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 利己主義から利他主義へ その1

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 「NHKラジオあさいちばん」で、筆者が「日本の良心」と評価する内橋克人が、中村哲医師の活動を支援する澤地久枝の『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』という本を紹介している。
 筆者は中村哲の活動を、マスコミで語られた程度しか知らなかったが、彼と支援のペシャワール会に関するHPを見ると、私利私欲のない、人間愛に貫かれた素晴らしい活動だと分かる。

 中村がアフガンに向かったのは25年前、1984年のことだ。
 かつてイギリス植民地だったアフガンで、1920年頃、独立戦争に勝利したカーン国王が、やがてソ連と結びつき、土着のパシュトゥーン人を弾圧し、暴政を布いたため、反政府ゲリラが組織され内戦状態になった。
 これをアメリカ政府が対ソ戦略のなかで利用するため、CIA工作員を派遣し、大規模な支援を行ったため、アフガン内戦は全土を巻き込んだ絶望的な状況に陥った。

 1973年に親米派ダーウード率いるゲリラ軍によって国王勢力が倒され、アフガン共和国となるが、1979年、ソ連KGBの陰謀攻勢によって、再び親ソ傀儡政権となった。
 その後、数年ごとに親ソ・親米政権への揺り戻し、激しい綱引き戦争が続いた結果、国土は破壊され、民衆は大きく疲弊していった。
 米ソ陰謀合戦の舞台として利用されたアフガンは、国民の数割もが戦闘に巻き込まれ、長い歴史に培われた豊かな自給自足インフラさえも壊滅的に破壊され、まさしく「地上の地獄」が体現される地域となり、民衆はアヘン栽培にすがって、辛うじて生きながらえる日々が続いていた。

 中村がアフガンに行って、四年後の1988年、CIAに支援されたビンラディンを含むアルカイダの苛烈な抵抗運動によって、アフガンからソ連軍が全面撤退し、国土はイスラム原理主義、タリバンの支配下に入った。
 この頃のアフガンでは、耕作地に無数の地雷が敷設されたまま放置され、手足を吹き飛ばされて死亡したり、重度障害者になる人が後を絶たず、戦争で飲料水インフラが破壊されたため、住民は上下水道兼用の不潔な水を利用するしかなく、赤痢やコレラなどの蔓延で、新生児の多くが死亡する悲惨な状況だった。

 そこで中村は、住民が大国の陰謀的援助に頼らず、自立した生活力を確保するために、最初に必要なものは水利・農耕インフラだと考え、大国が利権と破壊だけを持ち込んだこの国に、はじめて飲料水インフラ復活プロジェクトを、民間努力だけで出発させた。
 当時は、日本政府も利権につながらない、こうした真の人道援助を白眼視し相手にしなかったために、中村や支援組織ペシャワール会は、なけなしの自家資金を持ち出すしかなかった。

 政権を握ったタリバンはアフガンの稀少鉱物資源を狙うブッシュ(アメリカ大統領)一族やCIAの援助を受けた組織で、ウサマ・ビンラディンらアルカイダの指導下にあり、非常に過激なイスラム原理主義を打ち出し、とりわけ女性たちに厳格な懲罰を適用するイスラム倫理を強要し、底辺の教育機会を奪ってゆき、アフガンは農工業や医療、民衆生活の知的財産を失っていった。

 2001年には、有名な世界遺産、バーミヤンの石仏群が爆破されるほどの事態に陥った。アフガンは、イスラム原理主義宗教国家として、他国から孤立することで、いっそう過激な観念的暴走を行う事態になっていった。。(バーミヤン石窟破壊工作もCIAがアフガン侵攻世論を正当化するためタリバンに行わせた陰謀と指摘されている)

 この年、NYで911テロ事件が起き、ブッシュが支援した友人であったはずのビンラディンを首謀者と決めつけ、それを匿うアフガンに対して、アメリカは総攻撃をかけることになった。
 (筆者の情報では、911テロの首謀者はアメリカ政府であり、実行犯はイスラエル・モサドであった。アメリカは911テロによって戦争を勃発させ、アフガンを戦争産業の利権に利用したのだ)
 
 この戦争で100万人近い死者と300万人を超える難民が生まれた。中村は難民キャンプの巡回診療を行って住民の心の支えとなった。
 究極の貧しさに追いつめられた民衆にあっては、必ず、乳幼児死亡・結核・ハンセン病・伝染性消化器疫病が多発するが、一番大切なことは、良い水インフラを整備すること、免疫力を上げる環境を整備することだ。
 中村は、個人を治療するという方法を後回しにし、アフガン住民全体を助けるという飲料水インフラ整備に全力を尽くすことを選択した。井戸を掘り、灌漑用水を施設していった。これらは、元々民衆の苦難に関心のない米ソ大国が一切手をつけなかったものだ。
 この大局的判断は非常に賢明だと筆者も思う。民衆に対する真実の思いやりがなければできない判断だ。そして、これによって、赤痢などの死者が激減する成果を生みだしている。
 
 中村の活躍と、その真実は以下のHPに掲載されている。
 http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/

 こうした活動を、権威・権力・蓄財の大好きな利己主義者が行うことは絶対にない。彼らは、池田大作のように偽善者でありたがるが、実際には自分の金儲けや権威にしか興味がない。
中村の活動は、人間が何によって生かされているのかを知っている利他主義者による活動である。人生の価値が思いやりであることを知っている人にしかできない良心の発露だ。

 中村哲と同じように、私利私欲を捨てて、人の幸せに奉仕し続ける医師は少なくない。例えば、ベトナムにおける無給の眼科医として活動する服部匡志の活動が知られている。
 服部の活動も、同じ日本人として真の誇りと連帯感を呼び覚ましてくれる素晴らしいものだ。人が人を無償で援助する行為は美しい。
 http://www.mbs.jp/jounetsu/2006/04_09.shtml

 先日は、2004年にイラクで誘拐された現地ボランティア、高遠菜穂子が久しぶりにテレビで紹介されていたが、彼女もまた純粋な利他思想の持ち主であって、その活動に強い畏敬を抱いている。
 高遠の行っていたのは、イラク・ファルージャの戦災孤児たちの物心両面での支えとなることであった。
 彼女は誘拐後、「自己責任」とやらで激しいバッシングを受けて、未だに「違和感を抱く」などと無知なバカタレがブログに書いているが、それは利己主義に洗脳され尽くした自分を正当化するお粗末な弁明にすぎない。

 この「高遠バッシング」ほど筆者を不快にしたものはない。自己責任論とは、結局、資本主義の家畜として「見ざる、言わざる、聞かざる」の卑劣な奴隷人生を、他人にも強要して安心したいだけのクズどもによるブーイングであって、人生の根源が何によって成立しているのか、見ようともせず、この地上から、いかなる良心をも葬り去ってやろうとする悪意の見本のようであった。
 筆者も、このとき、日本人が、まさかこれほどまでに愚劣な人間性に転落しているとは思わず、本当に驚いた。筆者の若い時代なら、高遠の良心は圧倒的に賞賛されただろうに。あの人間解放と連帯を求めた、我々の仲間たちは、いったい、どこに消えたのだ!

 彼らは、企業が販売戦略としてのイメージ向上作戦で、ボランティア活動をやっているのとは本質的に違う。
 「苦しんでいる人を助けたい」 という人間として原点の良心から、やむにやまれず歩みよるものであり、何一つ対価を望んでいるわけではない。この汚い人間社会にあって、もっとも美しい、かけがえのない真の花たちである。
 それを対価がもらえなければ動けない、私利私欲に汚染されたゴミどもが、「自己責任」だなどとバッシング糾弾して、日本社会から葬り去ろうとする愚劣さに、筆者は激怒し、2ちゃんなどで、悪臭を放つ誹謗書き込みをしている阿呆どもは、やがて来る都市の地獄のなかで焼き殺されるしかない運命と確信したものだ。
 こうした状況や、死刑制度を支持する大衆が9割に達したとのニュースを聞いて、筆者は、すでに日本社会は、とうに腐敗し崩壊している現実を思い知らされた。
 かくなる上は、上に挙げた、真の利他主義者たちを支援し、利己主義に汚染された日本社会の救済を諦め、崩壊するがままに任せて、未来を担う、子供たちのために、わずかな利他思想のオアシスを用意してあげるしかないと考えている。
 だから、山奥の過疎地に農業共同体を結成して、賛同者だけで、苦難の時代をやり過ごそうと提案している。
 未来は子供たちのものだ。彼らの未来に、素晴らしい利他思想の社会を用意してやるために、今何ができるのかを考えている。

 とまれ、人は愚かなものだ。この地上に誕生する、すべての人は、必ず愚かな失敗を繰り返すようにプログラムされている。
 なぜなら、地球は「苦悩の惑星」なのだ。どうしてもカルマを止揚できない、箸にも棒にもかからない愚かしい人たちだけが誕生してくる惑星なのであって、いわば、一種の地獄特訓道場か魂の監獄のようなものだ。
 ここで、我々は、真実が見えるようになるまで、愚行を繰り返し、自分の馬鹿さ加減を思い知らされることになっている。
 我々が、中村、服部、高遠のような利他思想に目覚めたそのとき、数百もの人生のなかで苛まれ続けた苦悩から解放されるのだ。

 筆者も、もちろん本当に愚かな利己主義者だった。
 今、自分の人生を振り返るなら、とても恥ずかしく忸怩とするばかり。絶望的な気分になり、鬱状態に閉じこめられそうだ。
 筆者の人生で、楽しく思い出されることは、ごく僅かでも他人の役に立てた思い出だけだ。後は、自分勝手な利己主義により、人を利用しようとして失敗した恥ずかしい思い出ばかりで、もう生きる気力さえ失ってしまう。

 利己主義の自分は恥ずかしく、苦悩に満ちている。しかし、利他主義の自分は楽しく、未来への希望を与えてくれる。
 人の原点は利他思想なのだ。我々は、母親と周囲の利他思想によって育まれた。利他思想、すなわち無私の愛情がなければ、子供は成長さえできない。
 親が利己主義者だったなら、残酷な迫害のなかで殺される運命しかない。
 だから、今、生きている、すべての人々は、利他思想のおかげで生きているのである。親や周囲の人々の愛に育まれて、ここに存在しているのであって、もし、子供たちの明るい未来を用意してやりたいと思うなら、我々は、利他思想で愛情をいっぱい与えてあげなければならない。

 それなのに、利他思想のおかげで育った人たちが、かくも利己主義思想に汚染され、洗脳されてしまっている現状は、いかなる理由によるものか?
 それは、まさしく、自分の原点を見失わせる洗脳教育の成果に他ならないのだ。
 資本主義社会は、一部の特権的な大金持ちが、自分たちの利権をますます増やそうとして、人々を資本主義が正しいかのように洗脳し、従順で臆病な家畜にしてしまおうとしている。

 利他思想を忘れさせ、利己主義の矮小な人生に埋没させようとしているのだ。
 我々は、自分の原点を思い出さねばならない。
 利己主義による洗脳の成果は、人々に愛を捨てさせて敵対をもたらし、包容・寛容を捨てさせて攻撃・制裁をもたらした。
 こうして愛情を捨てさせられた結果、我々は、まさに苦悩の王国に棲むようになった。
 利己思想が産み出すものは苦悩・絶望である。利他思想の産み出すものは希望と安心なのだ。
 しばらくのあいだ、このことを証明するためにブログを書き続けたい。

大家族生活 その7 家族とは何か

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 我々は、ほとんどの場合、生まれ落ちてから家族のなかで育てられ、周囲の人間関係のなかで必要なことを学びながら、自分がやるべきことを自覚し、それを実現しながら年齢を重ねてゆく。
 人は、「自分自身」(自我)を自覚するに至る段階までは、養育者のペットのような客体的存在であって、環境に依存して「生かされる」しかない運命だ。
 しかし、たくさんの経験を積んで、やがて養育者に甘えない「主体的な自分」を自覚することになり、「自分の意志」で対象的世界を変えられる段階にまで成長することになる。
 ここで人は客体的存在から主体的存在へ、受動的存在から能動的存在へと革命的飛躍を遂げるのである。すなわち「自立し、一人前になった」ということだ。もちろん、そのプロセスは千差万別で、人によって異なるものだが。

 一人前になった人がやるべきこととは何か?
 最初に自分の命を保全することである。自分が今日食べる食事、保温、安全な寝場所の確保であり、明日の食事、寝場所の確保である。そうして、周囲で自分の生きるモチベーションを支えてくれる人間関係を確保し、安定した快適な生活を送れるよう努力することが人生の仕事といえよう。
 やがて(可能ならば)異性と結ばれ、性欲を満たし、子を設け、育て、老いて死ぬのが人生のすべてだ。人生とは、これ以上でも以下でもない。
 付け加えるなら、好奇心を満たそうとするモチベーションがあることくらいだろう。人は周囲を知りたいものだ。知ることによって、より快適な生活が保障されるようになるからだ。

 今、資本主義国大衆の多くが望んでいるような、周囲にいる人々を蹴落として、自分が優位に立つことが人生の本当の目的ではない。
 有名になることも、他人に秀でることも、蓄財や権力を得ることも、決して人生の普遍的目的ではない。それは人を利用するだけの歪んだ社会によって変形した精神の要求なのだ。それは金儲けと人間疎外を正当化する資本主義による洗脳の産物なのである。

 それは周囲の生き物に怯えて噛みついて回る、病んだ狂犬のように不自然な姿であることを知っておく必要がある。自然のなかで、のびのびと生きている犬は、特別な理由がなければ噛みつきなどしない。しかし、狂犬病に罹ったり、理由なく殴られたりして、不自然なストレスを与えられれば、暴走して周囲に噛みつくようになる。
 人間が、名声・所有欲・権力・蓄財に幻想を抱いて、他人の迷惑も顧みず暴走する理由は、ストレスを与えられた狂犬と似たようなものだと知る必要がある。
 資本主義社会は、人を金儲けのために利用しようと強烈なストレスを強要する社会だ。このなかで、我々はストレスに苛まれ、狂犬のように、怯えて周囲に噛みつき、利己的な欲望に突き動かされて、うろつき回る人生を強いられているのである。
 あらゆる犯罪の根源は、資本主義の生んだ金儲け主義のストレスから生まれるものであり、人の不幸の大部分が、そこから生成されていることに気づかねばならない。

 人が他人に秀でたいと思うようになる理由は、人から疎外され、軽蔑され、悲しい思いを強いられた経験が重なり、秀でることで注目を浴びて、大切にされたいという思いから生み出されるモチベーションである。
 他人から軽蔑されたことのない人間は、決して秀でたいとも思わないのだ。例えば、天皇家で育つ子供たちは、すべてガツガツした自己主張の饑餓など微塵も見えないではないか?
 人は人間関係におけるコンプレックスを解放したいと願うもので、例えば、見下されたなら見返してやろうと思い、愛されたなら愛してやろうと思う。
 人は自分のもらったものを他人に帰す性質を持っている。
 同じもので返せないときは、別のもので返すことになる。例えば、学校で肉体的に脆弱なことが原因で虐められた悔しさを、学業で返したり、地位や蓄財で返したりというメカニズムである。
 こうして、さまざまなコンプレックスが原因で、社会的差別のシステムができあがり拡大してゆくのである。

 人生も社会も、複雑怪奇に見えても、実際には驚くほど単純なメカニズムで成立しているものであり、今、我々が直面している格差・階級社会のメカニズムも、その原因を探せば、小さなコンプレックスの積み重ねということになる。
 したがって、差別・格差社会を解決するために、一番大切なことは、人の心を傷つけない暖かい社会を作ることであり、コンプレックスの解消が、権威・権力や蓄財に結びつかないように、そのメカニズムをすべての子供たちに、きとんと学ばせる必要があるだろう。

 解決の難しい、差別や格差をもたらす社会的コンプレックスを作り出してきた最大のメカニズムは家族制度にある。
 例えば、人口過多社会における家族では、「夫婦が一人っ子を育てる」ことしか許されないようになり、子育てに優しく助言してくれる老いた両親も、親身になって相談に乗ってくれる友人もいない。
 小さな家では両親と共に住むことができず、子供の学歴や、ブランド品を購入する見栄張り競争のために付き合っている友人が心を開くこともない。

 こうした環境で育つ子供は、「他人と仲良くする」という基本的な能力が発達せず、人間に対して恐ろしく無知で、独善的、自分勝手な人間性になってしまう事態が避けられない。
 我慢をすることの大切さも教えられず、周囲は、すべて自分の欲求を満たすための奴隷のようなつもりになってしまう。叱られても、その意味も理解できず、無意味に殴られた狂犬のような精神状態に陥るだけだ。殴られる恐怖で、一時的におとなしくなったとしても、その心は怯えて歪み、やがて他人に対する無意味な攻撃性・凶暴性に転化してゆくことが多い。
 小家族では、子供に自分勝手な利己主義が育まれることになりやすい。

 だが、家族が両親と一人っ子だけの「核家族」でなく、老人や兄弟姉妹など、たくさんの人によって構成されているなら、子はたくさんの愛情を受けてのびのびと育ち、開放的な人間になり、人間とはどのようなものかを知るたくさんの機会に恵まれることになる。
 大家族では、子供たちに、他人の利益に奉仕する利他主義が育まれるのである。

 そもそも、人類史の大部分の生活が「大家族共同体」であった。9割以上は「母系氏族社会」であった。そして、今のような一夫一婦制ではなかった。
 共同体の生活様式は実に多用だが、母系氏族社会にあっては、男女の関係は固定されたものではなく、複数の関係を結ぶのが普通であった。それは「多夫多妻制」に近いものであった。
 現代にあって、我々が洗脳されている倫理である「貞操観念」は、資本主義における小家族制度維持のための虚構にすぎない。

 男女とも貞操が洗脳による虚構にすぎないという真実は、夫婦生活がいかに危ういものか、ほとんどの夫婦が実感しているところだろう。
 すなわち、女性は妻であっても、目の前に魅力的な男が現れたなら、実に簡単になびいて、現実の生活を捨てて跳んでしまうことが少なくないし、男性も、若く魅力的な女性が現れたなら、いとも簡単に浮気するものであって、夫婦という制度が、便宜的な虚構にすぎないことに気づかぬ夫婦はいないはずだ。

 ところが、これでは男性の権力を、その子に継承する相続システムを求める封建的思想にとって非常に困るもので、母親が誰とでも寝たのでは、自分の子供が分からなくなってしまう。
 そこで、母親に貞操を強要するために、苛酷な倫理や残酷な刑罰を考え出した。
 イスラム・モスリムに今なお残るように、夫以外の男性と性交した女性は、例え暴行されて犯されたとしても厳罰に処せられ、その多くは残酷に処刑されてしまうことになっている。
 イスラムでは、毎日のように、こうした自由な心の女性たちが見せしめに殺害され続けている。処刑の理由は、女性を男性の奴隷とすることで、父系社会、家父長社会の秩序を維持するという観念にすぎないのである。

 日本でも、封建社会、男性優位社会の残渣観念が残り、夫婦における貞操を要求する法的制度が成立している。
 しかし、現実には、「財産・権力・地位を我が子に受け継がせる」ことのできない貧しい大衆にとっては、「我が子を特定する」ということは無意味であり、父の子が誰であっても構わない。母親に経済力がありさえすれば、邪魔な父親などいない方がよいことになり、母子家庭が激増しているのである。
 今や、日本にあって、「父の子を特定する」必要のある大衆など、ごく一部であって、下層大衆ではフリーセックス、多夫多妻制が実態化しているのが現実である。

 例えば、私有財産を否定するヤマギシ会にあっては、一応、名目上の結婚制度は存在しているものの、その実態は、1人が生涯で5~10回の離婚再婚を繰り返しているのであり、これはヤマギシ会に限らず、「子を特定する必要」のない共同体社会では、必然的な現象であることを知っておく必要がある。
 逆に、このことが、男女関係の本質を物語っている。
 結婚は虚構であり欺瞞である。その本質は男性権力社会にあって、男性の子を特定し、その子に権力財産を相続させるものでしかない。
 したがって、その必要のない共同体社会、母系氏族社会では、多夫多妻制、乱婚が常識となる。ただし遺伝的劣化の見地から、白川郷のように共同体内部での血縁性交が許されなくなるということだけだ。

 これから、大恐慌が進行することで、財産をなくした大衆が激増し、受け継がせるべき財産も権力も所有しない大衆にあっては、もはや結婚制度が有名無実化することが避けられない。
 人々は、結婚制度の拘泥から解放されて、今、目の前にいる人と自由に恋愛し、性交するようになるだろう。というより、事実上、とっくに、そうした自由結婚の社会が到来している。
 イスラム諸国が、近年、女性の貞操に対して、残酷極悪な弾圧処刑を繰り返すようになった本当の理由は、実はイスラム圏にあっても、もはや父系社会、男性権力が無意味になり、男性の子を特定し、財産を継承させるシステムが不要になっている結果、女性たちが自由な恋愛を望み始めた事情を恐怖していることによるものだ。
 イスラムにあっても、おそらく数年以内に、父系社会は崩壊し、女性が家族から解放されて自由に恋愛できる社会が到来することだろう。

 社会は小家族から大家族へ、孤立した人間関係から、共同体へ、父系社会から母系社会へと今、巨大な変革が始まっている!
 我々は、結婚という制度を拒否し、誰とでも自由に恋愛し、性交する社会を実現すべきであり、私有財産の継承という制度を否定すべきである。
 共同体を結成し、そのなかで誕生した子供たちは、すべて共同体全員の子として共有し、育てる社会を実現するべきである。

大家族生活 その6 続 ヤマギシ会

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 ヤマギシズムの本質は「私有財産の否定」である。
 参画者は、すべての私有財産を無条件に提供することを求められる。だが、近年、ヤマギシ会内部の矛盾によって、参画を断念し、離会した人たちから多数の財産返還訴訟が起こされ、最高裁による返還判例も定着したようだ。
 とまれ、これは参画者に運命共同体としての「背水の陣」を求めると同時に、人間共同体を紡ぐ糸が何であるのか、人が人生で頼るべき真実は何であるのか、思想哲学の原点を確立させるという意味が大きい。

 共同体を作るにあたって、『私有財産』が、なぜこれほど重要なのか?
 それは、エンゲルスが「家族・私有財産・国家の起源」のなかで指摘しているように、無私有の原始共同体社会のなかから「私有財産の成立と継承」というメカニズムによって疎外され孤立した家族を産み出し、共同体を崩壊させて国家に変えていった本質だからなのである。
 つまり、私有財産の蓄積を野放しにすれば、必ず、共同体内部に格差や妬み、差別が生まれて崩壊し、やがて、それは階級対立を産み出し、強い者たちが弱い者たちを組織の制度、武力によって利用し、支配する仕組みの大組織、すなわち人間疎外の国家が成立すると考えられるからである。

 ヤマギシズムは、その逆をやろうとした。すなわち、私有財産を消すことで国家を崩壊させ、孤立家族制度を破壊し、人間疎外のない大家族共同体に戻そうとしているのである。
 筆者が、当ブログで一貫して主張してきたことも、まさにこれなのだ。それは共産主義の本質でもある。しかし、誤解なきよう言っておくが、人類史上、共産主義が真に実現したことは原始社会を除けば皆無である。ソ連体制や中国は、共産主義とはほど遠いインチキまみれの官僚独裁国家にすぎなかった。これまで登場した「社会主義・共産主義」なるものは、ただの一度として差別をなくし、人間を解放したことなどないのである。
 これに対して、ヤマギシ社会は、個人の間に生まれる財産格差、差別をなくすことで、真の共産主義を目指したと言えよう。

 人類史のすべてにおいて、その始まりは無私有の母系氏族共同体であった。この共同体は、どうして崩壊し、私有財産を認めた父系社会の国家に変わっていったのか?
 それは、共同体全体が平等な構成員によって支えられた、「全体で一個の人格」だった時代から、分かち合うことのない私有財産が生まれ、特定の権力が発生することによって、共同体の団結が崩壊し、複数の人格、差別が成立していったことからはじまった。

 共同体社会とはいっても、人の能力には大きな個人差がある。ある者は肉体的に優れ、ある者は耐久力に優れ、ある者は頭脳に優れ、ある者は弁舌に優れるといった具合に、人には大きな個性の差異があり、このことによって、人間関係に優劣が発生することが避けられない。
 例えば、大飢饉が起きたとき、食料を発見したり、生産したりする能力に優れた者がいれば、共同体構成員は彼に大きな期待をかけ、その指示に従うようになり、権力が発生することになる。
 また、部族間戦争が起きたときなど、戦闘力の強大な者がいれば、やはり構成員は彼を頼り、従うようになる。
 おおむね、能力の高い者は、生理的に男子に偏ることが避けられない。なぜなら、女性には出産・子育てという巨大な能力を与えられており、男性は、それを支えて子孫を残す役目を与えられているわけだから。
 (このことが、男性が、どれほど望んでも決して得られない女性の圧倒的優位を与えていて、これに対する根源的コンプレックスが男系社会への渇望になっているメカニズムも知っておきたい)

 このようにして、構成員のなかで尊敬され、また軽蔑される序列ができあがり、差別の秩序が成立するようになる。これは猿のような動物社会でも同じ原理が働いている。
 そこで、部族共同体にはボスが発生し、権力が集中するようになる。このとき、ボスが一代限りで消滅するなら問題は起きないが、ボスに対する強い信仰(甘え)が成立するほどだと、権力が無条件にボスの子に引き継がれることが起きるようになる。「ボスは凄い」という信仰が人々を洗脳し、そうさせるのである。

 ボスの権威・権力・財産が、その子に引き継がれるシステムが成立するために、ボスの子を特定する必要があるわけで、そのためにボスと性交する母親は他の男と交わらないようにするため、厳格な貞操を要求されるようになる。
 これが貞操家族の起源であり、ボスの血統継承が目的なのだから、最初、必ず一夫多妻制として出発する。後に一夫一婦制が成立する事情は、虐げられる立場の女性の権利拡大要求が成功したからにすぎない。
 ボスの子がボスになる社会では、権力が血統によって継承される『王権』の成立ということになり、これが父系社会の成立であり、同時に国家の起源なのである。
 地上のあらゆる国家が、このメカニズムによって成立しており、国家の本質は、ボスの特権継承システムと考えて差し支えないだろう。したがって、すべての国家にボスが成立しており、ボスが消える社会こそ、同時に国家が消える社会である。ボスこそ国家の本質だ。だからこそ、天皇制と日本国が切り離せないわけだ。

 ところが、ヤマギシ社会では、このボスを消してしまった。
 ボス、すなわち指導部に「絶対者がいない」「無固定」というシステムが、ヤマギシ社会の核心であるとされた。
 また創立者、山岸巳代蔵の意図によって、指導部は統一されず、複数に分割された。中央調正機関と実顕地本庁で、これは同等の権限を持っていて、互いに暴走を監視し、補完しあうシステムといわれている。
 実際に、中央機関が金儲けの効率から、ヤマギシズムの本質をなす平飼養鶏を捨てて効率的なケージ飼育に切り替えようとしたとき、実顕地からの抵抗で阻止されたともいわれる。
 こうして、相互に対立することで、一方的な暴走が防がれる体制は、とても優れたものであると同時に、はるかに深い意味が隠されている。

 今、多くの人々が、世界大恐慌が身近な生活恐慌に深化するプロセスを毎日のように思い知らされ、それが、いつ自分に及んで、路傍を彷徨わねばならないときがくるかもと恐れているはずだ。こうした不安を、どのように解決するのか?
 おそらく、ほとんどの人たちが、筆者の主張しているように効率的な『大家族生活』を目指す必要があると考えはじめていると思う。
 その時期は、筆者は今年であると指摘してきた。いよいよ今年、仕事がなくなった者たちが孤立生活を捨てて、みんなで寄り集まって助け合い生活を始めなければならない時が来ている。
 それが実現できなければ、我々に残された運命は、飢えて路頭を彷徨い朽ちてゆくことしかない。

 このとき、すでに半世紀を超す経験を積んだヤマギシ会の歴史が、これから目指すべき社会について、たくさんの知恵を与えてくれるのだ。
 単に、集まって、みんなで暮らせば問題が解決するなどと甘いことを考えてはいけない。
 長い資本主義的価値観の洗脳のなかで、孤立し、対立し、制裁しあうような人間疎外の関係を当然と思いこまされてきた我々が、助け合って、支え合って生き抜いてゆく新たな価値観を獲得するには、極めて大きな障害が横たわっている。
 ほとんどの人は利己的価値観を当然と考えているが、そのままで大家族共同体を始めても必ず失敗が約束されている。
 なぜなら、共同体は、構成員が他人を思いやる『利他主義』思想を身につけない限り絶対にうまく機能しないからだ。

 すなわち、構成員が利己主義に洗脳されているならば、共同体組織を自分の利権のために利用しようとする輩が必ず登場し、他の構成員を不快にさせて、組織を崩壊させてしまうことが明らかなのだ。
 また真の利他思想を身につけるには、単に講習会や学習会をやった程度では無理だ。多くの失敗の経験を積み、困難、苦難を共に味わい、乗り越える経験のなかでしか真に身につかないのだ。

 このとき、上に述べた「ヤマギシズム式二元指導部」の考えが有効になるだろう。つまり、問題が発生したときに、それを公平に解決するシステムとして、組織の権力を一元化せず、二元化することが、とても大切なのである。
 一元化すれば、組織は権力者によって暴走する可能性が強くなる。利他主義思想が不十分な段階ではなおさらのことだ。しかし、二元化し、相互に監視するシステムにすれば、暴走を抑制し、誤った方針が是正される可能性が高くなる。
 もちろん、一元化のときのような効率性は落ちるだろうが、それでも暴走し破滅するよりマシなのである。
 一元指導部は弁護士なき裁判所のようなものであり、選挙なき国会のようなものだ。北朝鮮や中国のような運命になりたくなければ、我々は二元対立指導体制を研究すべきだろう。

 我々は、世界でも希な共同体成功例であるヤマギシ会から、多くのものを学ぶ必要がある。
 人間がやっているのだから失敗は避けられない。ヤマギシ会にも、これまでたくさんの失敗があり、愚行もあった。しかし、その思想的本質である私有財産なき大家族共同体社会を成功させ、圧倒的な実力、安定性を獲得している組織は他にない。
 かといって、我々が困ったときヤマギシ会に参画すればよいというほど簡単なものではない。
 ヤマギシ会側だって、世界大恐慌で食えなくなったから便宜的に入会したいという程度の発想で参画されたのでは迷惑だろう。利他思想が身についていない人が入ったとしても、起きる結果は目に見えているのだ。

 筆者がヤマギシの特別講習研鑽会に参加したとき、幹事が最初に言ったことが、「ヤマギシでは、みんなで入る風呂が最後まで汚れない」
 ということだった。
 ヤマギシ参画者は、必ず他人の利益に奉仕する思想を身につけることが求められ、例えば、風呂に入るときでも、他の人がきれいな風呂に浸かれるように、必ず体を十分に洗ってから入浴するのである。
 これこそ、ヤマギシズムの核心的思想であり、すなわち共同体が利他思想によってでしか成立できない本質を示すものであった。

 今年、筆者も大家族共同体の結成に向かうことになるだろう。
 もう、このままでは食べてゆくことさえできない。都市の路上には、餓死者が散乱する事態が、そこまで迫っている。
 そうした光景を見せつけられたなら、我々は、否応なしに、もっとも合理的な解決策である農業共同体の結成に向かうしかない。
 安定するまでの数年間は、おそらく苛酷な試行錯誤の日々が続くことだろう。米など無理で、芋を食いながら堪え忍ぶ苦渋の日々を過ごさねばならない。

 だが、そのなかで心を安らがせてくれるのは、参画者の利他思想だけであり、互いの思いやりによって我々は、どんな困苦からでも救われるのだ。
 人は、どうせ死ぬ運命にあるのだから、一緒に生きている人たちの笑顔を見られるなら、死などどうして怖いことがあろうか?
 我々は「連帯を求めて孤立を恐れず」、利他思想の元に結集し、力を合わせて農業共同体を目指すしかないのである。

 このとき力及ばず、死を迎えたとしても、利他思想に包まれる喜びのなかで迎える死は貴いものであり、何の後悔もないだろう。
 だが、手をこまねいて失敗し、悲惨な運命を迎える必要はない。日本に先駆者として屹立するヤマギシズムから、学べるものを、たくさん学んでゆけばよい。

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大家族生活、その5 ヤマギシ会

 日本の大家族、農業共同体の草分けといえば、100年近い前に、武者小路実篤らによって設立された『新しき村』であろう。
 これは現在でも埼玉県で農業を主体に実際に自立生活し、二十数名の参画者によって維持されている。
 
 同じ時代、1930年頃から、スターリンソ連で農業共同体「コルホーズ」が作られ、国家崩壊までの約60年間、共同体農業が展開されたが、共産党独裁による官僚主導の弊害で、一種の強制収容所、あるいは隔離所の様相を帯びていた。
 そこでは支配階級として君臨する官僚たちの利権を優先させ、参画者を家畜のように扱う体制から、人々は勤労意欲を失い、立派な計画はあっても収穫物は腐敗し、輸送も滞り、無気力と貧苦に喘いでいた。
 体制の観念的な屁理屈によって上から押しつけられた共同体計画が、どれほど、ひどい人権抑圧と人間性破壊をもたらすかの見本を示しただけの惨惨たる結果に終わったのである。

