FC2ブログ

Entries

 2019年7月28日 8時更新 今朝の三重県南東沖大深度地震について ***** アイヌ民族の復興を 松浦武四郎を記念して

カテゴリ : 未分類



 今朝、三重県南東沖で大きな地震が起きた。
  http://www.jma.go.jp/jp/quake/20190727183744395-28033155.html

 7月28日03時37分 気象庁発表
28日03時31分ころ、地震がありました。
震源地は、三重県南東沖(北緯33.0度、東経137.4度)で、震源の深さは約420km、地震の規模(マグニチュード)は6.5

 いわゆる大深度地震で、震源地が南海トラフでありながら、揺れたのは宮城県など東北地方という異常震域地震だった。

 以下は十日前、7月18日の私のブログを抜粋したもの
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-810.html

 余談、数日前から、明らかに強烈な地震前兆が出ている。普段(過去数ヶ月)絶対視聴できないChが鮮明に見えるようになっている。
 これは大阪M6.5 厚真M6.9の前にも見られた現象である。
 梅雨が上がれば、震災級地震が起きる可能性がある。
***********************************************************************

このテレビ波の異常伝播は、7月14日頃から始まって、今朝も、過去最悪の凄まじさで、我が家では、NKK教育を除く、ほぼ全チャンネルが視聴不能になっている。
 私が「梅雨が上がれば」と書いた理由は、奈良市長だった鍵田忠三郎さんによる、40年前の「これが地震雲だ」という著作のなかで「雨が地震を抑える」と指摘していて、経験的に、大雨や台風の来ているときに地震が起きにくいことが分かっているからである。

 テレビ波の視聴障害が起きる理由は、地殻変動により、各地の「地震の穴」とでもいうべき特異的なスポットから、電離粒子が上空に向けて放射され、電波を反射するカーテン(縦型Eスポ)を生成するからだという仮説を、JA7HOQ小林康晴氏が20年前から提唱している。

 西日本は、昨日、7月27日に梅雨明け宣言があり、まさに直後にM6.5が発生した。
 しかも、震源地は東南海地震の震源地に重なっていて、危険な地震である。
 この三重県南東沖大深度地震というのは、偶発的でなく、割合定例的に起きている。

 これは、2018年7月に書かれた、三重県沖大深度地震に関する記述である。
 https://jishin-news.com/archives/5228

 以下引用

 今回の地震の特徴としては震源の深さが約360kmと非常に深かったことと、三重県が震源であったにも関わらず揺れを観測したのが福島県と栃木県といういわゆる異常震域であったことが挙げられる。

だが、三重県南東沖の深発地震では震源付近ではなく、遠く離れた東北地方南部から関東地方にかけての一帯に揺れが生じるのが常なのである。

三重県南東沖・深さ300km以上の場所では過去90年間に3回、M6.5以上の地震を引き起こしてきたが、そのいずれも強い揺れは関東地方などで起きていたのだ。

2003年11月12日のM6.5(深さ395km)では福島県・茨城県・栃木県でそれぞれ震度4。また1929年06月03日のM6.7(深さ367km)でも震度4を観測したのは茨城県であった。

更に300km以上の深発としてはこれまでに最も大きかった1984年01月01日のM7.0(深さ388km)においても、震度4を記録していたのは福島県・栃木県・千葉県・神奈川県それに東京都、特に東京都で最も強い揺れとなっていたのが千代田区大手町だったのが目を引く。

*************************************************************************

 引用例から、2003年11月と、1929年に、非常によく似た地震が起きている。
 1984年、1月1日に、東海道はるか沖地震が、近い位置と388Kの深さで起きている。
 http://cais.gsi.go.jp/KAIHOU/report/kaihou32/06_05.pdf

 1984年8月7日には定例的なプレート地震である日向灘M7.1が発生し、9月には、長野県西部地震が発生、多数の犠牲者を出した。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%90%91%E7%81%98%E5%9C%B0%E9%9C%87

 こうした三重県沖の大深度地震が、次に、どのような地震を誘発させるのか、非常に興味深い。

 2003年は、先立つ5月に、宮城県沖地震M7.1が発生している。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E6%B2%96%E5%9C%B0%E9%9C%87_(2003%E5%B9%B4)

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C%E8%A5%BF%E9%83%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87

 1929年の場合は、翌1930年11月に北伊豆地震が起きている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BC%8A%E8%B1%86%E5%9C%B0%E9%9C%87

 2009年8月9日に発生した、東海道南方沖地震も、今回と震源も深さも似ていて、南海トラフ巨大地震のパターンとして留意すべきかもしれない。
 https://earthquake.tenki.jp/bousai/earthquake/detail/2009/08/09/2009-08-09-19-56-00.html

