FC2ブログ

Entries

 これからの人間社会

カテゴリ : 未分類

 2011年3月の東京電力が起こした放射能巨大環境汚染事故が何をもたらすのか?
 さんざん警告してきたつもりだが、「何も起きずに終わった」と、メディアに洗脳されてしまって、実に目出度い勘違いをしている人たちが、たぶん日本人口の半分くらいはいるので、「本当は、これから日本社会が根底から崩壊するくらいの恐ろしい結果が待っている」という真実を書き続けないわけにはいかない。

 人口の数割が、東京電力による放射能汚染によって、これから心筋梗塞・脳梗塞、癌や白血病になって死んでゆくことになる。
 被曝被害は、まだ始まったばかりである。どれくらい続くかといえば、おそらく、あと50年は続くはずだ。
 それは、チェルノブイリ事故の周辺国が、今、どうなっているか? 調べれば一目瞭然である。

 cherunosibou1.jpg

 http://inventsolitude.sblo.jp/article/61209210.html

 チェルノブイリ事故は1986年に起きたが、死亡率が激増したのは、7年後からで、20年後にピークを迎えている。収束は先が見えない。
 別に、ウクライナやベラルーシの医療体制が崩壊したとか、ジェノサイドが起きたとかの情報は存在しない。
 だから、福島周辺でも(東京も含む)、本当の被曝被害が明らかになってくるのは、まだ数年後であることを覚えておいた方がいい。

 人類史を顧みれば、例えば、モンゴル帝国による「タタールのくびき」のように、ユーラシア人口の数割が殺されたような凄まじいジェノサイドや、ナチスドイツが、600万人を超えるユダヤ人を強制収容所で虐殺したホローコスト、スターリンが自国民6000万人を殺戮したジェノサイド、ポルポトが自国民300万人を殺戮したといわれるジェノサイド、李承晩・朴正熙による300万人ともいわれる自国民ジェノサイド、今、行われている中国共産党によるウイグル人ジェノサイド、大躍進・文革による1億人ともいわれるジェノサイドなど、ほとんど「枚挙に暇がない」というしかなく、よくも人類は、これほど大量殺人、皆殺しが好きなのかと感嘆するしかない。

 ついでに書いておくが、アメリカもピューリタンが、「キリストの愛を伝えるために」北米東海岸に上陸してから殺戮した先住民の数は、最低でも1000万人を超えるし、スペイン帝国も南米で同じくらい殺戮しながらキリスト教を布教した。
 第二次大戦でアメリカが広島・長崎に落とした原爆、東京大空襲も、罪なき市民を殺戮した200万人級のジェノサイドと断言してもよい。
 さすがに、霊界で「地球は、火星に次いで宇宙で2番目に遅れた地獄星」と言われるだけのことはある。
 https://ameblo.jp/sinjindaturaku/entry-12395159293.html

 こうして考えれば、チェルノブイリ事故も、福島第一原発事故も、人類史における、無数のジェノサイド履歴の延長に存在していることが分かる。
 人命軽視、人権迫害の思想の上に存在しているのだ。まともな人間性の持ち主が、事故を起こさなくとも放射能で大量の人々を殺しまくる原発を作ろうと思うはずがない。
 
 放射能事故から10年くらいしてから、被曝病がピークを迎えるので、もう数年もすれば、日本は発癌地獄とでもいうべき凄惨な社会になる。
 しかし、これも、自民党が核武装したさに、事故を承知で原発を運営した結果、という意味では、一つの大きな人間集団の平均寿命を大幅に低下させるジェノサイドの一種なのだが、過去のジェノサイドと比べて、放射能事故によるジェノサイドは、本質的に異なるものがある。

 それは、後遺障害が凄まじいことだ。被曝病は、極端に潜伏期間が長い。子供は比較的短いといっても、被曝してから甲状腺癌が発症するまで5~10年かかる。
 大人の被曝癌は、乳癌など早い方だが、それでも10年以上かかる。肺癌に至っては20年以上だ。
 そして、何よりも、子供たちに対する影響が凄まじい。