 同じ轍を踏んで、中国でも1960年頃から「人民公社」が計画され、中国全土に農業共同体が組織されたが、結果はコルホーズと同じく惨惨たるものになり、官僚権力の腐敗を加速させ、大躍進運動などで数千万人の餓死者を出したとも噂された。これは後の「文化大革命」によって、実権派・富裕層に対する凄惨な大殺戮の下地を作ることになった。
 我々は、『大家族共同体』が、官僚支配下に置かれたなら、必ずタテマエ優先によって人間性が崩壊し、人々が意欲喪失することで崩壊に至ることを、これらの例から、しっかりと記憶しておくことにしよう。
 それは絶対に、底辺の生活者の要求から産み出されるものでなければならず、参画者全員の意欲を昂揚させる民主的自治に委ねられなければならないのである。

 日本では、資本主義的競争価値観が孤立化家族を産み出したことはあっても、それに逆行する大家族共同体を結成し、その良さをアピールする民衆運動は極めて少なかった。
 冒頭に述べた『新しき村』をはじめ、資本主義の弊害が目立ち始めた時代にアンチテーゼとして登場した大正デモクラシーや幸徳秋水・大杉栄らによる社会主義・アナキズム思想運動から、いくつかの試行錯誤が行われたにとどまる。
 また、1960年代に、小規模ながら、ヒッピー運動から派生した「部族共同体運動」(榊七夫らによる)が長野県富士見町などで営まれたこともあった。
 これらは、ただ一つの例外を除いて、ほとんど有力な勢力となりえなかった。
 
 その「ただ一つの例外」こそ『ヤマギシ会』であった。
 ヤマギシズムは、ちょうどイスラエルの入植者共同体「キブツ」が登場するのと時を同じくして1953年に登場し、この両者だけが、現在、数万人を超える参画者を有し、経済的に優位な自立的地位を獲得し、世界的に共同体として成功を収めている稀少な例である。(キブツは、現在では「工業共同体」に転化している)
 すでにブログでも何度も取り上げているが、筆者は、ヤマギシ会の本拠地である伊賀市が近いこともあり、これまで大きな関わりをもって見守ってきた。

 創立者の山岸巳代蔵(1901~1961)は、幸徳秋水の影響を受けたアナキストであったといわれる。元々、近江八幡市の篤農家であった巳代蔵は、養鶏と農業によるエコロジー循環農業を、おそらく日本で最初に主張し、実践した人物であった。
 今でいう『炭素循環農法』の理論を60年前に最初に確立したとも言えるだろう。その骨格は、ニワトリを自家飼料によって平飼いし、小屋内で発酵堆肥を作り、それを農地に返すというものであった。もちろん当初から農薬や化成肥料は逆効果と明確に認識されていたし、「手間のかからない安全で豊かな農業」を目指していた。
 「養鶏農業による勤労生活」こそが人間生活が目指すべき最大の価値と捉え、蓄財や権力の価値を否定し、私有財産制度を社会腐敗の根源と認識していた。
 しかし、一方で、当時の社会的価値観である「立身出世・末は博士か大臣か・世界に冠たる日本国家」の全体主義的思想から自由ではなく、一種の「優生保護思想」がかいま見えることが、後に大きな問題を引き起こしてゆくことになった。

 ヤマギシズムは、当初、思想運動の側面が色濃く、分けても、1956年から伊賀市柘植の春日山実顕地で行われた「特別講習研鑽会」によって、明確に「私有財産を拒否する農業共同体」、当時で言う「コミューン」思想を主軸に据えていた。
 1959年に「世界急進Z革命団山岸会」と改名し、非合法な監禁に近い洗脳工作を行ったとされ、マスコミなどから大規模なバッシングを受けることになった。
 この事件以降、「アカの過激派団体」と見なされることが多くなり、ヤマギシズムは一時的な停滞に陥った。
 筆者も、ヤマギシズムを初めて知ったのは1969年だったが、1974年に、この「特講」に参加している。
 このとき、ヤマギシズムの代表を勤め、特講の最高幹事だったのが新島淳良であり、奇しくも、彼は筆者が毛沢東思想に傾斜していた時代の教師ともいえる存在であった。

 実は、1960年代後半から燃え上がった「学園闘争・全共闘運動」のなかで、最期に赤軍派などの大量殺人が摘発され、一気に意欲消沈、運動が崩壊してゆくなかで、主役であった戦闘的な若者たちの多くが、こうしたコミューン運動に幻想を抱き、ヤマギシズムに共鳴して、参画していったのである。
 思想的オピニオンリーダーの一人であり、日本を代表する中国革命思想研究者だった新島淳良は、早稲田大学教授の地位をなげうって、全財産をヤマギシ会に提供し、一家で参画したのだった。(本人は死去したが妻や子供たちは、まだ参画している)
 当時、筆者も「ベ平連運動」に共鳴していた一人だが、ベトナム戦争での無意味な人殺しを拒否した在日米軍脱走兵などがヤマギシ会に匿われていたと記録されている。筆者自身は立川のローカル活動家であって、鶴見俊輔らと直接の交際はなかった。

 1980年代からは、資本主義の人間疎外に疑問を抱いた人たちから、農業コンミューンによる人間性回復、循環型社会のモデルとして受け入れられるようになり、世界最大の農業系コミューンとしての地位を確立した。
 現在、日本各地に32箇所、ブラジルやスイス・韓国などの日本以外の国に6箇所の合計38箇所の地に実顕地がある。(一部ウィキ引用)

 筆者はヤマギシズムに1980年前後から数年間、アルバイトとしてかかわり、その本質を観察した時期がある。
 すでに、この当時から、全共闘後世代の競争主義価値観に洗脳された世代の参画により、金儲け至上主義や盲目的な科学技術信仰による弊害が散見されるようになっていた。
 例えば、効率的生産のための農薬使用であったり、平飼いを根本原理とするはずのヤマギシズム養鶏にケージ飼育が持ち込まれたりと、思想の腐敗堕落を想起させるほどの深刻な改悪が持ち込まれているのを目撃し、ショックを受けた思い出がある。

 後に聞いた噂では、代表者がベンツで移動したり、国内食品大手との連携生産が行われたりと、まるで資本主義企業化に向かっているような情報が流れた。
 この間のヤマギシズムの崩壊については、以下のHPなどを参照していただきたい。ドイツなどでは「カルト宗教」として認識されているようだ。
http://www.lcv.ne.jp/~shtakeda/

 しかし、筆者が初めてヤマギシズムを訪れた1970年前後は違った。
 参画者はトタン製ドーム住居に住み、粗末で貧しい生活をしていたが、その表情、人相は光り輝き、筆者は、その人間性の素晴らしさ、粗末な衣服を身につけて化粧もしない女性たちの、あまりの美しさに感動を通り越して、完全に魅入られ、いつかヤマギシズムに参画したいと痛烈な意欲を抱いた。
 春日山で、ヤマギシの卵を初めて食べたときの強烈な感動を未だに忘れることができない。それは、薫り高く、素晴らしく味わい深く、体を癒すものであり、筆者がそれまで食べた食物のなかで真の最高峰であった。
 このときの感動が、筆者をして、いつかヤマギシ卵を自分で生産してみたいという強い志を抱かせたものだ。
 だが、それから十年後に訪れたヤマギシの卵には、かつての輝きが失われていた。女性たちは十分に輝いて見えたが、虚ろな影が漂いはじめていた。

 ヤマギシズムに現れた、さまざまの矛盾、問題の根源を追求してゆくと、創立者であった山岸巳代蔵その人の思想に行き当たる。
 以下、『百万人のエジソンを』から引用 http://www.lcv.ne.jp/~shtakeda/library/page025.html#lcn007

 【私はキリストや釈迦が遺した足跡を,直接見ていないから,後世の人達よりの,間接的資料から観たものに過ぎませんが,彼等は先天的に相当優れたものを,持って生れていたやに想像しても,間違いないと思っています。
 又あの人達でなく共,あれ等の人に劣らぬ人も,世界の各所に実在したと思いますし,その秀でた因子は,直子は無く共傍系にあったものが,現代の誰かに組み合わされて,伝承されてあるかとも思われます。
 今彼等と同じ又は,彼等以上の優秀な遺伝子を持って,よき機会に恵まれた人が,百万人一千万人と実在したなれば,世界はどんなに変るでしょうか。そして,白痴・低能・狂暴性・悪疾病遺伝子の人達に置換されたなれば,物心両面の幸福条件・社会風潮等を,如何に好転さすかに思い至るなれば,何を置いても,この人間の本質改良に出発せざるを得ないでしょう。後略】

 これを読むと、巳代蔵が明らかにヒトラーに類する優生保護思想、すなわち「人類は『優れたもの』を目指すべきだ」という発想が読み取れる。
 こうした「スグレ主義」を指標にしている思想運動は、必ず全体主義に陥り、循環型社会志向から逸脱し、「全人類の持続可能な再生産社会」を破壊する勢力となってゆく。
 ヒトラーナチズムはもちろん、旧日本軍も、オウム真理教も、三菱もトヨタも、果てはユダヤ勢力イルミナティも、すべて、その本質は優生保護思想であり「スグレ主義」であり、「自分たちは世界の支配階級であって、他の人類は自分たちに奉仕するために誕生した家畜に過ぎない」 とタルムードに明記された、愚かな全体主義に至る必然性を持つのである。

 だが、人類の本質は「スグレ主義者」たちが夢想するような完璧志向ではない。それは不完全であり、愚かさと賢さのヤジロベー運動であり、人が失敗し、自分の不完全さを思い知らされるための道程なのである。
 巳代蔵の思想に内在した「優生保護思想」の結果、無農薬有機農法、あるいは炭素循環農法を志向したはずのヤマギシズム農業に、効率最優先、金儲け主義などが持ち込まれ、農薬使用によって近隣の無農薬農家に致命的ダメージを与えるような犯罪的実態まで報告されるようになった。

 しかし、ヤマギシズムも、今、その問題点が糾弾されるようになり、参画者から脱退する人たちも激増し、大きな歴史的岐路に立たされている。
 しかし、この時期に、資本主義と世界経済が自滅崩壊し、まさにヤマギシズム思想と生活が人類救済の主軸に位置すべき社会的必然性を持つようになり、巳代蔵が創立期に意図した、「持続可能なエコロジー農業共同体」として再構築し、日本人民を救うことができるのか、本当に問われている。

 字数の都合で止めるが、次回もヤマギシズム問題を取り上げる

大家族生活 その4 小家族の破綻から大家族共同体へ

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 http://www.dokidoki.ne.jp/home2/yh1305/diary01-01.html#1/1
 【指定された場所と時間に指定されたセリフを言うというエキストラのアルバイトを始めた役者志望の男。周囲の人間はセリフにない言葉をまったく受け付けない。実は周囲の人間もすべて指定されたセリフをしゃべっているだけのエキストラにすぎず、これまでそれに気付いていなかったのは彼一人だけだと知らされ愕然とする。】

 そう、現代社会は、学校、会社はおろか家族・友人の会話まで、指定された常識を逸脱しないように言うべき台詞が定められている。もし逸脱でもすれば、朝青龍や国母のような一斉バッシングを受けるハメになるわけだ。
 その制裁は恐ろしいものだ。『良識』やら『品格』やら、糾弾している本人さえ、たぶん分かっていない空虚な批判が飛び交い、朝青龍は優勝しながら引退を強要され、国母は実力ナンバー1でありながら、オリンピック参加を辞退させられかけた。「逸脱すれば追放と死刑が待っている恐怖社会」というべきだろう。

 戦前、治安維持法、大政翼賛会体制の元で「天皇崇拝命令」に従わなかったり、「お上」の命令で戦争に協力することを断ったりしたなら『非国民』と決めつけられて、社会からつまはじきにされ、抹殺された洗脳統制社会が、いまや再び復活しているのだ。
 家族のなかですら、血を分けた親子の間ですら、ホンネを言うことは許されない。タテマエだけの乾ききった世界。これこそ、ジョージ・オーウェルが『1984年』のなかで予言した、権力による超管理社会の到来を実質で成就したものではないか?

 見せかけだけの自由と権利、コントロールされた『反抗』、体制の家畜として従順に生きる限りは衣食住が保障されるが、体制に疑問を持った瞬間、そこには屠殺が待っている。こんな社会は、いったい何のために用意されたのか?

 それは、人類を家畜として支配しようとする特定の勢力によるものだと決めつければ簡単であり、実際に、ロスチャイルドを代表とするユダヤ・タルムード信奉勢力の歴史を見れば、『シオンの議定書』に書かれているとおり、緻密に計算された恐るべき『ワンワールド社会』に向かっていることが明らかだが、実は、それで決着がつくほど単純なものではない。

 自分の間違いを棚に置いて他人の間違いばかりを糾弾し、鬼の首を取ったように喜び勇んで制裁しようとする人たちは、決してユダヤ勢力ばかりではなく、自分の両親兄弟であり友人であり、上司であり、教師や役人たちである。
 社会の真実に目を向ける機会がいくらでもありながら、臭いモノにフタをし、見ざる言わざるを決めて、現実から背を向け続けてきたのは、いったい誰なんだ?
 ネットの匿名性を利用して、姑息に身元を隠しながら、恥知らずに他人を誹謗中傷しているのは誰なんだ?
 道端で倒れているホームレスを、気の毒にさえ思わず、汚い、嫌なものを見たと一目散に逃げているのは誰なんだ?

 結局、自分自身が、それに対処できる実力も自信もなく、真正面から向かい合う誠意もないことを思い知らされ続け、せいぜい虚勢を張りながら、囲われて、安全地帯で生きる人生に逃避しているのが実態ではないのか?
 どうして、日本人は、こんな愚か者ばかりになってしまったのか?  人を臆病で矮小で無能な弱虫にしてしまった最大の原因は何だったのか?
 その最大の理由は、人々が連帯を忘れたことだ。小家族になり、対話せず、孤立する人生を強いられているからだと私は思う。

 我々が小家族にされてしまった理由は、工場労働力の効率的稼働のために近辺への居住を求めた企業の要求であった。
 資本主義の金儲けシステムに依存していれば楽ちんに食べてゆけるから、賃金労働をしていれば、自給自足では手の届かない贅沢ができるから・・・・みんな、先を争って、資本家の奴隷に身売りしていったのだ。

 大自然に抱かれる野生を売り渡し、他人の不幸の上にあぐらをかいて、金儲けだけを目的にした仕事に無批判に従事する家畜に成りはてたのは誰だ?。
 「正しいこと、間違っていること」を言う、人間として当然の姿勢さえ売り渡し、会社に盲目的に従ってきたのは誰だ?
 見ざる、言わざる、聞かざるを決め込んで、賃金のために人間性を売り渡してきたのは誰だ?

 かつて我々は、循環し、再生産される自然の恵みを受けて、集団で支え合って生きてきた。
 だが、資本主義の勃興とともに、人々は企業に依存する賃金労働家畜に転落させられていった。大家族で団結し、連帯して、創意工夫、知恵を出し合って生活を切り開くのではなく、企業の用意したぬくぬくとした座布団に座って、指示されたことだけをやっていれば安泰であるかのような家畜的人生が人々を支配していった。

 だが、そんな『資本主義畜産社会』とでもいうべき管理社会が、突如、音を立てて崩壊しはじめた。
 1990年、我々は鉄壁の大資本、山一証券が崩壊する姿を見た。バブル崩壊は、戦後資本主義を次々になぎ倒していったが、アメリカによる金融資本主義の巨大な隆盛によって需要が牽引され、一段落するかに見えた。
 しかし結局、それは幻想に過ぎず、投機というゼロサムゲームの詐欺市場による集金システムにすぎなかった。それは2007年末に、ツインタワーのように崩壊を始めた。
 世界の商品市場は一気に需要を失い、労働者が路頭に放り出される時代がやってきた。

 いまや、賃金労働という生活基盤を失った我々に残された手段は、再び昔のように自然の恵みを最大に利用する、循環再生産可能な大家族共同体による効率的生活を目指すしかない。野山に放り出された我々は、基本的に農業による自給自足を目指すしか生き延びる手段がないのだ。
 だが絶望することはない。みんなで助け合って、株主や経営者の儲けのためにではなく、自分たちの生活のために行う労働には、金儲けのために人間性を無視して追い立てる鬼もいない。疲れたら休めばいい。
 それは愛があって人間疎外がなく、とても楽しく、意欲をかき立てられるものなのだ。

 小家族は非効率であり、大家族は効率的である。だが、「大家族にはプライバシーがない」と心配する人が多いだろう。だが・・・プライバシーとは何だったのか?
 それは、冒頭に述べたような愚かで無意味なバッシングから逃避するためのものでしかなかった。それは仮面家族のなかで、本当の自分に戻って癒されるための部屋だった。
 だが、本当の自分をさらけ出して、ホンネだけで生きられる社会があるとすれば、そこには隠すものもなく、プライバシーも必要なくなるだろう。
 必要なことは、いつでも一緒に生きる仲間が優しく癒してくれる生活だったのだ。孤独から解放されることだったのだ。
 大家族は互いを思いやる生活であり、構成員が、それぞれ、みんなのために自分の人生を捧げる「利他主義」を身につけるのである。共同生活者に奉仕する利他思想がなければ大家族は成立しない。そこにはバッシングでなく暖かい癒しがある。

 さて、こうしたバッシング、姑息に身元を隠しながら他人を攻撃して自己満足する類の矮小な人間性は、どのようなメカニズムで生まれるのか? と考えるなら、結局、孤立させられた小家族と私有財産制度から生まれると筆者は考えている。
 東海アマの掲示板で、悪意に満ちたバッシング、嫌がらせ書き込みを執念深く続ける「カイロ」(カ)などを見ていても、その内容は、実に陳腐矮小な私有財産への執着にすぎない。
 「人間が、どのように共同して楽しく生きてゆくか」
 という前向きな問題提起が存在せず、人生観の根底が腐敗崩壊していると思うしかない劣悪なものであり、おごり高ぶり、ねじ曲がった卑屈なプライドを守ろうと必死になっている姿が哀れというしかない。

 これまで、掲示板に悪意書き込みを続けた者の多くが、おそらく小家族の偏狭な価値観に育った「一人っ子」であろうと考えている。
 彼らの特徴は、徹底して自分勝手であり、他人に対する思いやりのカケラもないことである。カイロなどは、「ホームレスになったのは自己責任だから死んで当然」と書いていて、自分がホームレスに転落する可能性を、まるで理解しておらず笑ってしまう。
 彼のような悪意性の高い人物こそ、みんなから嫌われて誰からも援助を受けられず、最期はホームレスに転落する運命が約束されているのだ。

 このまま小家族ライフスタイルが続くなら、無数のカイロが登場し、矮小偏狭な人間性で埋め尽くされた社会になるであろうことに戦慄を覚えざるをえない。
 結局、「私有財産(権力・地位・蓄財)の多寡により人間の値打ちを評価する」という価値観がのさばっている以上、こうしたゴミどもが次々に形を変えて登場してくるわけで、良き人間性の若者たちを育てるためには、何をおいても大家族共同体で、他人をいたわり支え合って生きるという価値観を身につけさせるしかないと確信している。

 筆者は、近所の中津川市福岡にある「満天星温泉」によく行く。300円で気持ちのい鉱泉銭湯だが、困ったことに、最近は公共浴場におけるマナーを理解していない者が増えていて、辟易する機会が多い。
 体を流さず浴槽に入る者など初歩的で、体を洗って、ついた洗剤を流さず、いきなり浴槽に入る者、タオルを浴槽内で使う者、なかには浴槽内で体を洗う者など、それも結構な年代のオッサンがやっている。
 見ているだけでウンザリし、注意するよりも、「もう二度と来るものか」と思ってしまうことが多い。

 筆者の子供時代、まだ各戸に風呂はなく、銭湯が一般的であって、庶民は誰でも銭湯に通ったものだ。当時は、ご意見番の世話焼き老人がたくさんいたもので、子供が浴槽に体を洗わずに入ろうとすれば、親身に注意してくれたものだ。
 愛情たっぷりの気持ちが伝わってきた時代だから、こちらも、ありがたく小言を頂戴した。風呂のマナーというのは、共同体生活にとって本当に大切なものだ。
 我々が他人と協調して生きているという現実を、風呂ほど端的に物語ってくれるものはない。自分勝手な利己主義洗脳者が公衆浴場に入ると、たった一人で数百名の楽しみを無茶苦茶に破壊してしまうからだ。

 日本で唯一、成功している大規模な無私有の共同体がある。
 そこでは、小さな風呂に数百名が入るが、最後まで湯が汚れない。それは、みんな風呂に入る前に、徹底的に体を洗うからだ。それは共同体の基本マナーなのだ。
 次回は、共同体の運営について、日本最大の共同体ヤマギシズムを見てみたい。






大家族生活 その3 母系氏族社会

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 大家族生活 その3 母系氏族社会

 白川郷では、かつて一戸に数十名の男女が共同生活する民俗習慣があった。独立した一戸における大人数家族の生活スタイルは、どのようなものだったのだろう?

 かつて、白川村に大家族生活が存在した時代では、戸主夫婦以外の男女は、もちろん兄弟姉妹・叔父叔母・甥・姪などの血縁であり、近親交配の悲惨な結果も、先祖から伝わる経験則のなかで十分に理解されていたはずだから、戸内家族間での性交は戸主夫婦が専用個室で行う以外もちろん許されなかった。
 大きな広い戸内であっても、寝場所は意外に小さく、デイ(男部屋)チョウダ(女部屋)は、それぞれ10畳ほどしかなく、ここに20名近くが寝ることもあったようだ。
 これは、人の目が行き届かないと、男女の間違いが起きるという用心が働いていたのだろうことと、極寒の土地なので、寄り集まって寝る必要があったのだろう。当然、プライバシーなどカケラもないが、慣れれば、それを不快と感じる者も少なかったようだ。

 正式に婚姻できるのは戸主のみでありながら、健康な男女の性欲まで封じ込めることなどできないから、家の者たちは他の家の男女と交際し、婚姻せずに肉体的に結ばれることになった。
 男女の性交は、離れた田に作られていた農作小屋や、夜這い用に設けられた小さな出入口から、示し合わせて、二階や三階の小部屋に行ってすませていたようだ。
 男女の関係は固定することが普通だったが、婚姻の束縛がないため、比較的、自由に相手が変わったようだ。しかし、「男が女を捨てる」場面では、家族の女たちから一斉に口を極めて罵られたと記録にある。
 他に楽しみもない深い山里のため、みんなせっせと子作りエッチに勤しんでいたため、なかには十名近い子を産む母もいた。
 こうして産まれた子は、すべて「家の子」として育てられ、父親側には帰属せず、母の家に帰属することになった。
 こうした男女関係を民俗学では「妻問婚」と呼んでいる。

 【ウィキ引用:妻問婚とは夫が妻の下に通う婚姻の形態のこと。招婿婚ともいう。女系制の伝統のある社会など母権の強い民族に多く見られる婚姻形態で、普通、子は母親の一族に養育され、財産は娘が相続する。 かつてこうした婚姻形態を持っていた民族として有名なのは、インド南部ケララ州に住むドラヴィダ人、古代日本人など。
 彼らの家には幾つかの区切りがあり、女性達は共同の広間と自室を持っていて、夫は夜間にその部屋に通う。一人の女性に複数の男性が通うことも多く、結果、女性が妊娠した場合は、遺伝上の父親(ジェニター)ではなく一族の長である女性が認めた男性が女性の夫、子供の社会的な父(ペイター)となる。子は母親の一族に組み入れられ、妻の実家で養育される。社会的な父には扶養の義務があり、畑仕事などで一家を養う。
男系社会における妻問婚
古代日本は基本的に一夫多妻制の男系社会ではあったが、財産は女子が相続し、社会的な地位は男子が相続する形態を取っていたと考えられている。基本的に、女子は社会的地位(位階)は夫に準じ経済力は実家を引き継ぐが、男子は社会的地位は父に準じ経済力は妻の実家に準じる。女子の後見人は兄弟や一族の男性であり、男子の後見人はやはり一族の主だった男性である。】引用以上

 ウィキ引用に指摘されているのは、妻問婚には母系と男系の二つの様式があるということだが、白川郷の場合は後者になる。
 すなわち、中世封建領主(内ヶ島氏)の荘園として拡大した白川郷にあっては、戸主は大領主に帰属する小領主であって、年貢・軍役などの義務、財産を相続するのは男系男子であった。
 しかし、内ヶ島氏が登場する以前は、真宗門徒の自治的な地域であった可能性が強く、室町時代以前頃までは、おそらく母系氏族社会であっただろう。

 母系社会にあっては、家を支配する家長は母親であり、権力・財産を相続するのも母の血統である。このことの意味は、束縛のない自由な性交が許される環境ということだ。
 婚姻による束縛のない自由な男女関係にあっては、父の子を特定することはできず、母の子だけが特定されるため、必ず母系氏族社会になる。また、分散した小家族で暮らすよりも、はるかに効率的な大家族生活を好むようになる。
 したがって、人類の権力史が始まる以前、草創期の大部分が母系氏族社会であったと考えられる。男系社会が登場するのは、男の権力、財産、すなわち国家の登場と共にであった。男の権力・財産を相続させるために、母を束縛する男系社会が成立したのである。

 父の財産と権力を、父の特定された子に相続させようとすれば、母親を家に束縛して貞操を要求することになり、小家族の方が束縛に都合がよいため大家族生活など成立しない。
 大家族共同体生活は、もっぱら母系氏族社会の生活様式である。白川郷に大家族生活が残ることの意味は、実は、中世に至るまで、母系氏族社会の本質を色濃く残していた地域ということがいえよう。
 早い時期から男系社会になっていれば、妻を束縛しにくい大家族は廃れ、小家族になりやすいのである。

 世界に、同じような妻問婚と母系氏族社会の伝統を残している地域がいくつかある。なかでも、テレビ番組取材などで取り上げられて知られた地域には情報が多い。

 【モソ人:http://blog.livedoor.jp/open_eyes/archives/cat_322581.html
 雲南省と四川省の境界線上に位置する「秘境」濾沽湖付近にのみ居住する「モソ人」と呼ばれる人々がいる。人口は約1万人で、人数的には民族と扱いうるが、「族」を形成するだけの勢力を持たないため、正確な表記は「モソ族」ではなく、あくまで「モソ人」とされる。公式な少数民族の中にその名を見つけることはできない。
 モソ人は系統的には雲南省の麗江地区を生活拠点としているナシ(納西)族から枝分かれした一派といわれているが、ナシ族とは明らかに異質な文化や風習を持つ。中でも特徴的なのが、「通い婚」という結婚形態だ。
 これは男性が必要な時だけ妻のもとに訪れるという慣習。「通い婚」は「アシャ(阿夏)婚」ともいう。「アシャ」とは、モソ語で「親愛なる伴侶」という意味。男女とも成人になると、男性が金・銀・玉を贈り、女性は飾り物を返礼して交際をするようになる。
男性は妻と共に生活する義務はなく、昼間は実家で暮らし、夜になると妻のもとへと通う。妻と一夜を過ごしたのち、翌朝再び実家へ帰るという生活を繰り返す。
モソ人の家族には、「父親」や「夫と妻」という役割は存在せず、また私たちが普通に考える「父と子」という関係も存在しない。父親である男性は「父」や「夫」ではなく単に「おじさん」と呼ばれている。子どもたちは生みの母親だけではなく、母の実家の全員で育てる。一家の家長は女であり、代々女が家を継いでいく。
複数の男性と肉体関係を持つことに関して、モソ人の女性はオープンであり、兄弟で父親が違うことも珍しくない。「一夫一妻制」ではないため、「未婚の母」「私生児」「未亡人」という言葉も存在しない。
家事も子育ても女性の実家まかせだから、男性にとっては羨ましいようにも思えるが、モソ人社会は「女の国」と呼ばれるほどの母系社会であり、家財などを管理するのも家長である女性の仕事である。立場の弱い男性は女性に頭が上がらないということらしい。】引用以上

 これを見ると、白川郷の大家族によく似ている。違うのは、白川郷では、すでに領主支配が確立し、徴兵・納税のために男子を優先させる男系家族制度が成立しており、家を支配し、財産を相続する家父長は、男性であり、戸主の長男が跡目を継ぐシステムになっていたということである。
 しかしながら、封建領主が登場する以前の白川郷では、引用したモソ族とほとんど同じ生活スタイルであったろうことが容易に察せられるのである。
 すなわち、大家族共同生活の伝統は、母系氏族社会の伝統である。

 【台湾アミ族:http://blog.katei-x.net/blog/2008/12/000721.html
●部族-氏族構成 ガサウ>マリニナアイ>ロマの三層構造で構成される。
・ガサウ:祖先or故地を同じくする集団≒同生地族
・マリニナアイ:具体的に系譜関係を辿れる範囲の自律的集団≒母系出自集団
・ロマ:集団の基本単位≒単位集団
●ロマの母系制規範 ロマの長は、多くの場合最年長の女性。ロマの家屋敷、田畑は家長が所有。財産は基本的には母から娘へと相続。姓も母系継承。首長などの地位は、母方オジからオイへと継承。基本的には婿入り婚規範。(※現在のアミでは、これらの母系制的な様相はほとんどみられなくなっているそうです)
母親を「太陽(cidar)」と称す。赤色の伝統的な服飾や羽の冠、花の冠、肩帯びに付いた円形の貝殻、腰帯に付いた鈴などはすべて太陽である母親を象徴。歌の中にも母親という言葉が頻出。】引用以上

 アミ族は台湾原住民、高砂族の最大部族で、アニミズムの母系氏族社会を持つ。かつて日本が台湾を植民地化し併合していた歴史があることから、アミ族の人たちで日本に帰化し、完全に溶け込んでいる人も多い。
 筆者の昔の職場にもいたが、とても従順で、妻や母親など女性の意のままに支配される傾向があった。
 身体能力の高い人が多く、郭源治・陽仲壽・陽耀勲 などプロ野球選手を輩出している。台湾政財界にも多くの人材を送り込んでいる。

 母系氏族社会にあっては、男性権力を尊重することはなく、生理・妊娠・出産など女性の自然な営みを大切にする傾向があり、非常に融和的である。
 アミ族は、戦後まで「首狩り」の風習が残るほど獰猛ともいえるほどの台湾先住民社会にあって、唯一、そうした残酷な習慣を持たない部族であった。これも、家父長が母親であったことの属性によるものだろう。

 ドラビタ族・モソ族・アミ族も、すべて、とても穏やかで友好的な人たちであり、母系氏族社会では、男性の権力闘争や戦闘が少ないため、友好的で心暖かい人たちが多い。
 先に述べたように、客家では世界的な指導者を輩出し続けている。白川郷からも、「人を救う」ことに人生を捧げる人たちが輩出されている。
 他人の犠牲の上に、利己主義的な欲望を満たそうとする人たちは、決して大家族から生まれないのである。それは、人間疎外の上に築かれた小家族制度によって生み出されるのであり、たくさんの家族に祝福されて、暖かく育った子供たちが、戦闘を好み、利己的な蓄財や権力を好むこともない。

 我々は、小家族制度が生み出してきた矮小姑息な人間性と、大家族制度が生み出してきた、広い暖かい人間性の意味について、今、深く考えるべきである。

大家族生活 その2 客家

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 国家と大企業の従順な家畜となることで、身も心も、価値観も人生観も売り渡し、代わりに、衣食住、中流生活の幻想を与えられてきた日本人の生活は、国家・組織・企業の破滅とともに崩壊し、今夜の糧を求めて彷徨う非情な野生に放り出されることになるだろう。

 国家も企業も力を失い、地域社会も親戚も友人も助けてくれない。追いつめられた饑餓のなかでは、これまでの一夫一婦制小家族生活では、とても生き抜いてゆくことができない。
 それは、あまりに非効率であり、企業の雇用、営業利益という支えを失った社会では通用しないのである。
 というよりも、小家族の成立は異動の容易、工場労働力の効率的稼働のために近辺への居住を求めた企業の要求であったことに気づかなければならない。

 かつて我々は、山と海、循環し、再生産される自然の恵みを受けて、集団で支え合って生きてきた。だから、それは等しく自然を分け合う、分散した大家族生活であった。都市を必要としない生活スタイルであった。
 だが、賃金労働が自然の恵みに頼らない生活スタイルを生み出し、集中しながら、互いに孤立した小家族を要求してきたのである。すなわち、効率的に稼働する工業生産のための都市を求めたのである。
 したがって、小家族の必然性、命脈は資本主義の崩壊とともに消え去ることを理解する必要がある。すなわち、都市は、資本主義生産とともに消えゆくということを。

 賃金労働という頼りを失った我々に残された唯一の延命手段は、信頼のおける仲間たちと団結し、昔のように、自然の恵みを最大に利用する、循環再生産可能な大家族共同体による効率的生活を目指すしかないと繰り返し指摘してきた。
 みんなで助け合って暮らせば、一のものを十にすることができる。十のエネルギーを費やしてきたものが一の力で可能になる。

 どういうことかというと、孤立した小家族の場合は、三人であっても冷蔵庫や洗濯機をはじめ、あらゆる生活機器を一軒に一台以上必要とするわけだ。しかし大家族で住めば、冷蔵庫も洗濯機も数十名に一台あればよいことになり、小家族生活が、いかに浪費に満ちていたか理解できるはずだ。
 それどころか、子供の面倒を見るときでも、調理をするときでも、介護をするときでも、洗濯をするときでも、小家族では、一人の母親が、すべてを行わねばならず、極めて重労働であったものが、大家族では、それぞれ任務を分担してこなすことができて、あらゆる生活が実に効率的であって、経費も労力も数分の一になるということだ。