 この地震から540日を経て、東日本大震災が発生している。

 こうして考えると、南海トラフ上の大深度、三重県南東沖地震は、巨大なプレート活動の前駆的活動であると考える必要がありそうだ。

 この地震と、本格的なプレーと地震との間隔、タイミングは分かっていない。しかし、過去例から、とりわけ1984年1月の東海道はるか沖M7.3が、日向灘M7.1と御岳M6.9の前駆だった可能性は大きい。
 今朝の、M6.5が、もしかしたら東南海・南海巨大地震の前震である疑いも捨てきれない。


************************************************************************************
https://www.cnn.co.jp/world/35138465.html

 アイヌ民族の復興を 松浦武四郎を記念して

 松浦武四郎は1818年、今から、ちょうど200年前、松阪市に近い、一志郡須川村の郷士、松浦家に生まれた。
 先祖は、平戸の松浦一族であり、中世に伊勢国に移住したことになっている。

 実家の一志須川(松阪市小野江町)は、伊勢宮街道沿いであり、松浦武四郎記念館から徒歩数分の位置にある。
 私は、大台ヶ原の歴史を調べるなかで、松浦武四郎という偉大な存在に触れて、何度も通った。近くには、幕末から近世現代に導いたといわれる本居宣長の居宅もある。
 http://tokaiama.minim.ne.jp/tokaiama/oma-3.htm

 武四郎が、生涯を旅に明け暮れた理由も、おそらく全国から伊勢参りの参拝者が押し寄せてくる土地であり、自らのルーツも長崎県にあることを知り、広く全国に開かれた情報の大量に錯綜するなかで、自分の目で世界の真実を確かめようとしたのであろう。

 武四郎の功績は多岐にわたるが、不滅の業績といわれるものが、樺太や択捉島にまで及んだ北海道探索の情報公開である。
 武四郎は、信義に厚い優しい性格で、北海道に渡っても、決してアイヌを見下したりせず、兄弟のように接し、アイヌの利益を擁護しようとした。
 http://www.pref.mie.lg.jp/DOKYOC/HP/20454021135.htm

 武四郎は、寝食を共にしながらアイヌ人の協力を得て、まだ未開だった、道内の地図を作成するために全道に分け入った。
 六回に渡って渡航し、アイヌの生活、民俗、地誌を記録し、紀行文にして出版した。
 数十年間にわたる北海道探検のなかで、武四郎は、松前藩による植民地政策、アイヌ人の奴隷的使役に対して激しく憤っていた。

 内地人は、アイヌを「土人」と見下し、彼らの土地を強奪し、奴隷として使役した。
 松前藩による「場所請負制度」と,江戸幕府による「撫育同化政策」が、どれほどアイヌの人権を侵害し、苦しめているかを広く訴えようとした。

 北海道では寒冷な気候から米が育ちにくかったが、海産物が豊富であったため松前藩は当初アイヌの人びととの交易を松前城下で独占的に行っていた。
 やがて,松前藩はアイヌの人びとの自由な交易を制限し,蝦夷地の海岸線に交易をする場(商場)を設けていった。
 そして、家臣に「商場」を知行地として与え、商場を与えられた家臣は現地のアイヌの人びとと交易をおこない、交易品を本州の商人などと取引をして利益を得ていた。
 この「場所請負制度」により、商人は利益を増すためにアイヌ民族を労働力として確保するために自由な移動や結婚を禁じ、強制的に酷使する奴隷的な扱いをするようになった。

 一方、幕府の「撫育同化政策」は、独自の文化を持つアイヌ民族に対し、本州と同じような暮らしを強要するものだった。
 幕府はロシアの南下政策に対して、蝦夷地は日本の領土であることを主張し、文化の異なるアイヌ民族を、日本人として見せかけるための文化を強要したのである。
 武四郎は,アイヌ民族は独自の文化を持っていて、尊重されるべきことや、アイヌ文化への正しい理解を求めて、幕府へ切実に訴えている。

 大久保利通は、松浦武四郎の活動を高く評価し、北海道開拓庁が設立されると、開拓判官という上級役職に推薦したが、明治政府の姿勢も、松前藩と変わらぬアイヌへの見下し、人権軽視と利用主義が見られることに激怒し、職を去って故郷に帰った。

 アイヌ民族が確認されたのは中世以降で、その居住範囲は、千島列島全域、樺太、北海道全域、青森県・岩手県・秋田県の一部を含むが、歴史文献によれば、「蝦夷毛人」の国として、新潟県や長野県の内陸部も含まれている。
 日本列島に最初に登場したのは、10000年も前のことで、縄文人の一角をなしている明確な日本先住民である。おそらく南方の海洋族が黒潮に乗って、琉球列島を経て北上したのではと推理されている。琉球古代人とアイヌ古代人は、同じ遺伝的先祖を持っている。

