欲がわかないし、そうした意欲を後押ししてくれる「褒めてくれる人」=感動してくれる人もいないから、とても寂しいのだ。

 私が、このブログを書いている理由も、ネトウヨが指摘するような自己顕示欲ではない。姿の見えないブログ読者と対話して元気をもらっているつもりなのだ。
 我が家のように、夜中にイノシシと熊しか来ない土地では、やたらに人恋しいから、ネットでつながる、たくさんの人たちに毎晩叫んでるわけである。
 もし、周囲にたくさんの対話者がいれば、ブログを書く必要もないわけだ。
 今、ブログコメントが書きにくい事情は、ネトウヨの悪質な荒し対策なのであしからず。

 挨拶する人のいない生活、自分に降りかかった不幸や幸せを報告できる人のいない生活なんて、どれだけ金があっても決して豊かではない。孤独で寂しい、悲しい生活なのだ。
 人間として生きて、人間として死んでゆくプロセスは、生まれてから死ぬまで、人を見て、人と対話するということである。

 このコンテンツの表題は、「 人を見て生きるのか? それとも、金を見て生きるのか?」
 である。
 それは、この世界、この社会の本質が、金でもなければ、ロボットでもない、どこまでいっても人間しかないと見抜いている人たちは無用の問いではあるが、金融資本主義の利己主義的価値観に洗脳されてしまった人には、この社会が、あたかも金やロボットで、成立しているかのように勘違いして、蓄財や権力が人間性よりも高い価値であると思い込んでいる人たちには、必要な問いかけである。

 我々の社会は、人間社会である。コンピュータ社会ではない。ロボット社会でもない。金融社会でもない。本当は学歴社会でもなく、権威の社会でもない。もちろん国家のための社会であろうはずがない。
 地球上に本当に存在するのは、大自然と人間だけなのである。
 我々は人間から生まれ、人間として消えてゆく。どこまでいっても、どこを向いても、そこにいるのは人間である。
 ところが、大勢の人々が、人間が仮面を被った怪獣であっても、恐ろしい怪獣の姿しか見えず、背後にいる人の姿が見えなくなっているのである。

 金や権力が、人間より大切なものと思い込まされている人が大量にいる。彼らは、金と、それを生み出す権力だけを向いて生きてゆく。あらゆるものの背後に人間がいることを忘れてしまうのだ。

 浩宮が「天皇」になる。だが、彼を特別な存在と思い込まされている人たちには、「天皇は自分たちと違う、特別にエラーイ存在だ」とすり込まれていて、自分と同じ人間にすぎない真実を見失ってしまうのだ。
 だが、この世に人間以外の存在はない。天皇といえども生物学的人間にすぎず、どんなに権威の虚飾を身にまとってみても、中身は「裸の王様」に過ぎないのである。

 同じように、国会議員だって、中身はタダのアホにすぎない。まともな判断能力を持ったヤツなどほとんどいない。みんな金と権力目当てのお粗末なクズばかりだ。
 ただ、そこにある利権に群がっているゴキブリなのである。
 こんな連中が、日本社会を勝手に操作し、日本国民の平均年収が300万を切っているというのに、一人あたり4000万円も血税をかっさらってゆくのだ。
 首相だって、副首相だって、小学生当用漢字さえ理解できていない無知な馬鹿なのだ。

 これから、我々は猛烈に過酷な運命に叩き込まれることになるが、そのとき本当に必要な価値観は、「人を見て生きるのか? それとも金を見て生きるのか?」という判断である。
 何度も書いたが、もうすぐ、この社会は極端な格差から、完全に二分化されて対立する二つの社会に分離してしまうだろう。まるでパラレルワールドだ。

 このとき、分離する社会を定めるものが、「人を見るか、それとも金を見るか」という価値観なのである。
 我々は、人を見て生きてゆく。私自身は、人生の終末が近づいて、どうなろうと、あまり興味がないのだが、私にとっては、この世界、この社会に見えるものは人間だけである。
 しかし、とても大勢の人たちが、この世界の金や権力、つまり人間以外の虚構に拘泥し、振り回されて生きているし、少しばかりの金を手にして、底辺の生活者を見下し、優越感に酔いしれている。

 このように、社会の本質が金や権力であると思い込まされた人々は、その分捕り合戦に参加することが人生と思い、人を愛し、連帯する心の優しさ、本当の豊かさを見失ってゆくのである。
 そんな彼らが、生み出している虚構こそ、新自由主義による金融国家である。

 この社会の本質が人間であることを見抜いている人たちは、人間にとって、もっとも大切な能力が、作物を生産し、自給自足すること、美味しい食事を作れること、人の笑顔で癒やされ、人を癒やす真実の人生を目指して歩んでゆくことを知っている。
 大都会の喧噪をさけて、美しい山水のある過疎の田舎暮らし、大家族共同体社会を目指してゆくのだと私は思う。

 

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