 小家族は非効率であり、大家族は効率的である。だから生きるための労力が大幅に軽減される。だが、それよりも、はるかに重要な本質がある。「大家族にはプライバシーがない」と心配している方に、この本当の意味は、「大家族には孤独がない」と言い換えていただきたいということだ。
 大家族は互いを思いやる生活であり、構成員が、それぞれ、みんなのために自分の人生を捧げる「利他主義」を身につけるのである。共同生活者に奉仕する利他思想がなければ大家族は成立しない。

 人は一人では決して生きられない。みんなで助け合い、支え合ってこそ、人生が成り立つのである。
 我々は資本主義に洗脳され、小家族で対立し、他人を羨み、見栄を張るだけの利己主義的な競争生活に慣らされてきた。しかし、大家族では、見栄など何の意味も持たない。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」 つまり、他人を大切にする利他思想だけが大家族を支えてゆく。
 そこには競争から生まれる人間疎外もない。あらゆる人間関係の苦悩から解き放たれ、他人に対立する自我、利己思想も消えてゆく。そうして、共同体の一部品としての人格が成立するようになる。

 しかし問題点もある。
 、共同体の構成員が増えすぎたとき、みんなの目が行き届かない死角が増えて、人間疎外が発生し、団結を崩壊させる腐食が起きることになるからだ。
 だから、共同体には適正人員というものがある。それは、おそらく数十名、多くても百名程度であろう。
 それ以上に増えたら、内部に落ちこぼれとともに、突出した権力者や生活格差が発生し、平等や連帯が消える代わりに規則や束縛、制裁システムが成立することになる。こうなれば単に領主と農奴の関係になってしまうから、もはや共同体ではなく、予防のために分割させねばならないことになる。

 これは、1980年代までの日本社会が、戦後地方における農業共同体の倫理観、価値観の上に作られてきて、日本国家全体が互いを思いやる共同体という要素が大きく、世界的にもすばらしい社会性が成立していたわけだが、中曽根政権の誕生を境に、利己主義と格差が社会を覆い、規則や束縛が人々をがんじがらめにして人間性を矮小化させ、それが共同体利他思想によって成り立っていた日本国家を崩壊させていったプロセスを見れば、理解できると思う。
 すなわち、日本は差別・格差によって共同体を失ったために滅びているのである。

 共同体の適正システムというものは、長い共同体生活の歴史に学ぶ必要があり、我々は、世界各地にある大家族共同体から多くを学ぶことにしよう。
 先に白川郷について、少しだけ紹介したが、大家族の合理・不合理について研究しておくことは、これから子供たちの新しい未来を用意してやるために一番大切なことだ。

 世界に大家族共同体は数多いが、もっともよく知られた共同体は客家(ハッカ)であろう。
 中国に本拠を置いているが、台湾・ベトナム・フィリピン・タイ・マレーシアなど東アジアの多くの国に、数千年の昔から居住している人々であり、「華僑」の多くが客家であるともいわれる。

 客家は、漢族でありながら、どの地方語とも異なる彼ら独自の「客家語」を話すことから、何か特別な由緒を持つ民族であると考えられているが、その歴史を調べても、古代中国史に登場せず、はっきりしたことは分からない。
 しかし、彼らの大部分が、好んで山岳地帯に暮らしている事情が、その出自にヒントを与えているかもしれない。(客家語は唐宋北方中国語の古語といわれ、数字発音などが、現在の日本語の読みに近い)

 宇野政美が「客家は『失われた古代ユダヤ』である」と講演で主張している。
 その「移民性」の激しさ故に、ユダヤ人・アルメニア人・インド人(印僑)などとともに、」『世界四大移民』 『流浪の民族 『中国のユダヤ人』などと表現されることがあるが、古代ユダヤとの関係は、今のところはっきりしない。
 しかし、中国には開封という地域にユダヤ社会があったと記録されていて、これが客家であったという記述も最近知った。(客家研究者、高城桂蔵が、北宋時代に客家のユダヤ人移民が開封におり、皇帝が7つの姓を与えたと書いている)
 筆者は宇野の主張に不信感があったが、考え方を改める必要があると思いはじめている。

 客家について、はっきりと言えることは、恐ろしく教育水準が高く、中国と周辺諸国で歴史的な指導者を輩出し続けてきたということである。
 ごく一部を挙げても以下の通りである。
 洪秀全・孫文・朱徳・小平・リー・クァンユー・葉剣英・コラソン・アキノ・李鵬・朱鎔基・胡耀邦・楊尚昆・台湾の宋一族など、 歴史上の人物でも、唐の張九齢・王陽明・徳川光圀の師であった朱舜水など、あまりにも多すぎて、とても書ききれない。言い換えれば、中国の歴史、権力史を作り出してきた核心に客家がいる。それどころか、台湾の宋一族はシティグループの実質的なオーナーとも言われており、世界金融資本の黒幕といっても過言ではなさそうだ。

 どうして、これほど教育熱心なのかといえば、共同体の結束が固く、すべての子供たちが、「個人の子供」ではなく「みんなの子供」という認識が成立していることが大きい。
 客家には「円楼」という丸い砦のような建物に数十家族が共同生活をする民俗風習がある。
 これは、古代中国から現代に至るまで、中国では、問題が起きると、帰属する氏族結社(中国人は政府を信用せず、身内結社に頼る)に解決が委ねられ、話し合いがつかないと「械闘」という戦闘争議が起きる風習があり、他の結社に襲われて一夜にして一族が殺されるといった氏族間戦争が珍しくなかったことから、襲われても籠城戦に持ち込めるように、氏族ごとに頑強な城を構築した習慣によるものだ。
 とりわけ客家は、その言葉の意味が「よそ者」であるように、地方社会で疎外、攻撃の対象になりやすかったので、こうした生活スタイルが定着した。

 この円楼の周囲が数階建ての居住区で、真ん中が広場になっていて、共同体のすべての仕事が、すべての構成員に、一つの隠し立てもなく見える仕組みになっている。
 このことが、円楼居住者の平等感と連帯感を生み出した。居住者は、すべて同じ条件の部屋に住み、すべて、分け隔て、隠し立てのない行事に参加する。共同生活のすべてが見えて、平等に参加できる仕組みである。

 こうした差別のない生活がもたらす思想は、徹底した連帯感と利他主義である。
 居住者のすべてが疎外感を感じず、平等感を満喫し、同じ円楼に住む者は、血肉を分けた兄弟よりも親しく、愛情を抱くことになる。

 これが客家の驚くほど高い教育水準を産んだ。
 「わが円楼の子供たちは、すべて自分の子供であり、子供たちのために最高の未来を用意してやりたい」 と居住者は考え、できる限りの教育環境を用意し、また進学援助を惜しまない。
 これが、客家が世界最高の人材を生み続けてきた秘密である。
 孫文も小平も葉剣英も朱徳も、こんな客家の利他思想に育まれ、自分が周囲の大人たちからもらった恩義を、国家に奉仕することを通じて返すための努力を続けた。
 客家は利他思想の故郷であり、ゆりかごであった。

 実は、筆者の新潟の従兄弟の嫁さんが台湾客家の出身で、やはり、徹底的な利他主義で、実に外向的で親切な人だ。
 しかし、出身一族の利益に奉仕することも、夫に奉仕する以上であった。出身客家が訪れると、その接待費用が嵩むのに音を上げていたというのが本音だ。
 身近にいる白川郷出身者も客家出身者も、内向的な姿を見たことがなく、徹底的に明るい人たちだ。そして実に親切、他人の世話を焼くことに生き甲斐を感じている。
 大家族で生活すると、人は、このように利他思想を身につけ、明るく親切な人間性になる。

 逆に、閉鎖的な小家族で育った一人っ子は、ほとんどの場合、唯我独尊、自分の思い通りにならないと面白くなく、すぐにヒステリーを起こしたりして、他人の迷惑行為をすることが多い。
 これは、子供たちの育て方が根本的に間違っているからであって、子供は大勢のなかに投げ込んで、たくさんの人たちに祝福され、抱かれ、愛され、それによって人見知りをせずに利他思想を自然に身につけることが、最高の素晴らしい人生を約束されるのである。

大家族生活 その1 白川郷

  辻パイプオルガン工房で知られた白川町黒川出身の百歳になった祖母が先日、逝去した。
 このとき、老衰で動けない私の両親や、遠方居住の兄弟姉妹に代わって、親身になって世話を焼いていただいた親戚がいた。
 祖母の甥の嫁にあたる縁戚女性であった。痒いところに手が届くような素晴らしく献身的介護をしていただき、心から感謝するとともに、一方で、失礼ながら、彼女は、どうして、これほどまで人に親切にできるのか、民俗学的興味も湧いていた。

 彼女は合掌造りで知られた白川郷で昭和初期に産まれた。岐阜県には北の白川村と南の白川町がある。白川神道のご縁でもなさそうだが、不思議な因縁で祖母の甥と結ばれることになった。
 彼女の実家も荻町に近い合掌造り、医師の家だったらしいが、あの平沢勝英とも血縁があるらしい。
 白川郷出身者は、医師や牧師が多いという。他人を救うような職業だ。終生クリスチャンだった祖母の最期を看取り、葬儀ミサを行ってくれたのも、親戚筋の白川郷出身、木下牧師であった。

 白川郷は、1930年代末に、ナチスの迫害を逃れて日本に亡命したドイツ人建築家ブルーノ・タウトの著書『日本美の再発見』のなかに、『この辺の風景は、もうまったく日本的でない。少なくとも私がこれまで一度も見た事のない景色だ。これはむしろスイスか、さもなければスイスの幻想だ。』と紹介され、その僻遠さもあって、秘境マニアの聖地となった。
 
 もう一つ、白川郷を世に広く知らしめたのは、柳田国男である。柳田は、明治42年の旅行の紀行を「北国紀行」と「秋風帖」の両方に書いているが、秋風帖から遠山家に関する部分を抜き書きしてみよう。(6月4日、遠山喜代松氏宅で昼食をとったと北国紀行にある)

 【御母衣にきて遠山某という旧家に憩う。今は郵便局長。家内の男女42人、有名なる話となりおれども、必ずしも特殊の家族制にあらざるべし。
 土地の不足なる山中の村にては、分家を制限して戸口の増加を防ぐことはおりおりある例なり。ただこの村の慣習法はあまりに厳粛にて、戸主の他の男子はすべて子を持つことを許されず、生まれたる子はことごとく母に属し、母の家に養われ、母の家のために労働するゆえに、かくのごとく複雑な大家内となりしのみ。
 狭き谷の底にてめとらぬ男と嫁がぬ女と、あいよばい静かに遊ぶ態は、極めてクラシックなりというべきか。
 首を回らせば世相はことごとく世紐なり。寂しいとか退屈とか不自由という語は、平野人の定義皆誤れり。歯と腕と白きときは来たりてチュウビンテンメンし、頭が白くなればすなわち淡く別れ去るという風流千万なる境涯は、林の鳥と白川の男衆のみこれを独占し、我らはとうていその間の消息を解することあたわず。
 里の家は皆草葺の切妻なり。傾斜急にして前より見れば家の高さの八割は屋根なり。横より見れば四階にて、第三階にて蚕を養う。屋根を節約して兼ねて風雪の害を避けんために、かかる西洋風の建築となりしなるべし。戸口を入れば牛がおり、横に垂れむしろを掲げてのぼれば、炉ありて主人座せり。】引用以上

 白川郷は、日本における代表的な大家族制度の村であった。ここでは一軒の家に42名の男女が居住していたと書かれているが、70代後半の親戚女性の記憶では、すでに大家族制度の思い出がほとんどない。
 
 すでに戦前、白川郷における大家族居住習慣は崩壊していた。それは、おそらく、徴兵制と学校教育により外の世界の情報が知られたことにより、戸主以外の男女が封建的束縛を受ける不条理な因習に対する反感が満ちていたせいであろう。
 明治の繊維産業勃興により、飛騨の女たちは「女工哀史」で知られる信州岡谷周辺の紡績工場に出稼ぎに連れ出されるようになり、苛酷な重労働でありながら、賃金労働と自由の片鱗を知っていった。
 とりわけ白川郷の女たちにとって、監獄的奴隷労働とさえ言われた紡績女工の仕事でさえ、故郷の毎日の生活を思えば、苦痛とも思えなかった。
 紡績女工は一日の拘束が14時間とも言われたが、白川郷の娘たちは、一日18時間もの、物心ついてから死ぬまで続く、プライバシー皆無の拘束労働を強いられていたからである。

 とりわけ、江戸時代中頃、養蚕産業が白川郷に持ち込まれてから、戸主夫婦以外の同居人たちは、あたかも奴婢のような存在となった。人生のすべてを奴隷労働に費やす悲惨な境遇に置かれた。
 冬期、積雪により、半年近くも外部と隔絶される苛酷な自然環境、狭い住居に数十名もの男女が同居するため、彼らは何よりもプライバシーに飢えていた。
 娘たちは高山の酒造・紡織産業が起こると、それに憧れて勝手に出奔するようになり、戦前には大家族が廃れていたのである。

 白川郷の由緒は、「平家の落人」といわれているが、山下 和田 小坂 新井 松古 木下といった名字から考えると、隣村の五箇山ほど確実性はない。しかし、鎌倉仏教勃興期、親鸞・嘉念坊善俊・赤尾道宗らが、この地方に真宗を布教し、大規模な拠点としていた歴史がある。
 平安時代以降、江戸時代までの日本では、権力の支配を受けない自給自足共同体が、むしろ都に住むよりも暮らしやすかったと考えられ、深い山々と豪雪によって隔絶された白川郷には、真宗がもたらした思想学問もあり、むしろ、桃源郷のような、穏やかで素晴らしい生活拠点だったのではないだろうか。

 この白川郷の住民を苛酷労働で苦しめるようになったのは、戦国時代、この気候風土が煙硝を製造するのに適していることが知られてからである。
 それは加賀藩前田家の領地であった五箇山で始まり、白川郷に伝播した。民家の縁下に屎尿と青草を積み上げておけば硝酸カリの結晶が採集できることが知られ、ポルトガル商人からの高価な輸入に頼らずとも、自前で鉄砲火薬が製造できることになり、各藩は目の色を変えて、この製造を強要することになった。

 それまで、あまりの山深い僻地ゆえに見返られることもなかった、この地がにわかに宝の山となり、高山藩も加賀藩も合掌村落住民たちに極秘の重労働を強いるようになった。
 白川郷のような大家族生活は、平安~室町時代の田舎では決して珍しいものではなく、鎌倉時代に領地を与えられた「一所懸命領主」の館では、ほとんどの一族・使用人(兵士・小作人)が大きな家で共同生活をしていたと考えられる。
 ただ女性の生理や妊娠・出産といったイベントを「穢れ」として嫌った(血にまみれるため)男たちによって、別棟を建てて住まわせたことから、徐々に、戸別生活が拡大したと考えることができる。
 ところが白川郷では、5メートルもの積雪があり、合掌家屋以外での生活が不可能だったため、遅くまで大家族共同生活の習慣が残ったのであろう。

 江戸時代、家康による民衆統治システムの要であった「五人組制度」により、そうした集団生活がバラバラに切り離され、一夫一婦制度が持ち込まれるまで、日本各地に、多夫多妻制度に近い共同体生活が残っていた。
 本来、一夫一婦制度を必要としたのは、我子に権力や財産を相続される必要のある武家階級や上流階級だけであった。妻が自由に誰とでも寝たのでは、我が子の特定ができなくなってしまうから、厳重な一夫一婦制の束縛を持ち込む必要があったのだ。

 ところが、一般庶民、地位のない農民にとっては、受け継がせるべき財産も権力もなく、ただ男女の自然な営みにより、勝手に子が産まれ、それを、みんなの力で育てるというスタイルで十分であった。
 これは極めて効率的であり、困ったときも、即座にみんなの力を借りられるから、楽しい気楽な共同体生活を送ることができた。
 このため、江戸期まで「持たざる民衆」の多くが、そうした共同体スタイルで生きていたと考えられる。それを、年貢納税管理のために「一戸独立」と「五人組連帯」制度を強要したのが家康であった。
 したがって、江戸時代以前の、自然環境の苛酷な地方では、白川郷のような巨大家屋による大家族共同体システムは決して珍しいものではなかった。むしろ、共同体なくして過疎地方の生活は成り立たなかったと考えるべきだろう。

 白川郷は、硝煙製造要求と苛酷な自然環境に加えて、深い山々に囲まれた狭い土地のため、分家が困難であったことなどにより、効率的な大家族共同生活を強いられてきたのである。
 だが、先に述べたように、村人たちは藩の要求により煙硝製造・養蚕などの激務を強いられるようになり、苛酷な生活に苦しむようになった。そこに文明開化がやってきて、明治、徴兵と学校教育が持ち込まれるようになり、他所の生活事情が知られるようになると、奴隷労働に甘んじていた下層生活者たちは、自由の天地を求めて高山や諏訪・岡谷、日本海沿岸などに飛び出すようになり、大家族生活は実質的に崩壊していったのである。

 だが、千年近い大家族生活で育まれた価値観は簡単に廃れるものではなく、合掌造りにたくさんの人が住まなくなっても、助け合い生活の風土風習が残ることになった。
 大家族ではプライバシーが損なわれるのは事実だが、一方で、上に引用した秋風帖に柳田が述べているように、白川郷に住む人々にとって「孤独」という概念は存在しなかった。
 その人生の価値観は「一人はみんなのために、みんなは一人のために」であって、「人助け」こそ人生最大の喜びであった。

 冒頭で述べたように、白川郷出身者たちは「人助け」が大好きだ。
 「人を助ける」ことを人生最大の価値と認識しているのである。だから医者や牧師になる人が多い。あの平沢勝英も、最初は警察官として人助けを目指したのだろう。(現場の警官よりも警察官僚になってしまったことが、躓きだったが・・・)
 それは、大家族共同体生活のなかで育まれた価値観なのである。もっとも、世界文化遺産に指定されてから観光産業でボロ儲けの味を知った村人が増えてから、白川郷の人情も変わったといわれることを苦言として添えておかねばならないのが残念だ。(昨年、久しぶりに訪れたとき思い知らされることになった)
 余談ながら、白川郷同様、山深さ、僻遠さではひけを取らない『遠山郷』には、まだ人情が風化せずに残っていることを書き添えておく。風化は「カネの風」によるものだから。

 筆者は、アメリカの虚構経済というパイの存在によって成り立っていた「砂上の楼閣」である浪費経済体制が崩壊した今、国民の孤立した不経済な浪費生活スタイルが許されなくなり、再び効率的な大家族生活スタイルに帰るしかないと確信している。
 このため、世界各地の大家族共同体生活や、日本における大家族の歴史研究を通して、今後、我々が目指すべき大家族共同体のあり方を研究したいと考えている。
 我々は、もはや今年から、これまでにように孤立させられた一夫一婦制小家族分離生活を捨てて、大家族共同体生活に回帰しなければならないと考えている。
 
 これまで人間不信、人間疎外によって、孤立した家族、利己主義の価値観に洗脳されてきた我々が、大家族のなかで、上手に他人とつきあって共同体生活を運営してゆくのは、極めて大きな困難が伴うと覚悟しなければならない。
 人間不信、疎外感に洗脳されて、他人を信じられない人たちを、どのように大家族共同体生活に導いていったらよいのか、シリーズで問題提起しようと考えている。sirakwa.jpg

セキュリテ社会 その7

 セキュリティ社会 その7

 日本国最大のセキュリティ 日米安保条約を問う

 日本国家における最大のセキュリティは日米安全保障条約である。
 これが、どれほど欺瞞に満ちたものか、大多数の日本国民は、その真実を知らない。
 「アメリカが日本を守ってくれる?」
 バカ言え! 冗談じゃない、アメリカが守るのはアメリカ特権階級(フリーメーソン)の利権だけだ! 目糞を取って、よく見つめな、耳糞かっぽじって、よく聞きな、鼻糞ほじって、よく嗅ぎな・・・・

 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=101364 より引用
日米安保条約第五条によれば、

【日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
either Party in the territories under the administration of Japan とは、日本の行政管理下内での両国共ではなく、いずれかの国、すなわち日本の主権に対して治外法権を持つアメリカ合衆国の大使館、領事館とアメリカ合衆国軍事基地が一方のPartyであり、アメリカ合衆国の治外法権の施設を除いた部分の日本国の地区がもう一つのPartyであるという定義をすることもできる。
この定義に基づけば、それらのいずれか一方が自分にとって危険であると認識 した時、「共通の危機(common danger)」に対処する。アメリカ合衆国軍の行動は、「共通の危機(common danger)」が対象であり、「共通の危機(common danger)」とは、日本国内のアメリカ合衆国の施設と、その他の部分の日本に共通の危機のことである。つまり、日本国内のアメリカ合衆国の施設(軍事基地等)とその周辺(日本の一部地区)に対する危機に限定されると考えることもできる。アメリカ合衆国軍が行動する場合は、アメリカ合衆国憲法に従わねばならないと条文で規定されている。また、アメリカ合衆国憲法では他国(日本など)のアメリカ合衆国軍基地が攻撃を受けた時は、自国が攻撃を受けたと見なされ自衛行動を許すが、他国(日本)の防衛を行う規定はない。】

 日米安保条約のどこを探しても、アメリカが「日本国民の生命財産を他国の軍事的脅威から守る」などとは一言も書かれていない。それどころか、日本国家を守るとも書かれていない。存在するのは、日本国内おけるアメリカの財産を守るという宣言のみである。
 その対象は、日本に対する侵略国だけでない。実は、日本(の反米勢力)から日本国内の駐留基地などアメリカ資産を守るということが日米安保の本当の意味なのである。
 駐留米軍の銃口は、これまで言われてきたように仮想敵国であるソ連(ロシア)や中国、北朝鮮に向けられているのではない。本当は日本国民に向けられてきたのだ。

 アメリカという国家は、建国以来、自国特権階級の利益を保全したことはあっても、他国の権益、他国人民の利益を守ったことは皆無である。それどころか、自国市民の利益を守ったことさえない。
 アメリカは徹頭徹尾、唯我独尊、利己主義の国家であり、他国を自国のために利用することはあっても、他国のために自国が損をするようなことは絶対にしない国なのである。
 自国の権益に役立たない他国の防衛などするものか。日本に駐留し、米軍を展開している本当の事情を知らなければならない。

 それは、アメリカが日本を利用し、骨の髄までしゃぶり尽くすための装置だったのである。日本の反米勢力に対する軍事的威圧だったのである。
 また、日本列島の地理的条件を利用し、中国・朝鮮半島・ロシアを攻撃するための基地として利用しているのであって、日本を侵略する他国がいたとしても、それがアメリカの国益に適うなら絶対に止めることはない。
 そんな国益(厳密にはアメリカ特権階級の権益)絶対優先の米軍に「思いやり予算」と称して、日本は数千億円の無条件寄付を行い、安保のためと称して、紙屑になる運命を約束された米国債を1000兆円近く、ありがたく買い取らせていただいてきたわけだ。

 アメリカという国家は、地上最大最悪の陰謀国家である。それは一世紀や二世紀の伝統ではない。1776年にイギリス植民地から独立したとき、すでに建国者たちは陰謀にまみれていた。
 アメリカを独立させた者たちは、ロスチャイルドの支配するフリーメーソンであって、まさに、ロスチャイルド帝国に奉仕するための国家を作り出したのだ。

 フリーメーソンの中心勢力はロスチャイルドに代表されるユダヤ人である。アメリカはユダヤ人の利権を守り、構築する目的で建国されたのである。
 だから建国から現在に至るまで、すべての大統領がフリーメーソンであり、アメリカの金庫であるFRBを支配し、全米の巨大企業を支配し、政府の統制を受けずに勝手にドルを印刷しているのもフリーメーソンの結社員である。
 オバマ大統領の右腕、ガイトナー財務長官、ルービン・サマーズ・ブレジンスキーらは全員ユダヤ人である。そしてアメリカで最高の利益を上げ続ける巨大企業の経営者たちも、大部分がユダヤ人であり、フリーメーソンである。

 ユダヤ国家であるイスラエルを建国したのもアメリカの力であり、現在、イスラエルが国際法を無視した暴虐な侵略占領を続けていられるのも、すべてアメリカの強大な尽力によるものである。
 この意味で、アメリカの真の支配者はユダヤ・フリーメーソンである。その証拠に、アメリカの国璽であるピラミッドアイや双頭の鷲はイスラエル国家機関に行っても普通に見られる象徴である。両者は同じ国家と言ってもよいほどだ。
 
参考資料
http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda3/kokuren.htm
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/keimason.html
http://www.asyura.com/sora/bd19992/msg/671.html

 「陰謀論」と単純に嘲笑する連中に言っておくが、イスラエル・ユダヤは、3000年前から人類最悪の陰謀民族であった。旧約聖書 創世記第三十四章を見よ
 http://www.nunochu.com/bible/01_genesis/gen44.html
 これがユダヤという民族の、恐るべき陰謀の特質を余すところなく示している。
 ヤコブの娘デナがヒビ人に陵辱され、その復讐のために、相手の部族に「全員、割礼をすれば結婚を許す」と持ちかけ、そのために化膿して苦しんでいるときにヤコブの息子たちはヒビの男たちをを襲い、皆殺しにした。

 まさに、ユダヤとは、こうした陰謀を行う者たちである。
 その末裔が、他人の住む土地を勝手に奪い、虐殺するイスラエル人であり、アメリカ特権階級なのである。
 アメリカの歴史は、侵略と虐殺の血塗られた歴史であった。

 コロンブスが勝手に「発見した」と称して、先住民を虐殺しながらポルトガル・スペイン人が植民地化していたアメリカ大陸に対し、イギリス清教徒たちが、旧権力の束縛、軛を逃れて自由の天地を目指した。
 しかし、その手段は、先住民たちへの殺戮に次ぐ殺戮、強奪であった。アメリカの歴史は、イスラエルとまったく同じ、勝手な移住と殺戮の正当化だったのだ。

 戦後、「共産主義の脅威から守る」と称して朝鮮やベトナムに軍事侵攻したが、実際にやったことは、何の罪もない民衆の大殺戮と軍需産業のニーズを生み出すための巨大な戦闘消耗、自国権益の確保だけであった。
 アメリカは、自国の若者と、被侵略国の民衆の命を犠牲にして、軍需産業のための巨大な消耗、つまりニーズを作り続けてきた。軍備が古くなったり、余ってくると、新たな侵略先をでっちあげて若者たちを送り込み、自国の貧しい若者たちの命をカネに替え続けてきたのだ。

 アメリカとは何だ? その正体は、フリーメーソンに組織された大金持ち、特権階級の利権を守るための国家システムに他ならない。

 この本質を見抜くことができるなら、そして、徹頭徹尾、金儲けの利権によって動いているアメリカ国家システムを知るならば、日米安保条約も同じように、アメリカの利権だけによって成立している事情が分かり、戦後、これまで沖縄や基地周辺住民が味わってきた苦渋の意味も理解できるはずだ。

 もう一度言う、日米安保条約は日本国民を絶対に守らない。守るのはアメリカの権益だけだ。
 これを維持するのは日本国民に対する究極の犯罪行為である。自民党が、それを行い、50年以上続いてきた。しかし民主党政権に変わっても安保を維持するという。
 このことは、つまり民主党政権もアメリカフリーメーソンの利権を擁護するという姿勢を示しているわけだ。
 それもそのはず、鳩山由紀夫首相こそは日本フリーメーソンの高位にある中心人物だからである。
 つまり、民主党も自民党と同様、フリーメーソン政権である。それもそのはず、「二大政党対立」政権交代システムは、フリーメーソンが考え出した政権安定策だからだ。

 筆者は、江戸期250年間、世界にも希な長期安定政権が成立した理由として、家康が構築した「二分化対立システム」の存在を挙げてきた。

 家康は、幕府創建当時、抵抗勢力となりそうな全国の組織を、どのように統治するか腐心し、結局、すべての組織を二分化し、対立させることで、幕府権力が、その調停者として君臨できることに気づいた。
 これは、家康が幼少期、今川家の人質として、太平記を学んでいたことが大きかっただろう。太平記は南北朝対立百年の記録であり、人々が二分化されて対立すると、どれほど深刻な対立が延々と続くか? 権力がトクをするかに気づいたわけだ。

 そこで、まず宗教軍事勢力であった修験道を、天台宗系と真言宗系に統一した。当時、出羽系や宇佐系など多数あったものを、すべて二分化統一し、互いに反目させたのである。
 13系統もあった神道は白川系と吉田系に二分化して対立させた。木地屋や大工の組織、奉行所から火消しまで同じようにさせた。
 これで対立させられた組織はいがみ合い、その調停のために幕府権力を必要とし、世界的にも希な安定政権が成立したという仕組みである。

 同じことをフリーメーソンはアメリカでやった。アメリカのすべての政治組織を民主党系と共和党系に二分化したのだ。これで、互いにいがみ合い、政権交代をさせることで、大衆の欲求不満を解消するシステムができあがった。

 これで、もうお分かりと思うが、同じシステムが日本政界に持ち込まれたのである。政界には自民党と民主党、いずれもフリーメーソンの操り人形だけがいる。社共市民勢力は排除されて矮小化し、消えてしまった。

 今回は、本題のセキュリティから逸脱したが、世の中の仕組みとは、このようなものだと読者に警告しておきたかった。anpo.jpg

セキュリティ社会 その6

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 セキュリティ社会 その6

 厳重なセキュリティを実施して、本当に安全になったのか? を、もう一度見つめ直してみよう。
 セキュリティというものは、本当はトクなのか、ソンなのか、どちらなのだろう? 行きすぎた対策による無駄、逆効果はないのか?
 我々が本当に必要とするセキュリティは、どのようなものか?

 セキュリティというものが、必ずしも我々の生活に寄与するばかりでなく、大きなトラブルを引き起こし、生活を不快にしているかもしれない。
 外部からの招かざる侵入者を排除しようとするあまり、内にいる人が愚かな間違い、失敗をすることを忘れてしまって、結局、自分自身を排除する結果に終わっているかもしれない。
 泥棒を一回くらいブロックしたかもしれないが、鍵を紛失した自分を百回ブロックしたかもしれない。
 セキュリティシステムにより、泥棒による損失の百倍深刻なダメージを蒙っていたかもしれない。鍵を壊して家に入ったために、泥棒被害の数十倍の修理代がかかったかもしれない。こんなことならセキュリティなど、ない方が良かったと・・・・

 現実問題として、家に鍵をかけなければ泥棒に入られて大事なモノを盗まれる可能性は小さくない。こうしてセキュリティ思想を攻撃する筆者だって、実は鍵をかけている。
 少額ではあるが盗まれる可能性のあるモノを所有しているからだ。本当に何もなければ、もちろん鍵など必要ない。しかし、盗人における価値観は不定であって、純金や預金通帳ばかりが盗む価値を持っているだけでなく、飢えた人にとっては一食分の弁当だって、十分に盗む価値のあるものだ。
 筆者宅では、高価な工具類は鍵のかかる部屋にしまってあるし、わずかなカネも目立たぬよう隠してある。食料まではブロックしていない。飢えているなら無断で食べなさい・・・。
 といいながら、この数年は、カラスやアライグマ・ハクビシン・ネズミからニワトリと卵を守るセキュリティに腐心しているのが実情だ。

 大切なことは「バランス」という視点であって、「盗まれる」という被害妄想に囚われて、必要以上のセキュリティを敷設すれば、それは生活の重荷になり、自分自身が迂闊さによって自分の家から排除される結果を招くのである。
 必要な視点は、生活の便利さを大切にし、無用の重装備セキュリティを作らないこと。バランスのとれた「必要にして十分」な準備をするにとどめることである。
 それでもセキュリティを突破されて被害が生じたなら、「やるべきはやった、やむをえない」と諦めるしかない。

 筆者は若い頃、単独での冬山登山やクライミングに凝っていたことがある。
 最初のころは、冬山の実態も知らず、どのくらい寒いのか? どのくらい危険なのか? どのくらい疲れるのか? などを手探りで体験を積み重ねた。
 秋山や春山から少しずつ慣らしていったつもりだが、それでも、はじめて厳冬期のアルプスに入山するときは緊張し、伝え聞いた遭難の恐怖に怯え、その対策に膨大な装備を持参し、重量に押しつぶされそうになって、「冬山とは、こんなに苛酷なものか」とうんざりし、登山が辛い苦行でしかなかった。

 ところが、若さに任せて何度も経験を積むうちに、体験する寒さの程度、それを克服できる装備や問題点も理解できるようになり、持参する荷物の量がどんどん減ってゆくことになった。
 最初、一泊二日で30キロ以上の荷物を背負っていたのに、数十回も冬山を経験すると半分程度の荷物になった。

 アイゼン・ピッケル・ワカンのような基本装備は、もちろん手を抜かないが、防寒着や燃料、食料などが減っていった。また、持参した装備を最大限に利用する知恵を身につけた。たとえば、マットの代わりにザックを利用するとか、すべての衣類・雨具を同時に着込むとかだ。
 やがて、三泊四日の厳冬期装備でも30キロに満たないほどになり、大型ザックが中型に変わった。テントはやめて、雪洞とツエルト利用に変わった。シュラフも持参せず、羽毛服とカバーだけでマイナス20度のなか寝られるようになった。この頃は、厳冬の名古屋の街をTシャツで闊歩していたぞ(^o^)。
 こうなればラクチン・ラクチン、冬山の素晴らしさを思いっきり謳歌できるようになった。スポーツの極意は「力を抜くこと」だ。冬山登山も、怖がらず、力を抜いて行えば、とても楽しいものである。

 このようにして、恐怖していた相手の正体が分かるにつれて、その対策も容易になり、どんどん無駄を省くことができるようになる。
 セキュリティ思想とは、冬山のサバイバルと同じである。まずは、守るべき自分と、襲ってくる相手を理解することができれば「百戦危うからず」、本当に必要な対策だけに絞り、軽快な余力を生み出すことができるのだ。

 こうした視点で、身の回りにある、あらゆるセキュリティを見直してゆきたい。過剰な恐怖心によって、無駄なことをしていないか? 恐怖心を煽る人たちが、セキュリティに名を借りて、勝手なことをしていないか?

