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 台湾は日本と合併するしか生き延びる道がない

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 蔡英文総統「圧勝」の現場で目の当たりにした「台湾人の中国離れ」
この流れはもう止められない
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69781

 台湾=中華民国の歴史を語るには、まず孫文を知らねばならない。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%96%87

 孫文は、日清戦争後、広州で武装蜂起を計画したが頓挫し、日本に亡命した。
 日本では、宮崎滔天や、頭山満、平岡浩太郎、犬飼毅という錚錚たる人物の支援を受けて、日本の支援を受けながら漢族による中華政権の復興を目指そうとした。

 孫文の用いたスローガンは、「駆除韃虜、回復中華」であり、中国四千年史は、「万里の長城」を見ればわかるように、匈奴以来、騎馬民族と漢族との激しい戦争と政権交代の歴史であった。
 孫文の時代は、満州女真族による清朝の終末期で騎馬民族独特の習慣である弁髪が中国全土に強要されていたが、孫文は、これを激しく嫌った。

 だが、実は、支援を乞うた日本こそ、実は女真族の末裔であることを、当時の孫文は知らなかった。後に、日本軍部が、「満州帝国」という傀儡政権を設立したとき、昭和天皇裕仁は、清国ラストエンペラー、満州皇帝の愛新覚羅溥儀を五族協和体制のなか唯一「兄弟」と呼んだのだ。
 ゆえに、民族の歴史的親和性からいえば、日本は漢族と対立してきた騎馬民族側に位置していて、後に、孫文の設立した中華民国軍と日本軍は、不倶戴天の敵となる。

 1905年、孫文は、東京で蒋介石と出会い、1911年、辛亥革命によって、南京を拠点に中華民国が準備された。
 翌年、孫文は中華民国の初代大統領に就任、宋教仁、蒋介石らと国家運営を始めたが、建国幹部たちは、ほとんど日本の支援を受けていた。
 だが、清国崩壊とともに、清国大官僚だった袁世凱が事実上、中華民国を乗っ取ってしまった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%81%E4%B8%96%E5%87%B1
 
 独裁政権志向だった袁世凱は、議会制民主主義社会を唱えた人気ナンバーワンの宋教仁を暗殺し、李烈鈞・孫文・黄興らも、追放されるように日本に亡命した。
 1912年、孫文や蒋介石らを中心に、「国民党」が結成された。これが、今に続く台湾権力の嚆矢である。このとき、主要なメンバーも機関も大半が日本にあった。

 1923年、コミンテルンは「国共合作」政府方針を選択し、当初、国民党は汪兆銘ら、共産党と敵対しないメンバーが主力だったので、毛沢東らとの仲は悪くなかったが、蒋介石だけは不満で、独自の反共独裁政権を目指した。
 1928年、南京に、蒋介石を総統とする国民党政権が樹立された。蒋介石は、中国に軍事進出する日本と戦うよりも、中国共産党を殲滅する道を選んだ。

 1937年7月、盧溝橋事件を発火点として日中戦争が勃発、1937年7月29日の通州事件の後、12月に南京大虐殺事件が起こり、蒋介石国民党軍は、武漢へと逃げ延びた。

 蒋介石は、元々、袁世凱に似た独裁権力志向の強い人物で、実は「青幇」の頭目でもあった。それゆえに、孫文は、後に蒋介石を「裏切り者」と罵っている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B9%87
青幇とは紅幇とならぶ、中国の伝統的な秘密結社=マフィアで、アヘンの販売利権を仕切っていたが、そこに現れたのが、電通の生みの親、里見甫であり、彼は北京郊外の通州という場所にアヘン・ヘロイン精製工場を作らせて、中国の金持ち階級相手に販売を始めた。

 これによって、麻薬利権を侵されたことに怒った蒋介石らは、日本人婦女だけが働く大規模な通州麻薬製造基地を襲わせ、世にも残酷な大殺戮を行わせた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 この事件に怒り狂ったのが日本陸軍で、とりわけ蒋介石が日本軍を上海におびき寄せて殲滅するという作戦に大きな被害を受けた第十軍は、松井司令官の命令を無視し、国民党軍を南京に追い詰め、激しい復讐心のなかで大虐殺を開始した。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 この南京大虐殺事件のなかで、「これが嘘だった」と語るネトウヨたちのほとんどが知らない事実として、この大虐殺が、通州事件と上海派遣軍殲滅戦の復讐として行われたという事実であり、大将の松井石根は極めて温厚で優れた人物だったものの、第十軍の田辺盛武らの暴走を止めることができなかった。
 本多勝一によって紹介された南京大虐殺は紛れもない事実である。南京事件が通州事件の報復だったことを知る者なら、これを虚構と決めつける者はいない。

 日本軍は、蒋介石国民党軍の武漢逃亡後、汪兆銘国民党傀儡政権を作らせて、日本敗戦までの間、南京に首都を置いた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%AA%E5%85%86%E9%8A%98%E6%94%BF%E6%A8%A9 

 日本が敗戦した1945年8月以降は、イギリスやアメリカ、フランス、ソ連とともに、中華民国が第二次世界大戦の戦勝国、及び国際連合の常任理事国となり、蒋介石も連合国の1国の指導者として扱われることとなる。

 日中戦争の事実上の戦闘の大半は、中国共産党軍が引き受けていて、蒋介石軍の行ったことは、中共軍への嫌がらせと、日本軍関係者への残虐な殺戮だけだったが、ルーズベルトのアメリカは中国共産党の支配権を拒否し、潰れかかっていた蒋介石国民党だけを相手にした。