 したがって、日本列島には、地名や民俗など、アイヌ文化=縄文文化が広く浸透していて、地名でもアイヌ語が極めて多い。
 関東以北で、語尾にナイ(小河川) ベツ(大川)がつく地名は大半がアイヌ語である。マッカリという地名も「奥で曲がる川」という意味を持つので、飛騨白川村にまで及んでいることになる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E8%AA%9E

 つまり、アイヌ民族は、明確に日本先住民であり、異民族ではなく、我々の先祖でもある。
 私事で恐縮だが、私は、瞳の色が澄んだ鳶色で、ずいぶん他人と異なる。自分が他人と違うことで、ルーツを調べてゆくと、母方の祖先が、新潟で北前船交易を主宰していたことが分かった。
 これは渡島半島で採れた昆布を、新潟・下関・瀬戸内経由で大阪まで運んだ交易船である。船員たちは、渡島のアイヌ女性に子を産ませることが多かったと記録されている。
 ということは、私の血筋にアイヌの血が含まれていても何の不思議もない。
 またアイヌも古くからロシア人との交易の歴史があったので、ロシアの血も入っているかもしれない。

 縄文人=アイヌ人の民族学的特徴として、①目鼻立ちが大きい ②毛深い ③手足が長い ④二重瞼 ⑤水耳垢 ⑥感受性が強い ⑦足指が長い
 などがある。このうち毛深いのと手足が長い以外は、全部当てはまるので、自分がアイヌの血を引いていることを確信するようになった。
 これが、秦氏のような高句麗女真族は、寒冷刺激を受けたツングース族の特徴を持っていて、①のっぺりした顔立ち ②一重瞼 ③乾燥耳垢 ④感情の抑制力が強い ⑤騎馬文化を持つ などの特徴があり、南方の海洋族が北に移住してきたアイヌ民族とは本質的に異なる。

 日本は多民族国家である。アイヌはじめ、高句麗ツングース、中国蘇州由来の弥生人など、たくさんの民族が交雑して成立している。
 中曽根康弘が、1986年に「日本は単一民族国家」と発言して、国際的な問題に発展した。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E7%9A%84%E6%B0%B4%E6%BA%96%E7%99%BA%E8%A8%80

 中曽根は、日本にアイヌ民族という先住民が居住していることさえ知らなかったのである。
 中曽根の先祖は、群馬足利氏=北条氏と思われるが、彼らが高句麗・百済から渡来して日本人になったことも知らなかったのだろう。

 松浦武四郎の時代、松前藩も明治新政府もアイヌを「土人」と蔑称し、彼らの先祖代々の土地を強奪し、現在の王子製紙などに売り飛ばした。
 アイヌの聖地中の聖地、平取の二風谷は、勝手に売り飛ばされ、ダムの底に沈んだ。アイヌの先祖を奉った墓地から北大や京大の学者が無断で骨を持ち出し、今だに完全な返却も、まともな謝罪もしていない。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E9%AA%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 アイヌの人口推移
 ainu1.jpg


200年前、アイヌ人は、北海道人口の84%を占めていた。ところが、1993年には、わずか0.4%にも落ちている。
 これは、どれほどアイヌ人が、人間扱いをされず、民族としての継承を弾圧されていたかの反映である。

 我々は、アイヌ民族の復活を要求し、民族としての独自の発展を保証するべきだと考える。
 オホーツク一帯に数十万人の文化圏を構築していたアイヌ民族は、1855年、ロシア帝国との日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下、各々の領土が確定し編入した以降は、大半が日本国民、一部がロシア国民となった。

 2018年12月、ロシアのプーチン大統領は、クリール諸島(北方領土を含む千島列島)などに住んでいたアイヌ民族をロシアの先住民族に認定する考えを示した。
 これは、ロシアが千島北方領土を完全に自国領に編入するための手続きではあるが、こんなことになったのも、日本政府が、アイヌ民族の人権を軽視し、土人扱いして彼らの先祖代々の土地を奪うことしかしてこなかったせいである。

 これから必要なことは、日本人の多くに、私のようにアイヌの血が含まれている事実を国際的に明らかにすることであろう。

Appendix

プロフィール

tokaiama

Author:tokaiama
ツイッターのアカウントは、原発運転による健康被害をとりあげた途端に永久凍結されました

最新記事

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
その他
2位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
2位
アクセスランキングを見る>>

カレンダー

08 | 2019/09 | 10
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

アクセスカウンター

アクセス数