 筆者のアイデアとしては、たとえば、家のセキュリティには、必ず分かりにくい弱点を作っておく。鍵をなくしたときのために、一カ所だけ鍵をかけない小窓を作り、黒いガムテープなどで偽装するとよい。筆者宅では、簡単に壊せるが復旧の簡単な窓を用意してある。
 盗まれて困るものは、それらしい目立つ場所に保管するのは避ける。厳重包装などで、簡単に分からないようにする。
 なお、筆者は天皇制反対主張などで「殺してやる」「燃してやる」という脅迫をたくさん受けているので、一応、監視カメラを複数設置してある。ダミーは目立つ場所に、ホンモノは絶対分からないように設置する。
 また、深夜襲われても困るのと、動物侵入対策を兼ねて、あちこちにセンサー警報機を置いてある。当地は熊やイノシシもいて、人間より動物が恐ろしい場所だから。

 これまで書いてきたように、筆者の命も財産も、とりたてて守るほどの値打ちもないから、一応、簡単なセキュリティを設置してあるものの、基本的には、盗まれたり殺されたりすることを覚悟し、仕方ないと諦めることしかない。
 しかし、カネをたくさん所有している人は、盗まれる恐怖に苛まれて重装備に押しつぶされる人生を歩まねばならず、とても気の毒だ・・・・ガハハハハ

 さて、筆者がセキュリティ社会について書いている本当の狙いは、もちろん泥棒対策ではない。
 セキュリティを口実に、人々の連帯を破壊し、人間不信をもたらすような社会常識に警鐘を鳴らすこと、それに国家や会社などの組織のセキュリティについては、「誰から何を守るのか?」 はっきりさせる必要があるからだ。

 たとえば、警察・検察・自衛隊・アメリカ軍あるいは消防・役場などを考えてゆくと、この組織の本当の狙いは、「民衆の生活を守る」というタテマエでありながら、実際には、民衆から権力者を守るためだけに機能していると思うしかないものが存在している。

 このところ検察による鳩山・小沢など民主党攻撃を見ていると、権力を利用して、民主党政権を破壊しようとする政治目的、国策捜査を行っているとしか思えない理不尽さを感じる。
 検察の権力意識、傲慢さは今に始まったことではないが、「官僚制度による予算の無駄を省き、官僚による政治支配をやめさせる」という民主党政策に対し、全官僚の代表として、その司法権力を使って政権に真っ向から喧嘩を売っているとしか思えず、結局、検察を任命してきたのが前政権、自民党であることを思えば、検察が自民党と官僚社会の復権を狙った政治弾圧を行っていると判断すべきだろう。

 なお筆者は、以前から、東京高検などの検事が統一協会の影響を強く受けているという情報を得ている。中曽根政権時代に、統一協会原理研の学生たちが、政権のコネを利用して大量にキャリア幹部候補生として司法界に入り込み、30年近く経て、当時の学生が今、警察・検察・司法の幹部クラスに収まっているようだから、こうした自民党復権を目指した民主党弾圧も当然の帰結であろう。

 警察・検察・裁判所の司法は、日本国民のセキュリティシステムの要に位置するわけだが、そのなかに統一協会(文鮮明・正力松太郎・岸信介らが発起人になった国際勝共連合)系人脈がいるとすれば、日本司法のセキュリティとは、民衆の権利と安全を守るためのものでは決してなく、国家権力と反共政治体制、それに統一協会を支える巨大軍産企業を、国民の怒りから守るためのものであると考えるしかない。

 すなわち、司法は、国民の権利と安全を守るフリをしながら、実際に守っているものは権力であり、官僚たちのや巨大企業の利権なのである。
 誰から守るのか? といえば、我々から守るわけだ。末端の交番に勤務する「おまわりさん」のなかには、親身になって国民の安全を守ろうと日夜努力している人がたくさんいるのは事実だ。
 しかし、その警官を束ね、命令する最高権力は、実は、セキュリティの名を借りながら官僚利権と大企業だけを守ろうとしているのである。
 今回の、東京地検特捜部による民主党政権弾圧は、まさに、その本質、正体をあからさまに、我々に見せている。

 今回、本当に書きたかったのは、実は日米安保条約だ。しかし紙数の都合で、またもや核心部分を次回に延ばすしかない。
 日米安保条約は「他国の侵略から日本の安全を守る」という名目で実施されている。
 だが、アメリカだって自国利益最優先の国是であり、自分たちのトクにならないことをやるはずがない。「世界平和のためにタダで他国の防衛を引き受けている」なんてオメデタイことを考えてはいけない。
 アメリカの本当の狙い、安保条約による権益とは何なのか?

 第一に、日本を守ると見せかけて、本当の狙いは、日本をアメリカの植民地とすることである。
 その証拠に、駐留米軍が、戦後65年間、日本人を他国から守った事実は皆無である。しかし、日本人の権利を侵し、苦しめたことは無数にあり、とりわけ沖縄など基地周辺の人々に多大な被害を与えてきた。
 もし、米軍が本当に「日本を守る」つもりであったなら、ソ連・ロシア・北朝鮮・韓国などによる数多くの漁船拉致、没収、誘拐拉致などが起きているはずはない。
 日本における、こうした他国の侵害行為は、ほとんどの場合、米軍が掌握しており、その気になれば、いくらでも出動して阻止することができた。しかし、それを一度として実行したことはなく、日本人民を守ったことはない。

 それどころか、米兵による犯罪ばかりか、えひめ丸事件のように事故によって多数の日本人を殺傷しており、日航123墜落事故の真相も、米軍によるミサイル誤射だったという確度の高い情報が知られ始めている。
 どうしてこうなるか? といえば、在日駐留米軍は、元々、日本を守る意志などさらさらないからである。
 米軍が守るのはアメリカの権益利権だけであって、日本人民の権利や安全を守るなどという屁理屈は、自民党の捏造したウソ八百であり、それが、どれほど欺瞞と捏造に満ちたインチキだったかは、最近明らかになった「核持ち込み密約」の暴露によっても明らかである。

 アメリカ政府は、自国の権益を守るために平然と他国を侵略し、莫大な人々の命を平気で奪う国なのである。
 911テロを口実に、イラクの石油利権を求めて、アフガンやイラクに侵攻し、アメリカ兵と民衆、数百万人を地獄に堕とし、その命を奪い続けている。
 ロックフェラー系列の軍産企業、ベクテルやモンサントを儲けさせるために、枯葉剤、ダイオキシンをベトナムに大量に撒布し、未だに凄まじい被害が出続けている。

 これらは、「共産主義の脅威・テロの脅威」から守るために、行われた。
 いったい誰から? いったい誰を守ろうというのか?
 アメリカは、莫大なカネを投じて、いったい何を守ろうとしているのか?
 
  

セキュリティ社会 その5


 セキュリティ社会 その5

 セキュリティ社会の本当の意味を理解するためには、セキュリティを必要とする者が決して社会の全員ではないという真実を知る必要がある。
 社会の誰がセキュリティを必要とし、誰が必要としないのか?
 先に結論を言ってしまえば、セキュリティの必要な者は、セキュリティによって「守るべきもの」を「所有」する者だけなのである。それがない者にとって、どのようなセキュリティが必要だというのか?

 パソコンを例にとってみよう。
 先にパソコンのCPU速度が千倍になったのに、実用速度はあまり変わっていないという話をした。その理由は、ウイルスチェックなどセキュリティシステムが極端に大きく重くなったためである。
 本当ならば、我々は草創期の千倍のスピードでパソコンを利用することができるはずなのに、多くの人にとって不要無用のクソ重たいセキュリティシステムを押しつけられて、草創期と変わらないほど、ときには、それ以上に遅い実用性能に、煮えくりかえるような思いを我慢させられている。
 いったい誰のための、何のためのセキュリティなのか?

 それは、悪意や悪戯でデータを破壊されたり、「トロイの木馬」に侵入されて、データを盗まれない対策を必要とする人たちの要求であった。
 だが考えてごらん。パソコンで資産運用やクレジットなどを扱わない限りは、イタズラに対処すれば十分なわけだから、今のウィンドウズの資産運用セキュリティシステムは面倒で、邪魔で、余計なガラクタ以外の何ものでもないのだ。

 イタズラでシステムを壊されても、昔のパソコンはROMベースだったから、立ち上げ直すだけで復旧した。しかし、今は金儲けに直結したデータを盗まれたり、破壊されるわけにはいかないから、外部から侵入されないよう壮大な防御システムが設置されている。
 それでも、それを突破しようとするハッカーとイタチごっこで、いつまでたっても「安全で早いパソコン」は実現しないのだ。筆者が利用しているVISTAも購入当初から比べるとセキュリティが数倍重くなったために、初期メモリでは間に合わないほどだ。
 普段使っていても、突如、意志に反して勝手にダウンロードを始め、警告に気づかないうちに再起動されてしまい、パソコンをぶち壊したくなることもしばしばだ。
 守るべき資産を持たない我々がパソコンを利用しようとするとき、今のウィンドウズは、容易に異なるソフトで同じファイルを認識し、扱うことさえできない。よくも、こんな欠陥品を高値で売りつけているものだとマイクロソフトのセキュリティ思想に激怒するしかないが、これこそ、その本質を如実に示しているのである。一方で、マイクロソフトOSには、所有者データを統一的に収集管理しているという噂がつきまとっていることも覚えておきたい。

 ウインドウズ・セキュリティシステムの本質は、他人との区別、差別であり、人間疎外である。それは「他人を絶対に信用しない!」という人間不信の姿勢に貫かれている。自分の姿を徹底的に隠し、自分のデータ、資産を犯されないためのシステムを確立しようとしている。
 「自分のことを絶対に他人に教えない」
 これが、パソコンに限らず、セキュリティシステムに共通する本質であり、それを信奉するアメリカ国家や資本主義体制が世界人民に強要している根源的なモラルである。それは人間社会を人間不信の思想で塗りつぶすものだ。

 セキュリティ思想が、なぜ必要なのか? それは、他人が自分の利益を奪うという強迫観念を前提としているからだ。それは「他人は敵である」との基本哲学から出発している。
 だが、筆者が幼児少年として育った50年前の貧しい日本の街角では、人はもっと優しいものだった。他人を恐れる人など滅多にいなかった。

 道で倒れている人がいれば、みんなで寄ってたかって心配し、救急車を呼び、夫婦喧嘩で追い出された隣の女房がいれば、親身になって泊めてやって、横暴な旦那に対し、町内をあげて糾弾の談判をしたものだ。
 自分が食えなくとも、飢えた人に食事を提供する人だって珍しくもなかった。
 みんな他人のことを知り、噂し、深く同情し、連帯し、一緒に助け合って生きている実感を抱いていた。そこには人間疎外はなく、人間不信もなかった。
 他人を深く知り、自分と一体で生きているということを理解することが、人生の喜び、生きる希望を与えてくれたのだ。他人の情報を知るということこそ、生きるための第一歩であった。

 朝起きて玄関を出れば、隣人の暖かい笑顔があった。だから家の鍵さえ必要なかった。セキュリティなんて、愚かな、つまらない思想も必要なかったのである。
 当時、確かに泥棒もいた。だから鍵もあった。だが泥棒に入られるより、隣人との交際に鍵をかけることを恐れた人の方が多かった。鍵が普及したのは、「三種の神器」家電製品の普及と同じ時期だった。
 セキュリティは「守るもの」と同時に成立したのである。

 読者は、信頼している人物が、自分のことを決して教えようとしないなら、どのような気分になるだろう?
 とても空しい、寂しい気分になって、「自分が信頼されていない」と悲しくなるだろう。
 逆に考えてみよう、人を愛するということ、信頼するということの前提は、まず言葉を交わし、「他人を知る」というところから始まるのだ。そこから交際が出発し、愛が育まれるのである。
 その逆、「教えない」ということは、愛と信頼の関係を拒絶するということであり、敵対宣言なのである。
 「人に自分を教えない社会」これがセキュリティ社会である。ということは、すなわち、人間同士を敵対させる社会を意味している。人が孤立し、愛が破壊される社会を意味しているのである。
 セキュリティは人間関係の根底を破壊する。人を愛するということは、人を知るということであり、自分を見せるということである。それを拒否する思想は、人間関係を孤立させ、破壊する思想である。

 こうしたセキュリティ社会が誰に何をもたらしたのか?
 我々は、はっきりと見ておかなければならない。
 セキュリティ社会でトクをする者がいる。人間同士の愛が破壊されて儲かる者たちがいる。逆に言えば、人が敵対意識を持たないようになると困る一群の人々がいある。
 人が周囲をすべて敵と認識し、人間不信に陥って権力の庇護を要求し、利己主義の権化となって金儲け蓄財だけに邁進することで、いったい誰がトクをしているのか?
 このことこそが、セキュリティ社会の本質を見抜くための基礎知識である。このことこそ、現代人間社会の根底に仕掛けられた罠を見抜く唯一の視点である。

 別の角度から見てみよう。
 我々、日本列島に住む者、「日本人」は、戦後、日米安保条約により「安全」が守られてきたと信じている者が多い。
 「日本列島はロシア(ソ連)・中国・北朝鮮などから絶えず狙われていて、もし米軍が駐留していなければ、たちどころに軍事侵攻されて侵略併合されてしまう」
 という認識が当然であると見なされてきた。
 この立場こそ戦後、自民党が政権を超長期にわたって維持し、日本をコンクリートで固め、巨大な借金に押しつぶしてきた根底にある前提であった。

 「日本を『共産主義の脅威』から守ってくれるセキュリティシステムのアメリカ」
 この認識によって、日本がアメリカに支払ってきた経費は、戦後、おそらく1000兆円にも上るだろう。国民の得るべきカネの半分近くがアメリカに供与されてきた。
 多くは米国債購入だが、その米国債はアメリカの5000兆円の借金と相殺されて紙屑になる宿命が約束されているわけだから、結果としてタダであげたに等しいのである。

 だが、戦後65年間、アメリカが、主に沖縄人民の犠牲の上に巨大な米軍を駐留させ、それによって日本人民の利益を守った事実が一度でも存在したのか?
 皆無である。逆に、アメリカの戦後侵略戦争の基地として機能してきた。
 朝鮮戦争とベトナム戦争のもっとも重要な出撃基地であり、アフガン・イラク戦争の拠点としても機能してきた。
 自民党は「日本国内の米軍基地が他国への抑止力として働いてきた」と強弁しているが、決してそうではない。
 米軍駐留の真の狙いは、日本国内における社会主義運動の高揚を軍事的に圧殺する目的であり、日本政権が左傾化したときに、それを軍事的に恫喝し、実力で圧殺するための監視機能に他ならなかったのである。

 米軍の軍事的機能や経費の合理化などの視点からは、すでに20年も前からグアム島基地集約論が提起されていて、実際に米軍は、グアムへの一括集約機能を着々と準備してきた。普天間基地は、とっくに整理してグアムに移転させる計画が知られていたのである。
http://www.city.ginowan.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/091126_mayor_5.pdf
 それでは、稀少珊瑚やジュゴンの生息する海を大規模に埋め立てて「辺野古基地を早急に実現せよ」と、ごねている米軍の姿勢は何なのか? これは沖縄における米軍利権を日本政府に高く買い取らせるための陰謀策略以外のものではない。

 この事情の背景には、日米安保条約の恐るべき真意が隠されていた。沖縄は日本政府を監視するための基地であるとともに、日本の利権、資源を横取りするための基地でもあった。
 昨年、オバマ政権誕生までは、ジョゼフ・ナイという人物が日本大使に任命される予定だったが、オバマはナイを退け友人のジョン・ルースを赴任させた。
 ところが、このナイという人物こそ、戦後、アメリカの利権を代表した戦後対日軍事戦略の核心にいる人物であった。
 彼は、かつて国防次官補として通称「ナイ・イニシアティヴ」と呼ばれる「東アジア戦略報告(EASR)」を作成したが、そのなかで、尖閣諸島に眠るサウジアラビア級の原油資源をアメリカが横取りするために、日中戦争を誘導させよと進言していたのである。
http://www.asyura2.com/09/senkyo57/msg/559.html

 今、民主党政権が米軍をグアム集約させると決定していながら、沖縄から撤退しない本当の理由が、ここに書かれていた。
 それは、日米安保条約の根幹に関わる真実であり、「日本を『共産主義の脅威』から守っていると見せかけて、実際には、日本政権の左傾化を監視、弾圧し、対アジア軍事戦略の拠点として利用し、さらに日本の資源を横取りすることが目的であることを示していたのである。

 紙数が長くなりすぎるので、これは別項で書くことにしよう。
 問題は、こうしたセキュリティの思想は、本当に人を守るというものでは決してなく、ある特定の目的のための口実として利用されるという真実を知っておく必要があるのだ。

 セキュリティ社会が、本当はいったい何の目的で人間社会を拘束しているのか? これを明確に分析し、その正体を見抜いておかねばならない。

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セキュリティ社会 その4

 セキュリティ社会 その4

 ニュースから
 【電車内の痴漢事件、愛知県職員に無罪 名古屋地裁判決:: 電車内で痴漢行為をしたとして、愛知県迷惑防止条例違反罪に問われた同県産業労働部労働福祉課主幹、岡野善紀被告(52)の判決公判が18日、名古屋地裁であった。伊藤納裁判長は「脚の接触はあったが、故意とは認められない」などとして、無罪(求刑罰金50万円)を言い渡した。岡野主幹は逮捕段階から一貫して無罪を主張。物的証拠がなく、被害女性と目撃男性の証言の信用性が争点だった。
 伊藤裁判長は被害者らの証言の信用性について「慎重な吟味が必要」と指摘。被害女性が、以前にも岡野主幹から痴漢にあったと主張した点について「(女性の)供述はあいまい。十分確認しないまま、誤認した可能性がある」と述べた。】

 電車内で痴漢を働いたとして逮捕され、身に覚えのない罪で、証拠もないまま有罪にされて実刑や高額の罰金刑になるケースが後を絶たないが、この数年、司法もやっと、痴漢事件の多くが冤罪である現実に気づきはじめているようだ。
 それは、司法関係者が見下してきた一般大衆だけでなく、司法に携わるレベルの大学教授まで冤罪の餌食になっている現実に、さすがに危機感を抱くしかないからだろう。そのうち、本当に裁判官・検察官が痴漢で逮捕されるかもしれない。
 この二年、痴漢行為で起訴されて無罪になるケースが30件にも達しているとされる。

 日本の検察官は強烈な特権意識・エリート意識を持っていて、自分たちは天与の監督者で、国民は愚かな犯罪者集団と思いこんでいる。
 どんな手を使ってでも(脅してウソの自白をさせてでも)「隙あらば有罪に持ち込んで、刑務所にぶち込んでやる」とする傲慢な強権姿勢が顕著だった。
 だが、志布志事件・足利事件・富山事件など、低俗な手口の捏造冤罪が続々と明るみに出されると、「検察の正義」とやらが、軽薄なメンツのための捏造、デタラメであったことに気づく人が増えている。
 「自分たちを追い回す犬の正体がやっと分かったか、羊たちよ」 というところだ。
 今起きている民主党、小沢資金問題でも、本来なら立件さえしないような微罪で逮捕、起訴に持ち込んでいる検察が、結局、官僚の利権を代表して、自民党復権に加担する政治目的での弾圧を行っていると自ら暴露しているようなもので、やがて必ず窮地に追い込まれることになるだろう。

 さて、痴漢冤罪の理由だが、痴漢被害者として告発者になる女性のなかに、全員とは言わないが、被害妄想傾向の強い人が多いと以前から指摘されていた。
 女性のなかには非常に思いこみの強い人がいて、一度でも痴漢被害を受けた女性は、次に痴漢に遭ったとき、ヒステリーを起こして、相手をきちんと確かめずに目の前にいただけの人に罪をかぶせることが多いようだ。
 筆者も、知人の著名女性から似たような目に遭った経験が何度もあるので、女性特有の感情的激昂が、理性的な判断に蓋をしてしまう事実を思い知らされている。女性(多くの短絡的男性もだが)は怒ると目が見えなくなるのだ。
 無罪判決を出した裁判官も、あるいは女性の思いこみヒステリーの被害者だったのかもしれない。

 さて、この思いこみの被害妄想、感情的激昂が人の目を曇らせる現実、これが問題だ。
 女性に限られた特徴かと思いきや、とんでもない。世界一激しい思いこみの被害妄想狂・加害者は国家である。それも、アメリカやロシアのような大国ほどだ。
 世界中の国家が、激しい思いこみと被害妄想に突き動かされて、罪なき人を罪に陥れ、善良な市民を犯罪者にでっちあげ、敵意のない生活民衆をテロリストに仕立て上げ、これでもかと弾圧し、殺しまくっているのである。
 アメリカは、幻のビンラディンとアルカイダを求めて、アフガン・パキスタンに侵入し、数百万の罪なき民衆を殺しまくり、土地を破壊しまくっているのだ。

 数日前、アメリカFBIが911テロ首謀者ビンラディンの顔写真をスペイン議員の写真から捏造していた事実が発覚して世界に報道された。

 【ビンラディン容疑者写真、別人の顔借用 1月18日20時3分配信 TBS
 90年代ごろに撮影されたウサマ・ビンラディン容疑者。このころは髪の毛も髭も真っ黒でした。では、今はどんな顔をしているのでしょうか。 アメリカのFBI=連邦捜査局は、今回新たに最近のビンラディン容疑者の姿を予想して、合成写真を公表しました。髪も髭も白髪が多くなり、しわが増えたビンラディン容疑者。 ところが、これは全く別の人物の写真をもとに作られたことが明らかになりました。
 「最初は信じられなかった。冗談かと思いました」(顔写真を使われたガスパル・リャマサレス議員) 勝手に顔写真を使われたのは、反米で知られる、スペインのガスパル・リャマサレス議員。彼の選挙ポスターの写真が無断で使われたといいます。 「(当局からは)何の説明もありませんよ。ビンラディンに危険は及ばないけど私の身は危険ですよ」(リャマサレス議員)
 FBIは、「適当な素材がなかったため、インターネットで検索して見つけた写真を使った」と無断借用を認めました。怒りが収まらないリャマサレス議員は、アメリカ政府に対し訴訟も辞さない構えです。(18日19:10)】

 このニュースの意味するところに気づいた人は、国家の被害妄想が利権によって成立している本質を知っている人である。
 ビンラディンは、実は、911テロのときに、すでに重度の腎不全を患い、余命いくばくもないと報道されていたのだ。それが、なぜか未だに生き延びていることにされている。
 あのアメリカが、世界最大の軍隊、国家機能の全力を尽くして、おそらく数兆円の予算を費やして全世界にスパイ網を拡大して追って、ただ一人の重要人物を発見できないわけがないだろう。

 このニュースは、FBIの似顔絵担当者は、ビンラディンがとっくに死んでいることを百も承知であることを示しているのである。
 でなければ、どうして安易にネット上の写真など使うものか。これが理解できない人は、完全な権力の洗脳にあって、思考力も失った人間家畜だけだ。

 それでは、なぜ、「死せるビンラディン」が「生けるアメリカ」を走らせているのか?
 それは、アフガンとイラクでのテロとアメリカ軍の進駐、殺戮がアメリカ軍産複合体のメシの種になっているからである!
 すでにアメリカはベトナム戦争に注ぎ込んだ全費用の数十倍もの国費を不毛な民衆大殺戮に使っている。これも「ビンラディンやアルカイダの恐怖」があればこそであって、ビンラディンを簡単に死なせるわけにはいかないのである。

 ビンラディンどころか、アメリカが仇敵として付け狙うアルカイダというグループさえ、実は存在しない架空のものである事実が続々と暴露されている。
 http://tanakanews.com/f0818terror.htm
 http://www.nbbk.sakura.ne.jp/911/zn/014.html
 実はビンラディンも911テロのときに、すでに死亡していた可能性さえ指摘されている。これまでメディアに登場していた人物は、すべてCIAがでっち上げた替え玉だというのだ。でなければ、アメリカが総力をあげて発見できないはずがない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3
 【1990年代はじめにウサーマのテープを翻訳した経験のあるMUJCA-Netの主催者ケヴィン・バレット (Kevin Barrett) の見解では、2001年以降に発表された多くの「ビン=ラーディンだ」といわれるテープは偽物であり、CIAが「本物だ」と断定した2002年秋に発表されたテープも、スイスにあるIDIAP研究所が声の分析をした結果は「替え玉による録音だった」という。こうしたテープは、ブッシュ政権が色々な批判を浴びている状況下で報道に出てくることが多く、ブッシュ政権に都合の悪いことを隠すための煙幕だと解釈する人もいる[誰?]。テープ自体は頻繁に出されている。】

 これらの情報が真実であるとすれば、アメリカは幻のビンラディンとアルカイダを恐怖し、過去10年間に300兆円の国費を投入してきたことの意味が浮き彫りになるであろう。
 投じられた300兆円によって、アフガン・イラク民衆に地獄の大殺戮をもたらしたが、一方で、アメリカ国家を牛耳る死の商人たち、たとえば、チェイニーの経営するハリバートン社や、ベクテル社、デュポンなどロックフェラー系列の軍産複合体に膨大な利益をもたらし続けている。
 たった今も、ベクテルの提供した無人偵察爆撃機が、パキスタンのありもしない「アルカイダ」拠点を爆撃し、何の罪もない民衆を殺戮し、「資金源のケシ畑を破壊する」と称して大地をモンサントの極悪除草剤で壊滅させ続けているのだ。

 アメリカは世界最大のセキュリティ社会である。その警備システムを担うのは世界最大の実力を持つアメリカ軍である。
 セキュリティシステムによって、「アメリカ人の自由と財産を守るため」、CIAによって、ありもしないアルカイダがでっちあげられ、とっくに死んだビンラディンが生かされ続けている。

 アメリカは、民衆を恐怖で洗脳し、「正義」をでっちあげ、かつては「共産主義の脅威」から守るため、そして共産主義が崩壊、自滅すれば、今度は「テロの脅威」からアメリカの財産を守るため、という名目で、若者たちを戦争に駆り出し、イラク・アフガン戦争で失われたアメリカ兵の命も5000名を突破した。

 一般民衆の犠牲者は数百万人と指摘されている。
 無差別殺戮によって民衆の憎悪を煽り、普通の民衆がアメリカ軍に抵抗し怒ることで、これを「アルカイダの攻撃」と決めつけ、ますます無差別殺戮を拡大しているのである。
 こうして、戦争が激しさを増し、武器弾薬が消耗されるほどに、ロックフェラーとロスチャイルドの支配する「死の商人たち」軍産複合体は笑いが止まらない。

 これが「テロとの戦争」の正体だ!
 これがセキュリティ社会の正体だ!
 人を恐怖し、人を追いつめ、暴走させ、そして破壊する。セキュリティという美化を行いながら、人間社会を根底から破壊する奴らを許すな!

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セキュリティ社会 その3

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 危機の妄想

 「セキュリティ」という思想は、どのように社会に登場したのか?

 人間の暮らす環境は、あらゆる危険に満ちている。「地震・雷・火事・親父」、天災に人災、事故・強盗・戦争・陰謀・ストーカー・詐欺・誤謬・強欲と、我々は生まれてから死ぬまで身の危険を感じ続けて生き続けなければならない。
 この意味で、人生は、まさしくサバイバルゲームだ。だから、セキュリティという思想が、人間社会の根幹に大きく根付くのもやむをえないかもしれない。

 だが一方で、セキュリティという考え方は、「人間が悪意を持って自分を襲う」という前提で、「自分の身を守る対策を講じる」という姿勢であって、人を「性悪説」に押し込めるものである。
 それは、人間社会と、その未来に対する明るい希望を曇らせるものであり、人を人間不信の絶望に閉ざすものでもある。
 そこには、「なぜ自分が襲われるのか?」という視点は問題にされず、「襲われる前に、そうならないよう問題を解決する」という視点も存在しない。「襲われる」という恐怖だけが勝手に一人歩きしているのだ。
 恐怖だけを問題にするならば、「人は悪さをするものだ」と決めつける、偏狭で矮小な思想、人に対して心を開けない頑なな人を、たくさん生み出してゆくことになる。

 世界には、「人は悪さをするものだ」と決めつけ、「だから悪さをした人間を見せしめに懲らしめることが必要だ」と、予防的制裁の思想を人生観・世界観の基礎に置いている人たちがたくさんいる。
 イスラム教・ユダヤ教・キリスト教・儒教などでは、民族ぐるみ、国ぐるみで、制裁の思想を人々に強要しているのが現実だ。

 宗教の本質は「戒律」にあり、人の自由な意志、行動を、ある特定の目的のために制限する機能がある。人類史を顧みるならば、宗教の本当の目的は、人民の幸福とは相容れない、政治・支配体制の正当化、維持にあることが分かる。
 だから、宗教の多くは、人の自由に寛容ではなく、政治目的に障害となる要素を取り除くために、信仰者を刑罰の恐怖で縛り付けるものが多いのである。

 たとえば、旧約聖書を信奉するユダヤ教・イスラム教・キリスト教では、旧約に記されている通り、女性が自由に生きることを極端に嫌う傾向があり、男性にとって好ましからざる行動を女性がとれば、ただちに残酷な報復、制裁を行って殺害してしまうことが多い。
 とりわけイスラム教では、いまだに男性の束縛から離れて、自由な恋愛を求めた女性を敵視し、親の定めた結婚をせず、自由意志で恋愛しただけで、土に埋められて投石で殺害されるケースが後を絶たない。
 これは、主に、女性たちに対する見せしめであって、恐怖で人間を縛ろうとする矮小卑劣な姿勢というしかない。こんなものは人間の尊厳に敵対する愚劣な思想である。人の勇気を辱め、誇りを奪うものだ。イスラム的制裁思想は、人間として断じて許し難いものだ。
 
 なんで、こんな残酷なことをするかといえば、女性が男性の意志を無視して自由に性交し、父親の特定できない子を産むとすれば、男性が自分の子を特定して、その権力や財産を相続させるという男性権力社会→王権→イスラム家父長社会の倫理的基礎が崩壊してしまうからである。
 こうして、イスラム圏全体では、女性に対する愚かで不当な制裁、虐殺が年間、数万人~数百万人にも上っていると指摘されている。
 女性の自由な性欲を封じ込めるための「割礼」により性器を縫合された結果、妊娠・出産による裂傷感染で死亡してしまう深刻な事態も、北アフリカを中心に想像以上に多発している。
 http://www.asyura.com/0505/holocaust2/msg/394.html

 旧約聖書が、なぜ女性の性的自由を敵視するかといえば、それは男性支配権力を維持するために作られた思想宗教だからである。
 女性が社会の主人公になるのは好ましくないという思想は、社会全体に救いのない差別と対立の連鎖構造を定着させることになる。
 差別は人間にとって耐え難い屈辱感を与える。差別・侮辱された人は、その悔しさを他人に対する逆差別・蔑視で置き換えることが多い。だから差別は連鎖し、ネズミのように際限なく増殖を始めるのである。
 女性差別の結果、その次に社会の底辺にいる人々を差別するようになり、主人公にさせないようにする。すると彼らも、また新しい差別を作り出す。次々に差別を連鎖的・重層的に構造化することで、人々の連帯感情を奪い、階級・階層間の孤立反目をもたらしてゆくのである。
 こうした差別対立の増殖は、支配階級を利するもので、支配者にとって、これほど都合のよいものはない。
 一番トクをするのは、差別の一番上にいる支配階級ということになる。だから旧約の思想は、そうした支配階級トップによって生み出されたものであることが分かる。

 このように、権力者の利益を守るため、人と人との自由な連帯を疎外する思想体制は、本来人間に備わった自由、連帯、愛の思想を抑圧して成立するわけで、必ず、反体制思想を生み出すことになり、それを、さらに激しい残酷な権力で弾圧するという負の連鎖を生み出すことになる。
 体制は暴力で民衆を弾圧するようになり、恐怖によって萎縮させ、体制の物言わぬ家畜にしてしまうおうと考えるから、残酷な刑罰、死刑制度を作り出すのである。

 こうした懲罰・制裁を国是とする差別国家の共通点は「死刑制度」が生きていることだ。死刑制度の有無は、その国家の自由、民主、愛、人間解放のバロメータであり、人間の尊厳を計る物差しである。
 死刑制度の堅持されているアメリカや中国、日本のような国家では、人間が解放されていない、つまり家畜として扱われている社会なのである。そこには、人の勇気、愛情、誇りを大切にする尊厳思想は存在しない。
 こうした国家では、「人が間違いを犯す弱い愚かな存在である」という大前提に考慮が払われることはなく、愛情をもって人を育てるという「優しさ」の視点もなく、ただ、国家に都合の悪い結果をもたらした者は、厳罰に処し、その命を奪い、国民を恐怖で統制しようとするのである。

 そうした国家を支えている官僚やトップの連中は、国家の利益に適うか、あるいは敵対するかという尺度だけで民衆を見るわけで、間違いや失敗に対しては、制裁・報復によってでしか報いることはない。
 支配体制に貢献した者に対しては、「名誉」という一番安上がりなレッテルを貼ってすませようとするだけだ。

 だから、支配者は「人は国家に敵対する」という「性悪説」だけに支配されることになる。これこそ「セキュリティ」という愚かな思想を生み出した本質というべきである。

 「セキュリティの思想」は、このように、底辺の人たちに対する愛情が根源的に欠落した者たち、つまり、「国家、あるいは、国家システムによって利益を受ける立場の人が、利益を守るために、人の間違いを制裁する」という発想によって生み出されるのである。
 セキュリティを本当に必要とする人は、「人が自分を攻撃する」という被害妄想に囚われた人たちである。すなわち、人を攻撃に駆り立てさせるような理不尽な扱いを強いている張本人たちなのである。

 逆に考えれば、金持ちや役人たちに家畜のように使われ、飼育され、骨まで利用される立場の民衆にとって、セキュリティなど自分たちの怒りから金持ちや役人を守るためのものでしかない。
 貧しい人民にとって、セキュリティなど何の役に立つのか? 盗まれるものもない。これ以上、奪われるものもない。すなわち守るもののない民衆にセキュリティなど何の必要があろうか?