 以下は、放射線影響研究所(旧米軍ABCC)が、広島長崎の被曝被害者を具体的に調査して導いた被曝障害の関数なのだが、私が、このページを繰り返し引用したせいなのか、内容がひど分かりにくく改竄されてしまった。
 そして、胎児の被曝障害は、放射線のせいではなく、母親の精神的パニックや他の病気のせいだと内容を改竄、隠蔽する多数の意見が出ている。
 https://www.rerf.or.jp/programs/roadmap/health_effects/uteroexp/physment/

 この報告の要点を述べると、【線量が0.005Gy未満と推定された胎内被爆者においては、1,068人中9人(0.8%)に重度の知的障害が見いだされたのに対し、線量が0.005Gy以上と推定された胎内被爆者においては、476人中21人(4.4%)が重度の知的障害と診断された】

 と書かれていて、0.005Gy=0.005Sv=5ミリシーベルト以上を胎内で被曝すると、4.4%に重度知的障害が発生すると書かれているのである。
 これは、とんでもなく恐ろしいデータである。なぜなら、フクイチ事故が起きたとき、福島県内の胎児の多くが、5ミリシーベルトを被曝させられ、また、その後も、水や食事から内部被曝が続いたからである。
  
 このデータは信用できないと、東電から懐を暖める風を送られている、東大などの、たくさんの学者が主張しているのだが、このデータは、米軍の原爆被害研究者が直接、自分の足で歩いて確認した非常に信頼性の高いものでありながら、後に「ABCCのデータは被曝被害を半分に矮小化した」とさえ言われていた。
 つまり、本当は、こんな程度ではなかった。

 しかし、「現実に、福島で事故後出生した新生児たちに、この種の重度障害者の報告、報道はないではないか?」と思うだろうが、福島県も政府も、東日本の医療施設に手を回して、被曝被害を疑う症例を出すなと恫喝していることが分かっている。
 もしも、被曝障害を報告したなら、医師免許を剥奪すると脅してきたのだ。
http://www.asyura2.com/12/genpatu25/msg/552.html

 フクイチ事故がまき散らした放射能によって、多数の胎児が被曝し、もしも、それが三ヶ月齢であったなら、知的障害を起こす可能性がある。
 安倍晋三首相は、裏口卒業で知られ、自分の出身校も、きちんと書けないほど知的に遅れているといわれる。
 https://twitter.com/hashtag/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0%E3%81%AE%E4%BD%8E%E3%81%84%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89

 実は、安倍晋三が三ヶ月齢胎児だった1954年、3月1日に何が起きていたか?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%A6%8F%E7%AB%9C%E4%B8%B8

 日本中の胎児が、人類最大最悪のビキニ水爆放射能の被害を受けていた。つまり、1954年9月に生まれた安倍も被曝の犠牲者の一人だったのだ。

 胎児被曝による知的障害は、ダウン症のような重度なら、生まれてすぐにでも分かるが、軽度になると、普通は入学時の知能検査などで、初めて分かることが多い。
 また安倍晋三のように、知的障害のまま首相に上り詰めるような人物もいる。
 ごく軽度の「少し遅れている程度」なら、死ぬまで分からないこともある。
 しかし、かつて米軍海兵隊が、1962年の大気圏核実験に胎児被曝した海兵隊員と、無被曝の者たちを大規模なテストで比較したところ、IQで平均10被曝世代が劣っていたと報告があった。(被曝国アメリカ)

 しかし、福島の被曝胎児は、「少しの線量」ではなかった。データは隠蔽され改竄されて、正確な線量を知ることは困難だが、多くの胎児が5ミリシーベルト以上を被曝したとのデータがあった。(検索できなくなっている)
 だから、知的障害のレベルも、軽度でない可能性の子供が大量に生まれ、2019年現在、8歳=小学校2年程度になっているわけだ。

 私は、福島に限らず、これからの日本社会は、知的障害と被曝認知症の激増により、知的レベルが大幅に後退するなかで生きてゆかねばならない時代になっていると考える。
 だから、危険な自動車社会より、より安全性の高い自転車社会にするべきだと何度も書いてきた。

 これからは、知的障害者と認知症老人が社会の半数以上を占める社会になってゆく。
 これを前提にして、社会のルールを組立直さなければならないのだ。

ここで、今日見つけた記事を紹介しておこう。
******************************************************************************

ダウン症の弟はイジメのないクラスをつくる天才だった
母が弟に教えた3つの言葉
  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67839