 アメリカは、抗日戦末期に国民党軍に大量の援助を行い、11万人もの米兵を中国に駐屯させて、蒋介石軍に実体権力が存在しているかのように見せかけようとした。
 トルーマン大統領は、「マーシャルプラン」のなかで、国民党に対して共産党と合流するよう働きかけたが、頑強な反共主義者だった蒋介石はこれを断固拒否した。現実問題として、国民党軍が戦争中に、凄まじい残虐行為を共産党軍や農民に対して行っていて、このわだかまりを無視することは不可能だった。

 これによって、毛沢東は、1946年6月に再び、蒋介石軍への攻撃を仕掛けた。
 1949年、最終的な国共合作も破綻し、蒋介石が、すべての和平合意を拒否する意思を示したことで、中京軍は、南京政権を陥落させ、国民党政権は完全に崩壊した。

 蒋介石軍、台湾へ向かう

 1949年10月1日、毛沢東は中華人民共和国を建国し、一方の蒋介石は重慶などを経て、12月に成都から、息子の蒋経国とともに飛び立ち台湾島の台北に遷都した。

 トルーマン政権は蒋介石率いる国民党政権の無能ぶりを厳しく批判しており、CIAの見通しではアメリカの介入が無ければ1950年中に台湾も共産党の手に落ちるであろうと予測した。
 だが、反共連合側からは、トルーマン政権の無策が中国を共産圏に追いやったとの批判が共和党を中心に噴出し、台湾を共産党側に渡すことに反対する意見が高まってきていた。

 蒋介石は、3月に総統への復任を宣言した。このとき、蒋介石に追従した国民党軍兵士は200万人といわれ、台湾先住民の権利を銃弾で踏みにじって、一方的な政権を成立させた。
 台湾の面積は日本の1割ほどで、九州と同等程度だ。可耕地はさらに1割ほどしかなく、台北を中心とした、わずかな平地に、大虐殺の血で染まったような国民党軍兵士が米軍から供与された兵器を手にして侵入してきた。
 https://tabi-biyori.jp/639

 蒋介石は、元々マフィアの頭目であり、軍事独裁政権だった。国民党軍は、武力弾圧によって先住者から食料を奪い、土地も奪った。政権も強奪し、民主主義も存在しなかった。
 このときのメンバーが、現在の台湾国民党である。だから、戦後、長い間、権利を強奪された先住者と、国民党軍侵入者との激しい対立が続いた。

 第四代総統、李登輝は、元々、台湾先住民の客家出身で、事実上、日本人としての教育を受けた人物だが、日本から帰国後、中華民国政権に副総統として尽くし、やがて総統になった。
 この人は、強力な親日派だけでなく、民主主義にも造詣のある人物だったので、台湾の民主化に大きな貢献をしている。

 1971年7月、アメリカはニクソンが、中華人民共和国と和解し、「中国を代表する国家」として承認することになり、事実上、台湾を切り捨てた。
 このとき、日本における「ピンポン外交」が契機になったといわれていて、不肖私も、警備関係者のなかにいた。

 1975年、蒋介石死亡も、台湾の主人公は、先住民ではなく、蒋介石が連れ込んだ国民党軍である。1000万人程度の人口に、200万もの血塗られた軍人たちが銃器をもって入り込んできたわけなので、戦後は(1950年代)は修羅場となった。
 現在は、社会が安定化し、融和が進んだとはいえ、まだ蒋介石時代の圧政のわだかまりが残っている。

 今回、民進党の蔡英文が、史上最大得票で当選できた理由は、一にも二にも、習近平による香港への圧政を、台湾住民がメディアによって見せつけられ、中国共産党政権への激しい嫌悪感と、忌避反応を植え付けられたからである。
 台湾先住民(本省人)は、人口の13%を占めるにすぎない国民党軍外省人を弾圧の記憶から嫌っていて、蔡英文への支持も、彼女が李登輝と同じ客家先住民であることが大きい。
 対立候補の高雄市長、韓国瑜は、先住民ではなく外省人の子弟であった。

 元々、客家出身者には、社会のリーダーとしての資質が備わっているので、客家と言うだけで、地域社会の支持を得ている国家は多い。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-19.html

 今回の台湾総統選を見る上で、中国への警戒心の高まりが一義に報道されているが、本質的には、台湾内省人のナショナリズムの高まりによって、内省人主体の社会を作ろうとする台湾全体の意思が醸成されているとみるべきだと私は思う。
 先住民は、蒋介石独裁政権による暗黒社会の記憶を忘れてはいないのだ。

 そこで、国民党による中国本土併合の野望は、それを実現可能と思う人は皆無だろうが、逆に、中国共産党による台湾への軍事介入は、喫緊の課題であり、台湾は、緊張を強いられる毎日である。
 とりわけ、昨年、習近平が2020年台湾軍事侵攻を口にしてから、台湾の全国民に、軍事併合への緊張感が高まり、その前哨戦として香港の中国支配が捉えられてきた。
 https://www.sankei.com/world/news/171118/wor1711180016-n1.html

 現実問題として、台湾の国力をいかに強大にしたところで、中国の軍事的圧力には無力であり、台湾が、中国に対して不可侵の壁を作り出すためには、もはや、日本との連合以外に道はないと考えられる。

 日本と台湾の連合国家ならば、中国がどれほど強大であっても、容易に手を出せるレベルではない。
 うまい具合に、中国が海軍を使って太平洋に出ようとしても、それを遮るように、日本と台湾が通せんぼをしている。
 もちろん、今は海軍などより宇宙ミサイルの時代なのだが、それでも、長大な環太平洋群島の壁は中国にとって巨大であり、腐敗した中国軍が、軍事力を行使できるレベルを超えている。

 台湾にとっても日本にとっても、対中国戦略として、連合化する以外の道はないと考える。
 私は、対等合併がふさわしいと思う。日本の腐りきった自民党政権も、台湾民衆の力が洗い流してくれるかもしれないと期待しよう。

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