 セキュリティが必要な人たちは、「持てる人たち」だけだ。財産と権力、地位を持ち、それを公平に分配してほしいと望む人たちから隠し、守り抜くためのシステムがセキュリティなのである。
 
 ここで、「セキュリティ」というものが、民衆にとっては、何の役にも立たない無用の長物であっても、実は、国家における特定の階級の利益を守るために必要なシステムであるという本質が浮き彫りになる。
 この世に存在するセキュリティシステムの意味をもう一度考えていただきたい。
 セキュリティ・システムが、本当にあなたの生活を守ったことがあるのか?
 いったい誰から、いったい何を守ったというのか?
 あなたの家のセキュリティが、あなたの財産を泥棒から守ったというのだろうか? これは、セキュリティ思想信奉者が一番強調したい視点だろう。だが、よく考えてごらん。

 日本人、一般市民が、これほどまでにセキュリティを問題にするようになったのは、1960年代あたりだろう。
 それまで、貧しかった市井の家々には鍵を必要としない時代さえあった。泥棒が入っても、金目のものなどなかったからだ。人々は、地位や財産に頼って生きていたのではなく、一緒に住んでいた地域の仲間の人情に支えられて生きていたのだ。人情に鍵は必要ないのである。

 だが、そんな貧しかった時代から、日本の高度成長によって豊かになって行くにつれて、人々は、財産や地位を得ていった。
 人情は失われ、連帯も失われ、人々は互いを羨み、侮蔑し、孤立化していった。泥棒から守るべきものを所有するようになっていった。そうして、人が自分の財産を奪うのではと恐れるようになり、セキュリティが必要になったのだ。

 よく考えてもらいたい。泥棒のいない社会にセキュリティは必要か? 守るべき財産のない社会にセキュリティは必要か?
 そこに住むみんなが家族や兄弟のような愛情、連帯感に支えられている社会に、「他人に奪われる」という恐怖が存在するのか?
 どんなセキュリティが必要とされるというのか?

 アメリカという世界最大のセキュリティ国家は、戦後、「共産主義の脅威」なる危機意識をでっちあげた。
 「共産主義者が自由で豊かなアメリカを襲う」という巨大な危機意識を宣伝し、これを錦の御旗にして、朝鮮を侵略し、ベトナムを侵略し、数百万人の人たちを虐殺していった。
 我々は911テロ以降、同じような錦の御旗、セキュリティを掲げたアメリカが、「テロの脅威から国家を守れ」というスローガンの元、民衆の自由、権利、民主主義を拘束し、破壊し、人々の命を虫けらのように奪ってゆく姿を目撃してきた。

 「イラクは大量破壊兵器を所有し、人類を大虐殺しようとしている」
 とブッシュが高らかに演説し、アフガンやイラクに進軍し、大規模な軍事攻撃を仕掛けた。
 これによって、貧しい民衆から徴兵されたアメリカ兵も5000名の命を奪われ、イラクやアフガンでは、100万人をはるかに超える命が奪われていったではないか?

 それでは、全世界に宣伝した「大量破壊兵器」は、どこにあったのか?
 これこそ、アメリカ流セキュリティ思想の本質を余すところなく示しているではないか!

セキュリティ社会 その2

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 おびえる子供たち

 筆者が7年前に中津川市蛭川に移り住んで驚いたことが、いくつかあった。
 一番びっくりしたのは、散歩中、道で出会う子供たちの大部分が、見ず知らずの私に向かって、「こんにちわ」 と挨拶するのだ。
 これは、当たり前だと思うなかれ、新鮮なカルチャーショックだった。
 いい年をしたオッサンの私でも、どぎまぎしながら挨拶を返すことになったが、人を恐れない子供たちの明るく素直な表情を見ていると、暖かい安心感と未来への希望が満ちてくるのである。

 それまで20年以上住んだ名古屋市内の公団アパートでは、エレベータに子供が乗り合わせたとき、挨拶どころか、危険な浮浪者にでも見えたのか、私を見て恐れ、脅えたような緊張した表情を見せて、扉が開けば一目散に駆け出すような具合だった。
 ついぞ都会で、見知らぬ大人に対する子供たちの無邪気な人なつこい笑顔など見たこともなく、もちろん親たちも一人暮らしの得体の知れない、胡散臭い男に対して警戒の表情を緩めなかった。

 こんな子供ばかり見ていると、昔ながらの大人と子供の自然な関係など忘れてしまって、自分が変態異常者として扱われていると意識しはじめることになり、小中学生の女児あたりが一人で居合わせるなら、ついつい、ふくらみはじめた胸に目が行き、「お嬢ちゃん、おじちゃんが抱っこしてあげようか、ゲヒヒヒヒ」 (^o^) (冗談ですら)
 とやりたくなるのが人情ではないだろうか。
 こちらだって毛頭、構う意志もないのに、勝手におびえて警戒されると、子供といえどもムカッ腹がたつもので、期待に応えて悪さをしなければならないような気分に襲われるのだ。

 池田小学校殺傷事件が起きてからというものの、全国津々浦々まで学校のセキュリティが厳重になり、臆病で小心な学校管理者たちは、「人を見れば泥棒か変態と思え」と子供たちを洗脳するようになった。
 近道しようと校庭を横切るだけでセキュリティシステムが作動し、警備員が飛んでくるような状態だ。
 本当にうんざりさせられるが、人より野生動物の多い蛭川でも、おそらく学校では警戒システムが厳重なはずだが、さすがに、こんな僻地には変態はいないと、みんな信じているようで、タテマエは厳重であっても、運用上は、のどかで素直な子供たちの表情が生き残っているのである。

 これが大都会の学校のように、子供たちが「見ず知らずの大人は変態・痴漢・泥棒・異常者だ」などと教育洗脳されるようになっては、もう田舎もオシマイだ。僅かに残った人間性のカケラさえ凍り付いてしまうではないか。
 大人が道を歩いているだけで、子供たちが猛獣にでも遭遇したかのように警戒するようでは、何か困ったことや事故が起きていても、それを助けようとしたら逆に変態異常者扱いされかねないと、こちらまで警戒して手を出せなくなってしまう。
 だから、こうした過剰な警戒と恐怖心の洗脳が、明らかに人間関係に悪影響、逆効果をもたらすのであって、むしろ、子供たちを危険に晒す結果を招いていると危惧せざるをえないのである。

 筆者は、過剰なセキュリティが、どれほど効果のない大きな無駄を生み出しているか、社会から、暖かい人間関係を奪っているか、得られる安全よりも、はるかに残酷な危険をもたらすものであるかを読者に問いたい。

 911テロ以降、恐怖におびえて過剰な反応を示すことで、アメリカは、どれほど、社会の暖かみ、大らかさを喪失し、たくさんの大切なものを失ったのかを、我々は直視する必要がある。

 911テロの犠牲者は、アメリカ国内で約3000名であった。これは大きな数字だ。しかし、激昂した世論による報復、復讐心を満足させるため、アメリカ国家が怒りの矛先をアフガンやイラクにぶつけて侵略戦争を行った結果、報復作戦による米兵死者総数は4000名をはるかに超え、この結果起きた宗教対立、自爆テロなどで、罪なき民衆に強いた犠牲者は実に百万人に達するのである。
 テロが成功した場合の損失と、それを未然に防ぐために用いた過剰なセキュリティ態勢によって失った損失の差し引きを考えていただきたい。おそらく比較にならないほど、愚かしい結果がもたらされているにちがいない。

 911事件によって、ブッシュらが持ち出した「テロとの戦争」 という陳腐な屁理屈、スローガンによって、いったい誰がトクをして、誰が損をしたのか?
 「社会の至る所にテロリストが潜んでいる」
 と錦の御旗を掲げて民衆の恐怖心を煽ったのは、共和党ネオコンだったが、姿形の見えないテロリストを収監するために全米600カ所の強制収容所と300万人分の棺桶が用意され、さらに、あらゆる空港・駅や公安システムに投入された新たなセキュリティシステムに使われた税金は数十兆円の巨額に上った。

 それを優先的に請け負って巨額のボロ儲けをした者こそ、ネオコン総帥、チェイニー副大統領の経営するハリバートン社であった。それだけでない、ハリバートンは、イラクから奪った石油利権の復興プロジェクトに関与して、前年の三倍以上の利益を得た。
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/halliburton.html
 こうして、得られた結果から考えれば、「テロとの戦争」の中身は、ネオコンの金儲けであり、実は911テロが本当は誰が仕組んだものか、朧に見えてくるはずだ。
 
 最近では、911ツインタワー倒壊が、旅客機の突入では絶対に起こりえず、イスラエル・モサドやCIAの使用する軍事用テルミットが仕掛けられていたことを全米建築家協会が崩壊ビデオを解析して証明してみせた。
 http://www17.plala.or.jp/d_spectator/

 「テロによる巨大な被害を防止するために厳重なセキュリティが必要」
 という主張は、完全に破綻している。アメリカは911テロを再発させないで、国民の命を守るために、人間の権利を破壊し、自由を破壊し、民主主義までも破壊し、911テロの千倍以上の犠牲者を出したのである。
 
 厳重なセキュリティが敷かれたことで、得られた利益が本当にあったのか?
 我々は、よくよく考えて、こうしたセキュリティシステムによって、本当は誰に、どのような利益がもたらされたのか? 見つめる必要がある。

 セキュリティは、それを行ったことにより、行わないよりも桁違いの不利益を発生させるものだと知る必要がある。
 我々は、「人の意志による破壊行為」に対し、それを規則や法律で縛ってみたり、報復制裁、軍事行動で解決しようとしてはならないのである。
 破壊行為を招いた真の原因を分析し、原因を具体的に解決することを通じて、予防する姿勢が必要なのであって、予算を注ぎ込んだシステムによって対応しようとするなら、際限のないイタチごっこが繰り返されるだけになり、結果は逆効果にしかならないことを知っておかねばならない。

 もう一つ、例をあげてみよう。
 筆者がパソコンに触れ始めたのは、まだマイコンと呼ばれた時代で、今から30年ほど前、最初に買ったのは、シャープMZ80だった。
 当時としては、ずいぶん高価なもので、安い軽自動車が買えるほどの値段だったと思う。たしか8ビットZ80、8Mだかのクロックだったが、当時のBASICで、そこそこの計算能力があって、メモリの大きな関数電卓という印象だった。しかし、ほとんどパックマンのようなゲームで遊んでいただけだったと思う。

 数年後、次に買ったNECノートは、16ビットでV30、10M程度のクロックがあり、一太郎も十分に使えて、申し分なく実用的なものだった。
 当時のパソコンLTや9801Nは、未だに引っ張り出して使っても、スイッチを入れた瞬間から十分に役立つもので、カシオFX890ポケコンなど、曲率や勾配計算などに欠かせず、現役で使用し続けている。
 
 以来30年、どれだけのパソコンを購入したか覚えてもいないが、間違いなく十数台は買った。演算スピードも上がり、8Mだったのが、すでに3Gを超えているから、400倍以上になっている勘定だ。
 しかし、それでは使用勝手や実用性が上がったかといえば、とんでもないことで、30年前のパソコンと今のパソコン(最新はDELL・INSPIRON)を比較してみて、少なくとも木工計算での実用性は昔のポケコンの方がはるかに上なのだ。

 いろいろな機能は数桁以上も増えたが、ワープロ一つとってみても、その実用的な入力スピードは、ほとんど変わっていない。変換辞書は数千倍になったはずなのに、使い勝手があまり変わらないというのは、どんな事情によるものか?
 むしろ、スイッチを入れて、ソフトが立ち上がり、入力して答えを利用する時間を考えれば、今のパソコンは実用性が劣っているのだ。

 その最大の理由は、せっかくCPUの性能が数千倍にもなったのに、それが動かすプログラム量が、それ以上の重さになったせいである。
 最大の桎梏(足かせ)はセキュリティソフトである。今のパソコンを利用しようと思うと、最初にパスワードを入力し、数分もかけて重い重いOSを立ち上げねばならない。さらに、巨大なセキュリティシステムを立ち上げることになる。

 筆者が今でも使う25年前のNEC9801LTなど、スイッチを入れた瞬間にOSが立ち上がり、数秒で利用できる。実用上も十分な性能だ。当時、購入した25Mクロックのワープロだって、変換スピードや使い勝手は、今の最新式よりも上なのだ。
 結局、ネット接続からシステムを守るためのセキュリティシステムが、あらゆるソフトを極端に重くし、使い勝手を損なっているのである。

 それでは、こうしたセキュリティシステムが本当に必要なのか?
 といえば、そうした人はネットを利用した高度情報通信を行っている人に限られるのであって、ネット閲覧、書き込み、ワープロと図面計算に使う程度の筆者も含めて、今ほどの巨大なシステムなどまったく必要としていない。
 ネットを利用さえしなえれば、今のパソコンなどシステムが重すぎて使いたくもない。

 これこそ、余計なセキュリティ思想が、実用性を損なっている典型的な例といわねばならないのだ。
 30年かけて飛躍的に発展したハードウェアに対して、ソフトウェアが、それ以上の負荷を必要とするなどという現実は、まさに笑い話というしかないのである。

セキュリティ社会 その1

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 セキュリティ遭難

 以下は、最近起きた実話である。

 昨年末の木枯らし吹きすさぶ深夜、著名な企業に勤める友人は、連日、4時間以上もの残業で年末決算処理に追われていた。
 この会社のセキュリティシステムでは、労務管理通達により、社員が23時までに帰宅する前提になっており、23時を過ぎるとオフィスに厳重なセキュリティロック・システムが作動するように設計されていた。

 だが、彼に課せられていた期限の迫った仕事は、23時を過ぎても終わりそうもなかった。彼は机の周りに、すべての荷物を置いて、尿意を催してトイレに立った。
 トイレから事務所に戻ったとき、その扉が開かないことに血の気が引いた。ロック解除カードも机の上だ。セキュリティシステムを忘れていた自分の迂闊さを責めたが、時はすでに遅いのだ。

 上着も財布も携帯電話も、車のキーも、家の鍵すらも、すべての荷物が机にある。ロックが解除されるのは、明日の9時以降でしかない。
 今は着の身着のまま、外は寒風吹きすさぶ凍るような冬の街路。
 助けを呼ぼうにも、ビル内には誰も残っていない。保安担当もいない、電話も通じない。監視カメラが録画しているだけで、担当者が駆けつけてくることはない。

 歩いてゆける近くに知人はいない。電話さえできない。寒さから身を守る術さえない。
 「どうしたらいいんだ・・・」
 途方に暮れながら、必死になってポケットを探ると、そこに小銭で250円あった。だが250円で何ができる。終夜営業のレストランに入っても、250円で買えるものなどない。
 「待てよ、250円・・・・」
 そのとき、まだ終電のある電車で250円区間のところに兄が住んでいることを思い出した。寒さをこらえて終電に乗り、兄に救いを求めに向かった。
 
 バス賃もないから、相当に歩きて着いた兄の家に、幸い兄がいた。
 1万円を拝借してタクシーで一人暮らしの郊外の家に帰ったものの、今度は家の鍵もないことを思い出して絶望的な気分に襲われた。田舎の一軒家なので、泥棒避けに頑丈な鍵や防犯ライトなどセキュリティが敷いてあるのだ。
 玄関前で、寒さに震えながら途方に暮れた。そのとき、そういえば新しいテレビアンテナ線を通すために鍵を閉められない小さな出窓があったことを思い出した。
 そこで、必死にその窓をこじ開けて、無我夢中で中に入った。
 ようやくストーブに暖まることができ、命が助かったというところで、この恐ろしい物語は一件落着したわけだ。

 ちなみに、彼はこのロックアウトが実は二回目であった。前回は真夏だったので会社で朝まで待っても凍死することもなく、問題を甘く見ていたのだ。
 だが、もし、これが氷点下の猛吹雪のなかで、ポケットに250円がなかったなら、本当に命の危険に見舞われていたかもしれない。

 これは「セキュリティ遭難」とでも名付けるべき、現代社会における新たな遭難災厄なのである。
 その実態が調査されたなら、驚くべき恐ろしい現実が明らかになるかもしれない。ことによると、交通遭難や山岳遭難に次ぐような一大遭難事案になっているかもしれないのである。

 この例と同じでなくとも、似たような経験をされた方は少なからずいるはずだ。
 筆者も、鍵を持たないまま家のドアを迂闊にロックしてしまい、中に入るのに四苦八苦したことが何度もある。
 鍵を無理矢理こじ開けて壊してしまったこともある。筆者宅は自作の木造バラックでなので破壊も復旧も簡単だが、今の厳重な鋼鉄製ロックシステムは、素人が簡単に突破できるような代物ではないのだ。
 素手で突破侵入できるようなものではない。おまけに、無理に壊せば後でとんでもない復旧費用がかかる。
 深夜、こうしたセキュリティシステムによって、会社にも家にも立ち入れないで彷徨い、カネもなくて、どうすることもできず。ときに凍死してしまうような恐ろしい事件は、どうも決して少なくなさそうだ。

 昔なら、こんなありふれた失敗は問題にもならず、単なる笑い話ですんでしまった。日本中どこでも近所つきあいは濃密で、困ったときは近所の人をたたき起こせば、それで解決できたからだ。
 だが、今は違う。三軒隣のご近所さんの顔も一度も見たことがない人だって珍しくない。コミュニケーションなど存在せず、連帯感を確かめ合う場もない。だから、誰も助けてくれないのだ。

 今後、場合によっては、警察や消防が「セキュリティ遭難救助隊」を結成しなければならないかもしれない。昔なら、ご近所のつきあい、連帯が、こうした、ありふれたミスを簡単に解決したものだ。
 だが、人間疎外の進んだ今では、こうした問題は、役所の仕事になったかもしれないのである。セキュリティに追放された遭難者を助ける避難所が必要になっているのかもしれない。

 家はたくさん建っている。しかし、顔も知らない隣近所の連帯がないのだ。友人だって、毎日数時間の残業を強いられ、帰宅するのは深夜、家では寝るだけで早朝出勤しなければならない。とても町内の分担仕事などやっていられない。
 だから、町内会のゴミ捨て場にゴミを捨てることさえ拒否される事態になっていた。捨てた郵便物から足がついて、「捨てるな」と通告されたのだ。
 ゴミを庭先で燃そうとすれば、たちどころに消防に通報され消防車がサイレンを鳴らして飛んでくる。
(実は、中津川市蛭川の山奥に住む筆者でさえ、庭で落ち葉を燃していると、近所の別荘に住む夫婦が消防に通報する (>_<) )
 こんな関係のご近所様に、どうして深夜の救援を求められようか?

 筆者らの若い頃を思い出してみると、ご近所の出番を待つまでもなく、こうしたセキュリティシステムを設計運用する上で、「フールセーフ」の考え方が、もっと強く意識されていたように思う。
 人間は、もともと「信じられないほどアホ」なのである。想像もつかないような初歩的な失敗を繰り返すものだ。この真実を、みんないやというほど思い知らされていた。
 だから、「システムというものはアホを前提にしなければうまくいかない」という真理が広く理解されていたと思う。
 昔の人は、自分だって、しょっちゅう失敗するのだから、誰だって失敗するさと鷹揚に考え、どんな信じられないミスをしても当然と考えて、こうした設備を作ったものだ。

 それに、昔なら警備員が巡回して手動でロックしたわけだから、そうした失敗は起こりにくかった。だいたい、23時ジャストで自動的にロックアウトされ、どうすることもできなくなるオフィスなんて、ありえなかった。
 人間は、そんなシステムに順応できるほど利口にできていないのである。人を何様と心得ておるのか(怒)

 商品の世界では、「フールセーフ」の思想を念入りに実現しなければ、いまや失敗によって損失がでたとき訴えられてしまう。
 だからストーブや電化製品など危険性の予測される商品には、過剰なほどのフールセーフシステムが設置されていることが多い。
 冒頭に上げたセキュリティシステムも、死者が出て訴訟を起こされたなら、きっと、もっとフールセーフ機能に気を遣うことだろう。
 しかし、現実は、人々が、人間の実態を無視した厳格なセキュリティシステムに追い立てられ、はじき出され、人を振り落としながら勝手に暴走するシステムについて行けなくなっているのだ。

 どうして、これほど非人間的なセキュリティシステムが大手を振って席巻するようになったのか?
 そして、こうしたシステムが、人間の完全な行動を前提にしてしか作動せず、何かの間違いが入り込むと、とたんに、もろくも、全体がマヒしてしまうような、お粗末な設計ばかりに変わってしまったのは、いったいいつ頃からなのか?

 つい最近、以下のような事件が起きた。

 【[ワシントン 3日 ロイター] 米ニューアーク国際空港のターミナルCが3日、セキュリティー上の問題で閉鎖された。同空港はニュージャージー州内に位置するが、ニューヨーク市からも近い。CNNが米運輸保安局(TSA)の話として伝えた。
 それによると、ある男性がセキュリティー検査を受けることなく誤った場所から出発エリアに入ったことが分かったため、ターミナルが閉鎖され、検査済みの乗客も再検査を受けている。 リスボン行きの便への搭乗を待っていたトロント出身の旅行者によると、ターミナル内はセキュリティー検査を待つ2000─3000人の乗客でごった返しているという。 同ターミナルはコンチネンタル航空が使用しているが、CNNによると、現時点ではすべての出発便が止まっている。 】

 【ニューヨーク時事】米ニューヨーク近郊のニューアーク国際空港で3日、不審者情報によりターミナルが一時閉鎖された事件で、警察は8日、監視カメラに写っていた男(28)を不法侵入容疑で逮捕した。 ABCテレビ(電子版)などによると、男はニューアークに近い自宅で拘束された。その際、カメラに写っていたのは自分だと認めたという。 ニューアーク空港の不審者騒ぎは、クリスマスに起きた米機爆破テロ未遂事件の直後で、当初は緊張が走った。しかし、7日に公開されたカメラ映像では、男が空港内の警備の目を盗み規制線を越えて親しい関係にあるとみられる女性搭乗客とキス。そのまま一緒に出発エリアに入り込んだことが分かっていた。】
 
 結局、この「犯人」は中国人の若者で、彼は逮捕され罰金五万円が課せられることになった。
 この事件こそ、アメリカで911事件以降、恐ろしいまでの非人間的セキュリティシステムが強要されるようになった現実を端的に示している。
 責められるべきは勝手に持ち場を離れていた監視保安員のはずだが、なぜか、中国やアメリカでは、「犯人」に対する激しい非難が巻き起こっている。

 社会不安や矛盾を、真正面から原因を探って解決する姿勢ではなく、法律や規則を厳格に定めて、それを破った者を厳罰に処すことで秩序を作ろうとする思想が、911以降、アメリカ・中国・日本などで大手を振るようになった。
 これらの厳罰主義の国に共通するものは「死刑制度」である。個人の間違いを絶対に許容しない。間違えば制裁するという思想であって、人が間違うものだという「人に対する優しさ」が完全に欠落しているのが特徴だ。

 こうした優しくない国家群で、冒頭に述べたような民衆に対する締め付け、規則の苛酷化、厳罰化が急激に拡大している現実を認識しなければいけない。

 いったいなぜ、こうなってしまったのか?

続 山の歩き方

 続 山の歩き方

 前回は獣道と人道の見分け方、疲れない歩き方などについて説明した。
 まだ少し言い足りない部分を補足しておきたい。

 前回、安全登山のために大切な姿勢は「ゆっくり歩く」ことだと説明したつもりだが、これでは説明不足で、急傾斜の山道を歩く上で意識しなければならないことは、ゆっくり歩き、かつ歩幅を狭くするということである。
 筆者は若い頃、先達から「猫のように、しなやかに歩け」と教わったことがある。一歩一歩、無理のないダメージの少ない歩き方を心がければ、長丁場では大きな違いになって返ってくる。

 「ゆっくり、歩幅を狭く、しなやかに歩く」
 これが基本だが、これでも、まだ足りない。筆者は16歳から今日まで約二千回程度の山歩きを行っていると思うが、この経験の蓄積から言わせていただくと、「余分な力を抜いて歩く」ということが一番大切である。全部力を抜いてしまえば当然歩けないので、歩くために本当に必要な筋肉だけを瞬時に使い、必要でなくなったら、瞬時に休ませるのである。
 必要なときにだけ筋肉を働かせ、必要でない筋肉は瞬時に完全にリラックスさせていることが、登山で疲れない、バテない最大の秘訣であると指摘しておきたい。

 このために、本当に力が必要な瞬間だけ筋肉が働くように、普段から感覚を養い、「無駄な力は使わない」訓練が必要である。
 もちろん、登山だけでなく、あらゆるスポーツに共通する深い奥義というべきだが、フリークライミングに凝った経験のある人なら、これがもの凄く身にしみて理解できるはずだ。
 クライミングを上手に行うコツは「力の抜き方」であり、必要な筋肉だけを、必要なタイミングだけに使い、それ以外では完全にリラックスさせ、疲労回復するテクニックがクライミングの真の奥義であることを思い知らされるはずだ。
 登山でも同様に考えるのである。「力を抜きなさい」
 この奥義こそ、普段は酒かっくらって寝ているだけの中年メタボ、ダメ親父が、10クラスの難ルートをあっというまに登って見物人を驚かせる本当の理由である。

 さて、ここまでは少しスポーツを囓った人なら誰でも知っている。この先は筆者のオリジナル奥義を伝授しよう。

 山頂から下山するとき、下り坂で滑って転倒した経験を持つ人も多いだろう。これは、単に足を滑らせたというだけでなく、実は山歩きのなかで大切な歩行メカニズムが隠されているのである。

 雪国の人なら、アイスバーンでの基本的な歩き方を知っているはずだ。それは、決してカカトで歩かない。つま先で歩くのである。つま先に力を入れ、足指を多用する。これが凍結路で滑らないコツである。
 だから凍結の多い寒い地域の人たちは、歴史的に足指が長くなる傾向がある。日本海側の人たちは、太平洋側に比べて足指が長いのである。このため、短距離走は若干苦手ということになる。

 実は、急傾斜の山道・坂道を歩くコツも、まったく同じメカニズムであり、滑らないような歩き方は、カカトではなくつま先に力を入れて歩くのである。
 これは山の場合、主に下りということになる。急傾斜の下りで、つま先に力を入れて足指を最大に利用しながら下れば滑らない。

 ところが、それでも滑って転ぶ人がいる。実は、このとき、つま先に力を入れているつもりでも腓腹筋が疲労して力が入らなくなってしまい、カカトだけで歩くような投げやりな歩行姿勢になっているのである。
 本人は登山で興奮しているから腓腹筋の疲労が分からないが、ベテランがまったく滑らない下りで滑ってばかりいる人は「カカト歩き」という状態に陥っていることを知っておく必要がある。

 どううして「カカト歩き」だと滑りやすいのだろう?
 それは、凍結路における「カカト歩き」と「つま先歩き」の違いと同じもので、つま先歩きの場合は、滑ってバランスが崩れたときに重力バランスを立て直す筋肉の可動域、幅が、足先全体にあって広いため容易に対応できるが、カカト歩きでは、足が棒状になっていて、滑ったときに、それを補正する動きが限定されるために転倒しやすくなるのである。
 滑ったとき、つま先に力が入っていれば、膝・足首・足指と三つの関節を動かして対応できるが、カカト歩きだと、事実上、膝だけで対応することになる。

 これで、急傾斜の下山時に、つま先歩きが必要なことが理解できると思うが、登山用筋肉が衰えている人、未発達な人は、意識しても、これができずにカカトで歩いてしまい、どうしても滑りやすくなる。
 このとき、補助アイテムとして活躍してくれるのがストックである。

 筆者がストックを一般登山に使い出したのは、30年前、1980年頃で、当時は、もちろんスキーストックなど無雪期に使う人などいなかったから、すれ違う人は奇異な目で見ていたが、今では、折りたたみの優秀なストックが開発されたこともあり、ダブルストックで歩く人は珍しくもない。
 筆者は1970年代、冬になると北鈴鹿の山々で山スキー歩行に凝っていて、ストック歩行が、どれほど役に立つか、さんざん思い知らされていたから、夏山でもスキーストックで歩くようになったのだ。
 今では痛風による膝関節のダメージ、衰えもあって、ストックなしでは山を歩けなくなってしまった。二本足よりは四本足の方がはるかに効率よく、山では安全なのである。イノシシや熊に遭遇したときも心強い。
 中高年の登山ハイキングには、ダブルストックは膝を守るために欠かすべからざる必須アイテムである。

 登山ハイキングで決して忘れてはいけないものとして、次のものをあげたい。

 1・ 純毛厚手セーターとヤッケ(雨具も可) これは軽ハイキングも含めて、最後の命綱と思っていただきたい。肌着が濡れたなら、セーターを肌に直接着込むこと。
 2・ ライト・スペア電池・地図 当然の装備、この他に水(ペット飲料可)食料、雨具ということになる。
 3・冒頭に述べた理由で、折りたたみストック二本を加えていただきたい。これは、どうしても必要とはいわないが、長い歩行積み重ねのなかで、あなたの膝を守ってくれる大切なアイテムだ。

 特殊装備について

 筆者は若い頃から、一般的な登山に飽きたらず、ロッククライミングや沢登りにも夢中になった。普通の人が敬遠する藪漕ぎも数多くこなした。
 そこで、あまり一般的とはいえないが、山のすべてを知りたいと思っている人のために、特殊な装備についても言及しておきたい。

 沢登りは登山道の整備されていなかった古典的な山登りでは常識であり、昔は沢道を経由しなければ頂上に立つことができず、今でも北海道では日高などで多くの登山道が沢を利用している。
 沢はコケがついていて滑りやすいのが普通で、昔は地下足袋ワラジや荒縄を靴に巻き付けて対処したものだ。80年あたりから沢用フェルト底靴が出てきたが、面倒な大荷物になるので、荷を減らしたい場合、古い穴のあいた毛糸靴下を代用すればよい。
 靴の代わりに使う靴下なので、三枚以上履き重ねることになる。靴の上から履ければ、それでもよい。これは凍結路でも役立つことを知っておいて損はない。

 下山時や出水時に、希にロープが必要になるときがある。本格的なロッククライミングなら9ミリ・40m以上、沢登りなら8ミリ・30m以上、非常装備なら1パーティで1本、7ミリ・20m程度(1キロ程度)を持参する。

 これで簡単な懸垂下降や徒渉を行う。懸垂下降は器具のいらない肩・股絡み下降を普段から訓練すること。
http://members.at.infoseek.co.jp/kuma3_3/kura/1.htm

 非常ロープはツエルトを張るときなども役に立ち、転落時に真の命綱になることもあり、誰でも一本は所持しておいたほうがよい。
 徒渉のときは、ロープを張るために特殊な結び方を覚える必要がある。筆者はトラック運送で覚えた「万力縛り」を利用することが多い。
http://www1.ocn.ne.jp/~tatsujin/ropework/truck/index.htm

 筆者の40年間の登山経験で、ヘルメットが必要だと思ったことは、ほとんどない。氷雪クライミングで確保のとき、上から氷が落ちてくるのに役に立ったくらいだ。ヒマラヤクラスなら必要だろうが、日本の沢登りくらいで持参するのはナンセンスだと思う。ロッククライミングでも、ゲレンデならほとんど無用だ。
 山は必要な装備を絶対に忘れてはいけないが、無用な装備を何一つ持参してもいけない。本当に役立つものだけを持って行こう。