以下引用

  ダウン症の弟と近所のコンビニの店員の心温まるエピソードを綴ったnoteの記事「弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった」が話題になった岸田奈美さん。
17歳の頃、母親が心臓の手術をきっかけに下半身麻痺になってしまい(詳しくは、「『ママ、死にたいなら死んでもいいよ』と下半身麻痺の母に言った日」を参照)、その時の経験がきっかけとなって、現在、ユニバーサルデザインの会社「ミライロ」で働いている。

人との触れ合いが大好きな奈美さんの弟。彼の周りは、いつも笑顔になる。それには、奈美さんのお母さんのある教えがあったという。

母が教えた3つの言葉
noteで弟の記事を書いたら、ものすごく反響をいただきました。日本中に私の弟のハイパーでエクセレントなところが伝わって、とても嬉しく思います。でも実は、その弟を育てた母のウルトラでマーベラスなところも、私は伝えたいです。今日は、そんな母の話をします。

母、最大の功績。それは、保育園へ入園する弟に3つの言葉を教えたことです。

弟はダウン症で知的障害があり、難しい言葉の理解ができません。簡単なひらがなを、かろうじて読むことはできます。意味がわかるのは、子どもが知っている単語くらいです。発話も不明瞭なので、初めて弟に会う人は何を言っているか聞き取れないこともしばしば。

でも弟は、特別支援学級ではなく、普通学級へ入りました。障害者だけがいる環境よりも、健常者もいる環境で社会のルールを学んでほしいという母の思いと、人とコミュニケーションを取るのが好きな良太の思いがあったからです。

母は弟に、辛抱強く次の言葉を教え続けました。

「こんにちは」「ありがとう」「ごめんね」

勉強なんかできなくてもいいから、これだけは言えるように、という母の強い決意を感じました。なぜそんなことをしたか。それは、周囲に「知的障害者に向き合う壁」があったからです。

障害者のうち、人数が一番多いのは身体障害者です。車いすに乗っている人や目が見えない人が何に困っているか、どうすれば助かるかを、皆さんはなんとなく想像できると思います。

でも、知的障害者はどうでしょうか。

よく知らない、どうしたら良いかわからない、と思う人が大半です。怖い、と思う人もいます。なぜなら、障害者のうち、人数が一番少ないのが知的障害者だからです。日常で見る機会が少ないからこそ不安になり、壁を感じるのは当然のことですよね。

それが子どもともなれば、入園式や入学式の段階から騒然とするわけです。弟を見て「僕たちと、なんか違うぞ……」「話しかけて良いのかな……」と、同級生たちが心の中で戸惑っているのが、よくわかりました。

そのままでは、弟と同級生たちの心の距離は開いていくばかりだったと思います。
でも、弟は違いました。

 あいさつ一つで、印象は変わる
「こんにちは!」と、同級生に元気よく話しかけました。すると、同級生たちのこわばった顔がフッと緩みました。弟が話しかけたことで「あ、話しかけていいんだ」と思ってくれたそうです。

同級生だけではありません。通学路でも、犬の散歩をしているおじさん、店先を掃除しているコンビニのオーナーさん、部活帰りの中学生など、よくすれ違う人に弟は「こんにちは!」と言っていました。話題になった記事に登場したコンビニのオーナーさんは、あいさつがきっかけで、弟のことを覚えていたと言います。

次に、「ありがとう」と「ごめんね」です。普通学級で皆と一緒に過ごす弟には、わからないことが沢山あります。例えば、校庭の遊具を使う時。同級生は並んで順番を待っているのですが、良太は順番を抜かしてしまうことがありました。順番を待つというルールがわからなかったからです。

「岸田くん、順番抜かしちゃだめだよ。こっちで並ぶんだよ」と同級生から教えてもらうと、状況を理解した弟は「ごめんね」と言って、列に並びました。それから弟は、皆が並んでいる時は、列で順番を待つことができるようになりました。

私がコンビニのレジに並んでいて、列のつくりが複雑で先に並んでいた人を抜かしてしまった時、「姉ちゃん、違うよ。こっちだよ」と弟から教えてもらった時はびっくりしました。