 あって助かったものはザ・エクストラクター、ポイズンリムーバーという名の毒吸引器(3000円程度)だ。山ではアブ・ヒルから蜂など毒虫にやられることが少なくないので、マムシ・アブ・スズメバチ刺傷に有効な、この器具は必需品と位置づけてもよい。
 これまで、どれほど助けられたか分からない。これを使えばアブに刺されても数日で完治する。ブヨに刺されたときも腫れ上がらずにすむ。
 沢登りにヒルはつきもので、とりわけ鈴鹿は凄い。一度、足に百匹くらい貼り付いているのを見て卒倒しそうになったことがある。後で完治するまでに数ヶ月を要した。
 ヒル避けはいろいろあるが、簡単なのは塩や灯油、酢やクエン酸で、濃い溶液を百円噴霧器に入れて持参し、ときどき膝下に噴霧するだけでよい。帰宅後きちんと洗わないと金属部品が錆びてしまう。

 山の危険としては、迷い込みなど地理的条件以外に動物の危険がいわれる。
 99%は上にあげたように虫や小動物だが、希にヒグマや熊、イノシシとの遭遇がある。最近では、昨年、秋、御岳「ヒメシャガの湯」の近く巖立峡で子熊と遭遇した。
 過去40年間に、熊と遭遇したのは数十回、ヒグマとも5回以上あり、最大数メートルというニアミスもあった。
 しかし、熊に襲われたことは皆無で、みんながいうほど心配なものではない。

 それでも日本登山界の鉄人、山野井君が奥多摩でトレーニング中に熊に襲われたニュースを聞いて驚いた。おそらく、子連れでいた熊に気づかず、走って近づいたために母熊が母性本能で恐怖して攻撃したのだと思う。
 実は、動物が人間を襲うとき、人間のように攻撃してやろうという凶暴な意図で襲うことなど希であって、ほとんどは恐ろしさに震えて無我夢中で攻撃するのである。人間ほど怖い動物はないのだ。
 だから、熊に自分の存在を気づかせる鈴などの工夫が大切で、もし「いる」と分かったときは、優しい声で「おーい、おーい」と切れ目なく声をかけるのがよい。
 ほとんどの動物は、優しい声なら恐怖せず、その主を確かめようとする好奇心があり、攻撃本能は出てこない。
 筆者はこの手で、牛ほどの巨大なカモシカに5mまで近寄ったことがある。
 これまでの40年の経験で、イノシシと真正面から遭遇したことは皆無、姿を見たのも数回にとどまる。
 もし襲われたなら、ストックを使って対峙するしかないと思っている。襲うとしても、アホな猟師がしとめ損なった手負いくらいだろう。ai10.jpg

山の歩き方

 山の歩き方

 十数年前から痛風発作を繰り返すようになり、足の関節が変形して古い登山靴が履けなくなったりして、昔のように自由な山歩きができなくなったが、25~40歳くらいまでは年間50回以上のペースで山歩きを続けていた。
 20歳頃から意識した日本百名山は前世紀の90年頃、とりあえず完全踏破することができた。(噴火立入規制などで山頂を踏んでいない山がいくつかあるが)
 今は友人などとともに二巡目の百名山ハイキングを楽しんでいる。

 通算では40年ほどの登山歴ということになり、まだ死んでいないところをみると、おそらく自分の山歩きが間違っていなかったように思っている。
 そこで今回は、おこがましいながら、私なりの山歩きの知恵をブログに書き残しておきたい。
 このところ冬山登山の遭難ニュースが非常に多いので、ハイキング気分で冬山に入るような甘い考えの人たちに警告を書かねばとも思っていた。

 私は若い頃から道に興味があり、登山道についても数千回の経験から、それが、どのように変遷するのか、ある程度理解することができたと思う。
 そこで、「登山道」の成り立ちについて私なりの考えを書いてみたい。

 山の主は基本的に人間ではない。それは獣たちである。人間は、獣たちの道を借りながら登山道を造り出すのである。だから、ほとんどの山で、登山道の原型は「獣道」であることを知っておかねばならない。
 山では、人道と獣道が無数に交差している。有名山岳では、しっかりした登山道が造られ、まず迷うことも少ないが、無名の藪山では、人道と獣道の区別はないと思う必要があり、その見分け方を叩き込んでおかねばならない。

 獣たちだって、通過の大変な藪漕ぎなんかしたくない。だから、山の中では一番歩きやすい場所を歩くことになり、そこに道ができる。
 ただし、人間ほど背の高い獣は希なので、おおむね狸や狐、イノシシや熊などの背丈に合わせた道ができあがることに注意が必要だ。

 すなわち、獣道と人間道を見分ける原則は、その高さにある。多くの場合、踏み跡だけでは見分けがつきにくいが、獣道は、すぐに人間が通るのが困難な腹より高い位置の枝葉や藪が出てくるから分かる。顔に枝葉が当たるような道は獣道である。
 それに人の道よりも歩幅が狭いし、多くの獣は人より軽いので人道ほど踏み固められていない。そこで、紛らわしい踏み跡があったとき、踏み込んでみれば獣道は柔らかく、人道は固いものだ。

 獣道は生活道路だ。餌場と水飲み場、寝場所を行き交うために踏みつけられる。
 獣たちがもっとも多く通う道は水飲みの道で、したがって沢筋に踏み跡が多く、これを利用するために人道も沢筋が第一になる。
 山の道は基本的に沢筋である。人が山菜採り、炭焼き、木材運搬などに利用するのも9割以上が沢筋である。しかし日本の沢には多くの滝があり、急峻危険なため、大滝やゴルジュ(水流に掘られた洞窟状水路)などで迂回路や他の安全な沢筋に移るトラバースルートが成立することになる。
 「沢筋に危険箇所が出てくると避難路がつけられる」これも覚えておく必要がある。

 次に、テリトリー拡大のため獣の峠越えルートもある。獣だって一番安全なルートを探すから、人様の峠道も獣道を利用することが多い。
 最後に、藪の多い道よりも歩きやすく、かつ外敵に遭遇したとき、いち早く逃げられる視界良好なルートということで尾根筋が利用される。もっとも、尾根筋に関してだけは、獣よりも人間の利用がはるかに多い。

 それは、一番高い場所で見晴らしが良いので、里などとの位置関係を確認できるからであり、尾根道というものは動物よりも人間が、より多く利用するものである。
 だから、尾根道は下界集落にまでつながっている場合が多く、山で迷ったときは、決していきなり沢筋に降りず、最初に尾根に登り、道を確認してから人間様ルートを利用して下界に向かうのが遭難しない大切なコツである。
 迷うと喉が渇くから沢に降りたくなり、そのまま人里につながっていると安易に想像してしまうが、決してそうではない。日本の沢は滝の連続であり、沢を下るのは危険に満ちている。
 冬山遭難以外の大半は、迷って沢に迷い込み、そのまま下って滝で滑って負傷・死亡するというケースである。

 ちなみに、獣たちは尾根道のてっぺんを歩くことは少なく、笹や藪の少ない北側の斜面の尾根より5~20mほど下側に尾根に沿った獣道があることが多い。ベテラン猟師たちは、この道を使って猟を行う。
 歩きにくい笹藪が繁茂するのは南側の日当たりの良い場所で、北側の風雪に晒される場所は植生が悪く、逆に歩きやすいものだ。
 尾根のてっぺんにつけられた踏み跡は人間様のものであることが多い。日本中の尾根で、人道の皆無というルートは希で、そんなとき、その尾根は断崖絶壁に消えると覚悟すべきだ。

 山の道は、1・沢筋 2・尾根筋 3・峠道 4・滝・ゴルジュ迂回路 5・トラバース というように整理して覚えよう。今歩いている踏み跡は、獣道か人道か? 沢か尾根かトラバースか? などと、その属性を考え、記憶しながら歩けば、まず迷うことは少ない。

 最近は、わかりにくい場所に赤テープなどをつけても「クリーン作戦」などと余計なお節介の環境美化運動で剥がされてしまうことも多いが、迷いやすい藪山で、目印をつけるのは登山の大切な基本テクニックである。
 赤テープがダメなら、昔のようにナタで目印をつけよう。下山時の目標であるから、必ず上から降りてくるときに見えるよう人間の目の位置の皮を剥ぐ。これは自分の記号であるから、独特の分かりやすい形にする。
 マタギは目印に数十種類の共有暗号を含ませていた。形を見れば、この道が持つ情報が分かる仕組みになっていた。
 木を傷つけるのも良心が咎めるが、迷わないよう帰路を確認し、命を守る方が大事だ。必要もないのに、むやみに傷つけるのはもってのほかだが、安全のために、ためらってはいけない。

 最近は、警察検問で、車にナタやナイフが置いてあると逮捕されるらしい。必ず登山ザックに入れて、「理由なき所持」にならないように工夫する必要がある。
 私が山で目印をつけているとき、たまたま見ていた人から「自然破壊」と糾弾されたこともあった。山も難しくなったものだ。
 十分な標識が設置されているなら別だが、藪山でテープもアカン、目印もアカンじゃ困る。冬山では細い赤布をたくさん持参し、頭より高い位置の枝に縛りながら行く。一晩で2mも積もることもあり、低い位置では雪に埋もれてしまうことがある。木のない場所では、細い竹などを刺して結ぶことになる。
 結び目の作り方で、どちらが上下か分かるようにする。帰路、回収するのが常識なようだ。もちろん上から見る下山標識であることを忘れずに。

 次に、歩き方のコツを伝授する。
 歩き始めは、必ずゆっくり、最初の30分は持てる実力の三分の一しか使ってはいけない。これが準備運動だ。次の30分は二分の一の力でゆっくり歩き、十分に休んでお茶や菓子を飲食し、いよいよ本番だ。
 準備運動をしないで、いきなりハイペースで歩くと、必ずバテることになる。そんな人たちは結局、上の方で息が切れて苦しくなり、我々カメさんに追い抜かれてしまい、山歩きが楽しいものではなくなってしまう。

 1時間歩いてから、実力の8分目を出して山頂に向かう。休憩はおおむね1時間に5分程度。ほとんどの人が同じように休憩するので、有名山岳では、その位置に休憩所のような場所ができていることが多い。
 決して休みすぎてはいけない。軽く息を整える程度で、できるだけお菓子などを飲食しよう。糖尿病になりそうな甘いジュースも山ではOKだ。

 疲れてきたら、休むのではなく、「ゆっくり歩く」ことを心がける。休んでしまうと疲労が吹き出し、ますますバテることになる。
 飲食しながら、ゆっくり歩いていれば、疲れは消えてゆく。老人だって、若者のように早く歩けないが、ゆっくり山頂に着くことができる。体力のない人だって、ゆっくり歩けば、高体力の人と同じように楽しめる。

 最近、経験不足の中高年による遭難事故が多発しているが、最大の問題点は、「自分を知らないこと」である。
 自分を実力以上に過剰に評価するクセのある人は遭難しやすい。自分の実力に対して謙虚な姿勢が必要だ。
 山は大変なスポーツだ。準備があれば、困難を克服できる。装備を準備するだけではダメだ。体力・精神力を準備しなければならない。
 最初から苦しい大変な山など行ってはいけない。まずは高尾山や筑波山のような山を十数回も登り、基本的な歩き方の訓練を行い。普段から2時間程度歩く訓練を重ねる必要がある。
 そして、体力の必要な重い登山では、必ず「ゆっくり歩く」ようにすれば大丈夫、バテこそ遭難の第一歩であることを肝に銘ぜよ。

 バテない基本テクニックは、第一にゆっくり歩くこと。第二に、頻繁に軽い飲食を行うこと。第三に、こまめに衣類を脱着することだ。
 衣類を調節して、体温を一定に保つことは、非常に重要なテクニックで、山では非日常的な体験をしているので、普段の感覚が分かりにくくなる。
 体が寒がっているのに、本人は暑いと勘違いしている場合があり、着重ねしなければならない状況下で、強風に吹かれて体温が低下し、意識が朦朧としながら、そのまま死亡することも珍しくない。
 寒いと疲労度が加速する。体が熱を作るために余分なエネルギーを浪費するからだ。だから暖かく快適にすることが疲労を少なくするテクニックなのである。

 最近ではトムラウシ・ツアー登山の遭難が風に吹かれた低体温遭難だったようだ。
 強風で、少しでも寒さを感じたら、必ず、防風ヤッケ(雨具でもよい)を着ること。肌着は登山用か純毛薄手セーターを着ること。
 汗や雨に濡れて肌着の保温性が落ちたなら、純毛セーターを直接肌に着込むこと。純毛セーターは最後の命の綱である。どんなハイキングでも持参すること。
 雨中登山では、稜線に出ると凄まじい強風に遭って、とてもじゃないが、着替えなど不可能なことが多い。
 だから稜線に出る前に、藪の中で状況を予測して、先に着替えや着重ねを済ませること。

 冬山は、同じ山であっても、他のシーズンとは基本的に別世界だと思う必要がある。
 私は若い頃から鈴鹿の鈴北岳・御池岳をトレーニング場所にしていて鞍掛峠などから百回以上も登っているが、慣れきって地図も持参しないで、すべて知っているつもりでいた。
 ところが、ある冬、もの凄い暴風雪のときに登って、ホワイトアウトという現象に出くわした。これは降雪と薄い太陽光により、雪と空間の境目が認識できなくなる現象である。
 このとき、隅から隅まで知り抜いているはずの鈴北の地形が、今どこにいるのか、まったく分からなくなった。積雪で地形も変わり、自分が歩いている場所が尾根なのか、いつものルートなのかも完全に見失い、彷徨する羽目になった。

 このとき冬山が、どれほど恐ろしい魔物であるのか思い知らされることになった。
 ゲレンデとして百回も通っている地形でさえ、まったく理解できなくなる。
 1000m前後の低山でさえ、そんな現象が起きる。まして3000mの世界は凄い。
 正月に、吹雪の中で立派な登山道や標識のある間ノ岳から北岳に向かう尾根が、どうしても発見できなかったことがある。1時間も彷徨い、奇跡的に北岳への稜線が見えて助かった。

 冬山をなめてはいけない。数千回の登山経験があっても、見るも無惨に打ちのめされることがあるのだ。
 迷ったとき、行き先を確かめるのは、地図とコンパス、それに踏み跡や視界などだが、位置を確認するのに、一つや二つではダメで、高度計やGPS、無線機など、少なくとも五つくらいのアイテムを用意しておきたい。
 そして冷静に、自分を信じ、普段から訓練している自分は、必ず助かると確信して、自信をもって臨むのでなければ、冬山は地獄であり、命を奪いにくる魔物でしかない。
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続 私と民俗学

 民俗学の素晴らしい点は、それが民衆の装わず、飾らない実際の生活そのものに密着しながら、その背後に隠れた歴史的な本質を導き出す「帰納法」に貫かれているという点である。
 「民衆の生活に歴史の本質が隠れている」
 これが民俗学のテーゼである。だが、それは「権力が歴史を作った」と考える支配階級の学者たちから真っ向否定されてきた。

 たとえば、かつて日本の歴史学は学問アカデミーである東大史学部が作り出してきた。その代表的な教授だった平泉澄の主張に、「アカデミー日本史」の正体が余すところなく見えている。
 彼は天皇や武家権力だけが日本史を作ってきたと考え、天皇制を正当化することだけを前提とし、あらゆる史実を「演繹的」に解釈した。
 天皇を輩出し続けた秦氏のような百済系渡来人の存在を完全に無視し、天皇が大昔から日本にいた原日本人であるかのようなウソ八百を学問的にでっちあげた。「万世一系・神州不滅」などという史実に反したウソを教科書に書いて民衆に押しつけ、洗脳しようとした。

 こうした皇国史観を代表する平泉澄の思想は以下の引用で言い尽くされている。
 【昭和のはじめ学生だった中村吉治(きちじ)は、平泉の自宅で卒業論文の計画を問われ、漠然と戦国時代のことをやるつもりだと答えると、平泉は「百姓に歴史がありますか」と反問したという。意表をつかれた中村が沈黙していると、平泉はさらに「豚に歴史がありますか」といったという(『老閑堂追憶記』刀水書房)。また昭和十八年、学生の研究発表の場で、「豊臣秀吉の税制」を発表した斎藤正一(しょういち)は、「君の考え方は対立的で、国民が一億一心となって大東亜戦争を戦っている時、国策に対する反逆である」と決めつけられ、大目玉をくった。そのうえ、参考文献について尋ねられ、研究室に備えられている社会経済史関係の雑誌を挙げたところ、そのようなものを読んでは駄目だと断言され、副手の名越時正を呼びつけ、これら雑誌は有害であるから撤去せよと命じられたという】

 柳田国男らによって始められた「民俗学」に対し、「民衆は権力の家畜にすぎず、家畜に歴史は存在しない」という平泉流皇国史観によって敵対した史学界だが、山県有朋~平泉らによってでっちあげられた、「正統インチキ史学」によって、たくさんの日本人が騙され、「天皇は逆らうことのできない絶対的存在である」と洗脳された。
 人々は奴隷のように戦争へと駆り立てられ、東アジア全体で数千万の失われずにすんだ命が奪われていき、民衆に巨大な悲しみと歴史の停滞を生み出すことになった。

 しかし、民俗学の成果は、そうした勝手な正当化や屁理屈を許さない。
 それは捏造された文献や、書斎での勝手な思惟想像から生まれるものではなく、食料生産や調理、嗜好など民衆の生活に染みついた歴史的事実を取り上げ、具体的にその理由を探りながら、背後にある本質に迫るものだ。
 農林漁業に従事することが、どれほど辛く大変なものか、食料生産がどれほど大きな負荷とともに喜び、安心感をもたらしたのか。そうした日常の上に築かれる生活儀礼がどのような形になるのかなど、生活の原点を調査し、その共通点を見いだすことによって、民衆の生活史を明らかにするものであった。

 それは権力とは無縁に築かれてきた底辺の生活史を明らかにし、権力史ではなく民衆史こそが、歴史を動かす主体である事実を証明するものであった。
 天皇や幕府、政府を軸とした表の権力に対して、日本列島の片隅に生きる無名の人生が決して劣った無価値なわけでなく、一人一人の具体的な人生の断片にこそ歴史の真実が息づいていることを明らかにするものであった。
 そして、この世には、一つとしてオチこぼれの人生など存在しないという真理を明らかにするものであったのだ。

 民俗学の包摂する分野は実に多岐にわたり、山の民俗、海の民俗、農民の民俗、都市の民俗、生死の民俗、交通の民俗、戦争の民俗など、人々が耕し、狩り、漁撈し、食料を作り、工芸を行い、争い、カネを得て、子供を設け、育て、老いて死に、葬り、慰霊する、あらゆる生活の断片を記録し、人間生活と社会を具体的切片から追究するものであって、まさしく徹頭徹尾、「人間の学問」であり、「具体的証拠の学問」なのである。
 それは学問である以上に後生に伝えるべき大切な記録であり、津々浦々の異なる民俗の共通点を明らかにすることで、学ぶ者に人間の本質を浮き彫りにしてみせる。

 私が若いころから取り組んだ分野は、農山村の生活道路、交通や荷役、家屋などであった。それはアカデミーの学問体系とは無縁であったが、宮本常一などの著作に学ぶところが大きかった。
 しかし、基本的には自分の足と目で見いだすものであったし、その成果も、社会からの評価を受けるものではなかった。また、自分を潤すこともなかった。
 だから、仕事上の制約を受けるものではなかったが、運転商売柄、道に強い興味を抱き、全国の路地裏を歩き、曲がりくねった旧道を運転しながら道の持つ意味、そこに共通する建物の特異な意味を考えてきた。

 草深い野道から、集落を結ぶ峠道、小川や畝を渡る農道、何の意味もなさそうなのに曲がりくねった古街道、大宝律令の五畿七道駅路である東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道、そして、官道に至る幹線支道、それらが後に整備され付け替えられるたびに変化する道筋などに注目して、できる限り多くの道を知ろうとした。

 それらを広く知るほどに、私のなかで、民衆生活の変化にともなった道の生成流転がはっきりと見えはじめた。
 ある地域に、他所から人が流れ着いて、そこで耕し、子孫を増やし、集落を拡大させ、生産物や嫁を求めて他の集落と交易し、やがて街となり、権力が構築されてゆくプロセスの共通点から、道の生々流転を見いだすことができた。
 多くの場合、それは三々五々ではなく、たとえば巨大な飢饉や政変により追われた人たちが移動彷徨することや、軍事的功績の報奨として受領した土地に「一所懸命」の領地を築くことから始まった。

 これを調べてゆくうちに、民族移動や歴史的転換の本当の意味も浮き上がって見えてくる。
 たとえば、今私が住んでいる土地は、南北朝時代に後醍醐天皇を支援するために新田義貞に追従して京に向かった林一族が最初に棲み着いた土地であり、蛭川初代開拓者であった林三郎太郎その人の墓所があり、実際に住んでいた場所に私が住むことになった。
 ここは林一族の「一所懸命地」であった。その後、700年を経て、林一族はまだこの地を守り続けている。筆者もそのなかでは胡散臭い他所者にすぎない。

 ここに存在する祭祀や民俗を調査してゆくと、群馬県の風俗や人相的特徴が受け継がれていることが分かるし、氏神である「安広見神社」は元々「祇園神社」であり、周辺を調べてみると、この地域(蛭川・黒川・八百津町には秦氏の関係した「貴船神社」・「八坂神社」・「祇園神社」ばかりが存在していた。
 これらは「ユダヤ神社」と呼ばれ、旧約聖書、ユダヤ教の儀礼が受け継がれており、新田一族とは実は、百済系渡来人であった秦氏の末裔であった可能性が浮き彫りになり、日本ユダヤと深い関係がありそうだとも分かった。

 この土地が拓かれた理由は、最初、南朝方支援勢力が、何らかの理由で定着したこと。その当時の儀礼が未だに「杵振り祭」などに受け継がれていること。
 当地は住民の神道帰依率が9割以上と極端だが、これは幕末に平田国学が布教され、それが全国でもっとも激しい廃仏毀釈を引き起こし、江戸期強要された仏教系寺院が根こそぎ破壊されたこと。その背景に、旧約聖書と関係した秦氏系の人たちが定着していたことが関係していそうだということも分かってきた。

 また、群馬と京都を結ぶのに、なぜ当地を経由したかといえば、律令古道であった東山道の存在が見えてくる。
 古東山道は京都~群馬~奥州を結ぶ律令畿道であり、古代・中世における代表的な幹線道路であった。京都にいた秦氏が、朝廷から領地経営を委嘱されて各地に向かうための主要街道であり、古代における道の深い意味が伺える道なのである。

 東山道は中山道~奥州道の原型であり、古道は険しい山岳地帯を貫いている。その多くは尾根道であった。
 集落が発展し、国家が形成されるプロセスで律令官道のような「公的通路」が成立するが、このときに一定の法則があることを見落としてはいけない。
 日本列島のような険しい山岳地形にあっては、もっとも容易な通路は「海路」である。したがって、最初に整備される公的通路は海路ということになるが、気象激変の危険性などから追って内陸路も整備されることになる。
 内陸にあって、もっとも通行の容易な道は、川沿いの道であり、次に尾根沿いの道である。全国の主要道路の古道は、ほとんど、大河川に沿った道であることが多く、次に尾根沿いの道である。

 こうした視点が民俗学者の目から見れば、古道がどこに成立するか、地形を見ただけで見抜くことができる理由なのである。
 古道は、時代とともに、より合理的に改変されてゆくことになる。集落が拡大し、交易の道、朝貢の道、塩の道、嫁取りの道などが整備される。官道が成立し、古道は新道となり、馬車や自動車の発達とともに、より広く便利なバイパスもできる。尾根道は積雪を避けて平野に近い道に付け替えられてゆく。
しかし、それらは必ず古道と平行し、より合理的な場所に設置されるのであり、どこに合理性があるのかさえ分かれば、その位置を見ずとも指摘することができるというわけだ。

 また鎌倉・南北朝時代まで主要街道であった五幾七道を理解していれば、民族の移動、文化の伝播ルートさえ見えてくるはずだ。
 今では何の関係もなさそうに見える、京都~中津川~群馬~奥州という不思議な道筋に存在している文化の伝播、人民の移動や共通性も、東山道という存在によって理解することができるのである。

 当地、中津川市の古代領主は「遠山の金さん」で知られる遠山氏だが、その権力が及んだ地域では、共通する鍋蓋(椀に箸)の家紋が使われ、その範囲も、現代行政区から想像もつかない中津川市から南アルプス遠山郷にまで及んでいる。
 この理由も、実は古東山道にあり、遠山氏の関係する地域は東山道の範囲であって、古代から中世にあっては、官道と領地が一体のものであったことが分かる。道とは、すなわち領地を意味する言葉でもあった。
 だから、当地に林一族が棲み着いた理由や、後醍醐皇子であった宗良が遠山領地一帯に関係していた史実は、実は東山道の属性と関係があったのである。

 このように、古代における人々の暮らし、権力との関わり、道の存在、文化の伝播には、民俗学なくしては理解できない、さまざまの要素がある。
 皇国史観学者、平泉澄は、「豚に歴史がありますか?」と民衆を蔑視し、民衆の歴史を軽蔑し、無視しようとしたが、民衆の生活史を調べることなくして、真の歴史の意味を理解することはできないと知っていただきたい。
 民俗学こそは、「我々がどこから来て、どこに行くのか?」 「我々とは何か?」の命題に正しい答えを示してくれる唯一の学問であると確信している。 







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私と民俗学

 

 もう40年も前のことになるが、高校に入学して上宝村栃尾にあった夏期宿舎に行くことになった。このとき、私は、はじめて登山を体験した。
 登ったのは焼岳だが、当時、まだ活発に活動中で、群発地震が収まらず、盛んに噴煙を上げており、中尾峠までしか登ることができなかった。
 しかし、この集団登山で、登山というものの楽しさ、素晴らしさが心に刻みつくことになった。以降、私は夢遊病者のように山を彷徨うようになり、今に至るまで山の虜になり続けている。

 高校在学中に天皇を絶対視する右翼思想の教師(後に自殺)とそりが合わず、退学して東京に向かった。
 当時の東京は、ベトナム反戦運動、全共闘運動の全盛期で、とてもじゃないが勉強の雰囲気ではなく、思想的少年であった私は、たちまち反戦運動の興奮の渦に巻き込まれることになった。
 毎日のように都心はデモや争乱の嵐で、私は歴史の大きな転換点の現場にいることに興奮し続けていた。

 東京の高校に転入もしたが、気がつけば高田馬場の日雇い立ちん坊でメシを食うようになり、当時は、爆発的な高度成長の時代だったから、とてもカネになり、一日働いて三日休むというような生活だった。
 こんな暮らしを覚えると、毎日拘束される工場勤めなど馬鹿馬鹿しくてやっていられない。せっかく入った高校もいくらも出席しなかった。

 仕事は、まだ省力機械が未発達な時代で、すべて人力で運搬しなければならなかった。しかも、荷役の梱包単位は50キロだった。
 セメント・アスファルトなど建材は50キロ、米や麦など食料は60キロ、輸入原料は100キロがザラで、ドンゴロス(麻袋)に入った商品を手鉤で引っ張って肩に乗せて、狭い足場の坂道を行き交う、本当に辛く激しい苛酷作業だった。
 それでも肉体労働の単価は高く、最低の片付け仕事でも時間給500円、日当4000円くらいもらえたと思う。根切りという土方仕事なら6000円以上、今なら2~3万円くらいの価値があり、一泊500円が普通だったから、山谷や釜ガ崎では月に数回仕事に出て、あとは将棋や野球観戦で暮らす人たちがたくさんいたものだ。

 しかし、作業を終えれば若い私でも体中が悲鳴をあげて、のたうちまわるような状態で、とてもじゃないが、二日も三日も続けて仕事をできるものではなかった。
 カネをもらった翌日は、いつも山へ行った。

 一番安くあがる登山といえば奥多摩で、中央線や青梅線に揺られて月に5~6回は通ったものだ。高尾山から陣馬山へ、氷川駅から数馬へ、石尾根の長い散歩道、奥多摩のあらゆる尾根道を駆けめぐり、ワラジをつけて沢を登った。
 持っていた5万図は赤鉛筆で真っ赤になった。
 どういうわけか、名前も知らないのに、いつも山中で顔を合わせる人がいた。「また合ったね・・・」と何度も繰り返すことに不思議さを感じた。

 登山のなかで、否応なしに山麓の民俗を見聞する機会が増えた。
 先に書いた高校夏期研修で、私ははじめて栃尾集落の民俗調査に取り組み、その学問の大切さを知り始めていた。
 当時の栃尾民家の多くの屋根が、まだ板葺きの石押さえだった。多くの家の暖房が囲炉裏だった。それから二十年ほどして再訪したとき、信じられない変わりようで、栃尾は温泉街になり、すでに板葺きはほとんど見あたらず、トタン屋根が主流だった。もちろん暖房は灯油ストーブになっていた。

 こんな内陸の極寒地では、瓦は凍結のため割れて役に立たない。トタン板だけが最良なのである。屋根葺き材料や積雪対策民具を見れば、その土地の積雪量、気温など特異的気象条件が分かることに気づいたのもこの頃だ。
 囲炉裏が廃れて、屋根に突き出た煙窓もない家が増えていた。当時の田舎には、必ず排煙出窓があったものだが、トタン屋根板と灯油ストーブの普及によって、そうした古い家屋民俗が激変する時代だった。
 この頃の、あまりに激しい民俗変化は、私に危機感を抱かせていた。
 今、古い民俗の意味を調べておかないと、いくらもたたないうちに消えて見えなくなる・・・ 実際にそうなった。

 奥多摩の氷川や数馬の集落で特異な形状の屋根や変わった生活スタイルの意味を考えながら、私は登山とともに陽が当たり始めたばかりの民俗学に深くのめり込むことになった。
 とりわけ、当時、まだたくさん存在していた本当に山奥の不便きわまりない集落が、どのような理由で成立しているのか不思議で、バス停や駅から徒歩数時間もかかる集落を選んで訪れ続けていた。
 社会や利便性に背を向けた、こうした集落の秘密を柳田国男や宮本常一などの本を読みあさりながら考え続けた。
 あらゆる光景に、ゴーギャンの命題、「我々はどこから来て、どこへ行くのか、我々とは何か?」 を見ようとした。

 私に、一つの大きな確信を与えてくれた民俗学上の大問題は、「木地屋」であった。古い登山道をたどれば数多くの廃村に出くわすが、そこには、まだ数十年前までの生活痕跡がくっきりと残されていた。(寸又峡登山道に多く残る)
 急斜面に危うく建った家の基礎、斜面に転がる食器類、そして轆轤細工の破片、これは山奥に居住した木工職人たちのものだ。

 遠州の山奥、佐久間や水窪を夜間通行すると、どうみても不便きわまりない高く深い山の尾根の上に、まるでクリスマスツリーの飾り灯のように住居の明かりが点在していた。
 こんな光景は、鈴鹿山地周辺、遠州、四国、会津などの山奥で見られるが、いずれも古い木地屋の里である。そこに住む人の名字も「オクラ」小椋や小倉、大蔵、などで、神社は必ず筒井社や太皇大社である。
 彼らのルーツをたどることで、私は日本民族の根源について考えることになった。そして民族移動の理由、日本国家が崩壊した後に、どのような経緯をたどるのかについても想像力を巡らせることになった。

 木地屋集団は、木工轆轤を使う工人集団で、少なくとも奈良時代には、その存在を示す木工品が確認されている。彼ら自身の伝承によれば、清和源氏、惟喬親王(844~897年、文徳天皇の第一皇子)を始祖とする伝説が存在しているが、轆轤木工は、ブータンから雲南、日本に至る東アジア照葉樹林帯文明の核心になる技術で、水車や車輪の原型であり、日本の伝統民俗文化の骨格にあたるものだ。
(山上憶良660~733)は木地屋根源地の永源寺町に近い甲賀の人、名前から木地屋に関係した人物だと分かる)

 木に依存した家屋、集落の求心力になる塔頭、轆轤で削った食器と、水車文化、ヒエ食、そば粉、はったい粉、こんにゃく、豆腐、納豆などの食文化は、照葉樹林帯圏に共通するもので、たとえば、雲南のトン族に代表されるものだが、そこに住む人たちの民族的形質、民俗習慣の多くに特異な共通性があり、実は、同じルーツを共有していることを示すと考えられた。
 つまり、木地屋の居るところ、実は大昔に同じ民族だったということを意味している。

 そこで、木地屋のルーツをたどれば、我々日本人の源流が、どこにあったのかも推理できるわけで、たかが民俗学といえども、実は人類学の骨格に位置すべき大切な学問であることを知った。
 同時に、木地屋が「森の民」であるとするなら、対照的に、赤道方面から黒潮に乗って移住した海洋族「海の民」がいたことも明らかであって、彼らは沖縄人やアイヌ人に、その痕跡を留めている。
 さらに、騎馬文化を持つ人々、ツングース族の人々など、現代日本は、そうした、いくつかの民族的源流を持つ多民族国家なのである。

 民俗学的観点から日本民族のルーツを調べるなら、中曽根康弘が言った「日本人は単一民族」などという説は陳腐な「日本は偉大でなければならぬ」とする拡大優越妄想家たちの思い上がった妄説である。
 真のルーツに隠された秘密を紐解くならば、日本列島に住む我々には、世界人類の運命に関係する大きな秘密が隠されていることまで分かってきた。

 わが「日本人」は歴史的な移民の混血体であり、移民の理由を考えるなら、多くの場合、それは戦争難民であり、実は日本列島には、大陸や南方から多数の難民が逃げてきて、混血しながら形成された日本国家だと分かる。

 このことの意味は非常に重要で、我々が戦争や気象による難民の末裔であることが明らかならば、これから朝鮮半島や中国で大規模な戦争や気象激変が起きれば、再びもの凄い規模の難民が押し寄せ、日本列島に新しい血がもたらされることを意味している。
 なぜなら、人類における戦争は、現代に至っても、とどまるところを知らず、ますます危機は深まり、一触即発で大戦争が勃発する危機を孕み続けているからであり、気象はまさに激変に次ぐ激変、わずか数年で人々の命運を左右するほどの異常気象が続くおそれが十分だからだ。

 今、政治的に安定せず、爆発的崩壊を内在している国家は多い。その代表は北朝鮮よりも、むしろ中国である。
 中国では、官僚権力と人民の矛盾が頂点に達し、環境は破壊され、もはや人民の安定した生存条件が失われつつある。たとえばチェルノブイリ事故のような巨大事故が起きるなら、たちまち大混乱から内戦に向かう必然性があると考える必要がある。

 先に、木地屋が証明するように、我々の先祖の一源流は照葉樹林帯文化圏であるとしたが、これは実は越(香港~上海に至る沿岸部)と呉(上海~蘇州)の戦争によって難民となった呉国民がもたらした可能性が強い。
 呉の中心、蘇州は水都で、優れた操船文化によって国民丸ごと九州に逃亡し、有明海に上陸して弥生人となった可能性が強いと考えている。
 つまり、我々は中国人難民の末裔だったのである。

 このことは、文献上は確認されなくとも、さまざまの民俗学上の推理によって証明されるのである。長くなるので、いずれ別に書くつもりだが、まずは、民族が大規模に移住するには、よほど大きな理由が必要であることに気づいていただきたい。
 これまでの史学会が説明してきたように、三々五々、貿易や交流の拡大によって移住、混血が起きたとするのは陳腐もいいところで、そんなものが大きな民俗的変化の理由になったケースなど歴史上存在しない。
 ある国家にあって、非常に激しい変化が起きる理由は、「食べていけなくなること」・・・・つまり大規模な戦争と気象激変以外、考えられないのであり、日本にあって、弥生人、騎馬民族、オロッコ、縄文人などが移住した理由も、それぞれ大規模な戦争や気象の激変が関係していたと考える必要がある。

 そこで、現在の極めて不安定な中国・北朝鮮情勢を見る限り、これから数年以内に、中国の大規模な政変・内乱が発生するに伴って、驚くほどの難民が一斉に日本列島にやってくる可能性が高いのである。
 我々自身が中国難民でありながら、日本人の多くは、これを恐れ、彼らを武力で追い返そうとするに違いないだろう。
 しかし数の恐るべき力に勝てる者はいない。数十万人の難民を殺害できたとしても、その屍を乗り越えて、数千万人の人々が日本列島に到達し、新しい主人公になる可能性が強いと思うべきだ。

 これは民俗学を学んでゆけば、世界の歴史の中に普遍的に存在する事変であることが分かる。何一つ珍しいことではなく、必然であると理解すべきなのである。
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名古屋の記憶 その1


 台風と火葬場

 古い話だが、名古屋市中村区の、私の通った小学校の向かいに市営火葬場があって、当時、いつでも黒い煙を勢いよく上げていた。

 火葬場から校舎まで、わずか100mほど。遺体を焼くイヤな臭いが、いつでもあたりに立ちこめ、弁当を食べる時間も容赦はなかった。どうにも我慢できない不快な生臭さは髪の燃える臭いだと聞いた。
 火葬場の周囲には、死者の骨灰が堆く積もっていた。なぜか犬猫の死骸を捨てにくる人がいて、筵を剥がすと、そこに腐敗した無惨な遺骸があり、死の臭いに満ちた場所だった。

 その小学校に入学して、まもなく伊勢湾台風がやってきた。一晩中、もの凄い風で、バリバリと物の壊れる音が絶え間なく、父母も近所の人も、真っ青な顔で窓を打ち付けたり、家に支柱を立てたりしていた。

 夜中、「庄内川の堤防が切れそうだ、避難の支度をしろ」
 と町内会役員がずぶぬれになって伝令に来た。父母は、子供達に手伝わせて、ありたけの荷物を二階にあげた。
 まんじりともできないまま、恐ろしい夜が去り、朝が来た。外に出て、あたりを見渡すと、見慣れた風景はなく、まったく別世界だった。

 あたり一面、見渡す限り泥の海、膝上までの浸水、塀はすべて吹き倒され、屋根瓦もなかった。辛うじて家は建っていたが、近所の建物で完全に壊れたものも多かった。水は半月以上も引かなかった。
 わずか数百メートル離れた運河のある町内で、死者が出ていた。全体では五千名を超える死者、太平洋戦争以来の大惨事となった。

 大人達は凄惨な状況に驚いていたが、それでも、諦め顔で黙々と復旧作業を行った。みんな悲しんでいたが誰も動揺していない。大人達は自然災害とは桁違い、未曾有の恐怖、戦争を経験して、まだ十数年しか経っていなかった。
 戦時中、名古屋は三菱重工などで戦闘機を作っていた代表的な軍産都市であって、B29の絶え間のない猛爆に曝された。焼夷弾の雨や絨毯爆撃に逃げまどうことを思うなら大したことはないのだ。

 学校が再開されたのは一月もしてからだった。校舎には家を失った大勢の避難民が生活していて、私たち子供は階段で授業を受けた。教室の窓には洗濯物がひらめいていた。
 全国から支援物資が続々と到着した。みんな、わがことのように被災を心配し、なけなしの衣類や金を送ってくれた。人情の厚い時代だった。
 でも、みな貧しく、衣類の行き渡らない男の子が、女物の衣類を着ていたりした。

 その頃、向かいの火葬場の煙が凄まじいものになっていた。連日連夜、深夜でも真っ黒な煙が消えることはなかった。それも、とてつもなく臭い。魚の腐った臭い。遺体が腐乱していたからだ。子供でも臭いを我慢できず、弁当も食えなかった。

 すでに時間がたち、腐乱した溺死体は黒く変色し、数倍に膨張していた。棺桶など、とうになく、「どんごろす」という袋に包まれていた。

 学校帰り、決して近寄ってはいけないと先生に言われながら、仲間と近寄り、遺体の足を触って遊んでいた。先生は知っていても注意もしない。
 逃げまどった凄まじい爆撃に比べれば、台風など、そよ風のようなものだ。死者数千は凄いが、太平洋戦争の死者は数百万だった。台風は一過性の悲劇にすぎないのだ。

 赤線のこと
 
 当時、名古屋の繁華街は、名古屋駅から栄町に向かう広小路通りだったが、もう一つ、私の住む中村区に大門という赤線地帯があり、広小路が昼間の、表の繁華街なら、大門は夜の、裏の繁華街だった。

 赤線という名称は、すでになかったが、人々はまだ、そう呼んでいた。当時、遊郭はトルコ風呂と名前を変えていた。今ではソープランドになっている。確か、トルコから留学していた男性が、「トルコという名をやめよ」 と抗議したからとか記憶している。

 大門には、夜な夜な、欲望を求めて全国から男達が集まってくる。1960年頃は絶頂期で、大変な数の人たちが大門を拠り所にして食べていた。
 戦争未亡人は全国に数百万人もいた。みんな食べて行くのが大変だった。苛酷な生活の前に戦前の封建倫理観は崩壊し、体を売る仕事にでもありつけるだけでも幸福な時代だった。

 容姿に自信のある若い女性だけが大門で働くことができた。トルコ風呂女子従業員というのは凄いエリートだった。収入も相当なもので、男、数十人分を稼ぐ女性も珍しくなかった。だから当時の未亡人女性達の憧れだったのだ。
 誰でもが大門遊郭で仕事できるわけではない。容姿に自信がなかったり、歳をとりすぎていたりした女性も多かったから、そんな人たちの仕事も現れた。

 戦後、大門と栄町を結ぶ4キロメートルほどの街路には、夕方になると無数の屋台が現れた。一畳ほどの小さな手押し屋台、カーバイドの灯り、沸々と煮えたぎる大鍋に煮込まれていたのは「ドテ」と呼ばれたホルモンだ。名古屋らしい赤味噌を甘く味付けした味だった。甘くしたのは保存性を良くし、煮汁をムダにしないためだった。

 串カツも、このドテ汁につけて食べた。これが後に、味噌カツになった。煮汁で煮込んだウドンは味噌煮込みウドンになった。小さなイスが数脚、安い料金で辛い仕事を終えた男達が毎夜群がって飲み、食べた。

 (*「味噌煮込みウドン」は、江戸時代から三河・伊勢の塩を牛に乗せて信州に運ぶ馬喰たちが、信州・甲州の「ほうとう」を携行食とし、味噌汁に入れて食べた習慣が発展し、「きしめん」や煮込みウドンなどに変わったと考えられるが、名古屋地方における味噌煮込みの普及は、こうした屋台からであった)

 屋台の営業主は、ほとんど戦争未亡人だった。屋台を作って彼女たちに貸していたのは稲葉地一家や住吉連合会系のヤクザやテキヤだった。
 毎日なにがしかの金を払って屋台を借りる。もちろん、それだけでは食えないから、本当の仕事は営業後にあった。屋台を片づけてから、客の男と寝ることで、食べていた女性が多かった。ちょっと年齢が上がりすぎたり、子供が多かったりした場合、トルコ風呂に勤めるのは難しく、こうして客を確保していたのだ。

 数キロに及ぶ大門から栄町への屋台街道は、1964年、東京オリンピックを前にして、名古屋市当局によって強制的に壊滅させられた。

 「国際都市、名古屋」の見栄えが悪い、ヤクザの巣窟とか理由をつけられて、無理矢理撤去させられた。いわゆる公娼地帯だったが、それを語る世間の口が、封建感覚の残る市当局幹部のお気に召さなかったに違いない。それで、大勢の女性達が仕事を失った。当局は、一切、彼女らの面倒を見なかった。みんな仲間内で助け合って苛酷な運命を凌がねばならなかった。

 少しでも蓄えのある者は、自分で安い小さな店を借りて、小さな店を再開する者が多かった。こうした屋台が、名古屋のホルモン、ドテ文化を創り出し、今も続く一杯飲み屋、赤提灯などの礎となったのである。

 名古屋市当局は都市計画について驚くほど傲慢で、強圧的なやり方で進め、常識外れの強引な行政手法だった。
 戦後、小林橘川という市長が現れ、絨毯爆撃で持主所在不明となった土地を、戦争による混乱に乗じて、正規の法的手続きを無視して収容を重ね、強引に日本一広い道路を造った。おかげで市内全部がレース場のようになり、世界一の交通死亡事故多発都市となった。

 よく考えて見れば、戦死者の複雑な相続権が、戦後、あれほどの短期間に整理がつくはずがない。あんな都市計画が見事に実現できるはずがない。それを、やった。
 屋台撤去も、そうした同じ手法で、現在でも、ホームレス対策に同じ体質が見え隠れしている。万博を前に、都心部に住むホームレスを庇護施設に退去させたが、それは万博期間と、その後半年だけの庇護で、用が終わればホームレスを放りだし、何の手助けもしない。この寒さで、大勢のホームレスが凍死していても公表さえもしない。

 伊勢湾台風で持ち主不明となった多くの土地も、民法を無視した異常な手続きで大企業に売却されていった。相続者公告も形式だけで、20年不明なら、どんどん市有地に繰り入れてしまい、片っ端から利権として利用したのである。
 極めつけは、中村区新富町などの庄内川堤防付近のスラム街だった。屋台を強制撤去した頃、同じように不法占拠として堤防スラムの撤去を行ったのだが、これは20年にわたる居住実績、民法の占有権、居住権が大きな壁となっていたが、ある日、突然、スラム全部が燃える大火となり、たくさんの人が焼け死んだ。

 この事件をきっかけに、焼失地をバリケードで固め、強制撤去へと結びつけた。この大火は、市当局と結託した暴力団による放火だったと言われている。不法占拠などが問題になった地区では、必ず、市当局に都合のよい事件が起きるのである。

 ヤクザ

 中村区は暴力団の街だった。それは東海地方最大の赤線地帯、大門の利権にヤクザが群がっていたからだ。束ねるのは、当時、稲葉地一家と呼ばれた地付きのヤクザだった。シルクハットを被った大親分がいた。まるで勝新浅吉親分の映画に出てくるみたいだった。

 祖母が、近所に住んでいた大幹部宅に家事手伝いに入ったことがある。いつでも抜き身の日本刀が飾ってあり、税務署員など役人が訪ねてくると、庭で振り回していたそうだ。たいてい、それを見た役人は真っ青になって引き下がった。
 祖母は、その親分を、とても親切で良い人だと語っていた。祖母も明治生まれ、90歳過ぎて、老人ケアセンターにボランティアに出るくらいの人だから、何事にも動ぜず根性の座った女で先方にも気に入られたようだ。

 当時の娯楽と言えば、夜の赤線、未亡人の屋台、そして映画、パチンコ、キャバレー、すべてヤクザが絡んでいた。今の数倍のヤクザが街を徘徊していた。

 当時の中村区では、もっとも大きな産業が大門の赤線地帯、次に国鉄、三菱重工など民間産業だったと思う。学校には、それらの子弟と農家の子弟が集まっていた。最大勢力が、赤線地帯の子供達だった。ヤクザと飲食店の子弟である。私は第二勢力、国鉄職員の子供だった。

 小中学校とも、まだ戦後十数年、親たちは引き揚げや疎開帰還、戦争復員世代、戦地で苛酷に痛めつけられてきているから気の荒い者が多かった。教育の柱はゲンコツだった。何か失敗をしでかすと、ものも言わずにゲンコツが飛んできた。先生も同じだ。

 でも、みんな死線を彷徨い、とてつもない苦労して生きて帰って来た人たちだ。本心はとても優しかった。どんな、ひどい失敗でも、ケンカをしても、最後は大目に見てくれた。「生きてくれてさえいれば いいんだよ」 と、その目が語っていた。

 だが、子供達の世界は苛酷だった。ただでさえ歪んだヤクザ者の社会、その家庭のやり場のない鬱憤を抱えて子供達は学校にやってきた。学校は修羅場となる。イジメの嵐、暴力吹きすさぶクラス。
 私は小中学校時代、毎日、学校に殴られに通ったという印象しか残っていない。楽しい思い出など、ほとんど記憶にない。だから卒業後、クラス会なども行った記憶がない。

 中学生にもなれば、男子生徒は殴り倒され、女生徒は強姦される。教師が家庭指導に行けば、名うてのヤクザが若い者を引き連れて待ちかまえている。誰もが臭いものにフタ、見てみぬふりをするしかなかった。
 国鉄子弟は、おとなしい者が多く、もっぱらやられ放題、だが成績の良い者が多かった。農家の子弟は、急速に都市化が進む地域で、畑を売って巨額の資金を手にし、今でも豪邸に住む者が多い。

 一番苦しんでいたのは当のヤクザ子弟だったと思う。当時、一番虐められた思いでのあるYは、その後、何かの事件で無期懲役となった。生徒会長まで勤め、スポーツ万能だったO組長の息子は、後に二丁拳銃のOと異名をとり、ヤクザ社会でも一目置かれる存在だったが、覚醒剤に溺れ、飛び降り自殺した。

 大門のヤクザも、時代とともに様変わりした。
 最初、シルクハット率いる稲葉地一家の天下だったが、やがて全国組織、山口組の侵入が起きた。元々、山口組は三代目、田岡の時代まで、神戸港湾組合を中核に、全国の港湾荷役を支配する博徒だった。

 名古屋港も、荷役元締めの大手海運会社は大部分山口組の傘下にあり、荷役会社の部長クラスともなれば、刺青を彫っていないと舐められて仕事にならないと言われた。
 後に、私が、大型トラック運転手として笹島鉄道荷役や築地港湾荷役に関わった時代も、まだボウシン、荷役監督などは、みんな刺青が欠かせなかった。ヤクザ組織は、社会の中核をなしていたのである。

 そうして荷役系ヤクザ、山口組がじわじわと縄張りを拡大し、弘田組、弘道会など、本部直系の大組織が大門に関わり始めると地元ヤクザとの間に抗争が頻発し、毎日のように大門や駅裏で血生臭い事件が続いた。
 やがて地回りのヤクザ・テキヤは姿を消し、古くからある稲葉地一家系列の組も、すべて山口組傘下に加わることで延命をはかるようになった。今では稲葉地に本部のある弘道会が名古屋周辺のヤクザの主導権をとった。

 それどころか、弘道会、司(篠田)会長は、2005年、山口組六代目会長に就任さえした。しかし、影響力甚大と見た警察に狙い撃ちされ、ボディガード拳銃所持で起訴され、6年服役となったのは、まだ最近のことだ。
 私は1993年頃から、大門のつばめタクシー、中央交通に所属していたが、どのタクシー会社も、ヤクザ社会と密接な関係があることを思い知らされた。大門ヤクザの力は強大で、裏で折り合いをつけなければ商売にならなかったのである。

 タクシーで弘道会幹部を迎えに行く。本部まで片道800円ほどの道程。彼は降りるとき、いつも千円札を投げてよこした。痩身、目つきの鋭さに圧倒された。私が迎えに行き始めた頃、組抗争の殺人犯として懲役15年の刑期を終えたばかりだと言った。

 司会長も乗せたことがあるが、とても穏やかで紳士的な人物、チップもはずんでくれた。タクシーの運転手などと小馬鹿にした姿勢は見られない。贅肉のそぎ落ちた精悍な人相、素早い身のこなし、山口組組長ともなる人物は、やはりただ者ではない。

 あれほど賑やかで、名古屋駅から大門に至る太閤通や駅裏銀座通は、雑踏で人が歩くのも困難だったほどなのに、いつのまにか秋風が忍び寄ってきた。大門の灯が薄くなりはじめたのは1980年代だったと思う。

 景気高揚とともに、キャバレーやトルコ風呂に特化していた既製の業界の殻を破って、多様な風俗産業が台頭してきた。キャバクラ・イメクラ・ピンサロ・ヘルスなど、ヤクザによる支配を嫌って、風俗が既存の赤線地帯を飛び出した。名駅周辺や栄界隈で、新手の風俗が雨後のタケノコのように生え始め、やがて古い大門に閑古鳥が鳴くようになった。

 私も、トラックの運転手をしていて配偶者に恵まれず、性欲処理に、そうした新しい風俗に通った。トルコ風呂はソープランドど改名したが、既存の管理体制に縛られて、すでに新鮮味を失い、若い娘達は自由の約束された新しい風俗で稼ぎ始めた。客は若い娘がいいに決まっている。大門に足を向ける客は激減した。
 90年代、私が大門のタクシー会社で働いた頃、夜といえども、大門で客を拾うのは困難になっていた。立派な門構えのヤクザ事務所でも、若衆がヒマを持て余していた。

大きく見せたい


 「大きく見せる」ということ

 山中で、熊などの強力な攻撃力を持った大型動物に遭遇するとき、人は驚き、怯えるが、相手の方も相当に驚き、怖い思いをしているのを理解できるだろうか。こちらが、「脅して撃退してやろう」と、不用意な浅知恵を働かせ、攻撃動作を示すことで相手を怒らせ、攻撃本能に火がついて不幸な結果を招くことがある。

 熊や猪などによる人間殺傷事件の多くが、無用に相手を怒らせることによって起きている点では、巷の犬と事情は同じである。動物は恐怖に駆られ、怒り狂って襲うのである。もちろん、猟師が失敗した手負い獣や子連れ熊など、極大化したストレスを抱えた危険な連中は、遭遇の前から怒り狂っていると思わねばならない。だが、怖がらせないよう怒らせないよう、落ちついて配慮しながら、こちらの存在を優しく静かに相手に知らせることで、ほとんどの場合、ニアミスによる不幸を防止することができると私は思っているし、実際にそうであった。

 私は、これまでの30年近い国内の山歩きのなかで、羆や月の輪熊など大型獣に遭遇した件数は十数回にのぼる。それらのうち10m以内と思われるニアミスも数回ある。

 北海道、十勝山系のホロカメットク・富良野岳の稜線では、岩尾根を超えたところで、目の前に突然、巨大な羆が現れ、逃げる場所もなかったが、牛ほどの大きさの黒光りした羆は、穏やかに私を見つめ、悠然と音もなく笹原に消えていった。不思議に恐怖心はなく、金色に光り輝く黒毛の美しさばかりが印象に残った。このときは数百メートル手前から、バケツをひっくり返したような大きさの真新しい糞塊が散乱していたので多少の覚悟もあった。

 裏木曽の奥三界山付近で遭遇した月の輪熊は、私が小用中に目の前の藪から突然、脱兎のように飛び出し、すさまじい勢いで坂を転がり下って視界から消えた。私は呆然とするばかりで、肝心なものをしまうことも忘れてしまった。信越の鳥甲山でも、中アの空木岳でも似たような経験があった。月の輪熊を身近に見るときは、いつもこうだ。

 私は熊など大型動物の存在を知覚すると、できるかぎり優しい声で「オーイオーイ」と呼びかけ、話し続ける。絶対に相手を怒らせるようなことを言ってはならない。動物だってテレパシーが通じるのである。「お元気ですか、結構なお日和で」なんて、あたりさわりのないことを静かに話し続けるのである。話が途切れないうちは動物も警戒しない。向こうも好奇心があり、何が話しているのか確かめたいのである。これで、ときに数mまで接近することもあるが、不慮の事故が起きたことは一度もない。離れるときも話し続ける。たいてい相手はポカンとしている。この方法は私の秘伝として、読者にお教えしたい。過去に、有明山や深南部などで経験を重ねた。

 幸いにして、これまで私は熊や猪から攻撃を受けた経験はない。しかし、紀州大峰山地、前鬼口付近の林道で、突然、熊に遭遇したとき、立ち上がって、「ガー」というすさまじい大声で威嚇されたことがある。このときも、逃げ出して何事もなかった。声で威嚇されたのは、他に会津六十里越付近など3回ほどで、これは、いつも突然なので心臓によくない。

 国内、数千回を超える山歩きの経験を持つMさんは、熊に襲われた刹那、必死に逃げ出して無事だったことを山行記録に書いている。この人の数千にのぼる記録は日誌のように正確で、その表現に嘘や誇張はない。

 手元に報告が残っていないのでうろ覚えだが、確か、中央アルプスの経ヶ岳付近の木曽側の支稜だったはずである。Mさんは比類なきベテラン登山者で、好んで人の歩かぬ藪を選んで歩く。ニアミスにおける多くの場合、音や匂いの気配で双方とも気づいて遭遇を避けようとするものだが、熊が子連れであって、子に気を取られて周りに注意が行き届かない場合や、地形的に気配が遮断され直前まで気づかない場合、不幸な突然の遭遇となる。

 このときは天候と地形が悪かったようだ。濃い霧によって視界と音の伝播が閉ざされ、複雑な地形の稜線で突然の出会いとなった。熊は怒って立ち上がり、両手を高く上げてMさんを威圧しようとした。大きさは子牛ほどもあったと書いていたから、200キロ近い大物だっただろう。Mさんは恐怖で身が竦んでしまって動けない。

 次に熊は立ちすくむMさんに近寄り、再び立ち上がって前足でフックパンチを見舞おうとした。その刹那、Mさんは笹藪に飛び込み、神業に近い藪こぎの実力を最大限に発揮して必死に逃げた。熊が追ってきたかどうかは覚えていない。余談だが、Mさんは、この事件以降、それまで「あんなものシロートのやることだ」と軽蔑していた鈴をつけて山を歩くことになった。

 アイヌの熊狩りの記録を見ると、立ち上がって両手を高くあげた瞬間が最大の隙だという。この瞬間、勇敢なアイヌは刃物をもって懐に飛びこみ、心臓を深く正確にえぐり抜く。マタギの記録にも全く同じことが記されているから、これは普遍的な事実なのだろう。

 熊は攻撃の際、どうして立ち上がるのか? ほとんどの動物は、無用な争いを避けるために、争いの前に実力の序列を見極めようとする。序列は同じ種類の動物なら大きさによって定まるわけだから、本能的に少しでも大きく見せようとするのである。

 熊が立ち上がらず、いきなり噛みついたという報告を聞くことも多いから、たぶん、立ち上がるときは、いくぶんか攻撃に余裕のあるときではないだろうか。まずは脅して見せて、「おまえが逃げよ」という意志表示をするのではないだろうか。それでも逃げないとき、やむをえず攻撃するのだろうと私は考える。大きく見せるのは、無益な殺傷を避けるための知恵なのではあるまいか。

 猫のサカリシーズンによく見かける猫同士の争いも、毛を逆立てて自分を少しでも大きく見せようとするのが分かる。攻撃の直前、前足を大きく伸ばして立ち上がろうとするのも熊に似ている。

 犬については、飼い犬しか見たことがないのでよく知らないが、睨み合って大声で吠えあうだけで、後ろ足で立って大きく見せるなど見たことも聞いたこともない。どうも、尻尾の勢いが気勢の強さに関係ありそうだ。気勢を競い合って、尻尾が垂れたら負けという風ではないだろうか。

 ガチョウのケンカでは、羽を広げて首を伸ばし、明らかに大きく見せている。水鳥一般にその傾向がありそうだ。牛や鹿などの仲間が、不便とも思える大きな角をもっているのも、外敵や、仲間内の競争者に対して少しでも大きく見せることに意義があるのかもしれない。

 さて、人ではどうであろう。
 人間同士の争いでも、自信のない、怯えのある者同士のケンカを見るとき、相手を脅して萎縮させるため、少しでも自分を大きく見せるのに必死になっているのが看て取れることがある。

 以前、駅の付近で、ある酔っぱらいが通りすがりの女性に絡んだとき、女性の彼氏とおぼしき男がそれを制止しようとすると、酔っぱらいが背を伸び上がって彼氏を睨みつけているのを見て笑ったことを思い出した。まあ、その程度のワルなら特に危険はないと思い、成りゆきに任せた。本当に危険なのは、カッコをつけない猪のような直情型である。
 ヤクザが外車や国産大型車に乗って偉そうに見せるのも、無用な争いを避けるための知恵なのだろう。大きな車に乗ってヤクザらしくしていれば、争いを仕掛ける連中も少ない。連中はケンカになって実力が露呈することをひどく恐れている。怖がられなくなったヤクザは、もはやヤクザでない。この世界は「怖がらせてナンボ」である。だから、なめられるような小さな車には乗らない。

 最近の程度の低いワルガキどもが必要もないのに、やたらデカイ車に乗って他人を威圧したがるのも、自分を実力以上に大きく見せたがる小人の哀れな脅しの類だろう。普通に生きていることが怖いのかと気の毒になってしまう。こちらも、狭い山道やスーパーの駐車場で、無用にデカい車は大迷惑だ。日本には、日本に適したサイズというものがある。長く乗っていれば、いやでも思い知ることになる。背伸びして、「大きく見せる」無理の副作用は決して小さくない。

 「なめられたくない」連中の大型志向は、おそらく、弱者・小者を軽蔑しながら生きてきた習慣からなのであろう。自分の実力が矮小であることを思い知らされているのだろう。だが、それを認める勇気もない。本当に自分に自信のある実力者は「能ある鷹は爪を隠す」なのである。決して、必要以上に自分を大きく見せることなどしない。
 ワルガキ連も、また必要もないのに33ナンバー車に乗って、狭い道や駐車場で他人に迷惑をかけながら得意になっている普通の市民も、学校のランク作りと、その対極としてのオチコボレ製造工場と化した、人間の尊厳を踏みにじるような序列化に堕落した公的教育を受けずにすむなら、あのように愚かしい優越感を持たずにすむのにと私は思う。差別されなければ、誰が差別しようとするものか。

 だが、「小さくて何が悪い!」と、どうして言えないのだろう。
 重ねて言う。本当の実力者は、決して自分を大きく見せようとはしない。いつでも自分の真実の身長を正確に計っている。無理して背伸びすることが、いつか手ひどい副作用を生むことに気づいているからである。

 私は96~98年、2年半ほど名古屋のツバメタクシー(中村区の中央交通)の運転手を稼業とし、実に様々の客を乗せ、世間には多くの生活があることを知った。
 客には大企業経営者や芸能人などの著名人も多かった。その経験から、世間でいうところの「成功者」に共通する特徴を見いだそうとするなら、いずれも私生活が実に質素で、先祖祭祀を非常に大切にしている点をあげることができる。

 私はスピリチュアリストだが一方で完全無神論者であって、いっさいの宗教を否定している。だが、これらの「成功者」たちの生活態度は、例外なく、驚くほど宗教的で禁欲的であった。たとえば、有名なパチンコチェーン店のオーナーのK氏は、毎朝、立派な屋敷の四方に1升ウン万円もする銘酒(天狗大吟醸)を念入りにふりかける。屋敷神に捧げているのである。家族そろった毎朝の祭祀にも時間をかけていた。逆に、私用に使う車はありふれた7ナンバーの中型車で、祭祀以外の無駄なことには金をかけようとしないし、金持ちに見られないよう気を遣っている。

 別の某会社経営者は、質素を通り越してドケチ一代のモデルになりそうな生活をしていた。自分の豪華な屋敷にタクシーを呼んで、支払いはいつも名古屋市が高度障害者に支給している限度額810円の無料タクシーチケットを利用した。限度額オーバー分について、この人には障害のカケラも見あたらないのに堂々と障害者割引を要求し、必ず数十円の釣り銭も正確に受け取った。これはこれで、半端でない金銭への思想と執念を感じたものだ。
 わが地方出身者には、先日、おそらく大勢の人々から怨嗟を受け、呪われながら死んだ横井秀樹という日本を代表するドケチ成金がいるのだが、この地方にはミニ横井が大勢いることを知った。この人物の目を見張るような絢爛豪華な屋敷内には立派な社が祀ってあった。

 成功者たちは立派な家に住むが、おしなべて生活は質素である。いつまでも若き日の苦労を忘れない。先祖や神仏への感謝を決して疎かにしない。高級車を乗り回して贅沢な浪費をすることに快感を覚えるような人々に、本当の意味での成功者はいない。苦労時代を忘れ、大衆を見下したその瞬間から転落破滅への道を転がり落ちることを彼らはよく知っているのである。
 だが、苦労を知らないその子供達の世代は違う。他人よりランクの高い生活があたりまえと思っている。だから、苦労人による歯止め、つまり自分をセーブしてくれていた後見人が消えた瞬間から、自分が築き上げたものでない有形無形の財産が、あたかも天から与えられた特権であるかのように、自分の天性の容姿であるかのように錯覚し、己が最初から一般大衆と異なる選ばれたエリートであると勘違いし、それにふさわしいと自分で定めた生活様式をつくりあげる。

 それは自分にふさわしい地位の、水準を満足させるものでなければならない。そして、同じ様な幻想を抱いた仲間と、閉ざされた社会を共有し、結果、厳しい現実の法則から目を背けるようになる。実力さえ金で購えるかのような空想の世界に棲むことになる。「選ばれたる者」の共同幻想の世界である。つまり、本当の実力もない者が、資産に頼って外見だけを「大きく見せる」ようになる。
 こうして、先祖が汗と血によって築き上げた資産は、やがて巷間に霧散し消えてゆく。こんな流転が生々しく繰り返される様を、私はタクシーのたくさんの乗客の背後に見ることができた。ろくな用もないのにタクシーに乗りたがる人、煌びやかに飾っていても猜疑心に包まれた虚ろな表情。数え切れないほどの不幸な人相を見、相応の不愉快な思いもした。

 また、こうした運命を辿って、白川公園のテントに落ち着いた人を私は知っている。もう少し具体的に書きたいが、プライバシーに触れることなので、抽象的な表現にとどめねばならないのが残念だ。
 「大きく見せる」ということ。本来の実力以上に自分を大きく見せたがるということは、実は「怖い」からに他ならない。自分の実力では対処できないかもしれない恐怖があるからなのだ。圧迫され、心臓が破裂しそうになるほど怖い。そして、なんとか圧迫する相手を威圧し、その場を誤魔化したいのである。だからMさんも大熊に張り倒される寸前で逃げることができた。大きく見せようとしている相手は、実は大した相手ではない。

 人は自分の人生に拠りどころを求める。人生に救いがほしい。この世の誰かに愛されたい。誰にも愛されないなら、せめて他人に対して優越感を感じ続けていたい。自分は価値のある大きい人間だ、せめてそう思いたい。小さな貧しい自分を見つめることなど堪えられない。だから、大きく見せたい。「嗚呼、自分の人生は大きくあってほしい」私もまた、妄想に悶え苦しむ。

 自分を冷静に客観的に見ることのできる醒めた実力のある人は、こんな幻想にしがみつこうとしない。人の一生は、自分の本当の背丈を見つめることのできる実力を磨くための時間なのかもしれない。
 自分の背丈が見える人にとって、人の一生は、どれほど大きく見積もっても、立って半畳、寝て一畳ほどの大きさしかないことをはっきりと見ることができる。

 それは、死刑囚でも、浮浪者でも、エリートサラリーマンでも、大学教授でも、大臣でも、天皇でも、勲章をもらっても、前科をもらっても、百万人を救っても、百万人を殺しても、決して変わることのない厳然たる真実である。それなのに、人々はさまざまの虚構に怯え、自分より価値の高い人、低い人がいるものと錯覚し、強いコンプレックスをもつ。宮殿や議事堂や教壇に立つ人々が、薄汚れた服を着た人々より価値の高い集団だと錯覚する。