皆と同じように文字が読めない、計算ができない弟は、保育園や小学校の同級生から教えてもらうことが沢山ありました。その度に弟は「ありがとう」とお礼を言っていました。

母が保育園や小学校へ弟を迎えに行く度に、母はたくさん子どもたちに囲まれて「今日ね、岸田くんに掃除の仕方教えてあげたら、喜んでくれたんだよ。私も嬉しかった!」と、笑顔で報告を受けていました。

「知的障害者に対する、周りのイメージはすぐに変えられない。だから、自分たちからまず変わらないと」と、母はよく言っていました。

 「岸田くんが遅い分、僕らが速く走ればいい」
そんな弟の日々を、象徴する出来事がありました。保育園で運動会が開かれた時のことでした。弟たち年長組は、リレーを走ることになっていました。リレーと言えば、運動会の花形競技です。クラスごとにチームを作って走るのですが、どのチームも優勝を狙い、足の早い子たちが名乗りを上げていました。

そんななか、弟がリレーを走りたいと立候補したそうです。

弟には低緊張があり、動きがとてもおっとりしています。弟がリレーを走れば、まず優勝は逃してしまいます。保育園の先生から報告を受けた時、母は「息子の気持ちはわかるけど、息子が走るとチームが負けてしまって、他の子たちがかわいそうだから……」と、戸惑いながら断りました。話を聞いたのが私でも、同じように断ったと思います。

保育園の先生も母の気持ちを汲んで、弟にはリレー以外の競技を勧めようとしていた時でした。クラスで一番足の早い子が「先生、どうして? 岸田くんが走りたいなら、走ってもらおう! その分、僕らが速く走ればいい」と意気込み、周りを説得してくれたそうです。

その日から、子どもたちの猛特訓が始まりました。休み時間になれば、スタートダッシュ、バトンの受け渡し、コーナーリングなどをチーム一丸となって練習したそうです。

そして、運動会当日。弟は本当に一生懸命走りました。「こんなに走れたの!?」と私たち家族が目を見張るほどに。でも、どうしても遅れを取ってしまいます。しかし、あっと言う間にチームの仲間が追い越してくれて、完璧なバトンパスの連続で、見事、弟のチームは優勝しました。

母は、涙を流しながら、喜んでいました。「障害者だから助けてあげないと」「障害者だから他の皆が我慢しないと」と大人が押し付けるのではなく、弟と仲良くなった同級生たちの素直な気持ちと行動が、本当に嬉しかったのです。

 「助けたい人」よりも「一緒にいたい人」でありたい
保育園や小学校を卒業する時、母はいつも、同級生の保護者や先生の方々にお礼を言われていました。

「岸田くんと同じクラスになってから、うちの子が妹の面倒を見るようになったんです」

「岸田くんがいるクラスは、必然か偶然か、一年間いじめのないクラスだと評判でした」

お世辞かもしれません。思い過ごしかもしれません。でも私は、母と弟の努力が報われたと信じています。


写真はイメージです〔PHOTO〕iStock
たくさんの人々に助けられ、弟は24歳になりました。今は自宅近くの作業所に通って、清掃やポスティングなどの仕事をしながら、大好きな塗り絵やYouTubeを観て、悠々と過ごしています。一人でできることも増えました。

この間は、誰に教えてもらったのか、Amazonで塗り絵と色鉛筆を買う方法を習得していました。さすがに決済までするのは「まずい」と思ったのか、カートに入れるだけ入れて、母が誤って決済するのをこっそり待っていました。沼で潜んで待ち構えるワニのような戦法に、私は思わず爆笑してしまいました。

そんな風に幸せな日々を過ごせるのは、母の努力があったからだと私は思っています。

私は小学生の頃に、先生から「岸田さんには知的障害のある弟がいて、いつも大変なのに頑張っているから、皆で助けてあげましょう」と言われて、我を忘れて怒り狂ったことがありました。

声をかけたい、一緒に過ごしたい、と皆に思ってもらえる家族なんだという確かな誇りが、今も昔も、私にはあるからです。
*********************************************************************

 引用以上

Appendix

プロフィール

tokaiama

Author:tokaiama
ツイッターのアカウントは、原発運転による健康被害をとりあげた途端に永久凍結されました

最新記事

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
その他
2位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
2位
アクセスランキングを見る>>

カレンダー

10 | 2019/11 | 12
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

アクセスカウンター

アクセス数