 ひるがえって人間集団を考えてみよう。
 人の集団がこの世に成立した頃、ただの野猿の群から、生産・貯蔵・分配を会得するほどの社会性を獲得した頃、マルクス・エンゲルスが指摘したように、出来の良い人々と、やや遅れた人々の二つの階級に分かれた。それらの互いに矛盾を孕んだ階級の存在が、やがて国家を成立させた。ここでは、くどくど述べない。問題は、本来あるはずのない人の外に、人の上に、それらを支配する「国家」という虚構が成立したときから始まったのである。

 「立って半畳、寝て一畳」の真実しかない人間に、それよりも価値の高そうな幻想が芽生え、エライ人が生まれ、バカタレが生まれ、良いものと悪いものが生まれた。だが、それらは所詮、虚構であって真実ではない。嘘の価値観を固定するためには、それにふさわしい偶像の成立が必要であった。

 国家の成立によって大きな利益を受ける集団が生まれた。そして、その利権を確保するために、末永い嘘、虚構を成立させねばならなくなった。「国家は、民衆の手の届かぬ凄いものだ」という嘘である。「だから国家に逆らってはならない」という嘘である。

 虚構を持続するために、「普通の人」にはできない、圧倒するスゴイ能力を見せねばならなかった。そして、その必要が、地球上のすべての大型文明に共通する偶像・巨大遺跡を生み出すことになった。

 なんでもいい、「スゲーもんがある」という驚きと、未知への恐怖が、国家という虚構を信頼させ、大衆を隷属させたのである。人は人だけに拠って生きているのが真実なのに、偶像は、人の外に人を拠らしめるものがあるという錯覚を呼び起こさせた。人々は、人に頼らず、偶像に頼るようになった。人の愛でなく、国家の権威にすがるようになった。

 偶像によってトクをする階級が成立した頃、その利益を守り続けるために、永久に偶像の再生産が始まった。これが、歴史上の偉業の正体であり、今日の核兵器や原子力発電所の本質である。

 これらは、国家という虚構を、大きく、民衆の手に届かぬものに見せることに貢献し、大衆を国家権力に隷属させる力になるものでなければならなかった。そう、「大きく見せるのである」

 軍隊・皇室・学歴社会・巨大プロジェクト、超高性能の産業機械など、これらは、国家の虚構を支える、つまらぬ錯覚にすぎない。本当は、こんなものは生きてゆくのに必要不可欠なものではない。人の一生は、どんなに無理な背伸びをしようと、「立って半畳、寝て一畳」以上のものでは絶対にないのである。こうした虚構は、人生にに不幸をもたらし、人間社会に究極の不幸をもたらす。そして、その不幸の華こそアウツビッシュに他ならなかったし、スターリンやミノシェビッチに受け継がれていたのである。

 自らの背丈を見よ! 背丈の家に住め! 背丈の食事をせよ! われわれが生きている真の理由が、断じて国家から生み出されたものでなく、それは人の愛からであることが分かるなら、どうして、この世に不幸という概念が成立するだろう。

● 生活困窮者・母子家庭を中心に共同生活コロニーを

筆者は、金融資本主義崩壊後、世界的な浪費ニーズが消えることから、巨大企業が破綻し、したがって収税破綻から国家システムも連鎖的に破綻することになると警告してきた。
 2009年末には破綻と予想していたが、現実には、まだ国家も企業も動いている。これは中国・インドなど第三世界工業生産国の文明開化的ニーズが膨れあがったことにより、辛うじて支えられていることによるものだが、大恐慌のダメージを克服できるほどの規模ではない。
 中国・インドはブロック経済化による鎖国的な自力更生の道をたどり、先進国の技術を確保し、なんでも自給自足することになるに違いない。このとき先進工業国の受注は不可能になる。それが起きるのは、たぶん来年だろう。

 すでに、現在見えている民主党の予算編成に、明らかな日本国家破綻の予兆が現れていることは誰の目にも明らかだろう。税収が40兆円もないのに90兆円の予算を組んでいるのだ。こんな借金依存家計が崩壊するしかないというのは、サラ金苦の家庭以上に明らかであって、もう国家体制崩壊が時間の問題なのだ。
 みんなが信じている国債の国内消費という幻想も、メガバンクの株主の実態が暴露されてみれば、その8割以上が外資で占められている現実に愕然とするしかないだろう。
 三菱UFJが、どのような理由でFRB管理下にあったモルガンSに対する1兆円資金援助を行ったのか、その理由を考えてみれば、国内銀行の主要株主が誰なのか分かろうというものだ。

 国家システムの破綻が我々の生活に、どのような影響を与えるか? といえば、あらゆる行政サービス、年金支給・健保システムの崩壊以上に、国際為替体制の破綻による貿易システム破壊から、極端な食料・モノ不足に陥ると考えるしかない。
 事態の進行が遅れているが、やがてドルが紙屑に変わり、為替システムも崩壊し、純金以外の貿易取引が困難になるはずだ。世界に信用基軸通貨は存在しなくなるからだ。
 物々交換にも限度があり、資源の乏しい日本は、外国の食料を購入することが不可能になることが目に見えているのだ。日本で生産するモノも、決済体制が不安定なことから、貿易トラブルが続出し、事実上、停止するしかないだろう。貿易の回復には世界統一通貨(IMF・SDRを母体とする)が出現してから数年以上かかると思うべきだ。

 マルクス主義経済学では、資本主義は繁栄と恐慌のサイクルを繰り返しながら拡大再生産の道をひた走り、最期は「国家独占資本主義段階」に達するとした。(レーニン・帝国主義論)
 こうなると、資本力は一国で帰結できない怪物となり、新たな拡大再生産、資本投下先を求めて世界を彷徨うことになる。このうち、未開の外国の資源や生産力を簒奪・利用して、本国に資本を還元する体制を作り出すものを「帝国主義」と呼んだ。
 帝国主義が複数登場すれば互いに利害対立し、必ず戦争になる。これが第一次・第二次世界大戦であった。この本質は、市場に余った商品、余剰資本と人員を消耗消滅させるための戦いである。
 戦争による巨大な消耗は、資本主義を拡大再生産させるために必要不可欠である。それは、いつでも仕組まれたものだった。

 【この有史以来の巨大戦争で「死の商人」として活躍し、膨大な巨利を得た者がロスチャイルドであった。資本主義・国家独占資本主義・帝国主義の背後には必ずユダヤ人が顔を覗かせていることを覚えておきたい】

 大恐慌が起きると、政府は銀行を潰させないために必ず市場原理経済に介入し、資本援助や救済介入を行うようになり、独占資本と政府は一体の運命共同体になる。これを国家独占資本と呼んだ。
 まさに、今起きている事態がそれだ。欧米日各国はサブプライム危機を収束させるため金融独占資本に300兆円を超える資金介入を行っている。これで、政府と金融資本は一体の運命共同体となった。このことが、まさしく帝国主義を呼び覚ますものとレーニンは指摘したのだ。
 これから起きる事態は、一体となった国家独占資本が、第三世界諸国に対して帝国主義侵略戦争を引き起こすことになると百年前に考えられたわけだが、先進国(G20)が延命のために、まだ開発余地のある後進国に経済進出を起こすメカニズムは変わらない。
 たとえば、日本はカンボジアやビルマ・インドネシアの資源を狙って新たな侵略を始めようとしているし、中国は南米やアフリカを植民地化しようとしている。中国はインドシナ諸国を中華柵封圏と見なして自国領土と考えているから、やがて日中の経済衝突も必然ということになる。

 国家独占資本は、あまりに巨大な資本であり、それは国家主義(威張り主義)と融合して帝国主義に向かう必然性があり、必ず世界戦争に向かうことになる。
 だが、今度の大恐慌は、マルクス主義経済学の予測した国家独占資本段階を、さらに超えたグローバルな多国籍金融資本による「世界独占資本段階」というべき段階にあって、その金融システムがめちゃめちゃに破壊されたのが特徴だ。
 だから単純に、国独資の帝国主義戦争という形態ではなく、まだ見ぬ別の形態になるのかもしれない。
 もう少し様子を見極めないと、大恐慌の行く末は見えてこない。ただ既存の大企業も国家システムも崩壊を免れないと考えるべきだろう。世界規模で大きな国家と企業の再編がすでに起き、さらに加速する可能性があり、こうした危機が、世界統一支配を求める勢力によって演出された可能性さえ小さくない。
 EU大統領が登場したこと、IMFがSDR母体の世界統一通貨を模索していること、トヨタなど世界のローカル大企業が次々に倒産の危機に瀕し、外国企業に吸収される可能性を見るならば、これが計画的に仕組まれたものであると思うしかない。

 一方で我々、一般大衆の生活は、真綿で首を絞めるように、じわじわと深刻な生活恐慌が拡大しており、国民の大半が収入を失う事態が時間の問題となっている。
 収入がなければ飢餓・疫病の蔓延が必然であって、大量死の時代に突入することになる。それを防ぐ国家の機能もマヒし、国家そのものが事実上崩壊する事態も避けられない。
 (筆者は、このことも、世界統一支配を狙う「影の支配勢力」が、人口削減を狙って仕組んだ事態と考えている)

 こうなると生活防衛のために、民衆レベルで農業共同体を構築する以外に生き延びる術はないと指摘し続けてきた。
 我々は、国家や世界の経済体制とは独立して、数十名の非血縁大家族で団結して、過疎地でコロニーを設立し、自給自足体制を構築して生き延びるしかないと考えている。
 とりあえず、子供たちの未来を保証してやらねばならず、このために食料を自分たちで生産し支配する体制が必要なのだ。農業共同体だけが「影の支配勢力」の歴史的陰謀から子供たちの未来を守る唯一の方策なのである。

 だが、共同体構築には、さまざまの難問が立ちはだかっている。
 人間、「立って半畳。寝て一畳」であって、これまでのような資本主義価値観による贅沢・浪費の洗脳・幻想から解き放たれ、助け合い「利他思想」を唯一至上の価値と考え、「みんなは一人のために、一人はみんなのために」楽しく明るく生きようとする姿勢が、子供たちの未来を確保する唯一の手段なのだ。
 しかし、資本主義生産体制を支えるために一夫一婦制小家族に分断孤立させられた我々が、再びかつてのような大家族共同体生活に馴染むのには相当な障害があるだろう。長い利己主義の洗脳から解き放たれるのは容易なことではない。

 そこで、過渡的に共同生活体制に馴染むためのコロニーがあれば、とりあえず、そこに入居し、時間をかけて共同体運営を学ぶことができる。長い孤立生活によって洗脳された冷たい人間関係の価値観から助け合いの暖かい人間社会を作り出す価値観へと、人々は自らを変革してゆかねばならないのだ。

 まずは、生命を維持するために、職を失った人たち、困窮した母子家庭を中心に、公的支援によって共同体コロニーを建設する必要がある。都市周辺の大規模な空き地、たとえば名古屋では、鍋田干拓地の遊休地などに、窮迫者コロニーを設置し、自給自足の訓練を行う施設を作り出すべきだ。
 地方の過疎地には、まだまだ余裕のある土地、放棄された農地、集落が数多くあり、そうした地方に続々と共同体コロニーを建設して、人口を増やすことで蘇らせる必要がある。

 まだ国家や地方自治が死滅しないうちに、我々の置かれている状況と、これから起きる事態を正しく予測できる有志、議員、自治体首長を軸に、公的な取り組みを喚起する必要があるだろう。
 公的に無理ならば、NPO法人を立ち上げて、共同体コロニー運動を大規模に展開する必要がある。
 これは、利己主義に洗脳されて連帯を見失った人たちの資本主義洗脳を解き放ち、人間の真の価値が利他主義にあることを見いだしてもらうための準備施設として位置づけることになるだろう。

 こうした施設が軌道に乗れば、そこでの体験、経験を元に、若い人たちが、どんどん過疎の田舎に、農業共同体を構築してゆけばよい。
 やがて都市は、血で血を洗うような地獄に変わるだろう。
 このとき、生き残ることができる人たちは、結局、過疎の田舎で共同体を構築できる人たちに限られるはずだ。

 助け合い社会を作り出すためには、まず孤立させられた人間関係の呪縛を解きほぐすことから始めねばならず、一人で苦しむのではなく同じ境遇に置かれた人たちが互いに同情し、連帯して新しい共同体生活の価値観を作り出し、それを社会全体に拡大するシステムが必要なのだ。

最期の革命 その6 内なる価値を見いだせ

 

 日本に住む我々は、これまで資本主義の家畜であった。
 人生の価値は、資本主義が用意した競争社会のなかで他人を蹴落として勝ち上がることであると洗脳されてきた。
 資本主義の定めた権力・権威・地位・学歴・贅沢・浪費を人が目指すべき価値と思いこみ、それを獲得したならば、ありがたがって他人に見せびらかすことが最良の人生と信じこまされてきた。
 豪邸に住むことや、高級車に乗ること、美人妻を娶ること、ブランド品を手にすることも、すべて、成り上がった優越感に浸る人生の証であった。

 だが、どれほど高い地位に上り詰め、どれほど大きな権力を獲得してみても、どれほど人の羨む贅沢ができたとしても、他人を蹴落として成り上がった人たちの心に真の満足はなく、空虚で冷え冷えとした視線、連帯のない疎外された人間関係に苛まれて寂しく死んでゆく運命しか得られなかった。
 どれほど煌びやかに飾った人生であっても、彼らの小馬鹿にする貧しい労働者の家庭にある暖かく快適な連帯感には遠く及ばなかった。

 しかし、それらの虚構、人の心を冷やすばかりの空虚な価値観も、資本主義の破滅とともに消え失せようとしている。
 国際金融詐欺師どもが、ありもしない架空のカネで、世界中の資産、資源を集めようとした。しかし、存在しないカネだったがゆえに追いつめられ、金融資本が支配した資本主義産業すべてとともに破滅しようとしている。

 すでに贅沢生活を与えてくれた投機・投信・金利・クレジット社会は崩壊した。買いたくともカネがない。価値あるものと信じてきたブランド品も、二束三文のゴミにすぎなかったどころか、捨てるのにさえカネを取られるほどだ。
 いまや、資本主義が作り出してきたすべての価値がカネとともにゴミに変わろうとしているのだ!

 我々が価値ある宝と信じこまされてきた物資の山、それは邪魔なだけの粗大ゴミにすぎなかった。我々が価値と信じて求めてきたものは、空虚な幻想にすぎなかった。地位や権力、蓄財がなんだ? 高級車や豪邸がなんだ? 
 考えてみれば、我々に本当に必要な価値は、立って半畳、寝て一畳だったのだ。

 家は暖かく快適に寝られれば十分だった。幽霊の住む部屋数数百の豪邸よりも、疲れた心を癒してくれる語らいの空間の方がはるかにマシだった。
 車は、どこの駐車場にも入らないリムジンよりも、テキパキと実務をこなせる軽自動車の方がはるかにマシだった。
 数百万円もするルイヴィトンより、軽快な登山ザックの方がはるかにマシだった。
 見栄張りばかりの贅沢三昧で文句ばかり多い美人妻よりも、暖かい料理を作ってくれる心優しい不細工な妻の方がはるかにマシだった。見てくれだけのかっこいいイケメン夫よりも、勇気をもって困難を克服できる信頼感を与えてくれる冴えない夫の方がはるかにマシだった。

 価値と信じてきたもの。それは、すべて自分の外にある虚構にすぎなかった。
 崩壊した資本主義の瓦礫のなかで、我々はやっと、真実を見ることができるようになった。
 資本主義は、終わってみればなんと虚飾に満ちた空しいガラクタにすぎなかったのか・・・・。

 おかしいと思っても文句も言わず、言われたことだけをやっていればカネが与えられ、衣食住が保証される時代は終わった。これから何が起きるのか? 自分のアタマで考え、自分の未来は自分の五体、手足、能力によって切り開かねばならない時代がやってきた。

 皮肉なことに、豊かだった時代、我々は資本主義産業の物言わぬ従順な家畜になることを強いられてきたが、その資本主義が瓦解して苛酷な原野に放り出されたとき、我々は一匹の野獣として自らを取り戻すことになった。

 だが、原野のなかに、どこに食べ物があるのだろう? どうやって命をつないでいったらよいのか? どうやって子供たちの未来を紡ぎ出すことができるのか? 野山を彷徨ってみても、どこまでいっても答えが見つからず、みんな途方に暮れはじめている。

 思えば、我々は資本主義に飼育された家禽にすぎず、与えられたライフスタイルに溺れて自然の姿を見失い、エサの取り方さえ忘れてしまったのだ。家畜・奴隷としての人生以外、誰も知らないのだ。自由とは何なのか?
 我々は縛られた猿だった。解き放たれ、もう誰も自分を縛っていないのに、みんな縛られていたときと同じように不自由にしか動けない。いったい、どこを探せば未来につながる答えが見つかるのか?

 多くの人は、自分の求めるもの、自分を救うもの、得るべき価値は、自分の外側にあると考え、それを探して当て処もなく、途方もなく彷徨っている。だが、探す場所を間違えてはいけない。あなたの外に答えはない。真の答えは、あなたの内側にあることに気づかねばならない。

 求めるものは役所の救済事業にあるのか? 人の善意にあるのか? 巨大企業にすがればよいのか? 銀行強盗でも行えばよいのか? 空き巣と万引きを目指せばよいのか?
 カネをくれる仕事を探し、雇い主を捜してみても、もう、ニーズがないのだから雇い主などいない。どこまで歩いても仕事はない。役人たちは、税金を吸い上げて、それを利用してきたにすぎない。だが、もはや誰もが税金を支払う能力を失ったのだ。
 強盗をやってみても、得られる価値など、それによって失う価値の数万分の一にも満たないのである。自分の愚かさを思い知るだけに終わるだろう。

 だから、結局のところ自分で仕事を作るしかないことに気づかねばならない。自分で、衣食住を生産し、価値を作り出すしかないのである。このとき、探すべきものは外ではなく、自分の内側にあったことを思い知らされるのだ。
 よく考えてごらん。人を頼っても、政府も自治体も企業も家族も友人も、みんな他人を助ける能力が失われてしまったのだ。だから自分の外に救済を求めても無駄なのだ。救済を求めるべきは自分の内側なのである。頼るべきは自分だったのだ。

 これまで、人に助けてもらうこと、指示をこなすことだけしか考えてこなかった人、他人に頼ることしかしなかった人は、もう自分を助けてくれる人が、どこにもいなことに気づく必要がある。
 だが、自分を助けてくれる最後の切り札があった。それは自分だったのだ。
 自分の内側を見つめ、これから起きる事態を予想し、自分と、自分を支えてきてくれた周囲を救うために、残されたすべての力を振り絞って立ち上がらねばならないのである。

 このことが理解できるなら、次になすべきことは、これから人間社会に生まれる真の必需を見極め、衣食住を生産し、命を紡ぎ出すために必要な行動をしなければいけない。
 人は、一人では決して生きられない。我々は人間社会のなかで助け合って生きるしかない。自分さえよければいいという思想、自分の利益だけを追求する利己主義の姿勢が、社会の主流となってしまったために、この社会が破滅したという真実を見抜かねばならないのである。
 だから、破滅した社会を修復し、元通り希望の見える助け合い社会を復活させるためには、利己主義を追放し、利他主義を最高の価値とする助け合い社会に作りかえねばならない。

 カネによって救われるのではない。カネなど単なる生活の道具にすぎないのだ。
 我々は、他人の生活に奉仕する助け合い社会によって生かされてきたことを深く思いだすべきだ。今、我々が存在するためには、長い歴史のなかで先人たちが、子孫のためを思う利他主義の心で、未来のために行った努力に支えられていることを思い出せ。
 たとえば、我々の家を建て、家具を作る木材を見よう。一本の柱は決して自然に生えているものを利用しているだけではない。数百年の昔、未来の人たちのために先人が大規模に植林し、長い時間をかけて大切に育て、手入れしてきたことにより、今我々が利用することができる。
 我々は、カネという道具で、それを入手できたとしても、決して自分のためだけに、それを使ってはいけない。我々が利用した分は、未来の子孫のために、補充しておかねばならない。そうでなければ、未来社会の木材が消えてしまうではないか?
 今、自分にカネがあり、いかなる贅沢が許されたとしても、それは先人たちの子孫を思う努力の結晶を消費しているだけのことであって、それを得た者が、さらに子孫のために植林し、大切に育てることで、過去から未来への歴史が成立するのである。

 だが、自分が得た金を消費しただけで終わるなら、それは浪費にすぎず、子孫の未来は存在しないことを知るべきである。
 自分の血縁子孫など、どうでもいいことで、人類全体の未来に奉仕するという普遍的愛情の思想が必要なのだ。あなたの使う木材は、あなたの血縁先祖だけが作ったものではないからだ。今、我々の存在、生活は、そうした先人たちの無私の奉仕精神、利他思想によって成立しているのである。
 
 我々が、日々、生産するものは、「他人の幸せ、未来の幸せ」に奉仕するためのものである。決して、自分の蓄財や利権のために作られるものであってはいけない。利己主義が生み出すものは、未来の破滅でしかない。自民党や保守勢力、官僚たちは、未来の子供たちに負債を押しつけることで利己主義の繁栄を謳歌しようとしてきた。
 いわば子供たちの未来を犠牲にして、自分を肥大させるだけの贅沢・浪費に邁進してきたのであり、まさに未来に対する巨大な犯罪といわねばならない。
 今ある高速道路、数々の箱物建築物、巨大なビル群が、子孫の幸福を保証できるものか? よくよく考えよ、それは、建築利権によって自分たちを肥え太らせるための道具でしかなかったではないか。

 思えば人生とは価値を探す旅路であった。価値とは何か? それは人の求めるもの、人の羨むもの、人の感動するものであり、あたかも人の外にある唯物的なカネ、金やダイヤモンド、不動産、地位、権力であると思いこまされてきた。

 しかし、それが本当に人生の価値なのか?
 そう思いこんできた人たちによって、今起きている破滅がもたらされたのである。だから我々は、自分の外に置かれた、そうした価値が、本当に自分と未来を救うものかどうか、もう一度考え直さなければいけない。

 我々の人生は、先人の未来に対する奉仕精神、利他主義によって成立していることを思い出せ。だから、他人の人生、子供たちの未来、人類の未来に、奉仕することが、連綿と続く人類の歴史に奉仕することであり、それこそが真の人生の価値であることに気づく必要がある。
 価値は自分の外にあるのではない。それは自分の心の内にある。利己主義を克服し、他人のために努力することで真の価値、満足を得る内なる思想を獲得することが、自分にとって最高の価値であることを知る必要があるのだ。

最期の革命 5 今こそ内なる利他主義の革命を

 我々は資本主義社会に生み落とされ、その経済体制に育ち、幼いうちから資本主義教育制度によって、その価値観をすり込まれ、洗脳され続けてきた。
 そして、その究極的本質は、「競争社会を無条件に受け入れよ」ということであっただろう。生まれ落ちて死ぬまで、人は競争し続けよと・・・・。

 「人として生まれたなら他人と競争し、他人を蹴落として階級階層の階段を這い上がり、自分だけ良い思いをしなければならない」
 「立身出世こそ人生の目標」 これが我々の与えられてきた教育的テーゼのすべてであり、価値観の本質であった。

 その成果は現実社会を見れば一目で分かる。
 「貧しい家の子供でも、一生懸命勉強して試験に勝ち上がれば、官僚や資本家になり権力・贅沢を謳歌できる」
 こうして、民衆は特権階級を目指して死ぬまで続く、長い長い競争に追い立てられることになった。それは、親の代で成し遂げられなければ、子の代、孫の代にまで引き継がれねばならなくなった。
 若者たちは、衣食住の現実社会を支えてきた底辺の農漁林業や職人、下町の工場には見向きもしなくなり、華やかなスポットライト、注目を浴びる「カッコよくキレイな」仕事ばかりを求め、また特権を得て社会に君臨できる官僚や大企業幹部を目指すことになった。

 こうして獲得した地位と蓄財こそ、競争社会のウイナーとして誇るべきものであり、その証として豪邸・高級車・美人妻、贅沢生活が与えられなければならず、競争を勝ち抜いて苦労して得た地位から、苦労に見合うだけのリターンを求めるのが当然と考えられるようになった。見返りのない努力など考えられないと・・・・。
 官僚たちは自分の地位と権益を極限まで肥大させ、退職後までも、特権を利用して税金をかすめ取る天下りの利権を構築していった。
 大企業経営者たちも、その地位、権力に見合う、収益を求め、そのために競争社会の敗者たちを家畜として使役し、搾取し、使い捨てするのは当然と考え始めた。
 そこまで至らない人たちは、せめてブランド品を身につけることで、特権を得たつもりの夢を見ようとするようになった。
 だから、国家は無謀・無益な浪費を重ねる構造に定着し、当然の帰結として急速に疲弊し、そしてサラ金に追われた庶民のように破産破滅のときが迫ってきた。
 国民は上から下まで、ただカネだけが、この社会の勲章であり、何よりも価値の高いものであると洗脳されていったのである。

 だが、学校や家庭での、こうした勝ち抜き、蹴落としの教育姿勢に対し、それを最初から素直に受け入れることができた者が一人でもいただろうか?
 母に甘え、友と遊ぶ、幼く純粋な心に生きる子供たちの誰が、他人を蹴落として自分だけの特権を得たいだろう?
 勝者として褒められ、敬まわれることよりも、成績など悪くとも、目の前の友達と暖かい気持ちを共有していたい、人に優しい気持ちでいたい。これが子供たちの自然な感情だったはずだ。
 人は心の底から湧き出でる喜び、感動を求めて生きているのだ。特権を得れば人生の感動が待っているのか? 地位・蓄財・豪邸・高級車で他人を睥睨し、高笑いすることが人生の感動をもたらすのか?
 それが愚かな妄想にすぎないことを子供たちはよく知っていた。

 しかし、人を差別する競争選抜を重ねるごとに、バカにされて辛い思いを重ねるごとに、テストや運動会で競争を評価されるごとに、人を畏れ、人を蔑む機会を重ねるごとに、他人を蹴落として自分が優れていると褒められる快感が、友情を陵駕してゆくことになった。
 競争に勝てば愛する家族が喜ぶという現実が、競争を当然のものして受け入れるようになる洗脳の決め手であった。

 純粋な子供の心は知っていたはずだ。カネや権威、権力よりも、友情、愛情の方が何万倍も価値の高いものだということを。
 「いい大学なんかいかなくてもいい、いい会社なんか入らなくてもいい、地位も金もいらない、ただ過不足のない生活、友と笑顔で語らう穏やかな人生がほしい」
 それが、いつのまにか、密かに友の転落を願い、自分だけが高笑いする場面を望むようになっていった。 どうして、あれほど嫌だった、他人の不幸を望むような卑劣、卑屈な性格になってしまうのか?
 それは、おそらく与えられた競争のなかで、敗者が惨めに侮蔑される現実を見せつけられることによるものだ。
 負け組になって転落していった者たちの、惨めで悲惨な境遇を見せつけられ、競争を否定する者たちへの疎外、弾圧を見せつけられ、権力に従わない者たちへの苛酷な刑罰を見せつけられてきた恐怖によるものだろう。

 どうして人間社会に競争主義がもたらされたのだろう?

 競争は人間の本能であって、社会は、その延長に作られる自然な姿だと解説する者が多いが、本当にそうなのだろうか?
 人間は、競い、争うことで進歩しなければならないのか? 世界中のカネを独占し、膨大な人類を破滅と飢餓に追いやろうとしている金融資本家(ゴールドマンサックス経営者)たちが言うように、競争によって淘汰されることが、本当に人類の発展・繁栄を保証することになるのだろうか?
 我々は、競争主義による人間社会の破滅を目前にして、もう一度、この命題を根底から問い直す必要がある。

 まずは、人類史において競争主義の思想が生まれてきた経過を振り返る必要があるだろう。それが本当に、人間社会の克服しがたい属性なのか?
 そして、民衆に差別を持ち込み、コンプレックスを持ち込み競争で追い立てることで、大きな利益を得てきた一群の集団に注目する必要がある。

 歴史上、最初に選民主義による差別体制を主張してきたのは、旧約聖書を掲げる地域における国家権力の成立とともにある。アフリカとユーラシアをつなぐ回廊、チグリス・ユーフラテス河畔に登場した国家群、そしてエジプト・ローマ帝国。
 この国家群のなかで、領土争奪戦争が繰り返され、国家間の激しい競争文化が成立し、世界中に拡大していったわけだが、その根源となった思想・宗教である旧約聖書に注目しなければいけない。ここにこそ、競争主義を肯定する選民思想の原点があることを知るべきである。

 旧約とは「神との旧い契約」の意味で、これを読めば、男性が女性を暴力で支配し、奴隷として利用する「男性権力社会」を導く思想であることがはっきりと分かる。
 不倫女性は投石で殺害され、盗人は手足を切断され、旧約を否定するものは殺害される。社会秩序は男性と権力者のために存在している。この掟によって新約をもたらしたイエスも殺害された。
 いわば、人々を処刑の恐怖で支配することで権力者の既得権益を守る思想といえよう。

 これは、現在の人類が登場した30万年前のアフリカから中東での繁栄に至るまでの大部分の歴史が、実は旧約の示す処刑の恐怖とはほど遠い、平和な母系氏族社会であったことを理解するならば、その崩壊とともに男性氏族社会すぐれて国家形成に至った歴史的転換を意味する思想である。
 旧約の成立前までは、人間社会は女性、母を中心とする母系氏族社会であり、今起きているような差別、競争、処刑の恐怖支配を原理するような社会運営は存在していなかった。
 旧約は、母系氏族社会のなかで男性が権力と財産を蓄積し、母系にとって代わって男系社会を構築しはじめたとき、それを支えるイデオロギーとして成立したのである。

 すなわち、集団における自由な性交が保証されるとき、子供は母の子としてしか特定できず、その父親を特定できないため、母系氏族社会の本質とは、多夫多妻制の集団婚であることが分かる。
 しかし、男性が力を蓄えて集団を率いるようになると、自分の子を特定して、権力と財産を相続することを求めるようになる。このため自分の子を産む母を、自分に隷属させ、他者と性交させないシステムが必要になり、これが一夫多妻制の始まりであった。
 このとき、長である男性の意志を無視して不倫した妻に対し、処刑の恐怖で支配することが必要であり、自然な人間性を無理矢理抑圧して、新しい男系社会のシステムに従わせるために、思想教育が必要であった。このためのテキストこそ旧約聖書の本質であった。

 妻を隷属させ、また男系氏族社会を刑罰の恐怖によって統制するために聖書と法が用いられることで、人々を氏族集団の奴隷として使役する体制が構築された。これによって氏族社会は、強制力を得てやがて国家へと飛躍することになる。
 国家の成立の条件とは、まさしく女性の男性への隷属、制裁・処刑システムによる恐怖の統制であり、人々の個人的な意志を無視して氏族・国家の目的のために邁進する集団が成立するようになる。そうして、氏族集団や国家群が多数登場してくると、その争いは激化し、競争、闘争が社会の全面に出てくることになる。

 人間の個人的欲求ではなく、名誉欲に導かれた集団イデオロギーが人々の生きる目的と化すようになり、人は国家の奴隷、家畜として命を捧げる道具になってゆく。
 この意味で、旧約聖書の示すものは、母系氏族社会から男性権力社会に変化してゆく社会、闘争、競争のない穏やかな氏族社会から、激しく領土争いをする国家社会へと変化していったなかで新たな秩序として登場した思想であった。

 そして、我々は歴史のなかに、「パリサイ人」という一群の人々が登場したことを知る。彼らは、史上、おそらく最初に通貨を支配し、金利を発明し、資本主義の骨格を作り出した。
 「カネ・金利」という経済システムが登場したそのときから、人は金儲けの競争社会に叩きこまれ、見栄を張り合い、国家間の膨張競争、そして絶え間なき贅沢競争・戦争社会に突入することになった。
 その本質は、「人の外に価値を見いだす」ことであり、人々は自らの内にあるはずの真の宝を見失い、自分の外に、ありもしない宝物の幻想を求めて彷徨いはじめた。

 我々は、「カネ」のシステムによって、あたかも価値が自ら作り出すものではなく、カネで買うもの勘違いさせられるようになり、自らを磨き、友と支え合い、手を携えて生きる思想を見失い、地位と権力、蓄財だけを価値を勘違いした愚かな妄想に生きることを強いられるようになった。
 このとき、自然にあったはずの人間性、すなわち利他主義を見失い、人々は徹底した利己主義に埋没することになった。

 今、拡大再生産のなかでしか生きられない資本主義がとうとう限界を迎え、そうした利己主義が、利用できる資源も植民地も失い、世界全体が発狂したかのような利己的金儲け思想に炎上し、まさに人類破滅のときがやってきた。
 もうすぐ、利己主義の楼閣は炎上し、崩壊し、人々には恐ろしい天罰が下されるようになる。
 利己主義の崩壊は、利他主義の導入によるものでは決してない。それは、食物が腐るように、自滅し、自身に内在する毒、腐り果てて崩壊しているのである。

 今、人類社会の巨大な崩壊を見つめ、我々がなすべきことは、この大崩壊が、人の内なる宝、「利他主義」を見失い、人の外に幻想を求めた結果であることを知ることのなのだ。
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